【茨城こんなもの見つけた♪(50) 】 筑波山麓めぐりの手ぬぐい&大御堂の手ぬぐい


季節柄やご当地もの柄の手ぬぐいが好きで、壁飾りにもなるし、つい買ってしまう かるだもん です笑

筑波山関係でも、過去にこんなデザインの手ぬぐいを見つけて、当ブログでも紹介しておりますハート

豆電球 【茨城 こんなもの見つけた!(10)】 つくば・北条ふれあい館 てぬぐいなど

豆電球 【茨城こんなもの見つけた♪(43)】 『筑波山の自然』の手ぬぐい

手ぬぐい好きの同好の士の皆さま、また ちょっとおしゃれで変わったお土産・グッズを探しておられる皆さまに、またまた筑波山にちなむ素敵なデザインの手ぬぐいを見つけましたので、ご紹介しますちょき


(1) 『筑波山麓歴史めぐり』 手ぬぐい




デザインももちろんおしゃれで素敵なのですが、個人的にすごく気に入ったのが、つくば市だけでなく隣の桜川市の歴史巡り、見どころも描かれていることですキラキラ
手ぬぐいに同封された説明書きに 「企画・販売 Ks GRAPHIC」と書かれています。
地元つくば市にあるデザイン会社さんとのこと。

この手ぬぐい、筑波山大鳥居と筑波山神社をつなぐ道沿いに新しく出来た BaSE877 というお店で見つけ、一目見て気に入って購入しました。




更に素晴らしいのは、描かれた絵の説明書きも同封されていること!

観光案内でよくあるのが、自治体ごとにバラバラとある情報提供。
自治体としては、そして各観光地としては、自分のところに来て欲しい(お金を落として欲しい・・・)という事情はあるでしょう。
でも、それは地元の勝手な事情であり、訪れた人にとっては、大変不親切ぷんぷん
正直、セコい大人の事情汗

そんな、せせこましい事情に風穴を開けるような、好企画の『筑波山麓歴史めぐい』の手ぬぐい!!

筑波山、筑波山系、筑波山系山麓全体が、繋がった文化であり、歴史なのですから!

そしてそれは、筑波山地域ジオパークの理念にもかなうデザインといえましょうちょき

願わくはこれに続いて、つくば市・桜川市の歴史めぐり だけでなく、他にも筑波山地域を囲む、笠間市、石岡市、かすみがうら市、土浦市の 筑波山麓歴史巡り シリーズの手ぬぐいが生まれて欲しいですキラキラ




我が家の壁が白いので、残念ながら分かりにくくて申し訳ないのですが汗
手ぬぐいって、おしゃれな壁飾りになりますハート

ただこの手ぬぐい、めっちゃ素敵なデザインなのですが、贅沢をいえば、上下に多少余白を作ってくれると、このように棒につるして飾るときに、
上下が欠けないで見せることができます。
(写真のものには、下の棒はつけていませんが、下にも重しのように棒をつけることで、しわを伸ばしてしゃんとさせて見せることが出来ます)

手ぬぐいディスプレイ用の額縁に入れる分には、今のサイズぴったりの絵でも良いのですが、もっとお手軽に飾れるように、上下の余白が欲しいのです。
同様の手ぬぐいデザインをされる方、その辺りのご考慮頂けると幸いですにこにこ


(2)大御堂の手ぬぐい




筑波山を背にした大御堂
(2021年7月撮影)

板東三十三観音の第二十五番札所の、大御堂。
東京にある護国寺の別院であり、元は、江戸時代まで現在の筑波山神社にあった筑波山知足院中禅寺の流れをくむお寺。

ご本尊の千手観音菩薩像は、昭和13年に筑波山を襲った山津波で流されながらも、奇跡的に無傷で発見された奇跡の観音菩薩様です。

新しく建て替えられた本堂が2020年に完成し、広々とした立派な階段も作られ、筑波山を背景に、いにしえの姿を彷彿させてくれるようですキラキラ

その大御堂にお参りしたときに、本堂内の寺務所で御札の傍らに置かれているこの手ぬぐいに気づきました。



白地に濃紺。シンプルにして、味わい深い筑波山をかたどった線画。
右(手前)が女体山、左(奥)が男体山を描いているのかと思います。

ちなみに筑波山系の宝篋山(小田山)の山頂付近から観た筑波山が、山頂付近がこんな風に見えますよね笑
豆電球ご参考 → 宝篋山登山 『常願寺コース』~『小田城コース』 を歩く

書かれている詩は、大御堂の御詠歌
大御堂 かねは筑波の峯にたて かた夕暮れに 國ぞ恋しき

これぞ昔ながらの、筑波山の手ぬぐいハート
という感じですし、見ていると、じわじわとありがたい気持ちになります。



この二種類の手ぬぐい、それぞれ味わい深く、どちらもとても気に入っています笑


  

茨城3つの養蚕信仰の聖地について(3) ~ うつぼ舟・常陸国とゆら・筑波山・富士山


茨城3つの養蚕信仰の聖地について、じっくり調べて考えていくシリーズ。
文献を参照しつつ、取り組んでいきますので、お付き合い下さい笑

前回までの話
豆電球茨城3つの養蚕信仰の聖地について(1)
豆電球茨城3つの養蚕信仰の聖地について(2) ~ 蚕伝来の伝説と「豊浦」


引き続き、金色姫譚が生まれた過程を考えていきます。

前回は、長門国(穴門)の豊浦宮(現在の山口県下関市)で、もしかして『原・金色姫譚』が生まれたのかもしれない!? という仮説を、歴史文献から立ててみました。

今回は、さらに別の見地からも考察してみます。

【おことわり】
※ 前回、当ブログでは、『金色姫譚の原形』を『原・金色譚』と呼ぶとしましたが、
初期の頃に登場人物に『こんじき(金色)』という名がついていたか不明であり、紛らわしいので、今後は『金色姫譚の原形』を『貴人蚕譚
と呼び、現在に伝わる金色姫伝説を『金色姫譚』と呼ぶことにします。
 

