2024年12月17日
筑波山大御堂の古図
筑波山大御堂の古図
最近、私は大御堂さん推しです。
まず、筑波山の女体山・男体山の両峰をバックに、リニューアルされた本堂が神々しい!
(写真は2023年11月撮影)
ご本尊の千手観音像は、明治初頭の廃仏毀釈や、昭和13年の山津波、平成23年の東日本大震災に会いながらも、無傷で今に至る。
ご利益の一つは、『防災』、『災害除け』・・・ではないかと、私は密かに思っています。
本堂前からの景色は、何にも邪魔されずに、関東平野を見渡せる絶景。
(写真は2024年11月撮影)
そんな筑波山大御堂さんに先日お参りにいったら、『筑波山 大御堂 古図』 が領布されていて、思わず購入。
江戸時代の頃の 大御堂=筑波山知足院中禅寺 の境内の絵図です。
現在の大御堂の御本尊の千手観音像は、その中禅寺の本堂に安置されていた御本尊でした。
江戸時代当時の境内の絵図と、その説明図が並んで一緒になっています。
各建物などの説明入りは、分かりやすくてうれしいですね。
昔の絵図を眺めていると、いろいろ想像されて時間が立つのを忘れます。
古図にある境内の場所は、現在の大御堂の場所でなく、筑波山神社のの境内そのものです。
筑波山神社は、明治時代の廃仏毀釈を経た後に、筑波山知足院中禅寺のあった土地に建立されたものです。
知らない方が多いんですが・・・。
大御堂さんでは、その歴史の変遷を書かれた『護国寺別院 筑波山大御堂小史』の小冊子も領布されています。
これも歴史好きは必携!。
何故、大御堂が今の地に建立されたのかも含め、詳しく知りたい方は、この『護国寺別院 筑波山大御堂小史』を読まれるとよく分かります。
【大御堂の鐘】
大御堂は、坂東三十三観音の第25番札所でもあります。
その御詠歌は、
『かねはつくばの峯にたて かた夕ぐれに くにぞ恋しき』
その御詠歌にも詠われる 大御堂の鐘は、明治の廃仏毀釈の時に失われたといいます(※)。
130年の時を経て、新たな「大御堂の鐘」が鋳造され、その除夜の鐘の音は、確か2001年の大みそかに、NHKの「ゆく年くる年」で放映されました。
私も、地元のお寺が出る!ということでワクワクして見た記憶があります。
鐘が130年ぶりに復活ということで、新聞にも載っていました。
その新聞記事、切り抜きをしていれば良かった…。
ちなみに、江戸時代に境内にあった鐘楼は、運び出されて(どうやって運ばれたのかか知りたい!)、
今はつくば市泉の慶龍寺(泉の子育て観音)さんの境内にあります。
早いもので、今年2024年もあと半月となりました。
大御堂の除夜の鐘、一度 生で聴いてみたいなぁと思っています。
(つくば市はとても大きいので、私の住んでいる場所からは聴こえないのです…)
(※) 大きな寺の鐘、そうそう運び出したり、保管場所も難しいように思うので、もしかすると、筑波山のどこかの崖からに放られてそのままになり、草木に埋もれ、今もどこかに筑波山のどこかにあるのではないか?と私は密かに思っています…そう思うとロマンを感じてワクワクしませんか?
なお、江戸時代に 筑波山知足院中禅寺の境内にあった大仏などについては、当ブログでも以前書きましたので、良かったら♪
→消えた筑波山の「お宝」を巡って!(前編)
→消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編) https://cardamom.tsukuba.ch/e255018.html
→元々は筑波山にあった、東京・護国寺の瑜祇(ゆぎ)塔
最近、私は大御堂さん推しです。
まず、筑波山の女体山・男体山の両峰をバックに、リニューアルされた本堂が神々しい!
(写真は2023年11月撮影)
ご本尊の千手観音像は、明治初頭の廃仏毀釈や、昭和13年の山津波、平成23年の東日本大震災に会いながらも、無傷で今に至る。
ご利益の一つは、『防災』、『災害除け』・・・ではないかと、私は密かに思っています。
本堂前からの景色は、何にも邪魔されずに、関東平野を見渡せる絶景。
(写真は2024年11月撮影)
そんな筑波山大御堂さんに先日お参りにいったら、『筑波山 大御堂 古図』 が領布されていて、思わず購入。
江戸時代の頃の 大御堂=筑波山知足院中禅寺 の境内の絵図です。
現在の大御堂の御本尊の千手観音像は、その中禅寺の本堂に安置されていた御本尊でした。
江戸時代当時の境内の絵図と、その説明図が並んで一緒になっています。
各建物などの説明入りは、分かりやすくてうれしいですね。
昔の絵図を眺めていると、いろいろ想像されて時間が立つのを忘れます。
古図にある境内の場所は、現在の大御堂の場所でなく、筑波山神社のの境内そのものです。
筑波山神社は、明治時代の廃仏毀釈を経た後に、筑波山知足院中禅寺のあった土地に建立されたものです。
知らない方が多いんですが・・・。
大御堂さんでは、その歴史の変遷を書かれた『護国寺別院 筑波山大御堂小史』の小冊子も領布されています。
これも歴史好きは必携!。
何故、大御堂が今の地に建立されたのかも含め、詳しく知りたい方は、この『護国寺別院 筑波山大御堂小史』を読まれるとよく分かります。
【大御堂の鐘】
大御堂は、坂東三十三観音の第25番札所でもあります。
その御詠歌は、
『かねはつくばの峯にたて かた夕ぐれに くにぞ恋しき』
その御詠歌にも詠われる 大御堂の鐘は、明治の廃仏毀釈の時に失われたといいます(※)。
130年の時を経て、新たな「大御堂の鐘」が鋳造され、その除夜の鐘の音は、確か2001年の大みそかに、NHKの「ゆく年くる年」で放映されました。
私も、地元のお寺が出る!ということでワクワクして見た記憶があります。
鐘が130年ぶりに復活ということで、新聞にも載っていました。
その新聞記事、切り抜きをしていれば良かった…。
ちなみに、江戸時代に境内にあった鐘楼は、運び出されて(どうやって運ばれたのかか知りたい!)、
今はつくば市泉の慶龍寺(泉の子育て観音)さんの境内にあります。
早いもので、今年2024年もあと半月となりました。
大御堂の除夜の鐘、一度 生で聴いてみたいなぁと思っています。
(つくば市はとても大きいので、私の住んでいる場所からは聴こえないのです…)
(※) 大きな寺の鐘、そうそう運び出したり、保管場所も難しいように思うので、もしかすると、筑波山のどこかの崖からに放られてそのままになり、草木に埋もれ、今もどこかに筑波山のどこかにあるのではないか?と私は密かに思っています…そう思うとロマンを感じてワクワクしませんか?
なお、江戸時代に 筑波山知足院中禅寺の境内にあった大仏などについては、当ブログでも以前書きましたので、良かったら♪
→消えた筑波山の「お宝」を巡って!(前編)
→消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編) https://cardamom.tsukuba.ch/e255018.html
→元々は筑波山にあった、東京・護国寺の瑜祇(ゆぎ)塔
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