『おでにちさま』の飾り


先日、9月中旬ごろ、ランニングの途中で、写真のようなワラで編まれた『飾り』を見かけました。


場所はつくば市の手代木地区付近の用水池(通称:千上池)。

スマホを持って走っているので、こんな時、写真が撮れて便利ちょき

何だろう?と近づいていくと・・・






細い竹の棒が池の中に立てられ、棒の先には、帽子のような、不思議な形のワラ細工が括りつけられています。
何かのお祀りの飾りっぽい。

実は数年前も同じものが立てられているのを見て、とても不思議びっくりに思っていました。






近くの農家の方に訊いてみると・・・。

・『おでにち様』という集落の祭事の飾り。

・『おでにち様』は豊作祈願のために、大体毎年9月初旬頃、行われる。

・この辺りの地区の5か所の『つぼ(坪?)』(集落?)の中で持ち回りで、担当になったお宅で『おでにち様』の集まりがある。

・昔は手代木区内にあるお寺(遍照院)に集まって、遍照院の本堂の裏手にある仏像をお祀りしていた(その際、お顔を隠す筵も新調して編んだらしい)が、ある時からお寺で行えなくなったので、担当の家に集まってお祭りをするようになった。


なのだそうです。


また、別の方の農家の方にもお話が聞けて、

・『おでにち様』はお日様の神様で、雨乞い的な要素もあるらしい。


・わらで編んだ飾りは、昔は、俵の『ふた』を使った。
今は、俵の『ふた』の形に編んだもの。

・手代木にある千上池に竹竿を刺して、その上にわらで編んだ俵のふたを飾る。
 この飾りは、千上池1か所だけで、他には飾らない。

・『昔は水がなくて農作物が採れなくて困った地域だったので、水が得られるように、池に刺して祈願したのではないか』 とのこと。

なのだそうです。


『おでにち様』は、『お大日(だいにち)様』ではないかと思い、どちらの方にも訊いてみました、それはよくわからないそうです。

文献1で(旧)谷田部町の所を読んでみましたが、『おでにち様』らしいものは、明記されていませんでした。

でも、私の推測ですが、多分、大日如来信仰と作神信仰が混淆した、古くからの民間信仰に思えます。

文献2では、筑波山麓 真壁町にある最勝王寺の『大念仏』という祭事や、稲敷郡地方の『大日祭』から、大日如来信仰と豊作祈願の太陽崇拝が結びついている例を挙げています。

また谷田部地区には、石の板に仏像のレリーフを刻んだものが、あちこち(旧集落の集会所や神社の近く等)で見られます。
仏像は、鼻が大きい特徴的な風貌が共通しています。

文献2によると、これらは、筑波山南麓から常総地域を中心に点在しているそうで、
江戸時代初期、寛永年間のわずかな期間にだけ作られた、大日如来像だそうです。

そういう石仏が見られることもあり、多分、『おでにち様』は『お大日様』で、大日如来信仰と豊作祈願が混ざった信仰が古くから伝えられてきて、今も続いているのではないのかな・・・と思うのですが、どうなんでしょう。

ちなみに、文献1には、近くの谷田部町谷田部台町のお念仏の中に、『大日様唱え』というのがありました。
詳しい方、ご教示下さいませ。


今年の夏は記録的な酷暑が続いた上に、毎週のように台風が来るので、農産物の被害が心配です。
どうか被害が大きくならなりませんように・・・。


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【参考文献】

1.『昭和42年度 筑波研究学園都市地区 民俗資料緊急調査報告書』 茨城県教育委員会

2.『常総・寛永期の大日石仏』 徳原聰行 編著  筑波書林








  

2018年09月25日

筑波山神社 観月祭

筑波山神社 観月祭


2018年9月23日(日)秋分の日の宵、筑波山神社で観月会が行われていました。
今年で3回目だそうです。


暗闇に浮かぶ、筑波山神社拝殿。
趣きがありますね。

拝殿の中で、お琴と尺八の合奏が2時間ほどありました。
邦楽は苦手で2時間耐えられるかと・・・と内心心配でしたが、全十曲、選曲もバラエティに富み、司会をされたお琴の先生及び尺八の先生のお話も軽妙洒脱で面白く、2時間があっというまでした。



