2014年06月01日
消えた筑波山の「お宝」を巡って!(前編)
消えた筑波山の「お宝」を巡って!(前編)
※2014年5月10日にラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話した内容を再構築したものです。
登山やハイキングの場所として、古くから親しまれている筑波山ですが、『全山パワースポット』という最近のキャッチフレーズのように、信仰の山としても古い歴史があるのは、みなさんよくご存じですよね。
信仰、古い歴史・・・とくれば、何かお宝があってもよさそうなもの(笑)。
まあ、何が「お宝」かは、人とそれぞれではありますが。
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さて、信仰の山としての筑波山としては、まず浮かぶのが、当然、筑波山神社です。
筑波山神社は、江戸時代までは、筑波山知足院中禅寺という非常に大きなお寺だったということ、意外とご存じない方が多いようです。
今は、筑波山神社の隣に中禅寺大御堂(おおみどう)というお寺として残っていますが、江戸時代までは、筑波山神社の敷地全体が、知足院中禅寺という大きなお寺でした。
筑波山神社に行くと、ご神橋など、「三代将軍徳川家光の寄進」という建物がいくつか見られますが、今も残るこれらの豪華な寄進からも、徳川家が江戸の鬼門(悪いものが来るという、北東の方向)を守る山とお寺として重要視していたのが伝わってきます。
それが明治になって、寺や仏像を壊したり捨てたりする、廃仏毀釈という暴動が全国で起こりました。
特に、筑波山付近はその廃仏毀釈の動きが激しく、知足院中禅寺もかなりひどく壊され、仏像、仏具、資料など大量に壊され、燃やされたそうです。
この廃仏毀釈がそれほどひどくなかったら、今頃、筑波山は貴重な宝物のある『観光の目玉』にもなっただろうに・・・と大変残念に思います。
そう考えると、筑波山には、本当に幻の宝が数多くあったわけです・・・。
・・・ところが、すさまじい破壊行為の中でも、奇跡的に救い出された仏像や、なんと建物まであるんです!
というわけで、「お宝」と行っても、大判小判ざくざく・・・のお宝ではありませんが、救い出された「地域の歴史の宝」について、前編・後編の2回にわけて、お宝を訪ねる旅です。
まずは前編の今回は、地元つくば市内を巡ります。
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(1)随神門は仁王門。仁王はどこに?
みなさん、筑波山神社にお参りする時、大きな門を通って拝殿に行かれると思います。
その門は『随神門』とよばれて、現在は筑波山にちなむ伝説上の英雄二人(倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと))が祀られています。
ですが、江戸時代まではこの門は『仁王門』と呼ばれ、仁王様が2体、祀られていました。
この仁王様2体は、奇跡的に廃仏毀釈の大暴動から逃れて、今、つくば市にある別のお寺の門に祀られています!
【クイズ1】
どうやって無事逃げおおせたか?ということで、その仁王像には、救出方法にまつわるニックネームがついています。
それはどんなニックネームでしょうか?
1.走り仁王 大八車で大急ぎで運ばれて、まるで走っているようなので。
2.歩き仁王 分解して、何人もの人が背負って歩いて、救い出したので。
3.流れ仁王 筏に乗せて、川に流して下流まで行ったので。
答えは・・・・3の流れ仁王です。
大きな仁王像、どうやって暴動から逃れたかというと、なんと、桜川に流されて下流まで行ったそうで、それゆえ『流れ仁王』と呼ばれているそうです。
そして今も、つくば市松塚にある東福寺の山門で、お姿を見ることができます。
東福寺というお寺の名前以上に、『栄幼稚園』のあるお寺と言った方がおわかりになる方も多いかもしれません。
で、行ってきました!
東福寺の山門。
狛犬があるのも、個人的に興味深くて好きです
これが、『流れ仁王』像だっ!
