常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)


いよいよ12月に入りましたが、今年2018年戌年にちなんで、茨城の犬にまつわる伝説の紹介とちなむ場所を訪ねるシリーズ。

同シリーズ
 → 石岡駅の忠犬タロー像
 → 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)
 → 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて

また、板橋不動尊(つくばみらい市)の安産子育てのご利益の由来で有名な、白犬伝説については、以前書いた記事、
  → 春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)


前回(筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて
)紹介した筑波山麓に伝わる犬の伝説から、頑張ったワンコ達の姿が浮かんできます。
昔から人と一緒に働いて健気なワンコ(うちのワンコは家で寝てばかりですが(^m^;))。

さて、茨城県北、常陸大宮市の地区にも、けなげに頑張ったワンコにまつわる伝説2つが伝わります。

昔話や伝説のゆかりの地を実際に訪ねての報告がモットーなのですが、2018年戌年も年の瀬になりつつあり、ゆかりの地への訪問も近いうちに行くのは難しい汗

なので、まずはお話だけでも紹介しますちょき


(1)常陸大宮市(山方地区). 犬吠峠-常陸大宮市西野内

千葉県の『犬吠埼(いぬぼうさき)』は有名ですが、茨城には
犬吠峠

があります。

犬吠峠』の読み方は『いぬぼえとうげ』(文献1 他)。

この犬吠峠にまつわる伝説です。


写真は、常陸大宮市 旧山方町の『森林浴の道(籠岩)』途中の展望台からの眺め(2002年10月撮影)。
方角的に犬吠峠方向ではないかと。
15年ほど前の写真ですが、多分、この絶景は変わっていません(^^)






【おおまかなあらすじ】

火事を嘆いた、もしくは火事を知らせるために、犬が七日七晩吠え続けて、とうとう石になった。

その石は今もあって、その一帯は『犬吠峠(いぬぼえとうげ)』と呼ばれる。


バージョンがいくつかあるようで、

お寺『常安寺』が火事で焼け落ちたのを悲しみ、七日七晩吠え続けて火難を四方に知らせた。
犬は食事もとらず座った形のまま犬になった。

(文献1、2、3、4、5、6)
※文献1及び6 によると、実際、常安寺は文久元年(1861年)に全焼しています。
 文献6では、『文久元年(一八六一)十一月、時の住職天外禅師の時にかかわる伝説です』とのこと。


近くの城(『御城』)の落城を知らせるために吠え続けた犬が、石になった。
(文献4)
※『御城』は『山方城』の別名とのことで、応永十五年(1408年)、美濃山方出身の山方能登守盛利が築城し、その後、佐竹義治の五男の政義の居城となり、この地における佐竹氏の重要な城となったとのこと(文献7)

また、次のは上の2つと全く違うあらすじの話で、

前九年の役の時に、源頼義とその子の義家がこの地を通り、金砂山で敵分と戦った時に、この峠に山犬(狼)の群れが現れて、義家ら源氏方の軍勢に向かって吠え続けた。義家らはこの山犬の大群のために容易に進軍出来なかったことから、『犬吠峠』となった。
(文献4)


ちなみに、①は江戸時代末期、②は室町時代、そして、③は平安時代後期。
時代的にはずいぶん幅がありますね。


上の①、②にある、『石になった犬』のその石は、実際、犬吠峠にあるそうです。

文献1には、『犬吠峠にある犬の化身といわれる巨石』のキャプションとともに、その写真が掲載されています。

またネットを調べると、実際に行かれた方の話がいくつか読むことが出来ます。
が、この伝説の石のある場所は、道なき道を行くようで、実際に見に行くのは大変そうです汗

でも伝説の石が今も残っているのは喜ばしい!笑


文献4、5、6によると、この地域では犬の遠吠えが聞こえてくると、『峠のお犬様が鳴いているから、火事に気をつけろ』と言い合ったそう。
火事を用心する生活の知恵にも結びついているのでしょうグッド


ちなみに、伝説のバージョン②に出てくる『御城』。
現在は『御城展望台』として、資料館も兼ねて建物が復元、整備されています。
今度是非行ってみたいです(ここは簡単に行けそうですし♪)ちょき

豆電球 詳細→ 常陸大宮市ホームページ 御城展望台
http://www.city.hitachiomiya.lg.jp/page/page002908.html