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【1.柳田国男 著『妹の力』の中の『うつぼ舟のこと』論考より】


柳田国男 著『妹の力』(文献1)の中の『うつぼ舟のこと』論考を読むと、以下のことが書かれています。

① 海からうつぼ舟(中空の舟)に乗って、貴人が流れてくる伝説が、瀬戸内海地方~九州にかけていくつも伝わっており、祖先がそういった貴人だとする氏族がある(周防の大内氏、備前の宇喜多氏、伊予の河野家など)。

②(常陸国の金色姫譚以外には)うつぼ舟が伝わる話は、『東部日本ではいまだ聞くことがないのである』。
つまり、東日本では、うつぼ舟で貴人が流されてくる伝説・説話は、金色姫譚以外に見当たらないとのこと。


また別の文献(文献2)によると、

③ 阿波や土佐などの諸国は養蚕の技術が盛んに取り入れられながらも、それに伴う信仰が伝えられなかったようだとのこと。
(徳島県でわずかに繭を社寺や祠堂に供えたり、高知県で戦後に関東に習ってつくられた女神の御札がある程度とのこと)

どうも西日本では、養蚕が盛んだった地域でも、不思議なことに養蚕関係の伝説・説話は伝わっていないようです
(これは今後も要確認事項ですが)。

しかしながら、注目は①で、瀬戸内海地方~九州にかけて、うつぼ舟に乗って流れ着いた貴人が祖先だという氏族が複数あるということです。
つまり、長門国(穴門)豊浦を含む瀬戸内海~九州の地域には、『金色譚』の原型となる『原・金色譚』ともいうべき『貴人蚕譚』が生まれる土壌があったと言えるのではないでしょうか。


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【2.永禄元年(西暦1558年)滝本坊 筆『戒言』より】


さて、現在まで伝わる『金色姫譚』は、少なくとも室町時代後期には出来上がっていたのが分かっています。
(文献2,3) 
というのも、永禄元年(西暦1558年)京都の八幡山の滝本坊という人が書き写した『戒言(かいこ)』  
が『金色姫譚』そのものなのですグッド

現在まで伝わる金色姫譚(蚕影神社縁起、蚕影山和讃等 文献5,6)のあらすじとほぼ同じなのですが、微妙に違う点があり、これが今後、考察を進める上で重要だと私は考えますので、文献4(『室町時代物語大成 第三』に収録されている『戒言』)を元に、少し詳しく書きます。


【『戒言』のあらすじ】

まず『戒言』では、前書きの後に、『きんめいてんわうのみよに、こかひあり、そのゆらいを、くわしくたつぬるに、』
で話が始まります。
『きんめいてんわう』(欽明天皇か?)の時代には既に『こかひ』(蚕養ひ=養蚕)があり、その由来がこれから語られる物語だという始まりです。

ストーリーは現在に伝わる『金色姫譚』とほぼ同じで、話の流れは大きく4つ(※)に分けられます。
 ※多くの文献では、下記の①②を一つにして、3つに分かれるとしていますが、私は4つだと考えます。

① 北天竺国のなかの旧仲国の りんゐだいわう(霖夷大王)の娘の こんじき(金色)が継母にいじめられる。
   継母によって4回の災難(獅子孔山に捨てられる・鷹群山に捨てられる・海眼山という島に捨てられる・庭の地中深くに埋められる)にあうが、なんとか助けられる。
  こういう災難に会うのは、こんじきが尊い仏様の化身のためだと考えた王は、桑の木でうつぼ舟にこんじきを乗せて泣く泣く海に流して逃がす。


    ※全体の話の中で、この①の部分が一番長く、全体の6割弱を占めます


② 海に流されたこんじきは、多くの月日を経て、秋津洲(日本)の「ひたち」国の「とゆら」に流れ着き、漁師のごんのだいふ(権太夫)に助けられる。
 権太夫夫婦の介護もむなしく、こんじきは身体が衰弱して亡くなる。
  嘆き悲しんだ夫婦は、からひつ(唐棺)をこしらえて亡くなったこんじきを安置する。
 ある夜、『食事を与えて欲しい』という夢を見て棺を開けると、こんじきの姿は消えていて、小さな虫たちがいた。
 生まれ変わったと喜こんだものの、餌に何を与えて良いか分からない権太夫夫婦、こんじきが乗ってきた舟が桑の木で出来ていたので、桑の木の葉を虫に与えると、虫たちは喜んで食べた。
 しかしそのうち虫たちは動かなくなってしまい、権太夫夫婦は途方にくれたが、また夢で(こんじきが出てきて)、自分が祖国で受けた4つの災難を語り、これは虫たちの4つの生態(しけめとまり・たかめとまり・ふなとまり・にわとまり)だと伝える。
 4つの『とまり』を経て虫たちは まひ(繭)を作ったが、これは こんじきがうつぼ舟に乗ることと同じだとされた。

    
  ※この②の部分は全体の3割を占めます


③ その頃、つくば山(筑波山)に ほんだう仙人という一人の仙人がいて、山から下りてきて、繭を練って『綿』(真綿。木綿ではない)を作ることを教えた。『わたいと(絹糸)』はこの時より始まった。 綿は寒さを防ぎ、人々に喜ばれた。『きぬ』『あや』とも言われ、衣装も美しくなった。  
 その方法を学び、権太夫は豊かになった。
 
