2020年02月04日
宝篋山登山 『常願寺コース』~『小田城コース』を歩く
宝篋山登山 『常願寺コース』~『小田城コース』 を歩く
最近、リピーターが増えて大人気という宝篋山。
筑波山の半分程度の標高(461m)ですが、東京方面や関東平野を見渡せるのはもちろんのこと、
筑波山よりも霞ヶ浦がより近くで見渡せるのもポイント高いです
。
宝篋山は比較的最近呼ばれるようになった名前で、地元では昔から「小田山」「三村山」
と呼ばれているそうです。
昨年、国土地理院の地図に「宝篋山」で掲載されるようになったとニュースで読みました。
宝篋山はいくつも登山コースがあります。
地元の方が手入れをされているようで、手作りの標識も親切で、とても気持ちの良いコースです。
宝篋山登山コース(トレッキングマップ)については、
→ つくば市公式HP 宝篋山 https://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/kankojoho/spot/1001454.html
その宝篋山、1/4(土)に登りました。
幸い、素晴らしい快晴の日
。
近くの駐車場は既にいっぱいだった
ので、小田の町の中の市営駐車場に車を停めました。
この市営駐車場から登山口まで、大した距離ではありません。
ちなみにこの駐車場は、江戸時代の農政学者の長島尉信(やすのぶ)も住んでいた家の跡地と聞きました。
長島尉信(1781-1867) については、例えば、国土地理院のHPの『先人たちのこどものころ:長島尉信(ながしまやすのぶ)』 https://www.gsi.go.jp/KIDS/nagasima.html
近年、地元の方が土塀を復元しましたが、先の台風の被害なのか、ブルーシートで保護されています。

今回は、『常願寺コース』で。
三村山清冷院極楽寺跡の南端であっただろう場所をまず歩きます。
写真は、極楽寺があった辺りを撮りました。周りよりやや高い台地です。

鎌倉時代にこの地に大伽藍のあった三村山清冷院極楽寺。
宝篋山小田休憩所のそばの大きな案内板に当時の様子(想像図)があります。
今では想像もつきませんが
、本当に立派な大寺院があったのですね

常願寺コースで『沢の小道』と名付けらた道の入り口あたり。
文献1によると、この辺りに、昔、常願寺というお寺があったようです。

沢(マップによると『常願寺沢』)沿いの道を上っていきます。
途中、『宝命の滝』、『くずしろの滝』と看板のある小さな滝や、『天狗岩』と看板のある巨岩も。
写真は、くずしろの滝。
岩や滝の名前は昔からあるものか、それとも最近名付けられたのか、気になります。

沢(マップを見ると『常願寺沢』)に沿った針葉樹の森の中を歩いて行きます。
気持ちのよい森林浴。
道は綺麗に整備されていて、この日も正月明けすぐの日でしたが、地元の方らしい方が下草を刈っておられました。

最初のピーク尖浅間(とがりせんげん)山頂。
巨石がごろごろとあります。
この辺りの岩石は、『筑波変成岩』ではないかと思います。
参考:筑波山地域ジオパークHP 『(7)平沢・宝篋山(つくば市)』 https://www.tsukuba-geopark.jp/page/page000071.html
富士山の山頂がかろうじて霞の上の方に見えました。
早い時間はもっとクリアに見えたそうです。

バウムクーヘンのような層がはっきり分かる岩石。
これも筑波変成岩なのでしょう。
変成岩は、泥や砂が堆積して岩となった泥岩や砂岩が、高圧、高熱を受けて『変成』したものだそうです。
筑波山で見られる斑れい岩や花崗岩と違うのがよく分かりますね。

こちらは、白い層とグレーの層が縞模様を作っている岩。
岩を見ているのも面白いです。
鞍部のような尾根道を下がってまた登ると、『野鳥の森』と名付けられた、なだらかな高原状の場所が続きます。
下草が刈られていて、あちこちに伐採された枝などが薪のようにきれいに積まれています。
きれいに整備されていて、この辺りは春や秋、とても気持ちが良さそうです。
堀切?土塁跡?もあり、そばに『宝篋山城』と書かれた看板がありました。
実際、南北朝時代・歴応四年(1341年)、宝篋山で合戦があり、北朝方の高師冬が、南朝方の小田治久、そして北畠親房がいる小田城を攻める為に、宝篋山頂に本陣を置いたとのこと文献2)。

