2024年02月19日
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
茨城県南西部から千葉県北部が舞台の落語 『紋三郎稲荷』 (文献1)。
紋三郎稲荷とは、笠間稲荷の別名です。
その舞台を訪ねる旅です。
前回 は、主人公の笠間藩牧野家の家臣 山崎平馬が、取手から利根川を渡り、渡った跡から駕籠に乗って、駕籠屋の誤解を利用しながら、途中の茶屋で稲荷寿司など食べるところまで、たどりました。
以前書いた記事
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
今回は、話の後半の松戸宿までをたどります。
(このページの写真は全て、2024年1月上旬に撮影)
(3)小金宿
さて、我孫子宿跡を後にして、駕籠ならぬ車で一路、小金宿=JR常磐線 小金駅に向かいます。
落語 『紋三郎稲荷』 では小金宿は出てきませんが、通過地点(もしくは立ち寄った茶屋があった場所?)ということで、立ち寄りました。
小金はあのドラッグストアチェーンのマツモトキヨシの発祥の地です。
『小金宿』の碑の背景に、マツモトキヨシの店舗があるのが、さすがです
ちなみに、マツモトキヨシの店舗はこのすぐ近くにももう1件ありました。
さすが、発祥の地♪
宿場町の通り沿いに名刹の東漸寺。
境内の大きな木々が、ここが宿場町だったという歴史を感じさせてくれます。
凜とした佇まいに惹かれて、境内に入ってお参りさせて頂きました。
浄土宗の関東十八檀林の一つとのこと。
広い境内なる風格ある建物に身が引き締まりながらも、山門までの参道には、ところどころ、とても可愛らしいお地蔵様がおられて、ほっこり優しい気分になるのも素敵。
東漸寺も面する旧道は、旧水戸街道です(文献2)。
そしてこの通りに沿って、歩道に灯りが点在して並べられていました。
夜に点灯すると、とても趣きがありそう。
小金宿の本陣跡は、旧道から入った住宅街にありました。
江戸時代、東漸寺敷地の一角だっだそう。
さて、この落語のお話の最終地点、松戸宿に向かいます。
(4) 松戸宿
落語では、松戸に到着した駕籠屋は、『笠間稲荷のお使い狐である』平馬を一番良い宿、つまり陣屋に案内します。
笠間稲荷を深く信心している主人の高橋清右衛門、大変喜んで平馬を迎え、粗相があってはならぬと自ら、平馬をもてなします。
平馬は内心焦りながらも、笠間稲荷のお使い狐を演じ続けます。
お稲荷様ということで、夕食に油揚げ稲荷寿司を出そうとする主人に、平馬は『自分は身分が高いキツネなので、油揚げなど食べず、鯉こくや鯰なべなどが良いと、美味しいお酒と一緒に所望します。
そのうち、噂を聞きつけた近所の人たちが、一目ありがたい笠間稲荷のお使いを拝もうと、閉まっている襖の隣の部屋に集まって来て、拝み出したり、襖を細めに開けてお賽銭のおひねりをどんどん投げ込んできます。
だんだん困ってきた平馬は・・・
ネタをバラすのは野暮というもの。
あとは本物の落語でお楽しみ下さい。
さて聖地巡りも終盤。
松戸宿=JR常磐線の松戸駅周辺に来ました。
松戸本陣跡
明治2年、松戸本陣から出火し、折からの風で、宮前町、角町など、丸焼けになったとのこと(文献2)。
消失した本陣は、すぐに立て直されたものの明治維新になり、本陣として使われることはなかったとのことです(参考文献3、参考サイト2)。
その建物も個人のお宅として残っていたそうですが、2004年に老朽化のため取り壊されたとのこと(参考文献3、参考サイト2 より)。
今は写真のような説明書きのある石碑があるのみです。
落語 『紋三郎稲荷』(文献1)では、松戸本陣の主人は『高橋清右衛門』となっています。
本サイトで参考にした『新編 旧水戸街道繁盛記』(文献2)では、『松戸市史』からの引用として、松戸村の最初の本陣は吉岡隼人という人の屋敷に設けられたそうです。吉岡家は宝暦三年(1753年)まで代々本陣と名主・問屋を兼務していたそうですが、何らかの理由で罷免され、その後は伊東宗蔵という人が人々に推挙されて本陣経営し、宝暦末(1760年)以降は、『名主と問屋は、宗蔵と倉田次郎右衛門の二名で運営されたという』(文献2)とのこと。
・・・本陣はまた別の人が経営した用に読めますが、伊東家がそのまま経営したのか、落語にあるように高橋家が経営したのか?
