2024年11月14日
続・源氏物語に出てくる 『筑波山』
続・源氏物語に出てくる 『筑波山』
NHK大河ドラマ「光る君へ」もいよいよ終盤。
主人公のまひろ(紫式部)は、いわずと知れた、源氏物語の作者なわけですが、
その源氏物語に『筑波山』が出てくる話を、以前、当ブログに書きました。
→
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e335929.html
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e336038.html
この時は、源氏物語の第五十帖(宇治十帖の六帖目)にある
『筑波山を分け見まほしき御心はありながら…』
の一文についてでした。
これは、新古今和歌集にある源重之(三十六歌仙の一人)の歌、
『筑波山 端山茂山 茂けれど 思い入るは さはらざりけり』
が下地になっていて、それはどういうことかというと…
と私なりの考察を書かせて頂きました。
で、実は源氏物語には、他にも『筑波山』が出てくるのです!

(写真は、桜川市酒寄地区付近から見た筑波山。2023年12月撮影)
先の記事を書いた後に、他にも源氏物語に『筑波山』が出てくる箇所があると知り、調べたところ、『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』 森本 茂 著(文献1)という論文を知りました。
この論文では、常陸国と源氏物語の関わりにについて、詳しく考察されています。
こちらの論文によると、源氏物語には実に 4か所
『筑波山』が出てくるとのことなのです!
抜粋すると、以下の4カ所です。
1. 『関屋』
『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』
2. 『東屋』
『筑波山を分け見まほしき御心はありながら』
3. 『東屋』
『筑波山のありさまも、かくあきらめきこえさせて』
4. 『蜻蛉』
『かの筑波山も、からうじて心ゆきたるけしきにて』
図書館で、源氏物語(新 日本古典文学大系 岩波書店)(文献2,3)を借りて、該当を確認してみました。同書では、上記の箇所はそれぞれ、
1.『関屋』
『源氏物語 二』新 日本古典文学大系 20 岩波書店 p.159
2.『東屋』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.124
3. 『東屋』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.147
4.『蜻蛉』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.287
にあります。
以下、文献2 及び 文献3 の註釈に従っていきます。
【1】
1の 『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』 は、この巻の主人公、空蝉の心持ちを表現しているところです。
空蝉は常陸介になった夫に伴って任地の常陸国に行き、そこで光源氏が須磨に退居したことを知ります。
『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』 は、文献2の註釈によると、『筑波山を越して吹く風に頼りを託すのも無事届くか心配で』の意味とのことです。
これは、古今集の東歌にある『甲斐が嶺を嶺こし山こし吹く風をひにもがもやことづてやらむ』の『甲斐が嶺』を『筑波山』に置き換えて用いた表現とのことで、当時の読者(平安貴族)の共通の知識が背景にあるのも面白いです。
【2】
2の、『筑波山をみまほしければ…』の『筑波山』は、この巻の主人公、薫の思い人の浮舟のことを表していて、文献3の註釈によると『常陸介の継娘の浮舟』を暗示とのこと。
これも当時の人々の共通知識の歌が背景にあります。
これにらついては、上述しましたが、当ブログで詳しく考察してますので、良かったら♪
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e335929.html
文献3の註釈に加えて、私は、浮舟を『筑波山』という表現するのは、もう一つ、薫にとって、浮舟が、近づきたくても(諸事情で)近づきにくい存在であることをも表していると考えています。
【3】
3の 『筑波山のありさま』 は、文献3によると、『常陸国のありさま』のことだそうなので、
『筑波山』=『常陸国』のようです。
都の人々にとっては、遠い常陸国のイメージというかシンボルが、歌枕で名高い筑波山そのものなのも分かってこれまたなるほど…です。
そもそも常陸国の国府(今の石岡)は筑波山の近くですし、常陸国=筑波山 は納得できます。
【4】
最後の4の 『かの筑波山もからうして心ゆきたるけしきにて』 は、文献3によると、『浮舟の母もやっと満足した様子で』とのことで、『筑波山』は浮舟の母親を指し、浮舟の母の夫(浮舟の養父)がやはり常陸介なので、『筑波山』と呼ばれているようです。
文学の素養のない私は、『筑波山』が浮舟を指していたり、その母親を指していたり、はたまた常陸国を指していたりで、混乱しますが、いろんな状況を『筑波山』で表現しているというのは面白いです。
こういう表現方法に、当時の人々(特に平安貴族)の考え方や価値観も感じられて、それも興味深いです。
抜粋して説明しましたので、ご興味ある方は、是非、源氏物語の該当箇所を実際お読みくださいね
なお、今回参考にさせて頂いた 文献1『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』は、その題名の通り、筑波山だけでなく常陸国と源氏物語=作者の紫式部 の関係を考察した論文です。なのでこの論文を参考に、当時の常陸国の様子を調べていくのも勉強になると思います。
なお、紫式部の頃の常陸国の様子や紫式部の身内と常陸国(常陸平氏)についても、以前、当ブログでもちょっと触れました。
良かったら、そちらもお読みください(^^)
→
宇治拾遺物語と筑波山麓 ~ 多気の大夫 (前編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e328135.html
宇治拾遺物語と筑波山麓 ~ 多気の大夫 (後編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e328680.html
それにしても、源氏物語の中に、4か所も 『筑波山』の表記がある
のは、とても嬉しいですね
!
-------------------
【参考文献】
1.『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』
森本 茂 著
相愛女子大学・相愛女子短期大学 研究論集
1967年4月
2.『源氏物語 二』新 日本古典文学大系 20 岩波書店
3.『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店
NHK大河ドラマ「光る君へ」もいよいよ終盤。
主人公のまひろ(紫式部)は、いわずと知れた、源氏物語の作者なわけですが、
その源氏物語に『筑波山』が出てくる話を、以前、当ブログに書きました。
→

https://cardamom.tsukuba.ch/e335929.html

https://cardamom.tsukuba.ch/e336038.html
この時は、源氏物語の第五十帖(宇治十帖の六帖目)にある
『筑波山を分け見まほしき御心はありながら…』
の一文についてでした。
これは、新古今和歌集にある源重之(三十六歌仙の一人)の歌、
『筑波山 端山茂山 茂けれど 思い入るは さはらざりけり』
が下地になっていて、それはどういうことかというと…
と私なりの考察を書かせて頂きました。
で、実は源氏物語には、他にも『筑波山』が出てくるのです!

