2020年12月27日
おうちで厄除け・無病息災祈願: 筑波山と羽子板と、羽根衝き遊びの歌の謎
おうちで厄除け・無病息災祈願
【シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (9)】筑波山と羽子板と、羽根つき遊びの歌の謎
久しぶりの『筑波山名跡誌』シリーズですが、今回はポイントとしての場所ではなく書かれている伝説を読み解きたいと思います。
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
今までのお話
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
→シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
→シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
新型コロナの感染が拡大しています。しかも感染力の強い変異型の報道も出てきて大変気がかりです。
とにかく、新型コロナの感染をこれ以上広げないために、今年の年末年始は、やはり極力外出を控えないといけないです。
初詣でも、時期をずらして空いている年末に社寺に詣でる『幸先詣で』もあるとか。
とにかくここが我慢のしどころ。
そんな今年のお正月に
『厄除け・無病息災』を祈願しながら、おうちで家族と遊べる遊び
があるのです!

それは、
『羽根つき』!
羽子板で羽根をついて遊ぶ、あのお正月伝統の遊びです。
(写真は、某人気アニメの絵の羽子板の裏側です)
先日、ラジオ(NHK第一)の番組のストリーミング放送を聞いていたら、
『正月の羽子板遊びには厄除けの意味がある』
という話題をやっていました。
① 衝く羽根の黒い玉は「むくろじ」の実。
むくろじは、「無患子」と書き、子供の無病息災祈願に繋がっている。
② 羽子板で衝く羽根をトンボに見立てて、羽根で衝いて宙に飛ばして、蚊などの害虫を退治させるまじない。
③ 失敗すると顔に墨を塗られることは、魔除けのまじない。
なのだそうです。
これはもう、羽子板で羽根つき遊びをやるしかないですね!
そんな羽子板と羽根衝きの由来について、江戸時代中期に書かれた『筑波山名跡誌』に、
筑波山に伝わる興味深い話が書かれていますので、今回はそれについて考えていきます。
(なお、羽つき/羽子板あそびについては、図書館にある文献でも調べてみました。このページの最後に参考文献(文献3、4、5))を挙げますのでご興味ある方はそちらもご覧ください
)
(1) 江戸時代中ごろ、筑波山地域は羽子板の名産地だった
以前も、筑波山の『羽子板』の『こぎのこ・こぎのみ(植物の「ツクバネ」の実)』について書きました。
以前書いた記事 → 茨城こんなもの見つけた♪(19) 「つくばね御守」と「つくばね」の実
今回は、同書の『羽子板』の項に書かれている、羽根つきの歌についてです。
まず、同書によると、著者の上生庵亮盛が、坂東巡礼で椎野山(椎尾山のことか?※)で泊った時に、
地元の老農夫から、筑波山における羽子板の由来として、
●最初は、木の枝で羽根を打っていたが、そのうち枝が板になり、さらにその板もきれいな形に作られて、
毎年『霜月朔日』(旧暦11月1日)に市で売られて全国に、筑波山で作られた羽子板が出回るようになった
という話を聞きます。加えて、
●羽根衝きは、『日神』が筑波山にいつとせ(五年?)滞在した時に、他の神様達と一緒に、
筑波山の二神を羽根衝き遊びで慰め、伝わる『羽根衝きの歌』がある
ことも聞きます。

