2015年09月01日
大人の♪いばらきおとぎ話2。水戸のご老公まつわる、お・と・なの話~その1
大人の♪いばらき おとぎ話2。 水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その1
※2015年8月7日に、FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話しした内容を再構築したものです。
水戸のご老公= 水戸光圀侯にまつわる話は、茨城県下、特に旧水戸藩領を中心に、数多くお話が伝わっています。
その中で、ちょっと『お・と・な』のお話(?)3つ をピックアップしてご紹介します。
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(1)髑髏(しゃれこうべ/どくろ)の杯
江戸時代後期に書かれた『甲子夜話(かっしやわ)』という随筆(文献1)があります。
松浦静山(まつらせいざん)という、今の長崎県にあった平戸藩のお殿様が書いたものです。
その中(巻之五 十三)で紹介されている、『水戸黄門卿の髑髏杯の事』というお話が記載されています。
これによると、水戸の近く、那珂市瓜連の常福寺に、髑髏の杯が伝わっているのだそうです。
※この場合『髑髏』は、『しゃれこうべ』と読むのが良いのか、『どくろ』と読むのが良いのか、わかりませんが、個人的には『しゃれこうべ』かな。
【あらすじ】
その昔、水戸の黄門こと、光圀公がまだ小さい頃、長年身の回りの世話をしていた一人の下僕がおりました。
ある時、その召使が罪を犯してしまい、追放されてしまいました。
でも、その下僕は、追放されてからも陰に隠れて、光圀公を見守っていました。
光圀公も薄々気づいて、気付かないふりをしていましたが、ある日、この召使はひょっこりと、光圀公の前に出てしまったのです。
内心可哀そうに思いながらも、しめしがつかないということで、その召使を手打ちし、死骸を、光圀公のお母さんのお墓のあるお寺(現在の常陸太田市にある久昌寺(きゅうしょうじ))に埋めさせました。
後に遺骸を掘り起こし、頭蓋骨に金箔を貼り、内側は赤く漆で塗り固めて、お酒を飲む杯にしました。1升位入る杯で、酒豪だった光圀公は、これを愛でながら、お酒を飲んでいたそうです。
この杯で飲むときに、必ず歌う歌があって、
『蓮の葉に やどれる露は、釈迦の涙か ありがたや。そのとき蛙 とんで出で、それはオレが小便じゃ』
髑髏の杯は、光圀公が撫でて愛でていたためか、琥珀色でとても綺麗だと、当時の常福寺の僧侶が話していたと言います。
・・・という内容が、上に書いた『甲子夜話』に載っています。
その常福寺のHP(http://homepage3.nifty.com/joufukuji/index2.htm)を見ても寺宝には『髑髏杯』の記載は見当たりません。
しかし「茨城の酒と旅」という本(文献2)によると、著者は常福寺で実物は見せてもらえなかったものの、写真を見せてもらったそうなのです。
文献2には、日露戦争の時や太平洋戦争の時に出征の無事を祈って、地元の人がこの杯で飲んだ人たちがいる…という逸話も書かれています(ちなみに同書は昭和47年に発行された書籍)。
さて同書によると、(写真で見た)髑髏杯は、頭蓋骨の上あごより上の部分(つまり下あごはない)で、額あたりから上の部分と下の部分の2つに分かれており、いずれも内側は赤く漆で塗られていて、液体が漏れないようになっているそう。
だからお酒を注ぐと、まるで血をなみなみとたたえているように見えるだろう…とのこと。
・・・う~ん。
『髑髏杯』は、一般的に織田信長の話が有名です。
打ち取った武将の頭蓋骨で作った杯で部下達に酒を飲ませようとしたといいます。
真偽のほどはわかりませんが、本当なら正直悪趣味な話。
しかし水戸黄門の『髑髏杯』は、一人で髑髏を愛でながらお酒を飲んでいたとのことなので、織田信長よりずっと良い気はしますね。
琥珀色になるくらい愛でていたそうですから。
それにしても、いつも歌っていた『蛙が飛んできて…』の戯れ歌の真意は、何なのでしょうねぇ??