  
 
※③の部分は全体の0.5割強を占めます。

④ そこへまた『不思議なことに』、欽明天皇の皇女のかぐやひめが、筑波山へ飛んできて、神様だと言われ、人々にあがめ奉られた。
 ある時、神託があり、『自分は旧仲国の霖夷大王の娘で、この国の人々を守るために来て、欽明天皇の子となった。そしてこの国でこがひの神となり、『とよら』の地で綿を作ったのは、私、かくやひめである』と言い、この山(筑波山?)も 『いさぎよからず』、『都に近い』富士山へ神様は行かれた。
 たかとりの翁達もこの神を拝んだ。『筑波山の神と富士の権現は一体』なので、こがひの神ともなり、その本地は勢至菩薩の化身である。
 だいにちへんぜう(大日遍照か?)の『ごへんさ』(意味不明)なので飼っている蚕はおろそかにしてはいけない。綿を練った仙人は、りやうじゅせん(霊鷲山か?)の釈迦牟尼仏である。


     ※④は③よりも更に占める割合は少なく、全体の0.5割弱ですが、仏教用語が並びます。


『話が4つに分かれる』というより、①の話に、後から別の話②③④が次々付け加えられたような印象です。

 ★は、外国で継母にいじめらる娘のこんじき(金色姫)を、大王が(助けるために?)舟に乗せられて海に流されるまでの話で、世界的に見られる、継母による継子いじめの話の類型に思えます。
 (余談:継子いじめの類話に出てくる、いじめる後妻のダンナ=いじめられる子の父親は、たとえ大王とはいえ、後妻には何も出来ないというが、世界の昔話の定番であり、不思議ではありますね)

 『北天竺国の旧仲国』(具体的な場所は不明)という設定に加え、金色姫の父の霖夷、実母(早くに亡くなる)の光契という名、受難を受ける獅子吼山・鷹群山・海眼山という地名にも、やはり大陸から伝わった物語だと感じさせます。
 
 また、霖夷大王が金色に言う台詞『ぶつじんさんほうのけしんなり(仏神三宝の化身か?)』『ぶつはふ はんじやうのくにへ(仏法繁盛の国か?』
『しゅうじゃうをもさいどし給へ(衆生を済度し給え)』
 と仏教的表現が(唐突ですが)使われています。
 また金色姫の4回の苦難(継母のいじめ)は、蚕の4回の脱皮にも見立てられていて、蚕の生態説明の説話になっています。

★②で、『ひたち』の『とゆら』という地名が出てきます。


(写真は、茨城県日立市の国民宿舎 鵜の岬 の前の海。 常陸国の海の例です。2020年8月撮影)

 常陸国の『とゆら』という地名だけで、舟が流れ着いたので、海辺だということしか分かりません。
こんじきを助けるのが、『うら人』の『ごんのだいふ(権太夫)』夫婦。『うら人』は『浦人』で、つまり流れ着いた浦に住む人ということでしょう。
 こんじきの生まれ変わりの白い小さな虫の餌(桑の葉)や蚕の生態を夢に出てきた姫から教わって、育てます。
 つまり、蚕を育てる=養蚕の事始めの説話です。



で、『つくば山』の名が出てきます。

 
(写真は石岡市高浜付近から見た筑波山。2021年4月撮影)

 ほんどう仙人は、『仙人』という表現から、一見、神仙思想のようにも思えますが、
 『つくば山』に当時も既に多くいたであろう、筑波山系で修業する山岳信仰の修行者の影を感じます。
  ほんどう仙人は「綿」(※)の作り方を教えています。「綿」は蚕の成虫が出てきた後の(穴の開いた)繭を伸ばして作ります(文献 )。 
   ※ここで言われている『綿』は、木綿(コットン)ではなくて真綿=蚕の繭から作られたものを指しています。
  ほんどう仙人が、成虫が出た後の繭から真綿を作り、暖かい服に出来ることを教えたというお話です。 
  更に『わたいと(生糸)』はこの時より始まったという表現、『きぬ(衣?)』『あや(綾?)』『いしょう(衣装?)』という表現も(取って付けた感がありますが)書かれ、機織りも伝えたような表現です。

  筑波山信仰の宗教者が、養蚕・蚕糸・機織りの知識を持っていて、地元の人に教えたようなこともあったかもしれませんが、それにしては①②のようや具体的な説話ではなく、話が短すぎます。
『つくば山のほんどう仙人』というキャラクターを登場させ、養蚕の技術を伝える際に、筑波山(筑波山信仰?)を結びつけようとした宗教者(グループ)がいたのではないかと考えます。

  なお、『つくば山のほんどう仙人』が綿の作り方を教えた場所は、筑波山麓(蚕影山?)か他の土地なのかは、冷静に読むとはっきりしません。
 『つくば山のほんどう仙人』と書かれていることで、筑波山麓で教えたような含みを持たせているようには感じさせてますが。    


★そして最後では、いきなり!欽明天皇の皇女のかぐや』が登場してきて、実は自分が養蚕の神であると言います。
 ストーリーの冒頭で、欽明天皇の世に既にあった養蚕の由来で、欽明天皇の時代よりも以前の時代設定のはずなのに、
 欽明天皇の皇女が出てくる・・・という矛盾も物ともせず(^^:)汗


(写真は 伊豆大島から見た富士山。2019年5月撮影)