なお同書では、筑波山の名物の項に、
●羽子板、児岐之実(こぎのみ:植物のツクバネの実。衝き羽根の形に似る)
も入れています。
『筑波山名跡誌』が書かれた江戸時代中期の頃は、羽子板は筑波山の名産品だったようです
。
※ 椎野山は、筑波連山の『椎尾山』の間違いかと考えます。
坂東=関東には、椎野山という山はどうもないようですし、話の筋から筑波山連山の1つとした方が自然かと考えます。
(2)筑波山地方に伝わる羽根衝きの歌
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
上生庵亮盛は、更に老農夫から、筑波山二神への御詠歌として、この歌(和歌)を聞き、筑波山名跡誌に書き綴ります。
なにか呪文のようでもありますね。
そして、それぞれのことばが掛けことばになって、歌自身がいくつも意味を持つようにも感じられます。
この歌の意味の謎解きにちょっと挑戦してみましょう
。
① 羽根を羽子板で衝きながら、数を数える『一、二、三、四、五・・・』
『ひふみよ』: 数を数える『一、二、三、四』
または、
『ひ』は『日(日神)』?
『ふみ』は『踏み』? 『踏む』の古語の意味に『位につく』という意味もある(Webio古語辞典)
『よ』は『世』?
合わせると『日神が位につく(統べる)世』とも読める?
『いつ』:数字の『五』と、時を聞く『いつ』
上生庵亮盛が聞いた筑波山の神々の伝説
『日神が筑波山にいつとせ(五年)滞在した』 の『いつ』にも関係するか?
② はご 羽子板の羽子で、いわゆる羽根つき遊びに使う羽根です。『はね』。『つくばね(衝く羽根)』
③ 『はごをつく』:羽子を衝く
『つく』が『つくば(筑波)』の『つく』に繋がる。
『つくばね』:『衝く羽根』、『筑波嶺』
『つくばねの月』:『衝く羽根の衝き』、『筑波嶺の月』
④ 『月あらん事は』: 『月があること(月がある様子)』、『衝きがあること』
⑤ 『そらにすめすめ』 これが難解…。
この意味をを考えていきます。
(3)『そらにすめすめ』とは?
実は同書では、『羽子板』の項の一つ前の『児岐乃子』の項で、後水尾院の御歌として
『つくばねのそれにはあらでこぎのこのこよひの月はそらにすめすめ』
という歌も紹介しています。
後水尾院は 江戸幕府が始まった頃、慶長元年~延宝八年(1596年-1680年) に生き、
慶長16年(1611年)~寛永6年(1629年)に在位した天皇。
その方の歌です。
『こぎのこ(古岐乃子)』は、上でも書きましたが、植物の『ツクバネ』の実です。
この『ツクバネ』は、羽子板遊びに使う羽子そっくりの形をしています。
この後水尾院の御歌の意味も気にはなりますが、おそらく冒頭の『つくばね』は、山の『筑波嶺(つくばね)』ではなく、純粋に『衝く羽根』=羽子 のことを言っているのだと思います。
多分、宮中で羽子板遊び(神事だったかも?)をしている時の様子を、後水尾院が詠った歌なのではないのでしょうか。
こちらの御歌にも、『月』が出てきますね。
羽根衝きは月夜に行われることもあったのでしょうか?? 興味深い。
そしてこの歌の最後が、やはり『そらにすめすめ』なのです。
・ 筑波山麓で(少なくとも江戸時代中期ごろ)伝わっていた羽根衝きの歌
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
・ 後水尾院(江戸時代初めの人)の歌
『つくばねのそれにはあらでこぎのこのこよひの月はそらにすめすめ』
どちらが先かは分かりませんが、どちらも
『つくばね』『はご(羽子)/こぎのみ(児岐之実)』、『月』、『空にすめすめ』
と共通ワードがあります。
そしてやはり気になるのが、最後の『空にすめすめ』の意味。
私は、『すめ』 は 『澄め』 ではないかと思います。
というのも、
古語『澄む』の例として、Webio古語辞典によると、
吉田兼好の徒然草 十九にある一文
『すさまじきものなりて見る人もなき月の、寒けくすめる二十日余りの空こそ、心細きものなれ』
をあげて、その意味を
『殺風景なものとして見る人もいない(冬の)月が、寒そうに澄んでいる
(陰暦十二月9二十日過ぎの空は心細いものである』
と説明します。
また、新古今和歌集(文献2)によると、藤原秀能(ひでよし/ひでとう)という人の歌で、
『月すめばよもの浮雲空に消えてみ山がくれにゆくあらしかな』
という用例があり、文献2の解説では、『月すめば』を『月が澄むと』と解説しています。
つまり『月』と『澄む』はセットになり得る。
なので、下の句の『月あらん事は そらにすめすめ』は、
『月が(夜空に)ある姿で、その空で澄んで(美しく輝いて)いて下さい』
と読めるのではないかと思っています。
(4)筑波山地域に伝わっていた羽根衝き遊びの歌の意味は…。
以上より、
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
の歌の意味は、私は下記のようにまずは考えます。
① 『ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつといつまでも、羽子を衝く筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けて下さい』
月が輝く夜と、羽根を衝く神事の様子が重なる、美しくもミステリアスな歌ではありませんか♪
ところが気になるのは、
『日神がいつとせ、筑波山に滞在した時に、他の神様達と、筑波山の二神を羽根衝きで慰めた』
という話。
そうすると、
② 『日の神が治める世でいつまでも羽子を衝く筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けていて下さい』
とも読めますし、
③ 『日の神が治める世で、日の神が五年滞在して羽子を衝く間は、筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けて下さい』
とも読めるかも? 後の意味だと期間限定…?
いずれにせよ、『日神』が歌った歌に『月』が出てくる。それも『輝き続けて』と歌う。
いよいよミステリアス。
または、単純に羽根衝きの回数の数え歌 兼 応援歌として、
④ 『ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつといつまでも衝いている羽子の、その衝き(つき)が続くことを表すように、(衝かれた羽子よ)空中で(ずっと)輝いていて!』
とも取れますよね。
他にも解釈や、裏の意味もありそうな歌で、とても興味が深まりますが、あとは各自で妄想の羽根を広げて頂くことにして、
私の解釈は、とりあえず上記の4つで(^^)
。
それにしても、この歌を唱えながら、羽根を羽子板で衝いて遊ぶと、ますます厄除け・無病息災の願いが届きそうではありませんか!
そして失敗した時は、顔に墨を塗って(サザエさんみたいに)、これまた厄除けになる。
身体を動かして健康的
だわ、顔に墨を塗って笑いを呼ぶ
は、良いことずくめ
。
今年のお正月は、おうちで羽根つきして遊んで
、『おうちで厄除け・無病息災祈願』
しませんか
(^o^)
*************************************************************************
【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『新古今和歌集』 新日本古典文学大系11 岩波書店
3,『民族遊戯大事典』 大林太量 編 大修館書店
4.『日本こどものあそび大図鑑』 笹間良彦 著 株式会社遊子館
5.『江戸時代 子ども遊び大事典』 小林忠 監修 中城正堯 編著
【シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (9)】筑波山と羽子板と、羽根つき遊びの歌の謎
久しぶりの『筑波山名跡誌』シリーズですが、今回はポイントとしての場所ではなく書かれている伝説を読み解きたいと思います。
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
今までのお話