この辺りは中世、激しい戦乱のあった場所とのこと。
そのことを、この伝説と現存する『犬の石』、そして『犬吠峠』という地名が伝えているのかなぁと思います。

県北はやっぱり佐竹氏関係の伝説が、今も息づいていますねキラキラ

後編に続きます♪
 → 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(後編)


【おまけ】

犬吠峠がある常陸大宮市西野内地区は、『西ノ内和紙』でも有名な地区です。
西ノ内和紙については、かなり以前の記事ですが、当ブログでも書いてますので、良かったら(^^)
 → 茨城 こんなもの見つけた (2) 「西ノ内和紙」製の陣取りゲーム



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【参考文献】

1.『山方町誌 上巻』 茨城県那珂郡山方町文化財保存研究会編

2.『日本の伝説37 茨城の伝説』 今瀬文也・武田静澄 共著 角川書店

3.『茨城の伝説』 茨城民俗学会編 日本標準

4.『茨城県の民話と伝説 上 ふるさとの自然と動物』 藤田稔 著 有峰書店

5.『山方町いまむかし』 仲田安夫 著 筑波書林

6.『語りつぎたい 奥久慈の秘話(親から子へ 子から孫へ)』 堀江文男 著 茨城出版企画センター

7.『図説 茨城の城郭』 茨城城郭研究会編 国書刊行会




  

筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて



豆電球前回までのお話
 → 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)

前回紹介した、筑波山麓に伝わる『しっぺい太郎』伝説
そして、長野県小県郡に伝わる、『筑波山麓の助五郎の犬』伝説
どちらも、化け物猿を退治する犬のお話です。

前回も触れましたが、『しっぺい太郎』に代表される『猿神退治』型と呼ばれる伝説は、全国に似ている話が伝わります。
中でも特徴的なのが、お互いに繋がっていて、それが縁で姉妹都市にもなっている、長野県駒ケ根市に伝わる『早太郎伝説』と、静岡県磐田市に伝わる『悉平(しっぺい)太郎伝説』。
磐田『悉平(しっぺい)太郎』と呼ばれた犬は、駒ケ根の光前寺から借りてきた犬の『早太郎』とのこと。

ということで、筑波山麓にも関わる伝説『しっぺい太郎』や『助五郎の犬』の姿を求めて、
『早太郎伝説』が伝わり、早太郎のお墓もある、長野県駒ケ根市の光前寺に行く機会がありましたキラキラ


【しっぺい太郎=早太郎 伝説が伝わる 長野県駒ヶ根市の宝積山光前寺へ】

光前寺は、平安時代、貞観二年(西暦860年)、本聖上人により開山されたという古刹。
長野県では善光寺に次いで2番目の規模のお寺とのこと。

 豆電球詳細→ 宝積山光前寺ホームページ



先日、9月下旬に訪れました。
台風が接近中で強めの雨が降り始めていました。
風は強くなかったのは幸い。









参道の木々のりっぱなこと!びっくり

山の木々の中に、建物が点在しています。

あいにくの雨でしたが、静謐で厳かな雰囲気が、雨によって更に増すよう。









本堂に向かう道。
立派な龍など、彫刻も立派な建物。

大きなお寺さんで、見どころもたくさんだったのですが、今回の報告は早太郎関連に絞ります。







広い境内の中、本殿に本堂の向かって左の道を行った林の中に、墓地があります。
その墓地の手前に、『早太郎の墓』がありました!









小さな五輪塔のような? お餅を五つ積み上げたような?形のお墓。
苔の緑も美しい。
小さな犬の置物がお供えされているのも可愛いハート

単なる伝説なのか、何かの実を伝える話なのか、今になっては分かりませんが、長い間、早太郎伝説は語り継がれてきたのだなぁと、このお墓と、可愛い置物のお供えを見て感じました。

(写真がピンボケなのはお許しを汗









境内の三重塔の近くに、早太郎の像もありました。
(写真:三重棟に向かって右手の細い石造の上に犬の像)

この像の後方の奥に、上記の早太郎のお墓があります。



庭園も拝観できる本坊には、様々な仏像や、閻魔大王を始め十王や脱衣婆の像が安置されている中に、
精悍な早太郎像と早太郎の伝説の掲示もありましたちょき


本堂で、『早太郎おみくじ』と『早太郎お守り』を購入。


左の大きめの灰色のワンコが、『早太郎おみくじ』
右の小さな金色の根付が、『早太郎お守り』

早太郎おみくじ』 可愛い(*^^*)ハート
このワンコの中におみくじが入っています。
おみくじの結果は『吉』で、しかもとても嬉しい内容が書かれていたので、おみくじを中に戻して、家で大事に飾っています。
(私は良い内容のおみくじは、持ち帰る主義♪)

