2018年03月08日
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
シリーズ第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介しています。
前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
後編の今回は『迎来橋』についてです。
【迎来橋の名のいわれ】
筑波山名跡誌(文献1)では、『かうらいのはし』とふりがなが書かれている『迎来橋』
同書によると、地元の言い伝えとして、
『能(よく)神慮にかなふ人此山に詣で来る時は、神霊凡人の皃(かたち)を現し、茲(ここ)に来り迎えて慰諭(なぐさみさと)し給へば迎来の橋と名付(なづ)くという』
とのこと。
つまり、神仏の目に適った人がこの橋を渡ろうとすると、神仏が直接お迎えに来てくれて、これからの厳しい登山の道を登るのを励ましてくれるということでしょうか!
また、このシリーズ第五回観流庵 前編でも紹介した、室町時代の連歌師、宗祇法師が筑波山を訪れた時に、この橋に一人の老翁がいて、
『道のべのちりに光りをやわらけて迎ひ来にけり橘の川』
と読んだので、宗祇法師は返歌として、
『道のべのしらぬあづまのはてにしも迎ふる人のあれは来にけり』
と歌って返した・・・ということで『迎来』と名付けたという逸話も紹介しています。
【迎来橋があった場所は?】
筑波山名跡誌の文章と挿絵から、
・場所は 田井から臼井へ向かう道の途中らしい。江戸時代の参詣の道とすると、『つくば道』にかかる橋か?
・臼井村からは道が険阻になり、道筋に大きな石が多く、馬籠で登るのは難しい旨の記述。
・筑波山名跡誌の挿絵では、平坦な場所に流れる川に渡る橋のよう。道は集落をつないでいるよう?
写真は同じ臼井の集落にある、飯名神社。
傾斜が厳しくなっていく途中にあり、ご神体の大岩はもちろん、境内にもその周りにも大小の岩(筑波山山頂から風化して転がり落ちてきた斑レイ岩)がゴロゴロしています。
筑波山名跡誌の記述だけでは、橋の場所がはっきりしないので、ここで、またまた『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡の集落から筑波山へ向かう『つくば道』が、臼井の集落に差し掛かる直前の細い川の流れにかかる橋に『来迎橋』の名が書かれてます。
絵図の中で、来迎橋がかかっている川は、前回紹介した『橘川』です。
前回考察したように、つくば道と直角に交わる道(立野の集落・六所神社跡~沼田・旧筑波鉄道筑波駅跡をつなぐ道)の脇を流れる用水路が、橘川と考えられます。
来迎橋があったのは、現在の位置としては、ちょうど写真の中央付近、道がクロスしているあたりかと思われます。
奇しくも、『筑波山麓フットパス』の標識(濃い茶色の金属製の細い棒のような標識)が立っています。
この川を越えると、筑波山名跡誌にも書かれているように、道(= つくば道)は上り坂になっていきます。
このあたりは、鳥獣保護区域でもあります。
やはり、神仏が自ら迎来して、登山を励ましてくれる場所です♪
【迎来橋はパワースポット?!】
今はもう、『橋』の姿はないただの細い道の交差点ですが、神仏の目に適った人は、迎えに来られた神仏と一緒にこの急な登り坂を登って、拝殿のある筑波山神社や、本殿のある女体山山頂・男体山山頂に行けるパワースポットかもしれません!
