信仰とジオの意外な関係(3)
~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン(前篇)~


※FM84.2MHzラヂオつくば「つくばね自由研究クラブ」(毎週金曜夜21:30-45放送)で、
2016年8月5日放送 した内容を再構成しております。



筑波山地域ジオパーク構想 勝手の応援企画 の第三段です!
豆電球第1回目は → 信仰とジオの意外な関係(1) ~つくばみらい 石饅頭~
豆電球第2回目は → 信仰とジオの意外な関係(2) ~土浦 カシャ(雷神)の爪・龍の爪~


3回目の今回は、岩肌に直接彫られた仏像=磨崖仏 の、歴史背景とジオの関係です。

例えばテレビ等で、ユネスコの世界遺産として有名な、中国・敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)があったり、石窟寺院と呼ばれる史跡など、テレビでご覧になった方も多いかと思います。

それらに比べると、ぐっと規模は小さいのですが、日本国内にも、崖の岩に直接彫刻された仏像というのは、全国にありますちょき

そして、茨城県下にも数か所あるんです!グッド


【茨城県内の磨崖仏―県北―】

まず県北から。

①日立市内に3か所
小木津浜の岩地蔵
田尻町(たじりちょう) 度志観音(どしかんのん)
折笠町(かさおりちょう) 新旗観音(あらはたかんのん)
どれも、凝灰岩に岩肌に彫られているそうです。

(日立市郷土博物館の方からご教示頂きました。ありがとうございました)。

②北茨城市に1か所
浄蓮寺渓谷
 こちらは花崗岩の岩肌に彫られているそうです。
こちらは、比較的新しく、江戸時代に彫られたものだそうです。


日立市内の磨崖仏は大変歴史が古く、
1300年前!、奈良時代初頭に編纂された常陸国風土記にも、
その当時、既にこの地には崖に彫られた仏像があって『仏浜』と呼ばれているという記述が残っています。

(専門家の先生から伺った話では)、小木津浜の岩地蔵と呼ばれている彫刻群がそれではないかと考えられているそうです。

小木津浜にはまだ行ったことがないので、文献1(『常陸国 歴史の道を歩こう』)の写真を見てみますと、相当古いものみたいで、何の仏像だかはよく分からないんですが、でも、確かに仏像のような形がいくつか残っています

凝灰岩というのは、よく塀などに使われている大谷石と同じものですが、岩としてはあまり固くなくて、削りやすい岩です。
もともととても古い彫刻で、長い年月、海のそばで雨風にあたって、風化も激しんですね・・・。


【茨城県内の磨崖仏―県南―】

筑波山地域ジオパーク構想の応援なので、ここからが本番グッド
県南に目を向けますと、筑波山系の山の中の崖に仏像が彫られている場所が、2か所あります。

かすみがうら市 閑居山(かんきょさん) 百体磨崖仏
  茨城県指定文化財

つくば市 小田前山(宝篋山近く) 磨崖不動明王立像(小田不動尊)
 つくば市指定文化財

※あともう一か所あるらしいという話も聞きましたが、未確認です。

これらは、花崗岩の岩肌に彫られています。

詳しく見ていきましょう。

(3)-1 かすみがうら市  閑居山(かんきょさん) 百体磨崖仏
茨城県指定文化財です。

豆電球参考→ 茨城県教育委員会HP 『百体磨崖仏』

ちなみに先日、とてもラッキーだったのですが、
かすみがうら市歴史資料館主催のジオツアー
に参加できましたグッド

そこで、閑居山の百体磨崖物を、地元の市民学芸員の方や、かすみがうら市歴史資料館の先生の説明を受けながら見ることが出来ました!

こちらで下調べていたことに加え、このツアーで学んだことのごく一部ですが、交えてお話します。


閑居山は古くは『志筑山(しづくさん)』と呼ばれていました。
その閑居山には、かつて願成寺(がんじょうじ)というお寺がありました。

鎌倉時代の書物(吾妻鏡だったか)をはじめ、いくつかの古い書物に、
『志筑山に願成寺があって、独自に生活手段と力を持っているお寺で、中央に与しなかった』
というような内容の記載があるそうです。

願成寺は、当時かなり有力なお寺だったようですキラキラ

願成寺があった場所には、花崗岩の露頭も多く、その岩肌に多くの仏像が彫られているのが今の残り、
百体磨崖仏』と呼ばれています。

信仰とジオの意外な関係(3)前篇~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン
『百体磨崖仏』というだけあって、数えられるだけでも90以上の仏像が彫られているそうです。

彫られているのは、その形などから大きく分けて、地蔵菩薩、観音菩薩、弘法大師だそうです。






信仰とジオの意外な関係(3)前篇~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン
多くは、「薄肉彫り」と言いまして、どれも、ちょうどコインやメダルみたいに、像を薄く浮き上がらせて彫られています。
こんな感じの薄肉彫りの像がずらっと横に並んだ形で、あちこちの岩に彫られています。



これらの仏像は、装飾や彫り方から、大体、鎌倉時代から江戸時代まで彫られ続け(=奉納され続け)たのではないかとのことですが、
時代的にははっきり言えないないそうです。

それにしても、こんな足場の悪い場所の崖に、どうやって彫ったのでしょう??