大きなアンテナの建物が見えて、宝篋山山頂。

山頂に建つ浅間神社の祠。
無事に登れた感謝を込めて、参拝。

祠の前には、鎌倉時代の西大寺系律宗の僧で、麓の極楽寺にも止住した忍性上人の像が。
この像は数年前、地元の有志で建てられたもの。
人を背負った忍性像は、遠く富士山の方向を見ています。
もしくは、忍性上人は奈良からこの常陸国小田に来て、10年ほど滞在した後、相模国鎌倉に行くので、
自分が来た奈良、もしくはこれから行く鎌倉方面を見ているとも取れそうです。
人を背負っている姿なのは、忍性上人は、今でいう福祉事業に大変に力をいれた方で、
自らも病人(ハンセン病患者ともいわれています)を背負って歩いたという伝承から、デザインされたのだと思われます。

そして浅間神社の後ろ側には、「宝篋山」の名前の由来になっている、宝篋印搭。
花崗岩で作られており、鎌倉時代の作(文献1,2)
この写真を見た友人が「外国に行ったのかと思った」と言っていました。
たしかに、東南アジアやインドの方の雰囲気がします。
忍性が奈良から連れてきた石工は、元は中国大陸から来た人たちとのこと。
固い花崗岩から石造物を作る先端技術を持った技術者集団。
当時のインターナショナルな作風が今も感じられますよね。

ここから見る筑波山。
ベストアングルですね!

霞ヶ浦が間近で見渡せるのも素晴らしい。

そして、関東平野!
東京方面のビル群が見えました。

この山頂(461m)より高い東京スカイツリー(634m)も見えます。
ちなみに、
・筑波山(女体山)877m
・東京スカイツリー 634m
・宝篋山 461m
筑波山(女体山)と東京スカイツリーは、243m差
東京スカイツリーと宝篋山は、173m差
です。
富士山は、霞の向こうにかすかに見えました。
それにしても、とても気持ちの良い山頂
。
ちょうどお昼時で、あちこちでお弁当を広げる登山客がいました。
帰りは「小田城コース」で尾根伝いに下りました。

途中にある『下浅間神社』。
巨石の下に祠があります。
この巨石も、関東平野、富士山を見渡しています。
山頂にある『浅間神社』に対し、下にあるから『下浅間神社』と名付けられているのでしょうか。
そうすると、山頂の浅間神社とセットでお参りすると良いのかな?
宝篋山には、山頂の浅間神社や「尖浅間」「下浅間神社」等があって、「浅間(せんげん)」=富士山信仰も強く感じられます。
浅間信仰は、富士山の噴火を鎮め、富士山を神として崇め、祈るものといいます。
古くから、ここでも祈りが捧げられたのでしょう。
富士山は、1707年に宝永大噴火から沈黙を保っていますが、いつ噴火してもおかしくないといいます。
どうか、大規模な噴火がおきませんように。
でも逆に、富士山に祈りを捧げられる場ということは、関東平野の広がりを感じながら富士山が見られるという絶景でもあります。
だから、筑波山と同様に、国土交通省選定 『富士見百景』 に選べばれているのも、むべなるかな。

『硯石』と看板のあった岩。
くぼみがあって、小さい石が置かれていました。
この小さい石で、くぼみを作ったようです。だから『硯石』なのかな?