拝殿の外からは秋の虫の音が賑やかに聞こえてきて、尺八や琴の旋律とともに、秋の風情たっぷり堪能しましたハート



拝殿の正面に、秋の花草が大変美しく活けられていました。
お供えは、それぞれ三宝に載せられた、梨、お団子、そして(多分)アケビの実!









筑波山境内から見る、おぼろ月夜。
薄い雲に月の光に滲んで、その光がわずかに七色がかって美しかったです。

今年2018年は奇しくも、本日の秋分の日の翌日が、中秋の名月でした。
この日もほぼ満月。


境内のご神木の大杉(向かって右の木)の上にかからんとする、おぼろ月。
(写真はピンボケですが、雰囲気は伝わっているかと)


帰りは関東平野の夜景を見ながら山を後にしましたキラキラ



すっかり秋の風情の筑波山。
明るい時の秋の風情の景色の写真も載せますね。


同日夕方に撮った彼岸花と筑波山。西山地区にて。
向かって左の男体山、右の女体山。

彼岸花の赤い色が、木々や草の緑に映えます。







こちらは反対方向、コスモス越しに見る関東平野。同じく西山地区にて。
秋風を感じる写真かと笑

湿度が低くなってきたせいか、やや霞みながらも、東京都心のビル群やスカイツリーも見えました。





この日、三連休の中日で好天に恵まれ、筑波山は登山・観光客ですさまじい大混雑。
道路は駐車場待ちの車が連なり車車車、午後まで大渋滞でした。
午後2時過ぎで、つくば駅から筑波山まで2時間かかると、バスを乗る時に言われたと聞きました。
また、アリのような長い行列で、細い登山道を登る登山者の様子を、SNSの写真でも見ました・・・。

しかし夜はそんな人間達の喧騒も静まり、静かな宵でしたキラキラ


【おまけ】

筑波山中禅寺の僧侶 上生庵亮盛による江戸時代中期の書『筑波山名跡誌』(文献 )には、『つくば』の語源となった伝説が書かれています。
曰く(以下書き下し文は、文献1による)

昔時(むかし)日神(にのかみ)、父母の二神を慰諭(なぐらめんが)為め故に、山上に於て(ことを)弾ず。
水波の曲に至て、鹿島の海潮、逆騰(げきとう)して山の頂にひたし(※註)著(つ)く。故に、著波と名づく。
筑(ことの)音を以(もって)海波を動ずる。故に又筑波と号也。

 ※註: 『ひたし』の字は、さんずいに、つくりは『極』の左側と同じ。

つまり、昔、神代の頃、日の神様が、父母の二神を慰めるために、山の上で『こと』(『』と書くのですね)を奏でたら、鹿島の海から潮が遡ってきて、山頂まで海の水が来た。それが『筑波』の名前の起源になった
・・・という伝説です。

』という楽器はどんな楽器だったのでしょう?
wikipediaによると、
『筑(ちく)』は、
『筑(ちく)は、古代中国の打弦楽器。現在は使われていない。 筑の形は琴に似ていたが、弾奏するのではなく、竹(「竹」と「筑」は同音)の棒で弦をたたいて音を出す
とのこと(註※※)。

文献1では、『こと』とルビを振っていますが、現在の『琴』とはかなり違う楽器のようですね。
棒でたたいて言を鳴らす・・・と、結構ワイルド?!

