2015年09月07日
大人の♪いばらき おとぎ話2。水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その2
大人の♪いばらき おとぎ話2。 水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その2
※2015年8月7日に、FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話しした内容を再構築したものです。
水戸のご老公= 水戸光圀侯にまつわる話は、茨城県下、特に旧水戸藩領を中心に、数多くお話が伝わっています。
その中で、ちょっと『お・と・な
』のお話(?)3つ をピックアップしてご紹介するシリーズ その2です
今までのお話: 大人の♪いばらき おとぎ話2。 水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その1
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(2)わかめとあわびの化け物
2つめのお話。今度は、水戸のご老公の化け物退治のお話です。
ちなみに、ご老公の化け物退治の話題は、昨年の夏、県南のかすみがうら市(旧千代田町)の椿堂に伝わるお話を紹介しました。
→ 茨城県南の七不思議(仮)その3
http://cardamom.tsukuba.ch/e259043.html
今回は、県央の大洗町涸沼川の岸の大きな岩に伝わるお話です。
『機織石』や『織姫塚』の伝説として伝わっています。
【あらすじ】 (文献3、4より)
大洗に近い、那珂川の岸にある大きな岩の下は深い淵になっています。
風のない日に水面に耳を当てると、機を織る音がするということで、淵の底には機織りをするお姫様が住んでいると言われていました。
その話を聞いた光圀公はある日、剣の達人 和田平助正勝を連れて、水底の姫を訪ねました。
大きな門があったので扉を叩くと、美しいお姫様が出てきました。
『何者じゃ?』と聞くので、『水戸の中納言 光圀である』と答えると、『汝らの来る場所ではない。早く帰るがよい。長くここにとどまると命はないぞ』と追い返されてしまいました。
しかたなく二人は門を出ようとすると、九つの穴を持つ大きなアワビが門にぴったりと張り付いて出られません。
剣の達人、和田平助が刀でアワビを突き刺すと、アワビの血が水面に上がって行き、アワビが門から離れて、やっと門の外に出られました。
すると今度は川底に広がる百ひろの大ワカメが光圀と平助を包んでしまい、動けなくなりました。
平助が必死に刀でワカメを切って、やっと二人は岸に上がることができました。
水面に浮かぶ血を見て、二人を案じていた家来たちは、光圀の無事な姿を見て安心しました。
光圀公はこの出来事を家来たちに話し、この織姫石の付近に立ち寄ることを禁止したとのことです。
ちなみにそのあたりには、その昔、遊郭があって男性の遊び場として有名な場所だったそうです。
・・・美しいお姫様、そして「わかめとあわびの化け物」ってなんでしょうか?(^m^)
そして光圀公は、若いころ、めっちゃ遊んでいたそうです。。。
私は個人的に、もう一人の登場人物 『和田平助正勝』に興味を持ちました。
さて、若いころの遊びはおいといて(?)、光圀公は実際、涸沼川での舟遊びがお好きだったそうです。
那珂川河口から涸沼川をさかのぼって涸沼にたくさんの舟で繰り出して、魚を採る漁や、獣を捕る猟をしたり、舟に乗ってお酒を飲んで、詩歌を作ったり…という行楽を何度も楽しんだとか(文献6)。
【訪問記】
「機織石」/「織姫塚」を見たいと思い、話が伝わる涸沼川の下流付近を訪ねてみました。
話が伝わる場所は、文献によると
候補① 水戸市下大野の対岸。近くに『呼塚(よばりづか)』と呼ばれる古墳があり、昔は織姫塚あるいは機織(はたおり)塚と呼ばれていた。(文献3 茨城の史跡と伝説 茨城新聞社編 暁印書房)
候補② 祝町願入寺の裏。涸沼川と那珂川の合流するところは深い淵になっている。(文献4 常陸の伝説 藤田稔 編著 第一法規))
候補③ 大洗町五反田地区の北方の涸沼川岸に突出している第三期層の大きな岩石(文献5 大洗歴史漫歩 大久保景明 著・発行)
とあります。
①は地図で現在の調べると「水戸市下大野町」の対岸かと思いますが、対岸は大洗町でなく、ひたちなか市(旧那珂湊市)。しかも川は涸沼川でなく那珂川です・・・??
②は水戸八景のひとつ「巌船夕照」の地でしょうか。このあたりも地形的には大きな岩や淵はありそうです。ただし塚や古墳はあるかどうか不明。
しかし、涸沼川と那珂川の合流地点ですと、「涸沼川の話」というよりも、より大きな「那珂川の話」として伝わりそうに思うのですが?
③ これが具体的ですし、確かにこの場所なら「涸沼川」沿岸と明言出来ます。地形的にも深い淵がありそうです。
しかも著者は地元の郷土史家の方とのこと。これで決定的ですね!
・・・ということで、候補③の対岸付近にあたる、水戸市川又町春日香取神社がある付近を訪れ、そこから大洗方向を見てみることにしました。