根付タイプの『早太郎お守り』は、小さな丸い窓から本尊の不動明王のお姿が拝めますキラキラ
これも可愛い上に、中の不動明王像が青いバックでとても綺麗なので、気に入っています。

戌年2018年の秋、可愛い犬のグッズ(おみくじとお守り)が増えました(*^^*)ハート
両方とも『早(はや)ちゃん』と呼んで、テーブルの脇に飾ってます。


筑波山麓に伝わる犬の伝説に出会って、調べているいくうちに、
思わぬ旅先に行くことが出来て、可愛いワンコグッズも手に入れることが出来ました!\(^o^)/

このシリーズ、続きます♪
 → 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)



【おまけ】



なんと、山中から採取される『塩』とのこと!びっくり
こちらも、光前寺で販売されていて、珍しいので購入。

駒ヶ根市からほど近い、長野県大鹿村の鹿塩温泉から採れる『塩』だそうです!
山で採れるので『山塩』。
どうして塩が採れる(塩分を多く含む温泉が湧く)のか、地質学者に方の説明を聞いてみたいですね。

粒が細かくて、舐めると、とてもまろやかです。
思わぬところで、大変貴重なお塩も手に入れることが出来ました笑







  

筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)


2018年は戌年ということで、戌年も残りわずかですが、
せっかくの戌年ですので、茨城県内に伝わる、犬にちなむ昔話・伝説と、そこにちなむ土地をいくつか訪ねた報告をするシリーズ 。

豆電球同シリーズ 前回の記事
石岡駅の忠犬タロー像

豆電球また、板橋不動尊(つくばみらい市)の安産子育てのご利益の由来で有名な、白犬伝説については、以前書いた記事、
    → 春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)


さて今回は
茨城県下に伝わる『しっぺい太郎』伝説です(文献1、2,3)。


【物語の舞台は筑波山麓】

≪おおまかなあらすじ≫
毎年、村に災いをもたらす『神』に若い娘を人身御供に出していた村があった。そのことに憤った山伏が、ひょんなことから、『丹波国(※)のしっぺい太郎』という名の犬をその神が怖がることを知り、そのしっぺい太郎を借りてきた。人身御供の儀式の日の夜に、しっぺい太郎は『神』と戦い、その神は大きな『ヒヒ猿(もしくは白猿)』で、翌朝、ヒヒ猿(白猿)達は息絶えており、しっぺい太郎もその後力尽きて息絶えてしまった。
それからは、その村では、人身御供を出すことはなくなった。
※文献3では『三河国』


3つの文献を比較すると・・・


文献1:
①物語が伝わるのは『筑波山麓』
②物語の舞台も、『筑波山麓』の村。
③犬は、『丹波』の国のしっぺい太郎。


写真は筑波山中腹、東山地区から眺めた景色。





こちらは、つくば市北部~桜川市真壁町付近の『筑波山麓』

『筑波山麓』は広いので、現在のつくば市側か、桜川市(真壁町)側か、石岡市(八郷地区)側か、いろいろ候補はありますね…。







文献2:
①物語が伝わっている(話が採取された)場所は水戸市。
②物語の舞台は『筑波山中』の村。
③犬は、『丹波』の国のしっぺい太郎。


写真は筑波山中の筑波山梅林。
あくまでも『筑波山中』のイメージです笑



文献3:
①話の採取は水戸市。
②物語の舞台は不明(話の断片だけで詳細のあらすじは不明)。
③犬は、『三河』国のしっぺい太郎。


です。

このような犬が、人身御供を求める山の神(大猿など)を退治する話は、『猿神退治』型の伝説というようで、実は全国各地に伝わります。

そういう『猿神退治』型伝説を調べていると、文献4に興味深い話を見つけました。


【長野に伝わる『筑波山麓』の犬の話】

文献4に、長野県小県郡に伝わる昔話では、『しっぺい太郎』というのは、『筑波山麓の助五郎の犬』ということで登場します。

文献4に書かれているのは、大変おおまかなあらすじのみですが、

文献4:
①長野県小県郡で伝わる(※)
②小県郡の村か?(庄屋の娘が人身御供になりかかる)
③『しっぺい太郎』は『筑波山麓の助五郎の犬
 そして、犬が退治するのは、狐、狸、狼、山猫(猿はいない)で、退治した後もしっぺい太郎は元気。
※文献4によると『小県郡民譚集 小山真夫 昭和8年 郷土研究社』という文献からの引用のようです。


