2024年07月04日
2024夏越しの祓え 茅の輪 @筑波山神社
2024夏越しの祓え 茅の輪 @筑波山神社
早くも今年も半分が終わりました~
。
いやー、早い早い。毎年、早い早いと言ってますが(笑)。

さて先日の6/29(土)、筑波山神社に行きました。
随神門の前に、夏越しの祓(なごしのはらえ) の茅の輪がありました。
早速、茅の輪くぐりをして、今年全半のけがれを祓って、後半の無事を祈願してきました♪

この日は昨日から今朝までの雨
だったせいか、午前中はそれほど人出も多くなく、境内も拝殿前も落ち着いた雰囲気でした。
気温もそれほど暑くなく、曇り
のお陰で日射しも強くなく、しっとりした空気が気持ち良かったです
。

さて、こちらは筑波山神社の西側、神社駐車場を挟んで西に隣接する、護持院別院の大御堂。
(写真は今年の3月初旬撮影)
2020年に新たな本堂が完成して、御本尊の千手観音菩薩もいつでも拝めるようになりました。
新しい本堂の完成に合わせて、京都で金箔を貼られたとのことで、神々しくなって戻られました。
いやあ、まばゆいばかりの金色の菩薩様です
。
【強運の千手観音菩薩像】
こちらの千手観音菩薩像は、江戸時代までは、筑波山神社の拝殿の位置にあった中禅寺の本堂に祀られていた中禅寺の御本尊でした。
明治の廃仏毀釈で中禅寺の破壊からの難を逃れ、東京の護国寺に運ばれ、同寺の護摩堂に安置されたといいます。
明治15年に、再び筑波山に戻り、筑波山神社東の千手沢のほとりの古通寺に安置されました。
まずここで驚きなのは、前年まで安置されていた護国寺の護摩堂が明治16年に火災で炎上したとのこと。
これまた、千手観音像は、火の難を逃れたのです。
更に時代が下って昭和13年。豪雨による筑波山の土石流で、今度は古通寺が流され、堂宇もろとも観音像も流されてしましました。
しかしながら、土砂の中から無傷で救出され今に到っておられるのが、大御堂の御本尊の千手観音菩薩。
考えてみると、リアルに強運の千手観音様なわけです
。
そう思って大御堂でお姿を拝見すると、本当に手を合わせたくなります。
※ 大御堂の歴史(=筑波山の仏教の歴史)は、『護国寺別院 筑波山大御堂小史』(坂本正仁 著 真言宗豊山派大本山護国寺 発行)に詳しいです。
筑波山に行ったら、筑波山神社 と 大御堂、両方ともお参りしてこその、筑波詣りです
。
早くも今年も半分が終わりました~

いやー、早い早い。毎年、早い早いと言ってますが(笑)。

さて先日の6/29(土)、筑波山神社に行きました。
随神門の前に、夏越しの祓(なごしのはらえ) の茅の輪がありました。
早速、茅の輪くぐりをして、今年全半のけがれを祓って、後半の無事を祈願してきました♪


この日は昨日から今朝までの雨

気温もそれほど暑くなく、曇り



さて、こちらは筑波山神社の西側、神社駐車場を挟んで西に隣接する、護持院別院の大御堂。
(写真は今年の3月初旬撮影)
2020年に新たな本堂が完成して、御本尊の千手観音菩薩もいつでも拝めるようになりました。
新しい本堂の完成に合わせて、京都で金箔を貼られたとのことで、神々しくなって戻られました。
いやあ、まばゆいばかりの金色の菩薩様です

【強運の千手観音菩薩像】
こちらの千手観音菩薩像は、江戸時代までは、筑波山神社の拝殿の位置にあった中禅寺の本堂に祀られていた中禅寺の御本尊でした。
明治の廃仏毀釈で中禅寺の破壊からの難を逃れ、東京の護国寺に運ばれ、同寺の護摩堂に安置されたといいます。
明治15年に、再び筑波山に戻り、筑波山神社東の千手沢のほとりの古通寺に安置されました。
まずここで驚きなのは、前年まで安置されていた護国寺の護摩堂が明治16年に火災で炎上したとのこと。
これまた、千手観音像は、火の難を逃れたのです。
更に時代が下って昭和13年。豪雨による筑波山の土石流で、今度は古通寺が流され、堂宇もろとも観音像も流されてしましました。
しかしながら、土砂の中から無傷で救出され今に到っておられるのが、大御堂の御本尊の千手観音菩薩。
考えてみると、リアルに強運の千手観音様なわけです

そう思って大御堂でお姿を拝見すると、本当に手を合わせたくなります。
※ 大御堂の歴史(=筑波山の仏教の歴史)は、『護国寺別院 筑波山大御堂小史』(坂本正仁 著 真言宗豊山派大本山護国寺 発行)に詳しいです。
筑波山に行ったら、筑波山神社 と 大御堂、両方ともお参りしてこその、筑波詣りです

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