堂々とした威厳。
江戸時代、鎌倉の仏師 慶海(けいかい)の作とのこと(文献1)。
足の大きさが、より力強さをアピール
このように仁王様2体に睨まれながら、山門を通って境内に入ります。
胸の筋肉の表現にご注目。
これは『後編』に続きますので覚えて置いて下さい♪
東福寺の本堂。
きれいに管理された境内には、昔からの信仰が息づく石造物や祠があって、これも個人的に興味しんしんです。
山門にあった、旧桜村教育委員会の看板によると、東福寺のそばには『松塚古墳群』があるそうです。
(以上の写真は2014年4月下旬撮影)
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(2)なんと建物がまるごと、救い出されている!
泉の子育て観音として有名な、慶龍寺。
ここの境内の中に、ひときわ色鮮やかですごくりっぱな建物が目を引きます。
正直「なんで?いきなりこんな建物が?」という位、立派なのですが、これも、実はもとは筑波山にあったものなのです。
で、この鐘楼(しょうろう)=鐘つき堂は、 筑波山のどこにあったのでしょうか?
江戸時代の絵地図を見ると、現在の筑波山神社境内をくぐって階段を上った右の方にあったようです(文献1)。
現在大きな木があるあたりでしょうか。
事実、明治6年(1873年)、当時の住職と檀家さん達が尽力して、筑波山から慶龍寺まで移したと伝わっているとのこと(文献2)。
大きな建物なので、当然、分解して運んで再度組み立てられたと思っていましたが、同じく文献2によりますと、『一度解体して運ぼうとしたが重く、桜川に筏を組んで運んだという言い伝えが残る』とのことで、解体せずに運んだんですね!!
どうやって、解体せずに(現在の筑波山神社付近から)運んだか、すごーーーーく、知りたいです
でも、その想い、その労力を思うと、非常に感慨深いです。
境内にある、ひときわ大きく色鮮やかな建物が、その鐘楼です。(以下の写真は2013年6月上旬撮影)
この絢爛な建物を、筑波山からここまで運んだのですね・・・。すごい・・・。
よく見ると、庇の下には単色で絵が描かれています。『水波仙子』という文字も。説話か伝説を題材にした絵でしょうか。
慶龍寺の本堂。
本堂の近くには遊具もあって、うちも子供達が小さい時、お参りに来たついでのこの遊具で遊ばせたものです・・0o。(´∀`*)
おまけ。帰り際に門の中からニャンコが見送ってくれました♪
さて、今までお話ししたお寺の他にも、茨城県下では、坂東市生子(おいご)の万蔵院や、境町の吉祥院にも破壊をまぬがれた仏具や仏像が保管されているそうです(文献1)。
また、一部、小さい仏像は、個人の方が、破壊から救い出すために持ち帰って、今も子孫の方が保存しておられたりするようです(文献1)。
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<わくわく・古代ミステリーの話題> 今の随身門に祀られているお一人は、なんと・・・!
さて、近代からぐっとさかのぼって、現在の筑波山神社に関係する古代ロマンもあります!
【クイズ2】
先ほど、筑波山神社の随神門の中に、筑波山に関係する古代の英雄2人の像が祀られていると、先に書きました。復習です。誰と誰の像が現在、随身門に祀られているのでしょうか?