 『筑波山=富士山』だと言いながらも、筑波山なんかにいてもぱっとしないのでと言って泣『都に近い』富士山に行くと言って富士に行き、当地で神になったという話。しかも『たかとりの翁』という人物がなんの説明もなく、『あの有名人も信仰してるよ!』という感じでいきなり名前があがる。
 しかも神だけど、仏教の勢至菩薩、釈迦牟尼仏、などなど仏教用語のオンパレード
 結末は常陸国でなくて、富士山のある駿河国か甲斐国のお話に…?がーん…。 
明らかに、富士山信仰、しかも仏教と混淆した宗教思想が唐突に入ってきて、結末をかっさらています(笑)びっくり

 
  ①②③④と話の構成を見ていくと、①の説話がくどい位に(^^;)長い。
 登場人物の描写やら、金色姫の遭う災難の説明がひたすら長く描かれます。

  ②は舞台が秋津洲(日本)の常陸国に舞台が変わりますが、割と自然な感じで①と結びついていて、『蚕を育てる(養蚕)』の事始めの話としてまとまっています。
  私は②の部分は、物語が伝わった初期の段階で①に付け加えられ、比較的長い間、人口に膾炙していって話がこなれて繋がっているのではないかと考えます。
  (一般には、①と②は一緒の話だと考える研究者がほとんどのようです)

  しかし後の③(綿づくり業・蚕種業・蚕糸業・織物業の事始め説話)は、かなり重要な技術に関する説話のはずですが、簡単に語られていて、正直、雑…(^^;)汗
 思うに、それほど養蚕・蚕糸・織物の造詣の深くない、筑波山系の山岳宗教者(グループ)が、もとからあった養蚕の伝説に、
  『つくば山のほんどう仙人』というキャラクターを加えて、無理に?筑波山の話にしたように私は感じます。

更に④は、全く違う登場人物が唐突に出てきて、『筑波山=富士山』だと言い、『ここに(筑波山)にいてもいさぎよからず(いてもしょうがない)』と、筑波山をディスりながら(笑)、京の都に『近い』と言って舞台を富士山に持って行き、仏様の名も出しまくって終わります。
  富士山信仰・特に仏教との混淆が強い山岳宗教者(グループ)、がこの説話を利用するために、強引に汗最後の部分をつけて、富士山の神が養蚕の神だとして、話を拡散(布教)したと見て良いかと思います。

  でも、なぜ富士山信仰が関わってきたのでしょうか??
  それを考察していきます。
 
  (続きます)
 
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(4) ~金色姫譚と富士山信仰 及び 金色姫譚の誕生仮説


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【参考文献】

1.『妹の力』柳田国男著 角川文庫 収録 『うつぼ舟の話』

2.『民俗信仰の神々』 大島建彦 著 三弥井書店

3.『養蚕と蚕神 近代産業に息づく民俗学的想像力』 沢辺満智子 著 慶応義塾大学出版会 発行

4.『室町時代物語大成 第三 えしーきき』 横山重 松本隆信 編 角川書店 収録『戒言』慶応義塾図書館蔵 86

5.『筑波歴史散歩』 宮本宣一 著 日経事業出版センター

6.『筑波町史 史料集 第五篇』 茨城県つくば市教育委員会


















  

Posted by かるだ もん at 21:57Comments(0)地域・お出かけ 
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(2) ~ 蚕伝来の伝説と「豊浦」


茨城3つの養蚕信仰の聖地について、じっくり調べて考えていくシリーズ。
文献を参照しつつ、取り組んでいきますので、お付き合い下さい笑


豆電球前回までの話
 →  茨城3つの養蚕信仰の聖地について(1)


江戸時代前までは、生糸は輸入に頼っていたのですが、江戸時代になり絹の需要が伸びて、輸入のための金銀の流出を防ぐために、幕府は輸入生糸量を制限し、国内の養蚕を奨励するようになりました(文献1)

そうなると養蚕の為の手引書が生産者にとって必要になってきます。
日本で発行された初期の手引き書は、元禄十五年(1702年)に近江の野本道玄による『蚕飼養法記』で、幕府・諸藩の奨励と民間の熱意もあって、その後も江戸期には約100冊もの手引書が刊行されたとことで、著者の多くは蚕種作り商う蚕種家だったそうです(文献1)。
その中で、享和三年(1803年)、上垣守国によって書かれた『養蚕秘録』は詳しい養蚕技術だけでなく、養蚕の起源、蚕の伝説、真綿の作り方、教訓的な話など多義にわたる大変な名著として全国に広まり、その中に『金色姫』譚もありました(文献1,2)。

繊細な生き物である蚕の成育の難しさ、気候変動による蚕の餌となる桑の生育、鼠などの食害等に立ち向かうには、知識と技術はもちろんですが、やはり精神的支えも必須で、そこを救うのが、信仰の力なわけですにこにこ
従って、そこに様々な信仰も広がっていきました(文献2,3,4)。

それらの信仰の中に、『常陸国三蚕神社』(江戸時代は寺も関係)が聖地として重要な位置を占めキラキラ、明治以降の養蚕の興隆とともに、流行神として信仰が広がっていきました(文献1,2,3,4)。

『常陸国三蚕神社』のそれぞれについては、今後各論で考察していきますが、
共通に『伝わっている』のが、『金色姫伝説』
です。

私はこの『金色姫』伝説の発祥の地が気になっています。


今回は、金色姫譚が生まれそうな土壌、土地について、文献を元に、妄想も膨らませてキラキラ考えてみます。
(今後は『金色姫伝説』でなく、『金色姫譚』と記載します)

