2016年08月23日
信仰とジオの意外な関係(3)後篇~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン
信仰とジオの意外な関係(3)
~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン―後篇~
※FM84.2MHzラヂオつくば「つくばね自由研究クラブ」(毎週金曜夜21:30-45放送)で、
2016年8月5日放送 した内容を再構成しております。
筑波山地域ジオパーク構想 勝手の応援企画の第三段の後編です!
第1回は → 信仰とジオの意外な関係(1) ~つくばみらい 石饅頭~
第2回は → 信仰とジオの意外な関係(2) ~土浦 カシャ(雷神)の爪・龍の爪~
第3回前篇 → 信仰とジオの意外な関係(3)~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン―前篇~
第3回の後篇、
早速行きます。
(3)-2 つくば市 小田 宝篋山近く(小田前山) 磨崖不動明王立像「小田不動尊」
つくば市の指定文化財です。
こちらは、なんと!
先に紹介した、百体磨崖仏よりも古いそうなのです
小田の宝篋山(ほうきょうさん)の麓に、小田前山と呼ばれる小さな山があります。
参考→ つくば市HP > 宝篋山
場所は、上のサイトにある、宝篋山トレッキングマップ(PDFファイル)を見ると、
『小田城コース』沿い付近、国道125号からちょっと入った所に『小田不動尊』の記載があります。
『八幡宮』の近くです。
像が彫られた岩肌の前に本堂(拝殿?)があります。
そこまで行ってみました。
本堂(拝殿?)の後ろに、
御簾がかかっている大きな岩が見えます。
切り立った岩の中腹、地面から5~6m位の高さの所に、御簾がかかっています!
あの御簾の奥に、小田不動尊こと、磨崖不動明王立像がいらっしゃる。
部屋のように四角く彫られた、その奥の壁面に彫られているようです。
年に1回、1月28日に御開帳され、この日に行くと拝見出来るということです。
文献1(「つくばの文化財」)に写真が載っています。
肉厚で立体的なレリーフ像です。
同書によると、像高167.5cm
岩は花崗岩。
『・・・藤原和様の特徴が現われています。造立年代は12世紀前半と考えられています』
とのこと。
12世紀前半ということは、平安後期。
【誰が彫ったのか?】
この像についても、
先日のジオツアーに参加した(前篇を参照)の時に、
かすみがうら市歴史資料館の先生に伺ってみました。
すると彫り方や装飾などから、平安後期だろうということは推測できるそうです。
ただし同じタイプの仏像の例が全国を見てもないので、はっきり断定はできないそうで、
しかも誰が(どういった人が)何故彫ったかとういことは、全く分からないそうです。
ここにも、
山の中の、謎の磨崖仏ロマンが(*^^*)
当時の最高技術を持った石工技術者の人たちが、
奈良から忍性さんと共に、同じ小田地区のすぐ近くにあった三村山極楽寺に来たのは、
鎌倉時代でした(詳細は前篇)
平安後期の像だと考えられる小田不動尊像は、それよりも古い!
つくば市内に、そんな古い磨崖仏があるなんて、感動です
小田不動尊につきましては、
詳しいことは、宝篋山登山口入口(駐車場)の「宝篋山小田休憩所」で、
地元の方が待機されている時に、聞いてみると良いかと思います。
【仏像が彫られた岩・・花崗岩と凝灰岩】
前回、今回と紹介した、筑波山地域の磨崖仏が彫られている岩は、花崗岩と呼ばれる岩石です。
石材として有名な真壁石や稲田石も、花崗岩です。
約6,000万年前、恐竜が絶滅したぐらいの頃の大昔、
日本列島など影も形もなくて、大陸の端っこだったか海の底だったの頃に、
地面の下でマグマが冷えて固まって固い岩になったものが、
筑波山地域の花崗岩だそうです。
地面の下で出来た花崗岩とその周りの部分は、その後だんだん隆起してきて山になり、
周りのやわらかい部分が風化で削られて、
残った固い部分が筑波山とその周りの山だと考えられるそうです。
そうやって、硬い岩となった花崗岩が、地表に現われている場所が、筑波山系で多くみられます。
そして、数百年の昔、山奥のそんな花崗岩の岩肌に、
大変な思いをして、仏像を彫った人々がいた!