写真では分かりにくいのですが、結構急な斜面を道が横切っています。
大雨が降ると、土砂崩れで道が無くならないか、ちょっと心配・・・。
また途中、森の中で、道の脇に「筑波町」と彫られた境界標がたくさん。
このあたりは、どっぷりつくば市(旧筑波町)域に位置し、土浦市境界とも石岡市境界とも離れているので、とても不思議。

下の方になると、筑波変成岩ではなくて、風化した花崗岩のような岩が見られました。
苔が生えてます
。
変成岩地帯の中に、ところどころ花崗岩地帯があるのかな。
今回は麓の愛宕神社の脇を抜けて国道125号に出て、市営駐車場に向かいました。
とにかく地元の方の愛と熱意が伝わる、大変気持ちのよいトレッキングコースにして、
鄙びていながらも、聖地として品格が感じられる宝篋山とその山麓です
。
(聖地としての品格が感じられるのは、その埋もれた歴史を紐解くと納得します
)
宝篋山付近の話については、以前書いた記事も良かったら♪
→ 宝篋山麓 中世のたたずまいを歩く
http://cardamom.tsukuba.ch/e235745.html
→ 信仰とジオの意外な関係(3)後篇 ~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン~
http://cardamom.tsukuba.ch/e295775.html
→ “ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
http://cardamom.tsukuba.ch/e298540.html
【おまけ】

小田の街中にて、最近開店した地元の農産物や手作りのスイーツやクラフトを扱うお店『TAMARIBAR (タマリバー)』さん。
昨年末12/15に開店したばかりとのこと。
宝篋山登山の帰りに、地元産農産物やお土産が買えて、とても良い

こちらで、野菜の他に、シルクの眼鏡拭き(写真上)と、絵はがき(写真下)を買いました、
シルクの眼鏡拭きは、国産絹織物を栗の渋皮で染めたものとのこと。
眼鏡以外にも、スマホの画面を拭くにも良いですよね
絹というと、ここからちょっと北に行ったところにある蚕影山神社を連想します。
蚕の起源を語る金色姫伝説が伝わる古社で、関東甲信越地域を中心に広がる蚕影神社の総本社。
そして、とても味わいのある宝篋山の絵葉書
。
絵がとても可愛い。
宝篋山に咲くツツジとコブシ、野鳥のメジロ、山頂の宝篋印塔、そして近くにあるらしい八幡宮の絵。
八幡宮は、『かつて小田の北西にある甲山(かぶとやま)にあり、江戸初期に移されたと伝えられている』(文献3)のだそうです。
宝篋山登山の記念にも良いですね(^^)
*******************************************************
【参考文献】
1. 『三村山極楽寺跡遺跡群 -確認調査報告書-』 平成5年3月 茨城県つくば市教育委員会
2.『筑波町史 上巻』 筑波町史編纂専門委員会
3.『常陸小田城跡 フットパス』 パンフレット つくば市発行
最近、リピーターが増えて大人気という宝篋山。
筑波山の半分程度の標高(461m)ですが、東京方面や関東平野を見渡せるのはもちろんのこと、
筑波山よりも霞ヶ浦がより近くで見渡せるのもポイント高いです

宝篋山は比較的最近呼ばれるようになった名前で、地元では昔から「小田山」「三村山」
と呼ばれているそうです。
昨年、国土地理院の地図に「宝篋山」で掲載されるようになったとニュースで読みました。
宝篋山はいくつも登山コースがあります。
地元の方が手入れをされているようで、手作りの標識も親切で、とても気持ちの良いコースです。

→ つくば市公式HP 宝篋山 https://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/kankojoho/spot/1001454.html
その宝篋山、1/4(土)に登りました。
幸い、素晴らしい快晴の日

近くの駐車場は既にいっぱいだった

この市営駐車場から登山口まで、大した距離ではありません。
ちなみにこの駐車場は、江戸時代の農政学者の長島尉信(やすのぶ)も住んでいた家の跡地と聞きました。

近年、地元の方が土塀を復元しましたが、先の台風の被害なのか、ブルーシートで保護されています。

今回は、『常願寺コース』で。
三村山清冷院極楽寺跡の南端であっただろう場所をまず歩きます。
写真は、極楽寺があった辺りを撮りました。周りよりやや高い台地です。

鎌倉時代にこの地に大伽藍のあった三村山清冷院極楽寺。
宝篋山小田休憩所のそばの大きな案内板に当時の様子(想像図)があります。
今では想像もつきませんが



常願寺コースで『沢の小道』と名付けらた道の入り口あたり。
文献1によると、この辺りに、昔、常願寺というお寺があったようです。

沢(マップによると『常願寺沢』)沿いの道を上っていきます。
途中、『宝命の滝』、『くずしろの滝』と看板のある小さな滝や、『天狗岩』と看板のある巨岩も。
写真は、くずしろの滝。
岩や滝の名前は昔からあるものか、それとも最近名付けられたのか、気になります。