伝説とはいえ、鹿島の海から波が遡って(逆騰)というのは、311を経験した身として怖くなるのですが汗、現代の琴とは明らかに違う楽器ですし大丈夫ですよね、もちろんにこにこ

 註※※: 『筑状弦楽器』と呼ばれるものが、国内の古墳や遺跡でも発掘されているようです。
      中には筑状弦楽器を弾く埴輪もあるようです。
      古代の楽器、調べると面白そうですグッド


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【参考文献】

1. 『筑波山名跡誌 安永期の貴重な地誌再現』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 (ふるさと文庫) 筑波書林 
















  

2018年09月12日

石岡駅の忠犬タロー像

石岡駅の忠犬タロー像


今更ながらですが、2018年は戌年。
2018年も9月に入り、残り4カ月弱ですが、せっかくの戌年ですので、
茨城県内に伝わる、犬にちなむ昔話・伝説と、そこにちなむ土地をいくつか訪ねた報告をしますちょき

茨城県内の犬の伝説といえば、まず頭に浮かんだのが、
つくばみらい市にある板橋不動尊に伝わる、白犬伝説

板橋不動尊が、安産子育てのご利益で有名になっている、その元となる伝説です。

この白犬伝説については、以前、詳しく書いたので、
   豆電球春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)ちょき


で今回は、昔話といっても昭和の時代、つまり現代に入ってからのお話です。

石岡駅前犬の像があるのをご存知ですか。
これは、昨年2017年4月に完成した、『忠犬タロー像』です。


石岡駅西口にある、忠犬タロー像 = 『みんなのタロー』像。

子供2人と一緒に佇むワンコが可愛いハート



この忠犬タローについては、『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』(参考文献1)に、当時を知る人々へのインタビュー、回想や、平成に入っての後日談などもあって、大変詳細に書かれています。

他にも、いくつか新聞記事(参考サイト1、2、3)にもなったので、ご存じの方も多いかと思います。
※新聞記事、特に参考サイト1(産経新聞)、2(茨城新聞)は、かなりはしょった内容なので、上記の参考文献1および参考サイト3(朝日新聞)記事をもとに、概要を書くと、

昭和39年頃、一匹のワンコが、石岡市立東小学校に迷い込み、用務員さんを中心に小学校で飼われた(たぶんその時タローと名付けられた?)。
タローは、それから17年間、毎日朝夕、石岡駅に通い続けた(石岡駅に通って駅にいることで、「飼い主を待っている」と人々に考えられた?)。


通い始めてから10年ほど経ってから、評判になり、週刊誌やテレビでも取り上げられるようになった。 

後日談として、平成に入り、自分が園児だった時に、電車で一緒に通園していた(いい時代です(^^))ある日、石岡駅で はぐれた飼い犬(名前:コロ)でないかと名乗る女性が出て、時期と場所が比較的合致するため、タローはコロではないかと言われるようになった。

渋谷の有名な忠犬ハチ公を髣髴させられる話ですが、悲しいハチ公の話と違うのは、タローは小学校で飼われ、石岡の町の人々に可愛がられ、小学校で、(推定)18年の天寿を全うしたということ。


東京の雑踏・渋谷と違い、のんびりした石岡の、しかも昭和40年代から50年代のゆる~い時代の、心がぽかぽかするお話ですキラキラ

それにしても、現代の超~過保護・・・ゴホゴホ・・・いえ、大事にされている室内犬と違い、当時の犬の17才~18才って、すごい長生きですよね!びっくり

学校で飼われていたので、夜は学校で寝て、昼間は石岡駅まで通っていたとか、夏は駅前のスーパーの涼しい処で涼んでいたとか、微笑ましいやら、たくましいやら(^^)グッド
(現在だとすぐに保健所行きになってしまいますが)

ところで、文献1によると、昭和39年当時、学校に迷い込んだタローの状態は、首輪や針金(!)が首に食い込み、化膿していたそうです泣
つまり、ひどい状態で飼われていたか、逃げ出した後、成長するくらい日が経っていたことになります。

なので、文献1や参考サイト3で紹介されている、平成に入っての後日談(当時の女の子飼い犬)のコロとタローは違う犬なのではないかなと、私は感じます。
理由は、首輪や針金が化膿するまで食い込むような飼い方していたとは考えにくいからです。

