2013年09月07日
宝篋山麓 中世のたたずまいを歩く
宝篋山麓 中世のたたずまいを歩く
9月初旬の休日、宝篋山(ほうきょうさん)の麓を少し歩いてきました。
つくば市が発行している「宝篋山ハイキングマップ」(つくば市HPのマップ:https://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/dbps_data/_material_/_files/000/0)
によると、
宝篋山登山には、
1.山口コース(1)
2.山口コース(2)
3.新寺コース
4.小田城コース
5.極楽寺コース
6.常願寺コース
の6つがあります。
今回は、山頂には向かわず、小田休憩所を起点に、4.小田城コース 途中まで と、5.極楽寺コース途中までを歩きました。
小田休憩所
きれいな木造の建物と、立派な案内板。 木製の椅子とテーブルもまわりにはあります。
休憩所には、ボランティアの方が数人いらっしゃいました。
案内版の、中世に栄えたという「常陸の国 三村山 清冷院極楽寺群 1300年頃の想像図(真ん中)は圧巻です。
道端のザクロの木の実越しに見た、宝篋山。
登山者用駐車場は既にほぼ満車・・・。(まだ朝9時過ぎ)
まずは、極楽寺コースを五輪塔まで行ってみることにしました。
コースのいたるところに、手作りの標識や看板があり、大変判りやすいです。
休憩所から歩いて数分のところに、まず、県指定文化財の地蔵菩薩立像がありました。
結構大きいお地蔵さまです。
鎌倉時代のものとのこと(文献)ですが、ひどく風化しておらずきれいです。
優しく穏やかなお顔のお地蔵様です。
説明版によると、
「現在の小字名を『尼寺入り』といい、かつては、僧寺と尼寺の多くの伽藍が立ち並んでいたことだろう」
とのことで、
「本像は正応二年(1289)に造立されたもの」
「『湯地蔵』といわれ、安産と乳が出るようにという祈願のために、小田の人々によって守られてきた」
とのこと。
道の位置と比べて、地蔵菩薩の向いている方向が変わっているなぁ・・・と思い、その方向を見ると・・・。
早くも刈り入れが終わった田の向こうに、極楽寺跡と思われる、台地状の土地。
休憩所の看板の再現図によると、この写真のあたりにメインの伽藍があったようです。
お地蔵さまはお寺の方を向いておられたのでしょうか。
極楽寺跡は、この写真から、南の小田の中心方面に向かって細長く伸びていたようで、現存していれば、相当大規模なお寺だったと思われます。
三村山極楽寺と、名前だけは知っていましたが、こんなに大きな寺跡だと思いませんでした。
行かないとわからないものです。
更に歩いていきます。
刈り入れが始った田。美味しい小田米です。
自治会やグループの名前入りの看板の立つ田も。契約栽培でしょうか。
写真では分かりにくいのですが、遠くには、つくばセンター地区や筑波大学のビル群が見えます。
極楽寺コース途中にある、県指定文化財の五輪塔。
これも鎌倉時代のものだそう(文献1)
説明版によると、この辺りは極楽寺の奥の院だったようです。
写真では伝わりにくいのですが、五輪塔は高さ276.5cmとのこと。3m近い大きさ!
周りの雰囲気とともに、静謐で堂々とした存在感に圧倒されます。
もう何百年も前から、ここにひっそりと建っていて、世の中を見てきたのでしょう。
脇の小さな三角の石には、「…小田天○○先祖代々之…」 と彫られているのがうっすら読めました。
五輪塔のある場所の入口の道端にある大きな石。
特に名前はないようですが、巨石マニアの私としては大変気になります
ここから元来た方向へ引き返し、今度は小田城コースに入ってみます。
途中、家のような集会所のような建物があり、その脇に、いくつかの祠や石造物がひっそりとあります。
木造やトタンで囲まれたものも。
道端に並ぶ、小さな石仏群。
鎌倉時代からずっと、人々の行き来を見てきたのでしょう。
石仏のいくつかには、何かを祈願しているらしい、「奉納百八燈籠二世安楽之為也 ○○家』 と書かれた紙の帯が貼られています。
※これに似たものを、先日、土浦の石仏でも見ました。
石の水がめに祀られている石仏。
中世の雰囲気を残しながらも、今も信仰が続いている のに感銘を受けました。
時間の関係で、ここから引き返し、小田休憩所に戻りました。
今回のルートで、のんびり写真を撮りながら歩いて、1時間程度。
途中、宝篋山登山らしい登山グループと何組も合いました。
またトレイルランのグループにも。
コースもたくさんあり、大変魅力的な宝篋山。
今度は山頂を目指すつもりです!