ちなみに、前篇の最初で触れた日立市内で見られる磨崖仏は、いずれも凝灰岩と呼ばれる岩でに彫られています。
よく塀などに使われてる大谷石も、凝灰岩です。
(大谷石は栃木で取れます)。
凝灰岩というのは、大昔、火山の噴火で飛んできた火山灰が降り積もって、
それが長い年月をかけて岩になったものだそうです。
日立の海岸近くの凝灰岩は2種類(2つの層が)あるそうで、
1つは約2000万年に、どこかの火山の噴火で飛んできた火山灰が堆積したもの。
もう1タイプはそれより新しく約1000万年前に、火山の噴火で飛んできた火山灰が堆積したものだそうです。
(茨城県北ジオパークの方、及び 日立市郷土資料館の方からご教示頂きました。ありがとうございました)
ちなみに、今から1000万年前から2000万年前の頃というのは、
大陸から日本列島のもとになる部分が、
バリバリバリと観音開きのように開いて分かれてきた頃だと考えられるそう。
筑波山の花崗岩は6000万年前に地面の下で冷えて固まって出来たもの。
日立の海岸の凝灰岩は2000万年前もしくは1000万年前に、どこかで噴火した火山灰が地面に積もったもの。
地球のすごい歴史を感じます。
ちなみに、筑波山は火山ではありません。
マグマというと「火山?噴火するの?」と連想しがちですが、
筑波山は、日本列島が生まれる以前の6000万年前という、超~大昔に、
地面の下にあったマグマが地上に出ることなく、地面の下で冷えて固まった岩です。
筑波山は大きな岩の塊みたいなものです。火山では全くありません。
【石仏の場所と石工技術の歴史】
日本に仏教が入って間もないころは、道沿いや集落の近くに仏像を彫り、
時代が下って山に入って修行する山岳信仰が盛んになると、
修行者は山の岩などに仏像を彫るようになったそうです。
日立市の小木津浜は、古代の街道沿い(古代の東海道)にあたる場所。
そして、筑波山系の閑居山、小田前山や、(前篇で触れた)北茨城の浄蓮寺渓谷は、山の中。
なるほど!
また、彫られている岩についても、
現在も塀などに使われている大谷石などの凝灰岩は、柔らかめの石で、
特別な道具を使わなくても、ちょっと硬い石などでもガリガリと表面を彫ることができます。
だから、約1300年前以上の昔でも、小木津浜などの凝灰岩に仏像を彫ることができたんでしょうね。
それに比べ花崗岩は固いので、
彫る道具も、道具を作る技術も、石の加工技術も進歩しないと彫れない。
時代が下って、大陸から最先端の石工技術が伝わってきて、やっと彫れるようになったんですね。
茨城県内の磨崖仏から、
昔の仏教の伝わり方・修行の場所の変遷と、石工技術の変遷が見えてきます。
そして素材となっている岩から、
大昔の地表(現在の茨城県に当たるエリア)の成り立ちも見えてくる。
勉強しました!
・・・ということで3回にわけて、
筑波山ジオパーク構想、勝手に応援企画、ジオと信仰の意外な関係について調べてみました。
そういう目で見ると、トレッキングもウォーキングもランニングも、より面白くなりそうです。
日立市郷土博物館の方、および、茨城県北ジオパークの方から、メールでご教示いただきました。
また、ジオツアーで、かすみがうら市歴史資料館の先生からもご教示頂きました。
この場をおかりしてお礼申し上げます。
(誤謬がありましたら、ご指摘頂けると幸いです)
また、先日7月22日に行われた、かすみがうら歴史資料館主催の、ジオツアーに参加出来て、筑波山地域の花崗岩の、人との歴史や文化、そして加工技術を、実際に見て勉強し、更に見識を深めることが出来ました。
貴重な体験、ありがとうございました!
**************************************************************************
【参考文献】
1. 『つくば市の文化財』 2009年版 つくば市教育委員会 編 茨城県つくば市発行
2. 『日本の美術36 石仏』 久野健 著 小学館
3. 『常陸国 歴史の道を歩こう』 金砂大田楽研究会 歴史の実著のグループ編著 金砂大田研究会発行
【参考ホームページ】
1. つくば市 HP ›› 観光・イベント・交通 ›› 観光情報 ›› 観光施設・スポット ›› 宝篋山
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14271/14272/14348/008676.html
2. 日立市郷土博物館 HP
http://www.city.hitachi.lg.jp/museum/
3. 茨城県北ジオパーク HP
http://www.ibaraki-geopark.com/
4. かすみがうら市歴史資料館 HP
http://edu.city.kasumigaura.ibaraki.jp/shiryokan/
5. 茨城県教育委員会 HP
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/index.html
~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン―後篇~
※FM84.2MHzラヂオつくば「つくばね自由研究クラブ」(毎週金曜夜21:30-45放送)で、
2016年8月5日放送 した内容を再構成しております。
筑波山地域ジオパーク構想 勝手の応援企画の第三段の後編です!