※なお、杯になった髑髏のいわれについては、文献2では、文献1とは違う話を3つ伝えています。
【訪問記】
さて、先日、那珂市瓜連地区にある常福寺に行ってきました。
常福寺は、佐竹氏、水戸徳川家の庇護もあった、由緒ある古刹。
江戸後期建築という、立派な楼門。
広い境内。
度重なる火災で、多くの建物は比較的新しいもののようです。
宝物殿もありましたが、到着が遅く、閉館時間で見られませんでした。
残念・・・。
『髑髏杯』については同寺のホームページを見ても書かれていないので、本当にあったとしても公開はされていないのかもしれません。
でもそういう伝説が伝わっているというだけでも、ミステリアスで興味深いです。
境内にある『二十六夜尊』
江戸時代、特に江戸を中心に二十六夜の月待ちが人気だったそうで、浮世絵の題材にもなっていますが、水戸でも二十六夜待ちの風習があったようですね。
ちなみにこちらのお寺の二十六夜尊は、常福寺再興に功績があった了誉上人をお祀りしているそうです。
常福寺と瓜連城跡についての那珂市教育委員会による説明板。
常福寺の境内のある場所は、同時に瓜連城跡の本丸跡とのこと。
由緒ある場所なんですね。
水戸光圀公の髑髏杯の伝説を訪ねて、思いがけず中世の城跡を訪ねる旅にもなっていました(^^)
【おまけ】
杯・・・といえば、やっぱりお酒でしょう♪
常福寺の近くにある、造り酒屋さん(菊盛)で一本買って、帰宅後、光圀公の髑髏杯をしのびながら(?)、美味しい地酒を一杯やりました。
美味しかった
写真左側が菊盛の純米酒。
(北茨城市の、天心記念五浦美術館に行った帰りに那珂市瓜連に寄ったので、『茨城県天心記念五浦美術館~異界へのいざない展 と 北茨城の旅』の写真と同じです。
次回に続きます。
→ 大人の♪いばらき おとぎ話2。 水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その2
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【参考文献】
1. 「甲子夜話1」 松浦静山 著 校訂:中村 幸彦/中野 三敏 東洋文庫306 平凡社
2. 「茨城の酒と旅」 西海一人 著 鶴屋書店
※2015年8月7日に、FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話しした内容を再構築したものです。
水戸のご老公= 水戸光圀侯にまつわる話は、茨城県下、特に旧水戸藩領を中心に、数多くお話が伝わっています。
その中で、ちょっと『お・と・な』のお話(?)3つ をピックアップしてご紹介します。
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(1)髑髏(しゃれこうべ/どくろ)の杯
江戸時代後期に書かれた『甲子夜話(かっしやわ)』という随筆(文献1)があります。
松浦静山(まつらせいざん)という、今の長崎県にあった平戸藩のお殿様が書いたものです。
その中(巻之五 十三)で紹介されている、『水戸黄門卿の髑髏杯の事』というお話が記載されています。
これによると、水戸の近く、那珂市瓜連の常福寺に、髑髏の杯が伝わっているのだそうです。
※この場合『髑髏』は、『しゃれこうべ』と読むのが良いのか、『どくろ』と読むのが良いのか、わかりませんが、個人的には『しゃれこうべ』かな。
【あらすじ】
その昔、水戸の黄門こと、光圀公がまだ小さい頃、長年身の回りの世話をしていた一人の下僕がおりました。
ある時、その召使が罪を犯してしまい、追放されてしまいました。
でも、その下僕は、追放されてからも陰に隠れて、光圀公を見守っていました。
光圀公も薄々気づいて、気付かないふりをしていましたが、ある日、この召使はひょっこりと、光圀公の前に出てしまったのです。
内心可哀そうに思いながらも、しめしがつかないということで、その召使を手打ちし、死骸を、光圀公のお母さんのお墓のあるお寺(現在の常陸太田市にある久昌寺(きゅうしょうじ))に埋めさせました。
後に遺骸を掘り起こし、頭蓋骨に金箔を貼り、内側は赤く漆で塗り固めて、お酒を飲む杯にしました。1升位入る杯で、酒豪だった光圀公は、これを愛でながら、お酒を飲んでいたそうです。