(写真は、桜川市酒寄地区付近から見た筑波山。2023年12月撮影)
先の記事を書いた後に、他にも源氏物語に『筑波山』が出てくる箇所があると知り、調べたところ、『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』 森本 茂 著(文献1)という論文を知りました。
この論文では、常陸国と源氏物語の関わりにについて、詳しく考察されています。
こちらの論文によると、源氏物語には実に 4か所

抜粋すると、以下の4カ所です。
1. 『関屋』
『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』
2. 『東屋』
『筑波山を分け見まほしき御心はありながら』
3. 『東屋』
『筑波山のありさまも、かくあきらめきこえさせて』
4. 『蜻蛉』
『かの筑波山も、からうじて心ゆきたるけしきにて』
図書館で、源氏物語(新 日本古典文学大系 岩波書店)(文献2,3)を借りて、該当を確認してみました。同書では、上記の箇所はそれぞれ、
1.『関屋』
『源氏物語 二』新 日本古典文学大系 20 岩波書店 p.159
2.『東屋』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.124
3. 『東屋』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.147
4.『蜻蛉』
『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店 p.287
にあります。
以下、文献2 及び 文献3 の註釈に従っていきます。
【1】
1の 『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』 は、この巻の主人公、空蝉の心持ちを表現しているところです。
空蝉は常陸介になった夫に伴って任地の常陸国に行き、そこで光源氏が須磨に退居したことを知ります。
『筑波根の山を吹き越す風も浮きたる心地して』 は、文献2の註釈によると、『筑波山を越して吹く風に頼りを託すのも無事届くか心配で』の意味とのことです。
これは、古今集の東歌にある『甲斐が嶺を嶺こし山こし吹く風をひにもがもやことづてやらむ』の『甲斐が嶺』を『筑波山』に置き換えて用いた表現とのことで、当時の読者(平安貴族)の共通の知識が背景にあるのも面白いです。
【2】
2の、『筑波山をみまほしければ…』の『筑波山』は、この巻の主人公、薫の思い人の浮舟のことを表していて、文献3の註釈によると『常陸介の継娘の浮舟』を暗示とのこと。
これも当時の人々の共通知識の歌が背景にあります。
これにらついては、上述しましたが、当ブログで詳しく考察してますので、良かったら♪
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
https://cardamom.tsukuba.ch/e335929.html
文献3の註釈に加えて、私は、浮舟を『筑波山』という表現するのは、もう一つ、薫にとって、浮舟が、近づきたくても(諸事情で)近づきにくい存在であることをも表していると考えています。
【3】
3の 『筑波山のありさま』 は、文献3によると、『常陸国のありさま』のことだそうなので、
『筑波山』=『常陸国』のようです。
都の人々にとっては、遠い常陸国のイメージというかシンボルが、歌枕で名高い筑波山そのものなのも分かってこれまたなるほど…です。
そもそも常陸国の国府(今の石岡)は筑波山の近くですし、常陸国=筑波山 は納得できます。
【4】
最後の4の 『かの筑波山もからうして心ゆきたるけしきにて』 は、文献3によると、『浮舟の母もやっと満足した様子で』とのことで、『筑波山』は浮舟の母親を指し、浮舟の母の夫(浮舟の養父)がやはり常陸介なので、『筑波山』と呼ばれているようです。
文学の素養のない私は、『筑波山』が浮舟を指していたり、その母親を指していたり、はたまた常陸国を指していたりで、混乱しますが、いろんな状況を『筑波山』で表現しているというのは面白いです。
こういう表現方法に、当時の人々(特に平安貴族)の考え方や価値観も感じられて、それも興味深いです。
抜粋して説明しましたので、ご興味ある方は、是非、源氏物語の該当箇所を実際お読みくださいね

なお、今回参考にさせて頂いた 文献1『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』は、その題名の通り、筑波山だけでなく常陸国と源氏物語=作者の紫式部 の関係を考察した論文です。なのでこの論文を参考に、当時の常陸国の様子を調べていくのも勉強になると思います。
なお、紫式部の頃の常陸国の様子や紫式部の身内と常陸国(常陸平氏)についても、以前、当ブログでもちょっと触れました。
良かったら、そちらもお読みください(^^)
→

https://cardamom.tsukuba.ch/e328135.html

https://cardamom.tsukuba.ch/e328680.html
それにしても、源氏物語の中に、4か所も 『筑波山』の表記がある


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【参考文献】
1.『源氏物語における「常陸」についてー風土的考察―』
森本 茂 著
相愛女子大学・相愛女子短期大学 研究論集
1967年4月
2.『源氏物語 二』新 日本古典文学大系 20 岩波書店
3.『源氏物語 五』新 日本古典文学大系 23 岩波書店
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Posted by かるだ もん at 21:10│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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