信仰とジオの意外な関係(3)前篇~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン
百体磨崖仏の中でも、一番古いと思われるという、不動明王像。
(もしかすると平安後期までさかのぼるのでは・・・という見方もあるようです)

写真では分かりにくいのですが、こちらは輪郭だけを線で彫る『線刻』で、右手に剣を持ち、左に縄(羂索 けんじゃく)を持っている仏像が確かに彫られています。
(近くには、線刻の弘法大師もあるそうですが、私は見つけられませんでした)

長い年月を経てきたと思うと、じーんとしますキラキラ







【だれがいつ彫ったか?】
伝説では、その願成寺の乗海(じょうかい)というお坊さんが、ここで磨崖仏を彫ったといわれていていますが、実際いつの時代に彫られたかという特定は、難しいそうです。

ここで、地元の歴史に詳しい方ならば、

『鎌倉時代なら、小田のあたりに立派な五輪塔やら、宝篋山のてっぺんの石造物やらを作った人達が、奈良から来た(※)でしょうよ?』

と思われるかもしれませんね。

・・・じゃあ、その人たちが、閑居山の方にも行って、崖に仏像をたくさん彫ったんじゃないの?

そのあたり、今回のジオツアーの時に、かすみがうら市歴史資料館の先生に伺ってみました。

で、確かに百体近くある仏像の中で、古いものは、時代的にはありうるのですが、
本当にそうだとはっきり言えないそうなんです。

閑居山の百体磨崖仏は、前述したように
ほとんどが『薄肉彫り』といって、コインの模様みたいに、薄く像を浮き上がらせて彫られています。

こういう彫り方の仏像は、鎌倉時代に小田に来た、西大寺系流派が作る仏像と、違うそうなんです。

また、全国的に見ても、閑居山の磨崖仏と同じような形式の仏像がほとんどないそうで、
百体近い磨崖仏の中でも、比較的新しい江戸時代に彫られたらしいものは、地元の人たちが奉納したらしいことは分かっても、
古いものになると、いつどんな人たちが彫ったのかとか、はっきり言いきることが出来ないそうなんです。

ロマン掻き立てられる、山の中の謎の磨崖仏群!ハート


そこで、これらの「百体磨崖仏」及び「願成寺跡」に行ってみたいという方へ
訪問に際する注意です。

かすみがうら市歴史資料館のホームページ
http://edu.city.kasumigaura.ibaraki.jp/shiryokan/

に、かすみがうら市の教育委員会からのお願いが掲載されいます。

注意点3つ

・所在地とその周りの土地は、現在、国立研究開発法人 森林総合研究所の敷地内となっています。

・敷地内の道はほとんど整備されておらず、足元が危ない場所も多いので、滑らない歩きやすい靴を履いて、十分注意して歩いて下さい。

・また、フェンス及び鉄鎖ロープ内及び関連施設への立入は禁止。

訪問される方は、以上を注意してルールを守ってご覧になって下さい。


後篇
筑波山地域で二つ目の磨崖仏、つくば市の小田にある磨崖不動明王立像
に続きます。
信仰とジオの意外な関係(3)後篇~磨崖仏に秘められた歴史と地球ロマン



(※註)
鎌倉時代になると、今のつくば市の小田の宝篋山のふもとにあった大伽藍があった、三村山極楽寺に、奈良から、真言律宗の忍性(にんしょう)というお坊さんが来て、10年ほど滞在して、布教しています。
忍性さんは、奈良から来るときに、一緒に西大寺系の石工の技術者集団を連れてきています。
その石工技術者集団は、当時の最先端の技術で、布教のための石造物を作りました。
3m近い大きな五輪塔など、今も小田の付近にいくつも残っていますよね。

固い花崗岩を彫る技術は、道具の製造も含めて難しく、鎌倉時代、中国大陸の宋の国から、技術を持った石工技術者の集団が、奈良に招かれて来ました。戦乱で焼失してしまった東大寺復興のためだったそうです。

その石工技術者たちの子孫は真言律宗の西大寺系と呼ばれる石工集団となり、その中の大蔵派と呼ばれるグループの職人さん達が、はるばる忍性さんと一緒に奈良から常陸国に入り、筑波山近く小田山のふもとを拠点に、多くの石の造形物を作ったそうです。
固い花崗岩を、きれいな形に彫りあげる、非常に高い技術水準をもった職人さんたちで、その人たちが小田の極楽寺跡近くにある、湯地蔵と呼ばれる背の高いお地蔵さんや、3m近い高さで見事な形の五輪塔などを作ったと考えられています。


**************************************************************************
【参考文献】

1. 『常陸国 歴史の道を歩こう』 金砂大田楽研究会 歴史の実著のグループ編著 金砂大田研究会発行

2. 『日本の美術36 石仏』 久野健 著 小学館

【参考ホームページ】

1. 日立市郷土博物館 HP
  http://www.city.hitachi.lg.jp/museum/

2. 茨城県北ジオパーク HP
 http://www.ibaraki-geopark.com/

3. かすみがうら市歴史資料館 HP
 http://edu.city.kasumigaura.ibaraki.jp/shiryokan/

4. 茨城県教育委員会 HP
 http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/index.html










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徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

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★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

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別館: 夢うつつ湯治日記 https://note.com/carfamom/

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