小県郡というのは、多分、諏訪~上田の間にある山間の地域ではないかと思いますが、そこの話にいきなり『筑波山』が出てきたのが意外でした。
小県に筑波山という山があるのか??
茨城県民としては、茨城の筑波山だと思いたいですね♪

そして、(長野県小県郡に出てくる『筑波山』が茨城県の筑波山とした場合)、4つの話から、常陸国筑波山麓と信濃国小県郡で、何かつながり(物の交流とか宗教者の移動等)があったのかなぁ??
・・・なんて、妄想も広がりますハート


【筑波山の近郊に伝わる類似の話】

さて、猿神退治伝説ですが、筑波山より南、同じ筑波山系の山の麓、土浦市山ノ荘地区日枝神社にも、大ヒヒ退治の伝説が伝わります(文献5)。

但しこちらの伝説では、大ヒヒを退治したのはワンコでなく、人間(領主と弓の達人)。
そして、時は室町時代と伝わっています。

それにちなんだ流鏑馬神事(日枝神社流鏑馬祭 茨城県指定無形文化財)が今も伝わっていますので、筑波山麓の伝説としては、しっぺい太郎伝説よりこちらのお話をご存じの方の方が多いことでしょう。

 豆電球日枝神社流鏑馬については、                                             
 → 土浦市ホームページ 『日枝神社流鏑馬祭(県指定)』

をご参照ください。




【『しっぺい太郎』の姿を訪ねて】

全国に伝わる『猿神退治』伝説ですが、
古くは、平安時代後期に成立した説話集『今昔物語』、鎌倉時代に成立した説話集『宇治拾遺物語』にも、既に出てきます。
(文献6、7)。さらに古く4世紀の中国東晋で編纂された『捜神記』にも、猿神退治の話があるそうです(文献7)。
(想像するに、多分、仏教や文化の伝播とともに、そういう話も海を渡って入ってきたのでしょう)

ただしいずれの話も、猿神を退治するのは、犬ではなく人間です。 
これが全国の民話との大きな違いでしょうか。

どこで、犬が入ってきたのか?
・・・これは興味深いテーマですが、かなり深い話になりそうなので、折を見て調べたいと思ってます。


戌年2018年としては、やはりワンコが活躍する話に注目したいですキラキラ

筑波山麓の伝説の犬『しっぺい太郎』そして『助五郎の犬』の姿を求めて、
全国に伝わる『しっぺい太郎』伝説の中でも特徴的な、

長野県駒ケ根市に伝わる『早太郎伝説』
と、
静岡県磐田市に伝わる『悉平(しっぺい)太郎伝説』
に注目しました。

この2か所の伝説は、お互いに繋がっているのも面白いし、リアルですグッド
駒ヶ根市の光前寺というお寺さんには、早太郎のお墓まで伝わるそうびっくり

また、駒ヶ根市と磐田市は天竜川の上流と下流に位置するのも、何かの繋がりを感じます。

そして現代では、その伝説繋がりで、駒ケ根市と磐田市が姉妹都市になっているのもすごい♪

豆電球静岡県磐田市HP 『悉平太郎伝説』
http://www.city.iwata.shizuoka.jp/about/profile/shippei/shi004.php
豆電球長野県駒ヶ根市 光前寺(天台宗)HPより
http://www.kozenji.or.jp/contents/hayatarou.html

ちなみに、駒ヶ根市は、先に『筑波山の助五郎の犬』伝説が伝わる小県郡からはちょっと離れていますが、同じ長野県です。


といういことで、駒ケ根市の光前寺を訪れる機会がありましたちょきので、その報告は後日後編にて。
(写真は、光前寺で購入した、早太郎おみくじと、早太郎のお守り♪)