新型コロナの感染が拡大しています。しかも感染力の強い変異型の報道も出てきて大変気がかりです。
とにかく、新型コロナの感染をこれ以上広げないために、今年の年末年始は、やはり極力外出を控えないといけないです。
初詣でも、時期をずらして空いている年末に社寺に詣でる『幸先詣で』もあるとか。
とにかくここが我慢のしどころ。
そんな今年のお正月に
『厄除け・無病息災』を祈願しながら、おうちで家族と遊べる遊び
があるのです!

それは、


羽子板で羽根をついて遊ぶ、あのお正月伝統の遊びです。
(写真は、某人気アニメの絵の羽子板の裏側です)
先日、ラジオ(NHK第一)の番組のストリーミング放送を聞いていたら、
『正月の羽子板遊びには厄除けの意味がある』
という話題をやっていました。
① 衝く羽根の黒い玉は「むくろじ」の実。
むくろじは、「無患子」と書き、子供の無病息災祈願に繋がっている。
② 羽子板で衝く羽根をトンボに見立てて、羽根で衝いて宙に飛ばして、蚊などの害虫を退治させるまじない。
③ 失敗すると顔に墨を塗られることは、魔除けのまじない。
なのだそうです。
これはもう、羽子板で羽根つき遊びをやるしかないですね!

そんな羽子板と羽根衝きの由来について、江戸時代中期に書かれた『筑波山名跡誌』に、
筑波山に伝わる興味深い話が書かれていますので、今回はそれについて考えていきます。
(なお、羽つき/羽子板あそびについては、図書館にある文献でも調べてみました。このページの最後に参考文献(文献3、4、5))を挙げますのでご興味ある方はそちらもご覧ください