また、昭和の当時、野良犬や放し飼いの犬は多かったので、時期と場所と犬のおおまかな特徴が一致しているだけでは、タロー=コロ とはならないように思うのですが。
・・・でも、はぐれたワンコが可愛がられて天寿を全うしたと信じたいですよね(気持はすごくわかります)。

タローは実のところ、小学校で飼われて子供たちと遊び、学校の給食の残りを食べて楽しく暮らしているうちに、本当の飼い主(ひどい状態で放し飼いしていた大人だと私は思います)は、忘れたんだと思います。

そして、1日2回散歩&日勤(?)で石岡駅に通い、駅でも人々に可愛がられ、町の人にも何気にに見守られ、いきつけのお店もあったり(^m^)で、夜は小学校の構内で眠る。

犬としては超~長生きしたタローは、(推定)18年間、素晴らしく幸せな一生だったと思います笑

なお、もちろん犬の放し飼いを推奨するわけではありません。
21世紀になり平成も終わろうとする現代では、飼い犬はちゃんと家で繋ぐか室内犬として飼うのは常識です。
 (ちなみにうちのおばあちゃんワンコも室内犬・・・遊んでくれる人が少ないので、タローより幸せかどうかは、ちょっとわかりませんが汗(^^;))

でも、石岡の『忠犬タロー』の話は、ゆるくも温かい、当時の石岡の町の雰囲気と人々のまなざしが伝わってくるお話で私も好きですし、それを伝えるのが駅前のタロー像。



子供とタローの姿が本当に微笑ましい像。
撫でたくなります(*^^*)









角度を変えた写真。
この角度の方が、タローの表情が分かりやすいかな笑

タローが生きていた昭和40年代50年代とは、駅前の様子はかなり変わったことでしょう。







道路側からみると、タローは駅の方向を見ているのがわかります。

で、現在の石岡駅舎には筑波山の絵が描かれているので、タローと子供たちは、奇しくも筑波山を見ているようにも見えますね♪ハート







像の後ろには、忠犬タローの物語も彫られています。


そのタローの、たくましく幸せで長生きな一生にあやかるためキラキラにも、石岡駅西口の忠犬タロー像を、おがみにいくのも良いかも知れません♪ちょき



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【参考文献】
1.『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』 今泉文彦著 茨城新聞社

【参考サイト】
1.産経新聞記事
「忠犬タロー物語」後世に 石岡駅前に銅像完成 茨城 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/region/news/170416/rgn1704160020-n1.html

2.茨城新聞記事
忠犬タローおかえり 石岡駅広場で像除幕
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14922495530326

3.朝日新聞記事
45年越しの待ち人 タローは駅に通い続けた
http://www.asahi.com/special/080804/TKY200906190306.html


  

結城と福井を繋ぐ伝説と信仰―猫塚伝説と袋羽神―


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今年の夏は全国的に自然災害が多いですが、今週に入ってからは、台風21号による関西方面の被害に加え、北海道の大地震まで起きてしまいました。
被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、一刻も早い復旧を切に願います。

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さて、だいぶ以前になりますが、文献1を読んでいる時に、下記のような話を見つけました。

猫塚伝説
―あらすじ―

江戸時代の初めごろ、越前国(今の福井県福井市)に、川澄角平という片目の武士がいた。

ある時、江戸勤めになり、妻子が留守を守っていたある日、ひょっこり角平が帰ってきた。
しかし、『内密に帰ってきたので、親類や近所に知らせてはいけない』という。
ちょうど、料理しようとしていた鯉があったので、その鯉料理を出す時に、妻は角平がおかしいのに気づいた。
角平はもともと右目がつぶれていたが、「江戸から帰ってきた」という角平は左目がつぶれている。
角平の妻が人をやって弟に連絡をし、戻ってくると、男は逃げた後だった。
鯉を食べるためにタヌキが化けていた。