続きます。
 → 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて




*********************************************************
【参考文献】

1. 『茨城県の民話と伝説 上 ふるさとの自然と動物』 藤田 稔 著 有峰書房

2. 『定本 日本の民話 6 茨城の民話(第1集 第2集)』 日向野徳久 編著 未来社

3. 『茨城の昔話』 鶴尾能子編 昔話研究資料叢書(7) 三弥井書店

4. 『日本昔話大成 第7巻 本格昔話 六』 関 敬吾 著 角川書店

5. 『新治村の昔ばなし』 仲田安夫 著 筑波書林

6. 『今昔物語』 福永武彦 訳 ちくま文庫

7. 『宇治拾遺物語』 中島悦次 校注 角川ソフィア文庫











  

『おでにちさま』の飾り


先日、9月中旬ごろ、ランニングの途中で、写真のようなワラで編まれた『飾り』を見かけました。


場所はつくば市の手代木地区付近の用水池(通称:千上池)。

スマホを持って走っているので、こんな時、写真が撮れて便利ちょき

何だろう?と近づいていくと・・・






細い竹の棒が池の中に立てられ、棒の先には、帽子のような、不思議な形のワラ細工が括りつけられています。
何かのお祀りの飾りっぽい。

実は数年前も同じものが立てられているのを見て、とても不思議びっくりに思っていました。






近くの農家の方に訊いてみると・・・。

・『おでにち様』という集落の祭事の飾り。

・『おでにち様』は豊作祈願のために、大体毎年9月初旬頃、行われる。

・この辺りの地区の5か所の『つぼ(坪?)』(集落?)の中で持ち回りで、担当になったお宅で『おでにち様』の集まりがある。

・昔は手代木区内にあるお寺(遍照院)に集まって、遍照院の本堂の裏手にある仏像をお祀りしていた(その際、お顔を隠す筵も新調して編んだらしい)が、ある時からお寺で行えなくなったので、担当の家に集まってお祭りをするようになった。


なのだそうです。


また、別の方の農家の方にもお話が聞けて、

・『おでにち様』はお日様の神様で、雨乞い的な要素もあるらしい。


・わらで編んだ飾りは、昔は、俵の『ふた』を使った。
今は、俵の『ふた』の形に編んだもの。

・手代木にある千上池に竹竿を刺して、その上にわらで編んだ俵のふたを飾る。
 この飾りは、千上池1か所だけで、他には飾らない。

・『昔は水がなくて農作物が採れなくて困った地域だったので、水が得られるように、池に刺して祈願したのではないか』 とのこと。

なのだそうです。


『おでにち様』は、『お大日(だいにち)様』ではないかと思い、どちらの方にも訊いてみました、それはよくわからないそうです。

文献1で(旧)谷田部町の所を読んでみましたが、『おでにち様』らしいものは、明記されていませんでした。

でも、私の推測ですが、多分、大日如来信仰と作神信仰が混淆した、古くからの民間信仰に思えます。

文献2では、筑波山麓 真壁町にある最勝王寺の『大念仏』という祭事や、稲敷郡地方の『大日祭』から、大日如来信仰と豊作祈願の太陽崇拝が結びついている例を挙げています。

また谷田部地区には、石の板に仏像のレリーフを刻んだものが、あちこち(旧集落の集会所や神社の近く等)で見られます。
仏像は、鼻が大きい特徴的な風貌が共通しています。

文献2によると、これらは、筑波山南麓から常総地域を中心に点在しているそうで、
江戸時代初期、寛永年間のわずかな期間にだけ作られた、大日如来像だそうです。

そういう石仏が見られることもあり、多分、『おでにち様』は『お大日様』で、大日如来信仰と豊作祈願が混ざった信仰が古くから伝えられてきて、今も続いているのではないのかな・・・と思うのですが、どうなんでしょう。

ちなみに、文献1には、近くの谷田部町谷田部台町のお念仏の中に、『大日様唱え』というのがありました。
詳しい方、ご教示下さいませ。


今年の夏は記録的な酷暑が続いた上に、毎週のように台風が来るので、農産物の被害が心配です。
どうか被害が大きくならなりませんように・・・。


*****************************************************

【参考文献】

1.『昭和42年度 筑波研究学園都市地区 民俗資料緊急調査報告書』 茨城県教育委員会

2.『常総・寛永期の大日石仏』 徳原聰行 編著  筑波書林








  