(1) 江戸時代中ごろ、筑波山地域は羽子板の名産地だった
以前も、筑波山の『羽子板』の『こぎのこ・こぎのみ(植物の「ツクバネ」の実)』について書きました。

今回は、同書の『羽子板』の項に書かれている、羽根つきの歌についてです。
まず、同書によると、著者の上生庵亮盛が、坂東巡礼で椎野山(椎尾山のことか?※)で泊った時に、
地元の老農夫から、筑波山における羽子板の由来として、
●最初は、木の枝で羽根を打っていたが、そのうち枝が板になり、さらにその板もきれいな形に作られて、
毎年『霜月朔日』(旧暦11月1日)に市で売られて全国に、筑波山で作られた羽子板が出回るようになった
という話を聞きます。加えて、
●羽根衝きは、『日神』が筑波山にいつとせ(五年?)滞在した時に、他の神様達と一緒に、
筑波山の二神を羽根衝き遊びで慰め、伝わる『羽根衝きの歌』がある
ことも聞きます。
なお同書では、筑波山の名物の項に、
●羽子板、児岐之実(こぎのみ:植物のツクバネの実。衝き羽根の形に似る)
も入れています。
『筑波山名跡誌』が書かれた江戸時代中期の頃は、羽子板は筑波山の名産品だったようです

※ 椎野山は、筑波連山の『椎尾山』の間違いかと考えます。
坂東=関東には、椎野山という山はどうもないようですし、話の筋から筑波山連山の1つとした方が自然かと考えます。
(2)筑波山地方に伝わる羽根衝きの歌
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
上生庵亮盛は、更に老農夫から、筑波山二神への御詠歌として、この歌(和歌)を聞き、筑波山名跡誌に書き綴ります。
なにか呪文のようでもありますね。
そして、それぞれのことばが掛けことばになって、歌自身がいくつも意味を持つようにも感じられます。
この歌の意味の謎解きにちょっと挑戦してみましょう