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参考文献
1.「つくば市の文化財」 つくば市教育委員会 編集 つくば市発行
9月初旬の休日、宝篋山(ほうきょうさん)の麓を少し歩いてきました。
つくば市が発行している「宝篋山ハイキングマップ」(つくば市HPのマップ:https://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/dbps_data/_material_/_files/000/0)
によると、
宝篋山登山には、
1.山口コース(1)
2.山口コース(2)
3.新寺コース
4.小田城コース
5.極楽寺コース
6.常願寺コース
の6つがあります。
今回は、山頂には向かわず、小田休憩所を起点に、4.小田城コース 途中まで と、5.極楽寺コース途中までを歩きました。
小田休憩所
きれいな木造の建物と、立派な案内板。 木製の椅子とテーブルもまわりにはあります。
休憩所には、ボランティアの方が数人いらっしゃいました。
案内版の、中世に栄えたという「常陸の国 三村山 清冷院極楽寺群 1300年頃の想像図(真ん中)は圧巻です。
道端のザクロの木の実越しに見た、宝篋山。
登山者用駐車場は既にほぼ満車・・・。(まだ朝9時過ぎ)
まずは、極楽寺コースを五輪塔まで行ってみることにしました。
コースのいたるところに、手作りの標識や看板があり、大変判りやすいです。
休憩所から歩いて数分のところに、まず、県指定文化財の地蔵菩薩立像がありました。
結構大きいお地蔵さまです。
鎌倉時代のものとのこと(文献)ですが、ひどく風化しておらずきれいです。
優しく穏やかなお顔のお地蔵様です。
説明版によると、
「現在の小字名を『尼寺入り』といい、かつては、僧寺と尼寺の多くの伽藍が立ち並んでいたことだろう」
とのことで、
「本像は正応二年(1289)に造立されたもの」
「『湯地蔵』といわれ、安産と乳が出るようにという祈願のために、小田の人々によって守られてきた」
とのこと。
道の位置と比べて、地蔵菩薩の向いている方向が変わっているなぁ・・・と思い、その方向を見ると・・・。
早くも刈り入れが終わった田の向こうに、極楽寺跡と思われる、台地状の土地。
休憩所の看板の再現図によると、この写真のあたりにメインの伽藍があったようです。
お地蔵さまはお寺の方を向いておられたのでしょうか。
極楽寺跡は、この写真から、南の小田の中心方面に向かって細長く伸びていたようで、現存していれば、相当大規模なお寺だったと思われます。
三村山極楽寺と、名前だけは知っていましたが、こんなに大きな寺跡だと思いませんでした。
行かないとわからないものです。
更に歩いていきます。
刈り入れが始った田。美味しい小田米です。
自治会やグループの名前入りの看板の立つ田も。契約栽培でしょうか。
写真では分かりにくいのですが、遠くには、つくばセンター地区や筑波大学のビル群が見えます。
極楽寺コース途中にある、県指定文化財の五輪塔。
これも鎌倉時代のものだそう(文献1)
説明版によると、この辺りは極楽寺の奥の院だったようです。
写真では伝わりにくいのですが、五輪塔は高さ276.5cmとのこと。3m近い大きさ!
周りの雰囲気とともに、静謐で堂々とした存在感に圧倒されます。
もう何百年も前から、ここにひっそりと建っていて、世の中を見てきたのでしょう。
脇の小さな三角の石には、「…小田天○○先祖代々之…」 と彫られているのがうっすら読めました。
五輪塔のある場所の入口の道端にある大きな石。
特に名前はないようですが、巨石マニアの私としては大変気になります
ここから元来た方向へ引き返し、今度は小田城コースに入ってみます。
途中、家のような集会所のような建物があり、その脇に、いくつかの祠や石造物がひっそりとあります。
木造やトタンで囲まれたものも。
道端に並ぶ、小さな石仏群。
鎌倉時代からずっと、人々の行き来を見てきたのでしょう。
石仏のいくつかには、何かを祈願しているらしい、「奉納百八燈籠二世安楽之為也 ○○家』 と書かれた紙の帯が貼られています。
※これに似たものを、先日、土浦の石仏でも見ました。
石の水がめに祀られている石仏。
中世の雰囲気を残しながらも、今も信仰が続いている のに感銘を受けました。
時間の関係で、ここから引き返し、小田休憩所に戻りました。
今回のルートで、のんびり写真を撮りながら歩いて、1時間程度。
途中、宝篋山登山らしい登山グループと何組も合いました。
またトレイルランのグループにも。
コースもたくさんあり、大変魅力的な宝篋山。
今度は山頂を目指すつもりです!
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参考文献
1.「つくば市の文化財」 つくば市教育委員会 編集 つくば市発行
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