写真は蚕の繭ですが、指を入れて洗顔するために一部カットされた美容グッズです。
現代は贅沢になってきていますね汗






【金色姫譚は、常陸国で生まれたのか??】

のっけから、愛県心の強い方に怒られそうですが汗
(しかも私は、金色姫譚の本拠地?のつくば に住んでいる、つくば市民ですが汗
私は、
今に伝わる『金色姫譚』の元となる、『原・金色姫譚』があって (それが生まれたのは常陸国とは限らない)、
それが時代と共に、『常陸国の金色姫伝説』になっていったのではないか

と考えています。

つまり、養蚕技術が常陸国に伝わった時に、『原・金色姫譚』的な説話・伝説も一緒に外から入ってきた可能性を考えています。

その根拠として、

① 弥生時代前期の遺跡から絹が出土している(文献1,2、3)

② 本格的な養蚕技術は、1~2世紀頃に、朝鮮半島からもたらされたと考えられている(文献3)
  またはその前に、中国・華中方面からもたらされた可能性もある
(文献5)

③ 魏志倭人伝に、(西暦239年)邪馬台国の卑弥呼が魏の明帝に国産の絹を献上したという記述と、
 邪馬台国では桑と蚕を育て、糸を紡ぎ、上質の絹織物を作るという記述がある
(文献1)

ということで、かなり古くから、『海を渡って』外国から養蚕技術がもたらされ、既に3世紀の卑弥呼の頃には自分の所で
作った絹を魏の国に献上するまでになっていたわけです。

・養蚕技術とともに、蚕や養蚕にまつわる様々な説話・伝説が日本列島にも伝わり走る
・更に、養蚕技術が国内各地に伝えられる時、説話・伝説も一緒に伝わり、広がっていった芽


だろうことは容易に想像出来ますちょき

そういう伝承の一つに、

『金色姫』的なモチーフの話 = 『原・金色姫譚』

があったのではないかと、私は考えています。


【海から流れ着いて豊浦に】

さて、金色姫譚では、海に流された姫が『豊浦』に漂着します。
常陸国に伝わっている話なので、『常陸国豊浦』となっていますが、妙にはっきりと伝わる地名『豊浦』が気になります。

文献6で『豊浦』という地名を調べると、常陸国に該当する古代地名はありません泣

しかし『豊浦』という地名は全国に数ヶ所あり、有名な所で、
★ 奈良県明日村の豊浦宮(推古天皇が即位)  【註】 後述
★ 山口県穴門(長門国)豊浦郡・豊浦津(仲哀天皇滞在・神功皇后滞在・出兵)
があります。

特に2つめの、山口県穴門(長門国)豊浦郡・豊浦津は、関門海峡に接し日本海側にも瀬戸内海にも接している交通の要所です。
地理的にも、中国大陸、朝鮮半島に近く、古くから交易が盛んだった地
卑弥呼のいた邪馬台国の候補地、九州北部にも隣接する地

・・・すごい土地です!びっくり

そして、この山口県の『豊浦郡・豊浦津』を調べると、やはり大変興味深いことが分かってきます!びっくり


【奉献珍宝蚕種等】

日本三大実録 巻五十 光孝天皇 仁和三年七月の記事に、

十七日戊子。左京人従五位下行采女正時原宿祢春風、賜朝臣姓。春風自言。先祖出自秦始皇十一世孫功満王也。
帯仲彦天皇四年、帰化入朝、奉献珍宝蚕種等
。』

という記載があります(文献7)。

平安時代 仁和三年(西暦889年)七月十七日戊子の日に、左京の人の時原春風という人が、「朝臣」の姓を賜った記事で、
その時に、春風が自分の出自を、

秦の始皇帝の十一代目の子孫の功満王が自分の先祖で、
(功満王は)帯仲彦天皇四年に、この国に帰化して、その時に、珍宝蚕種などを献上しました


と語ったという記事です。
 ※ 左京人:左京に住む人の意か? 
    従五位下:位階の一つ
   采女正:女官(采女)の長。
   宿祢:称号の一つ
   朝臣:天武天皇が(西暦684年に)定めた「八色の姓(かばね)」の上から二番目。
   帯仲彦天皇: 仲哀天皇。日本武尊の息子で、神功皇后の夫。

ただし、帯仲彦天皇(仲哀天皇)は、実在が疑われている天皇(父親の日本武尊が既に伝説の存在)なので、
『帯仲彦天皇四年』が西暦何年なのかは不明です泣

いずれにしても、時原春風という人の家で伝わる出自を語ったという話で、又聞きの記録ではありますが、
ここで注目したいキーワードが、

● 『功満王』
● 『奉献珍宝蚕種等』


です。

功満王は、外国から来て『蚕種=蚕の卵』を奉献し、帰化したということ。
誰に奉献したかは不明ですが、文意から行くと、帯仲彦天皇(仲哀天皇)でしょうか豆電球


【仲哀天皇】

仲哀天皇=帯仲彦(たらしなかつひこ)は、謎の多い天皇で、奥さんの神功皇后があまりにも有名ですが、仲哀天皇自身は非業の最期を遂げます。

さて、古事記によると、仲哀天皇は、『穴門の豊浦宮、筑紫の訶志比(香椎)宮に座して、天の下治らしめき』とのこと
(文献8)。

穴門はその後「長門国」となり、現在の山口県西半部から東北部に位置します(文献6、8、9)。

関門海峡があり、日本海側にも瀬戸内海にも接している交通の要所キラキラです。

また筑紫国は関門海峡を挟んで長門国と隣接する土地。今の福岡県のあたりで訶志比(香椎)も日本海に接した場所です。
つまり交通の要所をがっつり押さえた場所に、仲哀天皇は宮を構えていたわけです。