第1回は → 信仰とジオの意外な関係(1) ~つくばみらい 石饅頭~
第2回は → 信仰とジオの意外な関係(2) ~土浦 カシャ(雷神)の爪・龍の爪~
第3回前篇 → 信仰とジオの意外な関係(3)~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン―前篇~
第3回の後篇、
早速行きます。
(3)-2 つくば市 小田 宝篋山近く(小田前山) 磨崖不動明王立像「小田不動尊」
つくば市の指定文化財です。
こちらは、なんと!
先に紹介した、百体磨崖仏よりも古いそうなのです
小田の宝篋山(ほうきょうさん)の麓に、小田前山と呼ばれる小さな山があります。
参考→ つくば市HP > 宝篋山
場所は、上のサイトにある、宝篋山トレッキングマップ(PDFファイル)を見ると、
『小田城コース』沿い付近、国道125号からちょっと入った所に『小田不動尊』の記載があります。
『八幡宮』の近くです。
像が彫られた岩肌の前に本堂(拝殿?)があります。
そこまで行ってみました。
本堂(拝殿?)の後ろに、
御簾がかかっている大きな岩が見えます。
切り立った岩の中腹、地面から5~6m位の高さの所に、御簾がかかっています!
あの御簾の奥に、小田不動尊こと、磨崖不動明王立像がいらっしゃる。
部屋のように四角く彫られた、その奥の壁面に彫られているようです。
年に1回、1月28日に御開帳され、この日に行くと拝見出来るということです。
文献1(「つくばの文化財」)に写真が載っています。
肉厚で立体的なレリーフ像です。
同書によると、像高167.5cm
岩は花崗岩。
『・・・藤原和様の特徴が現われています。造立年代は12世紀前半と考えられています』
とのこと。
12世紀前半ということは、平安後期。
【誰が彫ったのか?】
この像についても、
先日のジオツアーに参加した(前篇を参照)の時に、
かすみがうら市歴史資料館の先生に伺ってみました。
すると彫り方や装飾などから、平安後期だろうということは推測できるそうです。
ただし同じタイプの仏像の例が全国を見てもないので、はっきり断定はできないそうで、
しかも誰が(どういった人が)何故彫ったかとういことは、全く分からないそうです。
ここにも、
山の中の、謎の磨崖仏ロマンが(*^^*)
当時の最高技術を持った石工技術者の人たちが、
奈良から忍性さんと共に、同じ小田地区のすぐ近くにあった三村山極楽寺に来たのは、
鎌倉時代でした(詳細は前篇)
平安後期の像だと考えられる小田不動尊像は、それよりも古い!
つくば市内に、そんな古い磨崖仏があるなんて、感動です
小田不動尊につきましては、
詳しいことは、宝篋山登山口入口(駐車場)の「宝篋山小田休憩所」で、
地元の方が待機されている時に、聞いてみると良いかと思います。
【仏像が彫られた岩・・花崗岩と凝灰岩】
前回、今回と紹介した、筑波山地域の磨崖仏が彫られている岩は、花崗岩と呼ばれる岩石です。
石材として有名な真壁石や稲田石も、花崗岩です。
約6,000万年前、恐竜が絶滅したぐらいの頃の大昔、
日本列島など影も形もなくて、大陸の端っこだったか海の底だったの頃に、
地面の下でマグマが冷えて固まって固い岩になったものが、
筑波山地域の花崗岩だそうです。
地面の下で出来た花崗岩とその周りの部分は、その後だんだん隆起してきて山になり、
周りのやわらかい部分が風化で削られて、
残った固い部分が筑波山とその周りの山だと考えられるそうです。
そうやって、硬い岩となった花崗岩が、地表に現われている場所が、筑波山系で多くみられます。
そして、数百年の昔、山奥のそんな花崗岩の岩肌に、
大変な思いをして、仏像を彫った人々がいた!
