“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)

※ラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』2016年10月20日(木)の放送でお話した内容を、再構成して書いています。


今年2016年4月に開園された、つくば市小田にある『小田城跡歴史ひろば

まだまだご存知ない方も多いかと思います。
また行ってみようと思っても、どこをどう見たら良いのかな?と思う方も多いのではないでしょうか。

いろいろ知ると、とても面白い歴史を持つ、小田城。

そんな小田城跡歴史ひろばの『見どころ』と『歩き方』について、
勉強させて頂いた(※)ことも含め、
私かるだもんが、個人的に好きな場所を巡るコースなどを書いてみますちょき

とりあえず、ポイントは8つ上げてみました。
小田城跡歴史ひろば巡り 入門編』としてお役に立つと嬉しいです。


“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
小田城は、昭和10年に国指定遺跡に指定されています。

鎌倉時代から戦国時代まで、関東八屋形の一つであった小田氏の居城でした。
戦国時代終わりの頃は、佐竹氏に奪われ城主が3回変わり、最後は1602年(慶長7年)廃城となりました。

近代に入り、大正時代、土浦から岩瀬まで繋ぐ、旧筑波鉄道が開業し、
路線が城跡のど真ん中を突っ切る・・・などの憂き目にあい、
その後は田んぼやら荒れ地になりながらも、
最近になって、小田城跡(あと)は7年の歳月をかけて発掘調査が行われ、その後、保存のために埋め戻されました。

そしてその上に更に約1m土を盛った土地に、発掘した当時の様子を中心に遺構を復元した、歴史公園として整備されました。
また同時に、鎌倉時代から戦国時代までこの土地を治めていた小田氏についてや、小田地区で発掘された歴史遺物も分かりやすく展示された、資料館も併設されました。



①小田城跡歴史ひろば案内所

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
まずは、最初に、歴史ひろば案内所の展示は是非ご覧ください。
小田氏代々の城主の業績など、わかりやすく展示されている資料館です。
小田城の周りの様子、発掘されたもの、文化財の分布なども展示されています。
ビデオによる説明もあって、わかりやすいです。

ここでパンフレットをもらって、それを見ながら歴史ひろばを廻りましょう♪

ちなみに、この歴史ひろば案内所があった場所は、旧筑波鉄道の『常陸小田駅』があった場所だそうです。

すぐそばの自転車道路(りんりんロード)旧筑波鉄道の線路跡です。
しかし列車が走っていた頃の線路とは違い、現在のりんりんロードは小田城の中は突っ切らず、南側に迂回して通っています。


②土塁の中の城跡に入るときは、案内所に一番近いトイレがある口からでなく、堀の周りを半周して反対側の大手口から入る。


“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
案内所から歴史ひろばに向かうと、トイレがある『入口風』な場所がありますが、これは正式な『入口』ではありません!
(ポイント⑦で後述します)

ここから入らず、左に道なりに進み、ぐるっと反対側にある大手口(東虎口)に向かって下さい。






“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
案内所がある場所の反対側に行くと、大手口が見えてきます。











“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
公園の説明板も、大手口(東虎口)から始まります。
※大手口の別名は東虎口(ひがしこぐち)。また堀は「東堀」、橋は「東橋」と名付けられていて、要は、復元広場の東側です。









“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
大手口の橋(東橋)は、発掘調査の結果から 途中まで土の橋で、途中から木の橋になっていた様子を復元。
ただし安全面から、当時は木製だった橋は、手すり付きの茶色い鉄製の橋になっています。

同じく発掘調査の結果、堀の底は障子のような升目に掘っている『障子掘り』だったことがわかりました。 
障子掘り』は、マスの深さ1m近くあったそうです。
深さを分からなくするためと、足を捉えて侵攻を妨げるための構造とのこと。

ただし、復元した掘は、危険なので、実際よりも浅く作っているそうです。
『障子掘り』も危険なのと、水がたまりやすく蚊が発生したりで、メンテナンスが大変なので、堀の底の『障子掘り』は復元していないそうです。
→だから、現在の堀の底は平らです。

さて土塁の周りの堀と、内側の復元されて広場になっている場所は、発掘調査後に保存の為に埋め戻して、さらに1mほど土を持って、建物跡や池の跡を復元して作られています。
だから、現在ある地面は、実際に最後に城跡があった地面より1m程高いのです。


“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
園内には大小の説明板がありますので、よ~く読んでみてくださいねハート










③ビューポイント2か所: 通称「涼み台」の上からの見渡した景色、「涼み台」下の東池から見た筑波山。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
一番の高台『涼み台』のある高さが、当時の土塁の高さではないかと考えられるそうです。
(現在は3m程度、本来は4~5mあったと考えられるそう)。

昔、まだ『荒れ地』だった小田城跡に行くと、ぽつんとあった盛り土のような高台・通称『涼み台』。
周りが整備されて、すっかり貫禄のある高台に見えますね♪

涼み台は、『物見やぐらがあったとも考えられるが、何も発掘されなかったので詳しくは分からない』
のだそうです。

園内の池は東池と西池の2つがあります。
大きくて、あずまやがそばにあるのが東池。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
ここから筑波山を見た景色が良いのです♪
多分、当時も筑波山を借景として風景を楽しんだのではないかといわれています。

多分そのうち、
『東池ほとりから筑波山を見た風景』
が、つくばの名所絵ハガキとして出るのではないかとニラんでいます(^^)v





“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
涼み台から見下ろした園内と、バックの宝篋山(小田山)