上の時原春風が語った、自分の先祖(功満王)が仲哀天皇在位4年目に、蚕種を直接、仲哀天皇に献上したとしたら、
仲哀天皇のいた『穴門豊浦宮』の可能性がとても高くなります。グッド

なお『穴門豊浦宮』の『豊浦』は『とゆら』『とよら』と読むようです
(文献6、8、10 )。


【功満王】

(文献11,12 )によると、

功満王:秦始皇帝の子孫。融通王(弓月君)の父。秦氏の祖
ここに出てくる融通王は、
融通王 → 弓月君:秦氏の祖。応神十四年条に百済より帰化。功満王の父親

とのこと。

更に同文献の『弓月君』の項目に、姓氏録左京諸蕃という書物にある記載として
『(前略)その男功満王は仲哀天皇代に来帰し、その男融通王が応神十四年に百廿七県の民を率いて帰化し、金銀玉帛等物を献じた。
そして仁徳天皇の代に百廿七県の秦民を諸郡に従わしめ、姓波多を賜った』
とあります。

波多(はた)氏は秦氏。
秦氏は、養蚕と絹織物の技術を伝えた氏族です(文献2)。



【穴門豊浦宮】

今の山口県にあった『豊浦』について、もう少し見ていきます。

● 『豊浦という呼称の所見は「日本書紀」の熊襲征討の記事で、仲哀2年6月10日条に「天皇泊于豊浦津」、同年7月5日条に
 「皇后泊豊浦津、是日皇后得如意珠於海中」とある』 

(文献6)

● 『「日本書紀」仲哀天皇二年九月に 「宮室を穴門に興てて居します。是を穴門豊浦宮と謂す」 とある豊浦宮の置かれた地とされる』
(文献13)


更に養蚕に関しては、

● 『「続日本紀」神護景雲2年3月朔日条によれば、豊浦郡・厚狭郡などに養蚕をさせ、調の銅を綿に代えることとした
(文献6)


また朝鮮半島に近く、交通の要所でもあるため、漂着する人の記事もあり、

● 『弘仁5年10月13日には新羅商人31人が当郡に漂着しており(日本後紀)』
(文献6)

たぶん、大昔から漂着者が多い土地で、記録に残らない漂着者も多かったことでしょう。
遭難して漂着した人もいたでしょうし、大陸や半島から逃げてきた人達、新天地を求めて来た人達も多かったのでしょう。


【豊浦はどこか?】

こう見ていくと、

★ 『豊浦』『豊浦津』という歴史的に有名な地名
★ (献上された)蚕種(蚕の卵)
★ 養蚕
★ 『海から流れついた』=海上交通の要所、遭難した人が流れ着く地


が文献的にも考古学的にもはっきりしているのが、穴門の豊浦だということが分かります。

ちなみに、穴門は長門国となり、国府も置かれるようになります。
また、仲哀天皇がいた『豊浦宮』のあった場所は、現在、忌宮神社(山口県下関市)の周辺に比定されています(文献9、13)キラキラ

金色姫譚のキーワードが揃う、山口県の『豊浦』
『長門国』が、『常陸国』に変わっていったとしたら・・・!?

妄想が広がりますが芽
金色姫譚伝説の元となる伝説・説話の存在(原・金色姫譚)の気配を、感じませんか?笑

そして、『常陸国豊浦』との関係は・・・!?

【註】
文献14 (筑波町史 資料集 第五篇) に収録されている 『日本一社蠶影神社御徳記 櫻井晩翠 著』 では、金色姫譚の最後の方に登場する 『欽明天皇の皇女の各谷姫』からの類推から、『豊浦』は、蘇我馬子の居住していた『豊浦宮』及び『豊浦寺』のあった、奈良県明日香村だとしています。

しかし私の個人的見解としては、伝説の成り立ちとしては、上記で述べてきたように、山口県豊浦との関係が深いように考えています。
各谷姫(カグヤ姫)の登場についても、この後、考察します。


(続きます)

茨城3つの養蚕信仰の聖地について(3) ~ うつぼ舟・常陸国とゆら・筑波山・富士山


*****************************

【参考文献】


1,『養蚕と蚕神 近代産業に息づく民俗学的想像力』 沢辺満智子 著 慶応義塾大学出版会 発行

2.『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』 畑中章宏 著 晶文社

3.『養蠶(かいこ)の神々-蚕神信仰の民俗-』 阪本英一 著 群馬県文化事業振興会 発行

4.『養蚕の神々 繭の郷で育まれた信仰』 安中市ふるさと学習館 編集・発行

5.『森浩一対談集 古代技術の復権』森浩一著 小学館ライブラリー 収録『絹(対談者 布目順郎)』

6. 『古代地名大辞典 本編』 角川文化振興財団 編集 角川書店

7. 『新訂増補 国史大系 日本三代實録 後編』 吉川弘文館  p636

8. 『記紀の考古学』 森浩一 著 朝日文庫

9.『日本古代史地名事典 普及版』 雄山閣 

10.『日本古代地名事典』田茂樹 著 新人物往来社

11. 『日本古代人名辞典3』 武内理三・山田英雄・平野邦雄 著 吉川弘文館

12. 『日本古代人名辞典7』武内理三・山田英雄・平野邦雄 著 吉川弘文館

13 『日本歴史地名大系第三十六巻 山口県の地名』平凡社

14 『筑波町史 資料集 第五篇』 茨城県つくば市教育委員会編



  

Posted by かるだ もん at 19:33Comments(0)地域・お出かけ 
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(1)


蚕影山に伝わる金色姫伝説では、金色姫は「天竺」から舟で流されてきました。

天竺」・・・インドです!