沢(マップを見ると『常願寺沢』)に沿った針葉樹の森の中を歩いて行きます。
気持ちのよい森林浴。
道は綺麗に整備されていて、この日も正月明けすぐの日でしたが、地元の方らしい方が下草を刈っておられました。

最初のピーク尖浅間(とがりせんげん)山頂。
巨石がごろごろとあります。
この辺りの岩石は、『筑波変成岩』ではないかと思います。

富士山の山頂がかろうじて霞の上の方に見えました。
早い時間はもっとクリアに見えたそうです。

バウムクーヘンのような層がはっきり分かる岩石。
これも筑波変成岩なのでしょう。
変成岩は、泥や砂が堆積して岩となった泥岩や砂岩が、高圧、高熱を受けて『変成』したものだそうです。
筑波山で見られる斑れい岩や花崗岩と違うのがよく分かりますね。

こちらは、白い層とグレーの層が縞模様を作っている岩。
岩を見ているのも面白いです。
鞍部のような尾根道を下がってまた登ると、『野鳥の森』と名付けられた、なだらかな高原状の場所が続きます。
下草が刈られていて、あちこちに伐採された枝などが薪のようにきれいに積まれています。
きれいに整備されていて、この辺りは春や秋、とても気持ちが良さそうです。
堀切?土塁跡?もあり、そばに『宝篋山城』と書かれた看板がありました。
実際、南北朝時代・歴応四年(1341年)、宝篋山で合戦があり、北朝方の高師冬が、南朝方の小田治久、そして北畠親房がいる小田城を攻める為に、宝篋山頂に本陣を置いたとのこと文献2)。

大きなアンテナの建物が見えて、宝篋山山頂。

山頂に建つ浅間神社の祠。
無事に登れた感謝を込めて、参拝。

祠の前には、鎌倉時代の西大寺系律宗の僧で、麓の極楽寺にも止住した忍性上人の像が。
この像は数年前、地元の有志で建てられたもの。
人を背負った忍性像は、遠く富士山の方向を見ています。
もしくは、忍性上人は奈良からこの常陸国小田に来て、10年ほど滞在した後、相模国鎌倉に行くので、
自分が来た奈良、もしくはこれから行く鎌倉方面を見ているとも取れそうです。
人を背負っている姿なのは、忍性上人は、今でいう福祉事業に大変に力をいれた方で、
自らも病人(ハンセン病患者ともいわれています)を背負って歩いたという伝承から、デザインされたのだと思われます。

そして浅間神社の後ろ側には、「宝篋山」の名前の由来になっている、宝篋印搭。
花崗岩で作られており、鎌倉時代の作(文献1,2)
この写真を見た友人が「外国に行ったのかと思った」と言っていました。
たしかに、東南アジアやインドの方の雰囲気がします。
忍性が奈良から連れてきた石工は、元は中国大陸から来た人たちとのこと。
固い花崗岩から石造物を作る先端技術を持った技術者集団。
当時のインターナショナルな作風が今も感じられますよね。

ここから見る筑波山。
ベストアングルですね!