松戸神社
落語では松戸神社は出てきませんが、本陣跡近くにある大きな神社です。
今回は駆け足旅だったので、松戸神社にお詣り出来ませんでした。
松戸神社は江戸時代までは『御岳大権現』と呼ばれていた、仏教の影響を受けた信仰の場だったそう。修験道系だったのでしょうか。
ところで、この御岳大権現(現 松戸神社)をはじめ、松戸にはいくつか水戸光圀さんが関わる伝説が残っているとのこと(参考サイト3)。
・・・いろいろ出かけては、何かやらかしている黄門さんであります(^^;)。
松戸駅周辺も開発されて、当時の趣もほとんどありませんが、それでもそれでも時代を感じさせる建物も点在しています。
本当なら松戸のあたりで、ランチで、鯉こくや鯰なべなど食べられる川魚料理のお店が見つけられたら良かったのですが、見つけられず…残念。
また調べると、松戸でも最近、地酒が売り出されていることを知りました。
この時は買えなかったので、また近いうちに購入出来たら、松戸付近ではありませんが、茨城の自宅で、鯉やナマズ料理を食べながら、松戸の地酒で一杯やりたいと目論んでます。
さて、次回は、落語では語られていない笠間から取手までの道中を考えてみます。
続きます。
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (三)
*****************************
【参考文献】
1. 『古典落語大系 第五巻』 江國茂・大西信行・永井啓夫・矢野誠一・三田純一 編著
三一書房
p.156~ 『紋三郎稲荷』
2.『新編 旧水戸街道繁盛記』 山本鉱太郎 崙書房出版
3.『松戸宿の今と昔』 松戸よみうり 2022年10月25日
【参考サイト】
1. 松戸市観光協会 サイト
松戸本陣跡
2.WEB松戸よみうり
NEWS / WEB松戸よみうり / 歴史 / 第854号(2020年10月25日)
松戸宿の今と昔
https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=4629
3.WEB松戸よみうり
NEWS / WEB松戸よみうり / 歴史 / 第849号(2020年5月24日)
松戸の黄門伝説
茨城県南西部から千葉県北部が舞台の落語 『紋三郎稲荷』 (文献1)。
紋三郎稲荷とは、笠間稲荷の別名です。
その舞台を訪ねる旅です。
前回 は、主人公の笠間藩牧野家の家臣 山崎平馬が、取手から利根川を渡り、渡った跡から駕籠に乗って、駕籠屋の誤解を利用しながら、途中の茶屋で稲荷寿司など食べるところまで、たどりました。
以前書いた記事
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
今回は、話の後半の松戸宿までをたどります。
(このページの写真は全て、2024年1月上旬に撮影)
(3)小金宿
さて、我孫子宿跡を後にして、駕籠ならぬ車で一路、小金宿=JR常磐線 小金駅に向かいます。
落語 『紋三郎稲荷』 では小金宿は出てきませんが、通過地点(もしくは立ち寄った茶屋があった場所?)ということで、立ち寄りました。
小金はあのドラッグストアチェーンのマツモトキヨシの発祥の地です。
『小金宿』の碑の背景に、マツモトキヨシの店舗があるのが、さすがです
ちなみに、マツモトキヨシの店舗はこのすぐ近くにももう1件ありました。
さすが、発祥の地♪
宿場町の通り沿いに名刹の東漸寺。
境内の大きな木々が、ここが宿場町だったという歴史を感じさせてくれます。
凜とした佇まいに惹かれて、境内に入ってお参りさせて頂きました。
浄土宗の関東十八檀林の一つとのこと。
広い境内なる風格ある建物に身が引き締まりながらも、山門までの参道には、ところどころ、とても可愛らしいお地蔵様がおられて、ほっこり優しい気分になるのも素敵。
東漸寺も面する旧道は、旧水戸街道です(文献2)。
そしてこの通りに沿って、歩道に灯りが点在して並べられていました。
夜に点灯すると、とても趣きがありそう。
小金宿の本陣跡は、旧道から入った住宅街にありました。
江戸時代、東漸寺敷地の一角だっだそう。
さて、この落語のお話の最終地点、松戸宿に向かいます。
(4) 松戸宿
落語では、松戸に到着した駕籠屋は、『笠間稲荷のお使い狐である』平馬を一番良い宿、つまり陣屋に案内します。