さてここからは3つ続けて、
特に見てほしい『復元の見どころ』
です。

④東池の作り。復元方法。

池は海辺を模した『磯敷き州浜(州浜護岸)』と呼ばれる作り方。
中世の貴族の館の庭園の池など、この手法の池だったそうで、維持に手間がかかるそう。
戦国武将、特に地方の豪族が貴族の館の庭園のような池を持つのは珍しい例だそうですキラキラ

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
写真のように、浜辺を模した小石の様子も復元されています。








“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
東池・西池の2つの池は、池の水が多くなると、細い水路(暗渠)で別の池や堀に排出するしくみになっていて、それも復元。
当時も、排水はちゃんと考えられていたのですねグッド





池の周りを白く固めているのはセメントではなく、特殊な材料で固めているそうですびっくり

現代の池は大きな石で囲った『石積み護岸』がほとんどだそうですが、発掘された『東池』は、池の周りは土で固めて浜辺を模した『州浜護岸』。
それを再現しようとしたそうですが、当時と現在では土質が異なるのか、現在の土では池の形に保てないため、復元には人工的な材料で当時の池の形を作るように囲ったとのことです。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
そのうち草が生えてきて、良い感じになるそうですハート
今は細い植栽も大きく茂ってくるでしょうし、楽しみですね♪

発掘調査から、小田城跡からは、当時の高級品だった中国からの輸入陶磁器の破片もたくさん発掘されています(案内所にも展示されています)。
ここから見た筑波山の景色を愛でながら、接待などしていたのかもしれませんね(´-`).。oO





⑤南西虎口(なんせいこぐち)の跡の、石組みの復元。

これは私の個人的な一番の見どころです。

ここだけは、
『出土した時の状況のままの姿を再現』
しているそうです。

しかも、今見られる石組みの『石』は、
出土した石一つ一つまで忠実に再現した人口の石
なのです!びっくり

本物の石組は、歴史ひろばの他の場所同様、1m土の下にあります。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
石組みの石は、どうも、いろんな石を利用していた模様です。

注目は、お地蔵さまのような『石仏』まで石組みに使われており、
それもちゃんと再現されています!
他にも何かの石造物を利用したらしいものもあります。

・・・それにしても、どういう経緯で、どこにあった石仏を持ってきて他の石と一緒に積んだのか・・・
興味があります。

行ったら是非見つけてみてくださいハート



“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
礎石があることから、当時は木製の門があったと考えられるとのことで、
その礎石もちゃんと再現されています。









⑥建物の柱があった場所の印。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
建物跡が色分けされているのには、意味がありますグッド
赤い四角の地面は礎石があった場所、白い四角の地面は掘立柱の穴があった所を表しています。

発掘調査で出てきた本物の地面は、現在は埋め戻されて現在の地面の1mほど下にあるので、このような表現をしているとのことです。

また、堀についての説明、橋についての説明など、近くの説明板を読むとわかりやすいので、是非読んで下さいね♪



⑦旧筑波鉄道が、城跡のどまんなかを突っ切っていたなごり。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
土浦から岩瀬を繋いでいた旧筑波鉄道は、現在自転車道・りんりんロードとなっており、小田城跡では、ぐるっと城跡を迂回していますが、城跡手前で急に不自然に迂回しています。
ポイント①②でも触れましたが、旧筑波鉄道の線路は、小田城跡を斜めにど真ん中に突っ切っていました。
公園のトイレがある場所の『土塁の切り通し』箇所が、突っ切っていた名残です。

有る意味、筑波鉄道と小田城跡の黒歴史(^^;)だと思いますが、ここは転んでもタダでは起きていないのがすごいキラキラ




“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
逆に土塁の切りとおしだった跡から、土塁の形作ってきた土の積み重ねの歴史、外に広がっていった様子がわかったそうです。
それを説明しているのが、トイレ前の壁の展示です。








⑧そして最後にもう一度、歴史ひろば案内所に行って、城の復元ジオラマを見る。

“ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
一通り廻ってから、最後に再び案内所へ行って展示や説明を読むと、
より当時の小田城の状態が実感できます。おすすめします!








ということで、まずは、この8ポイントを押さえて、小田城跡歴史ひろばに行ってみて下さいね。
ただの『広場』ではないのが、よくわかると思います(^^)v

宝篋山登山の帰りにも寄って見て下さいちょき
宝篋山頂上の宝篋印塔を作ったお寺(極楽寺)を守護していた小田氏の居城です笑


【2017年7月24日追記】

小田氏関連の武具がご覧になりたい方は、足を延ばして、つくば市のお隣、常総市の
『常総市地域交流センター(通称:豊田城)』
に行くと、見ることが出来ます。
 豆電球ご参考 → 常総市地域交流センター(豊田城)が、良い!




※【謝辞】
以上は、小田城歴史ひろばに関する、観光ボランティア関係のいくつかの現地勉強会や、つくば市主催の講演会で勉強させて頂いた内容から、かるだもんの理解の範囲で書いたものです。
機会を下さった関係者にお礼申し上げます。
また、事実誤解・誤謬がありましたら、ご教示頂けると幸いです。








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Posted by かるだ もん at 19:37│Comments(0)地域・お出かけ ラヂオつくば 番組
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かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城

別館: 夢うつつ湯治日記 https://note.com/carfamom/

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