答え
拝殿向かって左側に倭健命(ヤマトタケルノミコト)、右側に豊城入日子命(トヨキイリヒコノミコト)の随神像
ヤマトタケルノミコトも、トヨキイリヒコノミコトも、東方に勢力をのばすために派遣された古代の武人とされる人で、筑波山付近にもこのお二人にまつわる伝説があったりで縁があるので、祀られたのかと思います。
ヤマトタケルは、結構有名なので、その名前を知っている方も多いと思います。伝説上の人か史実の人なのか分からないようですが、実在しているとしたら、西暦2~4世紀のあたりの人だったのではと言われているようです。
もうお一人のトヨキイリヒコノミコトは、初めて聞く方も多いかもしれません。私も知りませんでした・・・。
こちらも東日本を平定するために遣わされたとわれる、伝説の武人で、伝説上ではヤマトタケルより1~2世代位、年上のようです。
ヤマトタケルノミコト伝説も、筑波山のまわりに多く伝わっていますが、もう一人のトヨキイリヒコノミコトにつきましては、なんと!お墓だとされる古墳が、石岡市八郷地区に残っています。
丸山古墳がそれです。
昭和27年の、発掘調査の結果、全国的にも珍しい、『前方後方墳』とのことで、全長55m、4世紀後半のかなり古い形式の古墳で、茨城県内最古級の古墳とのこと。
また、銅鏡や鉄剣,鉄槍,銅鏃などの武器類や玉類などの豊富な副葬は、ヤマト王権との密接な関わりが想定されるとのこと(文献3)。
出土遺物の一部は石岡市中央公民館でも見られるそうです。
大変ロマンを感じますね!
石岡市観光協会のHP(http://www.ishioka-kankou.com/page/page000108.html)をみると、このあたりは古代散策ロードということで、ウォーキングコースのマップも掲載されています。
ウォーキング、ランニングにも良いかもしれません。
丸山古墳、石岡市中央公民館での出土品見学、古代散策ロードなど、是非行ってみたい!
私も今度行った時レポートしたいです。わくわく
(2015年5月5日追記) 丸山古墳に行ってきました!→ 【茨城&つくば プチ民俗学】 茨城県最古級!‐丸山古墳(石岡・八郷)
地元で、古代ロマン・そして近世の歴史の荒波を感じる旅。
皆さんもお出かけいかがでしょうか
次回は、 『消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)』 です。
お楽しみに!
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参考文献
1.茨城県立歴史館 企画展図録『筑波山-神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 発行
2. 『郷土の先達とゆく 筑波山』 結エディット 発行
3. 『茨城の考古学散歩』 茨城県考古学協会 発行
参考HP
石岡市HP http://www.city.ishioka.lg.jp/page/page001398.html
石岡市観光協会 HP http://www.ishioka-kankou.com/page/page000108.html
※2014年5月10日にラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話した内容を再構築したものです。
登山やハイキングの場所として、古くから親しまれている筑波山ですが、『全山パワースポット』という最近のキャッチフレーズのように、信仰の山としても古い歴史があるのは、みなさんよくご存じですよね。
信仰、古い歴史・・・とくれば、何かお宝があってもよさそうなもの(笑)。
まあ、何が「お宝」かは、人とそれぞれではありますが。
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さて、信仰の山としての筑波山としては、まず浮かぶのが、当然、筑波山神社です。
筑波山神社は、江戸時代までは、筑波山知足院中禅寺という非常に大きなお寺だったということ、意外とご存じない方が多いようです。
今は、筑波山神社の隣に中禅寺大御堂(おおみどう)というお寺として残っていますが、江戸時代までは、筑波山神社の敷地全体が、知足院中禅寺という大きなお寺でした。
筑波山神社に行くと、ご神橋など、「三代将軍徳川家光の寄進」という建物がいくつか見られますが、今も残るこれらの豪華な寄進からも、徳川家が江戸の鬼門(悪いものが来るという、北東の方向)を守る山とお寺として重要視していたのが伝わってきます。
それが明治になって、寺や仏像を壊したり捨てたりする、廃仏毀釈という暴動が全国で起こりました。
特に、筑波山付近はその廃仏毀釈の動きが激しく、知足院中禅寺もかなりひどく壊され、仏像、仏具、資料など大量に壊され、燃やされたそうです。
この廃仏毀釈がそれほどひどくなかったら、今頃、筑波山は貴重な宝物のある『観光の目玉』にもなっただろうに・・・と大変残念に思います。
そう考えると、筑波山には、本当に幻の宝が数多くあったわけです・・・。
・・・ところが、すさまじい破壊行為の中でも、奇跡的に救い出された仏像や、なんと建物まであるんです!