① 羽根を羽子板で衝きながら、数を数える『一、二、三、四、五・・・』
『ひふみよ』: 数を数える『一、二、三、四』
または、
『ひ』は『日(日神)』?
『ふみ』は『踏み』? 『踏む』の古語の意味に『位につく』という意味もある(Webio古語辞典)
『よ』は『世』?
合わせると『日神が位につく(統べる)世』とも読める?
『いつ』:数字の『五』と、時を聞く『いつ』
上生庵亮盛が聞いた筑波山の神々の伝説
『日神が筑波山にいつとせ(五年)滞在した』 の『いつ』にも関係するか?
② はご 羽子板の羽子で、いわゆる羽根つき遊びに使う羽根です。『はね』。『つくばね(衝く羽根)』
③ 『はごをつく』:羽子を衝く
『つく』が『つくば(筑波)』の『つく』に繋がる。
『つくばね』:『衝く羽根』、『筑波嶺』
『つくばねの月』:『衝く羽根の衝き』、『筑波嶺の月』
④ 『月あらん事は』: 『月があること(月がある様子)』、『衝きがあること』
⑤ 『そらにすめすめ』 これが難解…。
この意味をを考えていきます。
(3)『そらにすめすめ』とは?
実は同書では、『羽子板』の項の一つ前の『児岐乃子』の項で、後水尾院の御歌として
『つくばねのそれにはあらでこぎのこのこよひの月はそらにすめすめ』
という歌も紹介しています。
後水尾院は 江戸幕府が始まった頃、慶長元年~延宝八年(1596年-1680年) に生き、
慶長16年(1611年)~寛永6年(1629年)に在位した天皇。
その方の歌です。
『こぎのこ(古岐乃子)』は、上でも書きましたが、植物の『ツクバネ』の実です。
この『ツクバネ』は、羽子板遊びに使う羽子そっくりの形をしています。
この後水尾院の御歌の意味も気にはなりますが、おそらく冒頭の『つくばね』は、山の『筑波嶺(つくばね)』ではなく、純粋に『衝く羽根』=羽子 のことを言っているのだと思います。
多分、宮中で羽子板遊び(神事だったかも?)をしている時の様子を、後水尾院が詠った歌なのではないのでしょうか。
こちらの御歌にも、『月』が出てきますね。
羽根衝きは月夜に行われることもあったのでしょうか?? 興味深い。
そしてこの歌の最後が、やはり『そらにすめすめ』なのです。
・ 筑波山麓で(少なくとも江戸時代中期ごろ)伝わっていた羽根衝きの歌
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
・ 後水尾院(江戸時代初めの人)の歌
『つくばねのそれにはあらでこぎのこのこよひの月はそらにすめすめ』
どちらが先かは分かりませんが、どちらも
『つくばね』『はご(羽子)/こぎのみ(児岐之実)』、『月』、『空にすめすめ』
と共通ワードがあります。
そしてやはり気になるのが、最後の『空にすめすめ』の意味。
私は、『すめ』 は 『澄め』 ではないかと思います。
というのも、
古語『澄む』の例として、Webio古語辞典によると、
吉田兼好の徒然草 十九にある一文
『すさまじきものなりて見る人もなき月の、寒けくすめる二十日余りの空こそ、心細きものなれ』
をあげて、その意味を
『殺風景なものとして見る人もいない(冬の)月が、寒そうに澄んでいる
(陰暦十二月9二十日過ぎの空は心細いものである』
と説明します。
また、新古今和歌集(文献2)によると、藤原秀能(ひでよし/ひでとう)という人の歌で、
『月すめばよもの浮雲空に消えてみ山がくれにゆくあらしかな』
という用例があり、文献2の解説では、『月すめば』を『月が澄むと』と解説しています。
つまり『月』と『澄む』はセットになり得る。
なので、下の句の『月あらん事は そらにすめすめ』は、
『月が(夜空に)ある姿で、その空で澄んで(美しく輝いて)いて下さい』
と読めるのではないかと思っています。
(4)筑波山地域に伝わっていた羽根衝き遊びの歌の意味は…。
以上より、
『一二三四(ひふみよ)と五(いつ)まではごをつくばねの 月あらん事は そらにすめすめ』
の歌の意味は、私は下記のようにまずは考えます。
① 『ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつといつまでも、羽子を衝く筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けて下さい』
月が輝く夜と、羽根を衝く神事の様子が重なる、美しくもミステリアスな歌ではありませんか♪
ところが気になるのは、
『日神がいつとせ、筑波山に滞在した時に、他の神様達と、筑波山の二神を羽根衝きで慰めた』
という話。
そうすると、
② 『日の神が治める世でいつまでも羽子を衝く筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けていて下さい』
とも読めますし、
③ 『日の神が治める世で、日の神が五年滞在して羽子を衝く間は、筑波嶺に月がある姿で、空で輝き続けて下さい』
とも読めるかも? 後の意味だと期間限定…?
いずれにせよ、『日神』が歌った歌に『月』が出てくる。それも『輝き続けて』と歌う。
いよいよミステリアス。
または、単純に羽根衝きの回数の数え歌 兼 応援歌として、
④ 『ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつといつまでも衝いている羽子の、その衝き(つき)が続くことを表すように、(衝かれた羽子よ)空中で(ずっと)輝いていて!』
とも取れますよね。
他にも解釈や、裏の意味もありそうな歌で、とても興味が深まりますが、あとは各自で妄想の羽根を広げて頂くことにして、
私の解釈は、とりあえず上記の4つで(^^)

それにしても、この歌を唱えながら、羽根を羽子板で衝いて遊ぶと、ますます厄除け・無病息災の願いが届きそうではありませんか!
そして失敗した時は、顔に墨を塗って(サザエさんみたいに)、これまた厄除けになる。
身体を動かして健康的



今年のお正月は、おうちで羽根つきして遊んで
、『おうちで厄除け・無病息災祈願』
しませんか

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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『新古今和歌集』 新日本古典文学大系11 岩波書店
3,『民族遊戯大事典』 大林太量 編 大修館書店
4.『日本こどものあそび大図鑑』 笹間良彦 著 株式会社遊子館
5.『江戸時代 子ども遊び大事典』 小林忠 監修 中城正堯 編著
養蚕信仰 ~ 群馬県にお住まいの方からご教示頂きました!
結城での研修と、結城土産
続・源氏物語に出てくる 『筑波山』
『光る君へ』 と常陸国 ~伊勢大輔と平維幹と平為賢~
筑波山塊の花崗岩が 世界の 『ヘリテージ ストーン』 に!
2024夏越しの祓え 茅の輪 @筑波山神社
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続・源氏物語に出てくる 『筑波山』
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Posted by かるだ もん at 19:46│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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