霞ヶ浦が間近で見渡せるのも素晴らしい。

そして、関東平野!
東京方面のビル群が見えました。

この山頂(461m)より高い東京スカイツリー(634m)も見えます。
ちなみに、
・筑波山(女体山)877m
・東京スカイツリー 634m
・宝篋山 461m
筑波山(女体山)と東京スカイツリーは、243m差
東京スカイツリーと宝篋山は、173m差
です。
富士山は、霞の向こうにかすかに見えました。
それにしても、とても気持ちの良い山頂

ちょうどお昼時で、あちこちでお弁当を広げる登山客がいました。
帰りは「小田城コース」で尾根伝いに下りました。

途中にある『下浅間神社』。
巨石の下に祠があります。
この巨石も、関東平野、富士山を見渡しています。
山頂にある『浅間神社』に対し、下にあるから『下浅間神社』と名付けられているのでしょうか。
そうすると、山頂の浅間神社とセットでお参りすると良いのかな?
宝篋山には、山頂の浅間神社や「尖浅間」「下浅間神社」等があって、「浅間(せんげん)」=富士山信仰も強く感じられます。
浅間信仰は、富士山の噴火を鎮め、富士山を神として崇め、祈るものといいます。
古くから、ここでも祈りが捧げられたのでしょう。
富士山は、1707年に宝永大噴火から沈黙を保っていますが、いつ噴火してもおかしくないといいます。
どうか、大規模な噴火がおきませんように。
でも逆に、富士山に祈りを捧げられる場ということは、関東平野の広がりを感じながら富士山が見られるという絶景でもあります。
だから、筑波山と同様に、国土交通省選定 『富士見百景』 に選べばれているのも、むべなるかな。

『硯石』と看板のあった岩。
くぼみがあって、小さい石が置かれていました。
この小さい石で、くぼみを作ったようです。だから『硯石』なのかな?

写真では分かりにくいのですが、結構急な斜面を道が横切っています。
大雨が降ると、土砂崩れで道が無くならないか、ちょっと心配・・・。
また途中、森の中で、道の脇に「筑波町」と彫られた境界標がたくさん。
このあたりは、どっぷりつくば市(旧筑波町)域に位置し、土浦市境界とも石岡市境界とも離れているので、とても不思議。

下の方になると、筑波変成岩ではなくて、風化した花崗岩のような岩が見られました。
苔が生えてます

変成岩地帯の中に、ところどころ花崗岩地帯があるのかな。
今回は麓の愛宕神社の脇を抜けて国道125号に出て、市営駐車場に向かいました。
とにかく地元の方の愛と熱意が伝わる、大変気持ちのよいトレッキングコースにして、
鄙びていながらも、聖地として品格が感じられる宝篋山とその山麓です

(聖地としての品格が感じられるのは、その埋もれた歴史を紐解くと納得します

宝篋山付近の話については、以前書いた記事も良かったら♪
→ 宝篋山麓 中世のたたずまいを歩く
http://cardamom.tsukuba.ch/e235745.html
→ 信仰とジオの意外な関係(3)後篇 ~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン~
http://cardamom.tsukuba.ch/e295775.html
→ “ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
http://cardamom.tsukuba.ch/e298540.html
【おまけ】

小田の街中にて、最近開店した地元の農産物や手作りのスイーツやクラフトを扱うお店『TAMARIBAR (タマリバー)』さん。
昨年末12/15に開店したばかりとのこと。
宝篋山登山の帰りに、地元産農産物やお土産が買えて、とても良い


こちらで、野菜の他に、シルクの眼鏡拭き(写真上)と、絵はがき(写真下)を買いました、
シルクの眼鏡拭きは、国産絹織物を栗の渋皮で染めたものとのこと。
眼鏡以外にも、スマホの画面を拭くにも良いですよね

絹というと、ここからちょっと北に行ったところにある蚕影山神社を連想します。
蚕の起源を語る金色姫伝説が伝わる古社で、関東甲信越地域を中心に広がる蚕影神社の総本社。
そして、とても味わいのある宝篋山の絵葉書

絵がとても可愛い。
宝篋山に咲くツツジとコブシ、野鳥のメジロ、山頂の宝篋印塔、そして近くにあるらしい八幡宮の絵。
八幡宮は、『かつて小田の北西にある甲山(かぶとやま)にあり、江戸初期に移されたと伝えられている』(文献3)のだそうです。
宝篋山登山の記念にも良いですね(^^)

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養蚕信仰 ~ 群馬県にお住まいの方からご教示頂きました!
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Posted by かるだ もん at 23:02│Comments(0)│地域・お出かけ
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