というわけで、「お宝」と行っても、大判小判ざくざく・・・のお宝ではありませんが、救い出された「地域の歴史の宝」について、前編・後編の2回にわけて、お宝を訪ねる旅です。
まずは前編の今回は、地元つくば市内を巡ります。
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(1)随神門は仁王門。仁王はどこに?
みなさん、筑波山神社にお参りする時、大きな門を通って拝殿に行かれると思います。
その門は『随神門』とよばれて、現在は筑波山にちなむ伝説上の英雄二人(倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと))が祀られています。
ですが、江戸時代まではこの門は『仁王門』と呼ばれ、仁王様が2体、祀られていました。
この仁王様2体は、奇跡的に廃仏毀釈の大暴動から逃れて、今、つくば市にある別のお寺の門に祀られています!
【クイズ1】
どうやって無事逃げおおせたか?ということで、その仁王像には、救出方法にまつわるニックネームがついています。
それはどんなニックネームでしょうか?
1.走り仁王 大八車で大急ぎで運ばれて、まるで走っているようなので。
2.歩き仁王 分解して、何人もの人が背負って歩いて、救い出したので。
3.流れ仁王 筏に乗せて、川に流して下流まで行ったので。
答えは・・・・3の流れ仁王です。
大きな仁王像、どうやって暴動から逃れたかというと、なんと、桜川に流されて下流まで行ったそうで、それゆえ『流れ仁王』と呼ばれているそうです。
そして今も、つくば市松塚にある東福寺の山門で、お姿を見ることができます。
東福寺というお寺の名前以上に、『栄幼稚園』のあるお寺と言った方がおわかりになる方も多いかもしれません。
で、行ってきました!
東福寺の山門。
狛犬があるのも、個人的に興味深くて好きです
これが、『流れ仁王』像だっ!
堂々とした威厳。
江戸時代、鎌倉の仏師 慶海(けいかい)の作とのこと(文献1)。
足の大きさが、より力強さをアピール
このように仁王様2体に睨まれながら、山門を通って境内に入ります。
胸の筋肉の表現にご注目。
これは『後編』に続きますので覚えて置いて下さい♪
東福寺の本堂。
きれいに管理された境内には、昔からの信仰が息づく石造物や祠があって、これも個人的に興味しんしんです。
山門にあった、旧桜村教育委員会の看板によると、東福寺のそばには『松塚古墳群』があるそうです。
(以上の写真は2014年4月下旬撮影)
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(2)なんと建物がまるごと、救い出されている!
泉の子育て観音として有名な、慶龍寺。
ここの境内の中に、ひときわ色鮮やかですごくりっぱな建物が目を引きます。
正直「なんで?いきなりこんな建物が?」という位、立派なのですが、これも、実はもとは筑波山にあったものなのです。
で、この鐘楼(しょうろう)=鐘つき堂は、 筑波山のどこにあったのでしょうか?
江戸時代の絵地図を見ると、現在の筑波山神社境内をくぐって階段を上った右の方にあったようです(文献1)。
現在大きな木があるあたりでしょうか。
事実、明治6年(1873年)、当時の住職と檀家さん達が尽力して、筑波山から慶龍寺まで移したと伝わっているとのこと(文献2)。
大きな建物なので、当然、分解して運んで再度組み立てられたと思っていましたが、同じく文献2によりますと、『一度解体して運ぼうとしたが重く、桜川に筏を組んで運んだという言い伝えが残る』とのことで、解体せずに運んだんですね!!