ちなみに、前篇の最初で触れた日立市内で見られる磨崖仏は、いずれも凝灰岩と呼ばれる岩でに彫られています。
よく塀などに使われてる大谷石も、凝灰岩です。
(大谷石は栃木で取れます)。
凝灰岩というのは、大昔、火山の噴火で飛んできた火山灰が降り積もって、
それが長い年月をかけて岩になったものだそうです。
日立の海岸近くの凝灰岩は2種類(2つの層が)あるそうで、
1つは約2000万年に、どこかの火山の噴火で飛んできた火山灰が堆積したもの。
もう1タイプはそれより新しく約1000万年前に、火山の噴火で飛んできた火山灰が堆積したものだそうです。
(茨城県北ジオパークの方、及び 日立市郷土資料館の方からご教示頂きました。ありがとうございました)
ちなみに、今から1000万年前から2000万年前の頃というのは、
大陸から日本列島のもとになる部分が、
バリバリバリと観音開きのように開いて分かれてきた頃だと考えられるそう。
筑波山の花崗岩は6000万年前に地面の下で冷えて固まって出来たもの。
日立の海岸の凝灰岩は2000万年前もしくは1000万年前に、どこかで噴火した火山灰が地面に積もったもの。
地球のすごい歴史を感じます。
ちなみに、筑波山は火山ではありません。
マグマというと「火山?噴火するの?」と連想しがちですが、
筑波山は、日本列島が生まれる以前の6000万年前という、超~大昔に、
地面の下にあったマグマが地上に出ることなく、地面の下で冷えて固まった岩です。
筑波山は大きな岩の塊みたいなものです。火山では全くありません。
【石仏の場所と石工技術の歴史】
日本に仏教が入って間もないころは、道沿いや集落の近くに仏像を彫り、
時代が下って山に入って修行する山岳信仰が盛んになると、
修行者は山の岩などに仏像を彫るようになったそうです。
日立市の小木津浜は、古代の街道沿い(古代の東海道)にあたる場所。
そして、筑波山系の閑居山、小田前山や、(前篇で触れた)北茨城の浄蓮寺渓谷は、山の中。
なるほど!
また、彫られている岩についても、
現在も塀などに使われている大谷石などの凝灰岩は、柔らかめの石で、
特別な道具を使わなくても、ちょっと硬い石などでもガリガリと表面を彫ることができます。
だから、約1300年前以上の昔でも、小木津浜などの凝灰岩に仏像を彫ることができたんでしょうね。
それに比べ花崗岩は固いので、
彫る道具も、道具を作る技術も、石の加工技術も進歩しないと彫れない。
時代が下って、大陸から最先端の石工技術が伝わってきて、やっと彫れるようになったんですね。
茨城県内の磨崖仏から、
昔の仏教の伝わり方・修行の場所の変遷と、石工技術の変遷が見えてきます。
そして素材となっている岩から、
大昔の地表(現在の茨城県に当たるエリア)の成り立ちも見えてくる。
勉強しました!
・・・ということで3回にわけて、
筑波山ジオパーク構想、勝手に応援企画、ジオと信仰の意外な関係について調べてみました。
そういう目で見ると、トレッキングもウォーキングもランニングも、より面白くなりそうです。
日立市郷土博物館の方、および、茨城県北ジオパークの方から、メールでご教示いただきました。
また、ジオツアーで、かすみがうら市歴史資料館の先生からもご教示頂きました。
この場をおかりしてお礼申し上げます。
(誤謬がありましたら、ご指摘頂けると幸いです)
また、先日7月22日に行われた、かすみがうら歴史資料館主催の、ジオツアーに参加出来て、筑波山地域の花崗岩の、人との歴史や文化、そして加工技術を、実際に見て勉強し、更に見識を深めることが出来ました。
貴重な体験、ありがとうございました!
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【参考文献】
1. 『つくば市の文化財』 2009年版 つくば市教育委員会 編 茨城県つくば市発行
2. 『日本の美術36 石仏』 久野健 著 小学館
3. 『常陸国 歴史の道を歩こう』 金砂大田楽研究会 歴史の実著のグループ編著 金砂大田研究会発行
【参考ホームページ】
1. つくば市 HP ›› 観光・イベント・交通 ›› 観光情報 ›› 観光施設・スポット ›› 宝篋山
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/14271/14272/14348/008676.html
2. 日立市郷土博物館 HP
http://www.city.hitachi.lg.jp/museum/
3. 茨城県北ジオパーク HP
http://www.ibaraki-geopark.com/
4. かすみがうら市歴史資料館 HP
http://edu.city.kasumigaura.ibaraki.jp/shiryokan/
5. 茨城県教育委員会 HP
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/index.html
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