2018年09月25日

筑波山神社 観月祭

筑波山神社 観月祭


2018年9月23日(日)秋分の日の宵、筑波山神社で観月会が行われていました。
今年で3回目だそうです。


暗闇に浮かぶ、筑波山神社拝殿。
趣きがありますね。

拝殿の中で、お琴と尺八の合奏が2時間ほどありました。
邦楽は苦手で2時間耐えられるかと・・・と内心心配でしたが、全十曲、選曲もバラエティに富み、司会をされたお琴の先生及び尺八の先生のお話も軽妙洒脱で面白く、2時間があっというまでした。



拝殿の外からは秋の虫の音が賑やかに聞こえてきて、尺八や琴の旋律とともに、秋の風情たっぷり堪能しましたハート



拝殿の正面に、秋の花草が大変美しく活けられていました。
お供えは、それぞれ三宝に載せられた、梨、お団子、そして(多分)アケビの実!









筑波山境内から見る、おぼろ月夜。
薄い雲に月の光に滲んで、その光がわずかに七色がかって美しかったです。

今年2018年は奇しくも、本日の秋分の日の翌日が、中秋の名月でした。
この日もほぼ満月。


境内のご神木の大杉(向かって右の木)の上にかからんとする、おぼろ月。
(写真はピンボケですが、雰囲気は伝わっているかと)


帰りは関東平野の夜景を見ながら山を後にしましたキラキラ



すっかり秋の風情の筑波山。
明るい時の秋の風情の景色の写真も載せますね。


同日夕方に撮った彼岸花と筑波山。西山地区にて。
向かって左の男体山、右の女体山。

彼岸花の赤い色が、木々や草の緑に映えます。







こちらは反対方向、コスモス越しに見る関東平野。同じく西山地区にて。
秋風を感じる写真かと笑

湿度が低くなってきたせいか、やや霞みながらも、東京都心のビル群やスカイツリーも見えました。





この日、三連休の中日で好天に恵まれ、筑波山は登山・観光客ですさまじい大混雑。
道路は駐車場待ちの車が連なり車車車、午後まで大渋滞でした。
午後2時過ぎで、つくば駅から筑波山まで2時間かかると、バスを乗る時に言われたと聞きました。
また、アリのような長い行列で、細い登山道を登る登山者の様子を、SNSの写真でも見ました・・・。

しかし夜はそんな人間達の喧騒も静まり、静かな宵でしたキラキラ


【おまけ】

筑波山中禅寺の僧侶 上生庵亮盛による江戸時代中期の書『筑波山名跡誌』(文献 )には、『つくば』の語源となった伝説が書かれています。
曰く(以下書き下し文は、文献1による)

昔時(むかし)日神(にのかみ)、父母の二神を慰諭(なぐらめんが)為め故に、山上に於て(ことを)弾ず。
水波の曲に至て、鹿島の海潮、逆騰(げきとう)して山の頂にひたし(※註)著(つ)く。故に、著波と名づく。
筑(ことの)音を以(もって)海波を動ずる。故に又筑波と号也。

 ※註: 『ひたし』の字は、さんずいに、つくりは『極』の左側と同じ。

つまり、昔、神代の頃、日の神様が、父母の二神を慰めるために、山の上で『こと』(『』と書くのですね)を奏でたら、鹿島の海から潮が遡ってきて、山頂まで海の水が来た。それが『筑波』の名前の起源になった
・・・という伝説です。

』という楽器はどんな楽器だったのでしょう?
wikipediaによると、
『筑(ちく)』は、
『筑(ちく)は、古代中国の打弦楽器。現在は使われていない。 筑の形は琴に似ていたが、弾奏するのではなく、竹(「竹」と「筑」は同音)の棒で弦をたたいて音を出す
とのこと(註※※)。

文献1では、『こと』とルビを振っていますが、現在の『琴』とはかなり違う楽器のようですね。
棒でたたいて言を鳴らす・・・と、結構ワイルド?!

伝説とはいえ、鹿島の海から波が遡って(逆騰)というのは、311を経験した身として怖くなるのですが汗、現代の琴とは明らかに違う楽器ですし大丈夫ですよね、もちろんにこにこ

 註※※: 『筑状弦楽器』と呼ばれるものが、国内の古墳や遺跡でも発掘されているようです。
      中には筑状弦楽器を弾く埴輪もあるようです。
      古代の楽器、調べると面白そうですグッド


*********************************************

【参考文献】

1. 『筑波山名跡誌 安永期の貴重な地誌再現』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 (ふるさと文庫) 筑波書林 
















  

プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城



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