さて、角平が本当に江戸から帰ってきて何年か経ったある日のこと。今度は瓜二つの女房が二人いるという事件が起きた。二人とも声も所作も全く同じで、見分けがつかない。
そこで角平は自分の故郷 結城の産土神の袋羽神を勧請し、祈った

ある夜、酒を飲みながら二人の女房を見ていると、ハエが飛んできて、一人の方の耳に止まった。するとその耳がピクピクと動いたので、化けものだと分かり、角平が切りつけると、それは年を経た大きな猫だった。
角平は化け猫を葬って、その上に衣羽(袋羽)大権現を祀った。


話の前半と後半は違うエピソードです。

で、私が注目したいのは、後半のエピソードに出てくる
故郷 結城 の産土神』の
衣羽(袋羽)神』です。
衣羽(衣羽)は、『ほろわ』と読むそうです。


【歴史~結城と福井の繋がり】

ここでまず、川澄角平さんの故郷が、(現在の茨城県の)結城であるということについて、考えてみます。

物語の時代 『江戸時代初めごろ』 に注目。

下総国結城(現在の茨城県結城市)の大名だった結城秀康は、江戸時代初め、越前国北庄(現在の福井県福井市)に移り住みます。 そして、越前北ノ庄藩初代藩主、越前松平家宗家初代となります(Wikipediaより)。

たぶん、川澄角平という人は結城家の家臣で、共に越前国に移ったのでしょう。
だから、家で起きた怪奇現象の時に、自分の故郷の神様だった『袋羽神』に祈ったのですね豆電球

福井県に伝わる伝説ですが、その中にある『故郷の結城の産土神に祈った』という一文に、戦国時代終りから江戸時代初期の頃の地方史と当時の信仰が見えて、とても面白いです。


【袋羽神とは】

ほろわ』の字は、『袋羽』と書いたり『衣羽』と書いたりするようです。
伝説では『袋羽』で、現在ある神社の額は『衣羽』になっています。

結城地方に同様の伝説がないか、また、ほろわ/袋羽神についての信仰・風習があるかについて、地図や文献でも調べているうちに、『ほろわ(ほろは)』について詳しく調査された方の論文(文献2、3)を見つけました。

それによると、『ほろわ(ほろは)神』は、東日本、特に東北から茨城にかけてかつて信仰されていた神様だったようです。

また茨城県内の『ほろわ(ほろは)』にまつわる神社等を詳細に調べられていて、結城市付近にはないようですが、筑波山の近く、つくば市北条にある八坂神社の境内社に、保呂羽(ほろは)神社があるとのこと。

川澄角平さんが結城に住んでいた時代(戦国時代終り~江戸時代初期)には、まだ『ほろわ神』信仰が続いていたのでしょう。

東日本の失われた民間信仰の痕跡が、遠く北陸の福井県の昔話に伝わっているのも面白いです!o(^o^)oワクワク。


【猫塚と袋羽/衣羽(ほろわ)神社】


さて、猫塚伝説の伝わる袋羽/衣羽(ほろわ)神社は、現在、福井市内にある神明神社という神社さんの境内に、合祀される形であります。

先月7月に、福井県福井市の方に行く機会がありましたグッドので、猫塚伝説が伝わる袋羽(衣羽)神社がある、神明神社を訪れました(^^)v。






神明神社 拝殿
大きな神社さんです。









神社の境内に、3つの摂社を合祀したお社(合祭殿)があり、その中に袋羽神社もありました。
こちらの神明神社さんのHP(http://www.shinmei-jinja.jp/yurai/ )によると、ご祭神は『袋羽大神』とのこと。







合祀されたお社の額。
向かって一番左に『衣羽神社』の文字が。










中に入ると説明版がありました。

袋羽神社(猫塚さん)
古くは「正保二年(一六四五年)三月吉祥日施主川澄角平興勝」の銘あり。天保・弘化の頃より庶民の信仰得て諸願成就の奇瑞あり。
「袋羽大神」は妻に化けた猫を退治した川澄角平が願を懸けた郷里・結城の産土、袋羽神を称えて建立したものと伝えられている。
現在も「猫塚さん」の名で親しまれ。子供の夜泣平癒に霊験があり、鰊(にしん)をそなえ、絵馬を掲げて子供の無事成長を祈願する人の参拝が絶えない。