もう20年以上前になりますが、当時のJICA筑波の研修員の方で、
インドの養蚕技術の研究者の方が我が家にホームステイされたことがありました。

つくば市には匡の研究機関が多くありますが、当時の農林水産省の蚕糸・昆虫農業技術研究所(※)に養蚕技術の研究のために来られた方でした。
 ※ 蚕糸・昆虫農業技術研究所は、その後、他の農林水産省の研究所と統合され、現在は、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究 機構(農研機構) 農業生物資源研究所の一部門となっているようです。


その方からお土産に、インド産のシルクのスカーフを頂きましたキラキラ
(写真は頂いたそのスカーフのアップ)

落ち着いた色合いとシルクの肌触りがとても気に入っていて、しかも丈夫で20年以上経っても全然へたっていない! 。なので、現在も愛用していますが、不勉強な私は
インドの絹/絹製品』を、その時初めて知った次第でした。






スカーフについている、
「100% PURE SILK MADE IN INDEA」と書かれたタグ
まさしく、天竺の絹織物!

ところでその当時、筑波山麓に『蚕影山神社』というのがあるらしいというのを知ってはいましたが、まだ行ったことはなかったので、養蚕の神様だから、その方と一緒に行ってみたいと提案しました。

しかし、その方は大して興味を示されず (まあ、科学技術としての養蚕を研究されている方ですし、日本の神様にも興味ないのは当然かな)、うちの家族も気乗りしないようだったので、一緒に行くことはありませんでした。

ただ個人的に、ずっと蚕影山神社に惹かれて、今に至り、つれづれなるままに、蚕影山神社の話題を中心に、養蚕信仰について調べては、以下のような記事を当ブログに書いてきました。

豆電球筑波山麓 蚕影山神社、神郡地域の話題として、

 ● つくば市フットパスで訪ねる金色姫伝説

 ● 蚕影山神社と桑林寺~金色姫伝説の不思議

 ● 東京・立川の『猫返し神社』と筑波山麓の関係!   

 ● つくばプチ民俗学・・・ならせ餅

  豆電球また、養蚕とは直接関係はないのですが、蚕影山/神郡周辺の話題として、

   ● 筑波山麓を舞台にした古代の民衆ドラマ!蚕影山の『和気広虫』伝説

   ● つくば市内 万葉集に詠われるもう一つの山 『あじくま山』

  豆電球 蚕影山信仰とは直接は関係ないのですが、つくばにも近く絹織物の結城紬で有名な結城に関係する話題として

    ● 結城と福井を繋ぐ伝説と信仰―猫塚伝説と袋羽神―

    ● 茨城 こんなもの見つけた♪(21) 結城まゆ細工ストラップ・結城紬バッジ・大穂ほうきストラップ



金色姫伝説』が伝わるのは、つくば市の蚕影山神社だけでなく、神栖市(星福寺・蚕霊神社)日立市(蚕養神社)にも伝わります。

これら3つの神社は、『茨城 三大蚕の神社』ということで、特に明治以降、日本で絹製品の輸出が増加し、養蚕業が盛んだった頃に、関東甲信越を中心に、各地から多くの参拝者(昭和になるとバスを仕立てて参拝に来られたとか)が訪れ、分霊された神社も各地に建てられました。
(その一例が上にも紹介した記事 → 東京・立川の『猫返し神社』と筑波山麓の関係!


さて、日本国内の絹といえば、世界遺産の群馬県富岡市にある富岡製糸場 が有名ですよね。
現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公は、『近代日本経済の父』澁澤栄一。もうすぐ新一万円札の顔にもなりますが、
その澁澤栄一も設立に関わった富岡製糸場。

インドのお土産のシルクスカーフから始まり、
近代日本の産業 - 絹・養蚕 ー 養蚕信仰 ー 茨城県の3つの養蚕信仰の聖地と歴史・民俗等

と、自分の中で、一本の糸で繋がったのでちょき、これから、じっくり 気になっていた
茨城県の3つの養蚕信仰の聖地
について書いていこうと思います。
(本当は茨城県歴史館あたりで企画展して欲しいくらいですがぷんぷん。過去に企画展やったことあるのかな?)


ちなみに参考文献は、県内各地に伝わる昔話と地域史(市史・町史)等の他に、

★ 『養蠶(かいこ)の神々-蚕神信仰の民俗-』 阪本英一 著 群馬県文化事業振興会 発行

★ 『養蚕の神々 繭の郷で育まれた信仰』 安中市ふるさと学習館 編集・発行

★ 『養蚕と蚕神 近代産業に息づく民俗学的想像力』 沢辺満智子 著 慶応義塾大学出版会 発行

★ 『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』 畑中章宏 著 晶文社


をメインの参考文献・テキストとさせて頂き、勉強しながら書いていきます。


(続きます)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(2) ~ 蚕伝来の伝説と「豊浦」


【おまけ】 


世界遺産 富岡製糸場 (2019年8月撮影)

大変見応えがあります。








その富岡製糸場へ行ったときのお土産

● 『富岡名物 まゆこもり 富岡産シルク入り』 



 (本当はもっと箱ぎっしりに入っていたのですが、半分以上食べてしまってからの写真なので4個だけです汗

  美しい白色と可愛い形ハート
  品の良い甘さの葛湯の素。

  お湯に溶かして葛湯として頂くものなのですが、実は干菓子として直接食べても美味しくてハート、その後、再び群馬に行ったときにリピートして買いました。
  富岡製糸場でなくても、道の駅などでも買えましたので、見かけたらまた買うつもりです笑