どうやって、解体せずに(現在の筑波山神社付近から)運んだか、すごーーーーく、知りたいです
でも、その想い、その労力を思うと、非常に感慨深いです。
境内にある、ひときわ大きく色鮮やかな建物が、その鐘楼です。(以下の写真は2013年6月上旬撮影)
この絢爛な建物を、筑波山からここまで運んだのですね・・・。すごい・・・。
よく見ると、庇の下には単色で絵が描かれています。『水波仙子』という文字も。説話か伝説を題材にした絵でしょうか。
慶龍寺の本堂。
本堂の近くには遊具もあって、うちも子供達が小さい時、お参りに来たついでのこの遊具で遊ばせたものです・・0o。(´∀`*)
おまけ。帰り際に門の中からニャンコが見送ってくれました♪
さて、今までお話ししたお寺の他にも、茨城県下では、坂東市生子(おいご)の万蔵院や、境町の吉祥院にも破壊をまぬがれた仏具や仏像が保管されているそうです(文献1)。
また、一部、小さい仏像は、個人の方が、破壊から救い出すために持ち帰って、今も子孫の方が保存しておられたりするようです(文献1)。
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<わくわく・古代ミステリーの話題> 今の随身門に祀られているお一人は、なんと・・・!
さて、近代からぐっとさかのぼって、現在の筑波山神社に関係する古代ロマンもあります!
【クイズ2】
先ほど、筑波山神社の随神門の中に、筑波山に関係する古代の英雄2人の像が祀られていると、先に書きました。復習です。誰と誰の像が現在、随身門に祀られているのでしょうか?
答え
拝殿向かって左側に倭健命(ヤマトタケルノミコト)、右側に豊城入日子命(トヨキイリヒコノミコト)の随神像
ヤマトタケルノミコトも、トヨキイリヒコノミコトも、東方に勢力をのばすために派遣された古代の武人とされる人で、筑波山付近にもこのお二人にまつわる伝説があったりで縁があるので、祀られたのかと思います。
ヤマトタケルは、結構有名なので、その名前を知っている方も多いと思います。伝説上の人か史実の人なのか分からないようですが、実在しているとしたら、西暦2~4世紀のあたりの人だったのではと言われているようです。
もうお一人のトヨキイリヒコノミコトは、初めて聞く方も多いかもしれません。私も知りませんでした・・・。
こちらも東日本を平定するために遣わされたとわれる、伝説の武人で、伝説上ではヤマトタケルより1~2世代位、年上のようです。
ヤマトタケルノミコト伝説も、筑波山のまわりに多く伝わっていますが、もう一人のトヨキイリヒコノミコトにつきましては、なんと!お墓だとされる古墳が、石岡市八郷地区に残っています。
丸山古墳がそれです。
昭和27年の、発掘調査の結果、全国的にも珍しい、『前方後方墳』とのことで、全長55m、4世紀後半のかなり古い形式の古墳で、茨城県内最古級の古墳とのこと。
また、銅鏡や鉄剣,鉄槍,銅鏃などの武器類や玉類などの豊富な副葬は、ヤマト王権との密接な関わりが想定されるとのこと(文献3)。
出土遺物の一部は石岡市中央公民館でも見られるそうです。
大変ロマンを感じますね!
石岡市観光協会のHP(http://www.ishioka-kankou.com/page/page000108.html)をみると、このあたりは古代散策ロードということで、ウォーキングコースのマップも掲載されています。
ウォーキング、ランニングにも良いかもしれません。
丸山古墳、石岡市中央公民館での出土品見学、古代散策ロードなど、是非行ってみたい!
私も今度行った時レポートしたいです。わくわく
(2015年5月5日追記) 丸山古墳に行ってきました!→ 【茨城&つくば プチ民俗学】 茨城県最古級!‐丸山古墳(石岡・八郷)
地元で、古代ロマン・そして近世の歴史の荒波を感じる旅。
皆さんもお出かけいかがでしょうか
次回は、 『消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)』 です。
お楽しみに!
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参考文献
1.茨城県立歴史館 企画展図録『筑波山-神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 発行
2. 『郷土の先達とゆく 筑波山』 結エディット 発行
3. 『茨城の考古学散歩』 茨城県考古学協会 発行
参考HP
石岡市HP http://www.city.ishioka.lg.jp/page/page001398.html
石岡市観光協会 HP http://www.ishioka-kankou.com/page/page000108.html
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