とのこと。

説明板の隣には、サンマを奉納するための立派な木製の箱もありました。
傍には同じく木製の板に書かれた
お子様の夜泣き平癒お詣りの方は この中に「にしん」をお供えください。絵馬は社務所でお受けください
の添え書きも。


『招き猫』が描かれた絵馬もたくさん奉納されていました。
赤ちゃんの夜泣きなどに霊験あらたかとのことで、お参りしました(^^)

それにしても、

・退治された化け猫
・退治した(であろう)袋羽神

が習合して、
・『子供の夜泣きに効く』
という信仰に繋がった


その経緯にも、興味がわきます♪豆電球

そして現代では、化け猫ちゃんは、『招き猫』の絵柄になって絵馬に描かれている・・・というのも、日本の信仰っぽくて興味深いですにこにこ

せっかく来ることが出来たので、お守り購入とご朱印も頂きたかったのですが、社務所に行って呼び鈴を鳴らしてもどなたも来られず汗、電車の時間も迫っていたので、そちらは泣く泣くあきらめました泣・・・(拝殿でお祓いをされていたようなので、そちらでお忙しかったのかもしれません)。


【養蚕と猫と信仰】

文献2,3 によると、『ほろわ』の語源はいろいろ考えられるようで、どういった神様だったかも不明のようですが、『ほろわ』に当てられた『袋羽』や『衣羽』という字に、繭を作り絹を生む『蚕』を連想しませんか? 

私の勝手な想像ですが、養蚕業や織物が盛んな土地に伝わった『ほろわ神』は、養蚕の神様にもなって、『袋羽』や『衣羽』という字が当てられた・・・という可能性はありませんかねぇ(^^)。
(文献1でも触れられていますが、絹織物『羽二重』で有名な福井も、昔から絹織物で有名な地域です。)

そして茨城県結城市は、いわずと知れた絹織物の結城紬で有名。
一帯は養蚕業が古くから盛んでした。

養蚕業が盛んだった土地では、蚕の天敵の鼠を食べる猫が大事にされていたと聞きます。
なので、猫を祀るところもあるそうです。
なので、結城付近にも、蚕を(鼠から守る)猫を祀る祠やお社があってもよさそうなのですが、どうもない(今はない?)ようです。

結城地方に伝わる昔話に、猫の伝説はないかな?と、探していたら偶然にも結城に伝わる『ねこづか』伝説がありました!(文献4)
しかも、こちらも化け猫!びっくり

結城の『猫塚』伝説は、
お寺のお葬式で、遺体をくわえて逃げようとした黒猫の化け物を、和尚さんが斬りつける話。
逃げた化け猫が残した爪を集めて埋めた『ねこづか』が昔あったとのこと。


・・・残念ながら、福井の猫塚伝説とは直接関係はなさそうです・・・。

それにしても、羽二重の里の福井でも、結城紬の里の結城でも、お蚕さんを守るニャンコではなく、化け猫伝説なんですねぇ(^m^)。

・・・話が脱線しました(^^;)
養蚕に関する信仰に話を戻します。

結城からもよく見える筑波山の山麓には、絹織物の神様を祀る 蚕影山神社があります。
絹織物が一大産業だった明治時代から昭和の中ごろまでは、蚕影山神社には多くの参拝者が訪れて大変賑わったと聞きます。

そして、全国(特に関東甲信地区)には、この蚕影山神社を分祀した『蚕影神社』が建てられたそうです。

ちなみに以前書いた記事:
豆電球東京・立川の『猫返し神社』と筑波山麓の関係!