この杯で飲むときに、必ず歌う歌があって、
『蓮の葉に やどれる露は、釈迦の涙か ありがたや。そのとき蛙 とんで出で、それはオレが小便じゃ』
髑髏の杯は、光圀公が撫でて愛でていたためか、琥珀色でとても綺麗だと、当時の常福寺の僧侶が話していたと言います。
・・・という内容が、上に書いた『甲子夜話』に載っています。
その常福寺のHP(http://homepage3.nifty.com/joufukuji/index2.htm)を見ても寺宝には『髑髏杯』の記載は見当たりません。
しかし「茨城の酒と旅」という本(文献2)によると、著者は常福寺で実物は見せてもらえなかったものの、写真を見せてもらったそうなのです。
文献2には、日露戦争の時や太平洋戦争の時に出征の無事を祈って、地元の人がこの杯で飲んだ人たちがいる…という逸話も書かれています(ちなみに同書は昭和47年に発行された書籍)。
さて同書によると、(写真で見た)髑髏杯は、頭蓋骨の上あごより上の部分(つまり下あごはない)で、額あたりから上の部分と下の部分の2つに分かれており、いずれも内側は赤く漆で塗られていて、液体が漏れないようになっているそう。
だからお酒を注ぐと、まるで血をなみなみとたたえているように見えるだろう…とのこと。
・・・う~ん。
『髑髏杯』は、一般的に織田信長の話が有名です。
打ち取った武将の頭蓋骨で作った杯で部下達に酒を飲ませようとしたといいます。
真偽のほどはわかりませんが、本当なら正直悪趣味な話。
しかし水戸黄門の『髑髏杯』は、一人で髑髏を愛でながらお酒を飲んでいたとのことなので、織田信長よりずっと良い気はしますね。
琥珀色になるくらい愛でていたそうですから。
それにしても、いつも歌っていた『蛙が飛んできて…』の戯れ歌の真意は、何なのでしょうねぇ??
※なお、杯になった髑髏のいわれについては、文献2では、文献1とは違う話を3つ伝えています。
【訪問記】
さて、先日、那珂市瓜連地区にある常福寺に行ってきました。
常福寺は、佐竹氏、水戸徳川家の庇護もあった、由緒ある古刹。
江戸後期建築という、立派な楼門。
広い境内。
度重なる火災で、多くの建物は比較的新しいもののようです。
宝物殿もありましたが、到着が遅く、閉館時間で見られませんでした。
残念・・・。
『髑髏杯』については同寺のホームページを見ても書かれていないので、本当にあったとしても公開はされていないのかもしれません。
でもそういう伝説が伝わっているというだけでも、ミステリアスで興味深いです。
境内にある『二十六夜尊』
江戸時代、特に江戸を中心に二十六夜の月待ちが人気だったそうで、浮世絵の題材にもなっていますが、水戸でも二十六夜待ちの風習があったようですね。
ちなみにこちらのお寺の二十六夜尊は、常福寺再興に功績があった了誉上人をお祀りしているそうです。
常福寺と瓜連城跡についての那珂市教育委員会による説明板。
常福寺の境内のある場所は、同時に瓜連城跡の本丸跡とのこと。
由緒ある場所なんですね。
水戸光圀公の髑髏杯の伝説を訪ねて、思いがけず中世の城跡を訪ねる旅にもなっていました(^^)
【おまけ】
杯・・・といえば、やっぱりお酒でしょう♪
常福寺の近くにある、造り酒屋さん(菊盛)で一本買って、帰宅後、光圀公の髑髏杯をしのびながら(?)、美味しい地酒を一杯やりました。
美味しかった
写真左側が菊盛の純米酒。
(北茨城市の、天心記念五浦美術館に行った帰りに那珂市瓜連に寄ったので、『茨城県天心記念五浦美術館~異界へのいざない展 と 北茨城の旅』の写真と同じです。
次回に続きます。
→ 大人の♪いばらき おとぎ話2。 水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その2
-------------------------------------------
【参考文献】
1. 「甲子夜話1」 松浦静山 著 校訂:中村 幸彦/中野 三敏 東洋文庫306 平凡社
2. 「茨城の酒と旅」 西海一人 著 鶴屋書店
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