笠間稲荷を深く信心している主人の高橋清右衛門、大変喜んで平馬を迎え、粗相があってはならぬと自ら、平馬をもてなします。
平馬は内心焦りながらも、笠間稲荷のお使い狐を演じ続けます。
お稲荷様ということで、夕食に油揚げ稲荷寿司を出そうとする主人に、平馬は『自分は身分が高いキツネなので、油揚げなど食べず、鯉こくや鯰なべなどが良いと、美味しいお酒と一緒に所望します。
そのうち、噂を聞きつけた近所の人たちが、一目ありがたい笠間稲荷のお使いを拝もうと、閉まっている襖の隣の部屋に集まって来て、拝み出したり、襖を細めに開けてお賽銭のおひねりをどんどん投げ込んできます。
だんだん困ってきた平馬は・・・
ネタをバラすのは野暮というもの。
あとは本物の落語でお楽しみ下さい。
さて聖地巡りも終盤。
松戸宿=JR常磐線の松戸駅周辺に来ました。
松戸本陣跡
明治2年、松戸本陣から出火し、折からの風で、宮前町、角町など、丸焼けになったとのこと(文献2)。
消失した本陣は、すぐに立て直されたものの明治維新になり、本陣として使われることはなかったとのことです(参考文献3、参考サイト2)。
その建物も個人のお宅として残っていたそうですが、2004年に老朽化のため取り壊されたとのこと(参考文献3、参考サイト2 より)。
今は写真のような説明書きのある石碑があるのみです。
落語 『紋三郎稲荷』(文献1)では、松戸本陣の主人は『高橋清右衛門』となっています。
本サイトで参考にした『新編 旧水戸街道繁盛記』(文献2)では、『松戸市史』からの引用として、松戸村の最初の本陣は吉岡隼人という人の屋敷に設けられたそうです。吉岡家は宝暦三年(1753年)まで代々本陣と名主・問屋を兼務していたそうですが、何らかの理由で罷免され、その後は伊東宗蔵という人が人々に推挙されて本陣経営し、宝暦末(1760年)以降は、『名主と問屋は、宗蔵と倉田次郎右衛門の二名で運営されたという』(文献2)とのこと。
・・・本陣はまた別の人が経営した用に読めますが、伊東家がそのまま経営したのか、落語にあるように高橋家が経営したのか?
松戸神社
落語では松戸神社は出てきませんが、本陣跡近くにある大きな神社です。
今回は駆け足旅だったので、松戸神社にお詣り出来ませんでした。
松戸神社は江戸時代までは『御岳大権現』と呼ばれていた、仏教の影響を受けた信仰の場だったそう。修験道系だったのでしょうか。
ところで、この御岳大権現(現 松戸神社)をはじめ、松戸にはいくつか水戸光圀さんが関わる伝説が残っているとのこと(参考サイト3)。
・・・いろいろ出かけては、何かやらかしている黄門さんであります(^^;)。
松戸駅周辺も開発されて、当時の趣もほとんどありませんが、それでもそれでも時代を感じさせる建物も点在しています。
本当なら松戸のあたりで、ランチで、鯉こくや鯰なべなど食べられる川魚料理のお店が見つけられたら良かったのですが、見つけられず…残念。
また調べると、松戸でも最近、地酒が売り出されていることを知りました。
この時は買えなかったので、また近いうちに購入出来たら、松戸付近ではありませんが、茨城の自宅で、鯉やナマズ料理を食べながら、松戸の地酒で一杯やりたいと目論んでます。
さて、次回は、落語では語られていない笠間から取手までの道中を考えてみます。
続きます。
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (三)
*****************************
【参考文献】
1. 『古典落語大系 第五巻』 江國茂・大西信行・永井啓夫・矢野誠一・三田純一 編著
三一書房
p.156~ 『紋三郎稲荷』
2.『新編 旧水戸街道繁盛記』 山本鉱太郎 崙書房出版
3.『松戸宿の今と昔』 松戸よみうり 2022年10月25日
【参考サイト】
1. 松戸市観光協会 サイト
松戸本陣跡
2.WEB松戸よみうり
NEWS / WEB松戸よみうり / 歴史 / 第854号(2020年10月25日)
松戸宿の今と昔
https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=4629
3.WEB松戸よみうり
NEWS / WEB松戸よみうり / 歴史 / 第849号(2020年5月24日)
松戸の黄門伝説
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