もっとも、行く先の目の前にどーんと聳える筑波山(女体山&男体山)が、すでに神仏そのものとも言えますね♪(^^)v
迎来橋のあった付近に、ちょうどフットパスの標識もあることですし、前回書いた『橘川』の名前の由来とともに、『迎来橋』の由来や、前述した宗祇法師の話に出てくる和歌も素敵なので、是非、看板で掲載したら良いのではないかなと思います
つくば市関係者の方、地元の方、是非ご検討下さいませ
このシリーズ、ぼちぼち続きます♪
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
●シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 今までの記事
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
シリーズ第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介しています。
前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
後編の今回は『迎来橋』についてです。
【迎来橋の名のいわれ】
筑波山名跡誌(文献1)では、『かうらいのはし』とふりがなが書かれている『迎来橋』
同書によると、地元の言い伝えとして、
『能(よく)神慮にかなふ人此山に詣で来る時は、神霊凡人の皃(かたち)を現し、茲(ここ)に来り迎えて慰諭(なぐさみさと)し給へば迎来の橋と名付(なづ)くという』
とのこと。
つまり、神仏の目に適った人がこの橋を渡ろうとすると、神仏が直接お迎えに来てくれて、これからの厳しい登山の道を登るのを励ましてくれるということでしょうか!
また、このシリーズ第五回観流庵 前編でも紹介した、室町時代の連歌師、宗祇法師が筑波山を訪れた時に、この橋に一人の老翁がいて、
『道のべのちりに光りをやわらけて迎ひ来にけり橘の川』
と読んだので、宗祇法師は返歌として、
『道のべのしらぬあづまのはてにしも迎ふる人のあれは来にけり』
と歌って返した・・・ということで『迎来』と名付けたという逸話も紹介しています。
【迎来橋があった場所は?】
筑波山名跡誌の文章と挿絵から、
・場所は 田井から臼井へ向かう道の途中らしい。江戸時代の参詣の道とすると、『つくば道』にかかる橋か?
・臼井村からは道が険阻になり、道筋に大きな石が多く、馬籠で登るのは難しい旨の記述。
・筑波山名跡誌の挿絵では、平坦な場所に流れる川に渡る橋のよう。道は集落をつないでいるよう?
写真は同じ臼井の集落にある、飯名神社。
傾斜が厳しくなっていく途中にあり、ご神体の大岩はもちろん、境内にもその周りにも大小の岩(筑波山山頂から風化して転がり落ちてきた斑レイ岩)がゴロゴロしています。
筑波山名跡誌の記述だけでは、橋の場所がはっきりしないので、ここで、またまた『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡の集落から筑波山へ向かう『つくば道』が、臼井の集落に差し掛かる直前の細い川の流れにかかる橋に『来迎橋』の名が書かれてます。
絵図の中で、来迎橋がかかっている川は、前回紹介した『橘川』です。
前回考察したように、つくば道と直角に交わる道(立野の集落・六所神社跡~沼田・旧筑波鉄道筑波駅跡をつなぐ道)の脇を流れる用水路が、橘川と考えられます。
来迎橋があったのは、現在の位置としては、ちょうど写真の中央付近、道がクロスしているあたりかと思われます。
奇しくも、『筑波山麓フットパス』の標識(濃い茶色の金属製の細い棒のような標識)が立っています。
この川を越えると、筑波山名跡誌にも書かれているように、道(= つくば道)は上り坂になっていきます。
このあたりは、鳥獣保護区域でもあります。
やはり、神仏が自ら迎来して、登山を励ましてくれる場所です♪
【迎来橋はパワースポット?!】
今はもう、『橋』の姿はないただの細い道の交差点ですが、神仏の目に適った人は、迎えに来られた神仏と一緒にこの急な登り坂を登って、拝殿のある筑波山神社や、本殿のある女体山山頂・男体山山頂に行けるパワースポットかもしれません!
もっとも、行く先の目の前にどーんと聳える筑波山(女体山&男体山)が、すでに神仏そのものとも言えますね♪(^^)v
迎来橋のあった付近に、ちょうどフットパスの標識もあることですし、前回書いた『橘川』の名前の由来とともに、『迎来橋』の由来や、前述した宗祇法師の話に出てくる和歌も素敵なので、是非、看板で掲載したら良いのではないかなと思います
つくば市関係者の方、地元の方、是非ご検討下さいませ
このシリーズ、ぼちぼち続きます♪
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
●シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 今までの記事
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
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