にある、東京の立川市の蚕影神社は、阿豆佐味天(あずさみてん)神社、通称:立川水天宮の敷地の中にある境内社です。
もともとは直接『蚕―鼠―猫』繋がりはなく、現代になり偶然のきっかけで『猫の神様』的神社になっていますが、本来は蚕の神様を祀る蚕影神社です。

残念ながら・・・といいますか、総本社の蚕影山神社には、猫にまつわる伝説も信仰も伝わっていないのですが、こう見ていくと、日本の信仰って、とても面白いですね(^^)


【おまけ】

あと、もうひとつ、結城―福井の歴史的繋がりには、つくば関わりがありますグッド

先日のNHKの番組『歴史ヒストリア』でも、『戦国最弱(?)の大名にして『戦国の不死鳥』の異名を持つ』と紹介された、最近人気上昇中?!の小田氏治も、結城秀康とともに越前国に移り住み、そこで亡くなっています。

小田氏の居城だった小田城址歴史ひろばについても、以前書いた記事
 豆電球小田城跡歴史ひろば” の歩き方(入門編)

そして、福井の郷土料理と結城の郷土料理を融合させたみた 創作料理
 豆電球【家庭で堪能!おいしい 茨城&つくば(87)】 結城&福井の郷土食コラボ♪ すだれ麩ときゅうりの胡麻からし酢味噌和え

も良かったらお読み頂き、旅とグルメのご参考に(^^)vちょき


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【参考文献】

1.「妖怪ウォーカー」 村上健司 著 角川書店

2.「袋羽明神とホロハ塚」 徳原聡行 著 (茨城民俗学会誌 第26号 p.46-p.48)

3.「『ほろわ』考」 徳原聡行 著 (常総の歴史 第2号 p.82-p.90) 

4.民話「ゆうき」 結城市教育委員会





  

筑波山神社 ご神橋の修理工事


筑波山神社のホームページ( http://www.tsukubasanjinja.jp/ )には記載はない(H30年8月19日現在)ようですが、
茨城県指定文化財でもある、ご神橋が修理工事中です。


掲示された看板によると、工事期間は、
平成30年5月23日~平成31年10月31日
とのこと。

ということは、1年以上後の
来年の11月1日の秋の御座替祭に
きれいになった姿キラキラが見られる
ということですね。





脇に寄せられた、橋の周りの奉納の石柱の数々。










・・・でもせっかく筑波山神社に行ったのに、来年の秋まで見られないじゃないの泣
・・・という方、工事施工の看板に注目!

工事をしているのが、『金剛組』!

こちらの会社、寺社建築専門であり、創業が飛鳥時代 西暦587年!
 詳細: 金剛組ホームページ http://www.kongogumi.co.jp/index.html

578年といえば、聖徳太子の時代ですよっ!びっくり

上記の同社ホームページによると、2006年からは『株式会社高松コンストラクショングループの一員とのことですが、それにしても、日本最古の、一説によると世界最古の会社。

さすが、茨城県指定文化財の修繕工事です。

ご神橋の姿は来年2019年(11月は『平成』ではありませんね)の秋までお預けですが、この看板は一見の価値がある!かもしれませんちょき



でも工事中の覆いに囲まれた姿はさみしいので、
工事の2か月程前、今年2018年3月上旬撮影した ご神橋の写真の掲載しますね笑

まずは鳥居をくぐって見えてくる姿。
(この記事冒頭の、工事中の写真と見比べてみて下さいね♪)








正面から近づいて、天井方向を見たところ。
(2018年3月上旬撮影)











脇から見た姿。
こうやって見ると綺麗ですねハート
(2018年3月上旬撮影)








このご神橋は、
寛永十年(1633年)三代将軍 徳川家光が寄進
元禄15年6月(1703)五代将軍綱吉が改修

(筑波山神社ホームページ 「みどころ」ページ http://www.tsukubasanjinja.jp/guide/midokoro.html より)
とのこと。 

修繕工事が終わったら、きっと江戸時代初期から中期の頃のような、鮮やか姿になってお目見えするのかなキラキラ

その時を楽しみにしていましょう♪







  

プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城



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