(以下、画像に注意 (笑))






『かいこ王国』さんの蚕の形のチョコレート



 富岡製糸場前の商店街にあるお店で購入。

  クランチの入ったホワイトチョコの蚕が、抹茶味の緑色のチョコの上に乗っています。

  これはインスタ映えする(?)のもあって、ネットでは結構有名ですよね。   
  
  蚕の形に一瞬ギョッとして、キワモノ的汗ですが、食べるととても美味しいチョコレートでしたグッド
  (私はホワイトチョコは好きでないのですが、こちらのこの蚕の形のチョコは美味しかったです! お店の方によると、とても良い材料を使って作られているとのことで、要冷蔵でした)





  

Posted by かるだ もん at 19:35Comments(0)国際交流地域・お出かけ 

2021年03月09日

筑波山梅林2021

筑波山梅林2021


先日、3/7(土)早朝、思い立って、筑波山梅林を見に行きました。

東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏1都3県が、引き続き、新型コロナウィルス感染防止の為の緊急事態宣言が延長されましたが、茨城県は県独自の緊急事態宣言が2/23に解除され、『第48階筑波山梅まつり』が開催されています。

豆電球筑波山梅まつり 公式HP
 ※開花状況などこちらで分かります。
 豆電球【3/13追記】観光ボランティアガイド298の会長さんによる筑波山梅林の紹介の動画(YouTube)も見られます。大変詳しくて、必見です!



この日、家を出る時は濃霧でしたが、筑波山に近づくにつれ、霧が薄くなってきましたちょき

人が少ない早朝で、屋外ですが、やはり念には念を入れて、感染対策のマスクもしっかりして、観梅。









これこれ!この黒い斑れい岩と梅の木々の中を歩くのが、筑波山梅林の醍醐味。
紅梅はピークが終わったようですが、白梅は、今が満開!!
周りに人が居ない時に、そっとマスクを外すと・・・ああ!梅の香りがハート
今年も梅に出会えて良かった。







朝日に照らされる、展望四阿(あずまや)。
家を出るときは、濃霧の中でしたが、期待通りちょき
筑波山中腹から上は霧はなく、薄く青空がグッド









展望四阿の向こうに、雲海に浮かぶ宝筺山(ほうきょうさん)。
幽玄な姿です。










私の好きな、沢沿いの道。
この道を下って行きます。









梅のこういう枝が、味わい深いですよね。
梅林を歩いている内に、頭上の雲が切れて青空が見きました。









下界はまだ濃霧の中なので、今日は関東平野は見渡せませんでしたが、
梅林の上から見ると、白梅の雲が、麓の雲に続くようで、これはこれで美しいハート









林道(自動車道)のピンカーブの崖では、岩の割れ目からわき水が。
清らかな湧き水を受ける素焼きの小さな器が、可愛い。











林道(自動車道)の脇の『見返り縁台』から、梅林を望む。
尾根づたいに、紅白の梅の雲を、横から見られます。

写真左に見える黄色い花を咲かせる木は、サンシュユです。







第一駐車場に続く園内の遊歩道。
この辺りは初夏は、紫陽花が綺麗なところです。
 豆電球以前書いた記事 → 筑波山梅林の紫陽花 2020

今の時期は足下の水仙の花が愛らしい。梅と水仙が咲く小道を歩きます。






今年は梅まつり期間中、園内の4カ所にクイズの看板が設置されているようです。
クイズに答えると、つくばの名産が当たるかもとのこと。









『観梅広場』では、つくば観光大使の皆様の巨大な看板が!
コロナ禍の今は、実物の観光大使がお出迎え出来なのので、苦肉の策なんでしょう。
早くコロナが収まって、艶やかな本物の観光大使にお出迎えして頂きたいですよね。

こちらでは、『たき火カフェ』が楽しめるようです。

観梅広場の近くでも、黄色いサンシュユの花を咲かせる木々があります。




梅まつりのピンクの旗って、可愛いですよね。










梅林に隣接する、『フォレストアドベンチャーつくば』で、梅まつりの期間限定で行われている、1000円の体験コースも楽しみましたグッド

空中を飛びながら! 見渡す満開の梅林キラキラ、そして筑波山(男体山)の姿キラキラ、最高でした!キラキラ








【本日のお土産】


『おもてなし館』で見つけた、マグネット。
4種類ほどの絵がありましたが、私は迷わず、筑波山神社御座替わり神事の絵。
とぼけたにゃんこたちのなんと可愛く、味わい深いこと!
茨城県を拠点をオリジナルキャラクターのグッズの製作・販売している「おたさく」さんデザインのマグネットです。









【ご参考】 筑波山梅林の過去の記事

豆電球2020年の梅林の報告
筑波山梅林2020
筑波山梅林の紫陽花 2020

豆電球2019年の梅林の報告
平成最後の筑波山梅林梅まつり2019

豆電球2018年の梅林の報告
筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林

豆電球2017年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日

豆電球2016年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2016年2月21日

豆電球2015年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2015年3月8日

豆電球2014年の梅林の報告
 ・2014年筑波山梅まつり その1 ―2/22オープニング
 ・2014年筑波山梅林梅まつり その2 3月9日(日)






  

Posted by かるだ もん at 20:06Comments(2)地域・お出かけ 
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かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城

別館: 夢うつつ湯治日記 https://note.com/carfamom/

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