このあたりは、涸沼川の下流で、那珂川と合流する直前の場所。
小高い丘の下を涸沼川は大きく蛇行しています。
地形的にも深い「淵」になっていそうです。
写真は対岸の水戸市側から、大洗町側を撮影。
この写真の中央付近の水面近くに、露出している岩が見えます
。

アップにすると。
木に覆われてちょっと見えにくいのですが、確かに岩が露出しています
。
淵のそばというロケーションといい、これが機織石の可能性がありそうですね!
本当は地元の方に直接聞いてみるのが一番なのですが。
ご存知の方、ご教示頂けると幸いです。

水戸市川又町側の涸沼川沿岸には漁船も停泊していました。
このくらいの船が通れるということは、やはりそれなりに水深はありそうなのかな?

涸沼川の上流方向を望む。ゆったりと平地を流れていて「淵」などなさそうな流れです。
川岸では釣り人も見かけました。何が釣れるのかな?
水戸八景「巌船夕照」のほど近い場所でもあり、夏の夕方、ゆっくりと時が進んでいく風景も良いものでした。
【参考文献】
3. 「茨城の史跡と伝説」 茨城新聞社編 暁印書房
4. 「常陸の伝説」 藤田稔 編著 第一法規
5. 「大洗歴史漫歩」 大久保景明 著・発行
6. 「カラーブックス804 水戸黄門紀行」 鈴木一夫 著 保育社
【参考ホームページ】
大洗町のHP:「織姫塚伝説 (おりひめづかでんせつ)」
http://www.town.oarai.lg.jp/viewer/info.html?id=519
※さらっと無難なあらすじが書かれています(^^)
3つ目の話は次号に続きます。
→ 大人の♪いばらき おとぎ話2。水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その3
※2015年8月7日に、FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話しした内容を再構築したものです。
水戸のご老公= 水戸光圀侯にまつわる話は、茨城県下、特に旧水戸藩領を中心に、数多くお話が伝わっています。
その中で、ちょっと『お・と・な



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(2)わかめとあわびの化け物
2つめのお話。今度は、水戸のご老公の化け物退治のお話です。
ちなみに、ご老公の化け物退治の話題は、昨年の夏、県南のかすみがうら市(旧千代田町)の椿堂に伝わるお話を紹介しました。

http://cardamom.tsukuba.ch/e259043.html
今回は、県央の大洗町涸沼川の岸の大きな岩に伝わるお話です。
『機織石』や『織姫塚』の伝説として伝わっています。
【あらすじ】 (文献3、4より)
大洗に近い、那珂川の岸にある大きな岩の下は深い淵になっています。
風のない日に水面に耳を当てると、機を織る音がするということで、淵の底には機織りをするお姫様が住んでいると言われていました。
その話を聞いた光圀公はある日、剣の達人 和田平助正勝を連れて、水底の姫を訪ねました。
大きな門があったので扉を叩くと、美しいお姫様が出てきました。
『何者じゃ?』と聞くので、『水戸の中納言 光圀である』と答えると、『汝らの来る場所ではない。早く帰るがよい。長くここにとどまると命はないぞ』と追い返されてしまいました。
しかたなく二人は門を出ようとすると、九つの穴を持つ大きなアワビが門にぴったりと張り付いて出られません。
剣の達人、和田平助が刀でアワビを突き刺すと、アワビの血が水面に上がって行き、アワビが門から離れて、やっと門の外に出られました。
すると今度は川底に広がる百ひろの大ワカメが光圀と平助を包んでしまい、動けなくなりました。
平助が必死に刀でワカメを切って、やっと二人は岸に上がることができました。
水面に浮かぶ血を見て、二人を案じていた家来たちは、光圀の無事な姿を見て安心しました。
光圀公はこの出来事を家来たちに話し、この織姫石の付近に立ち寄ることを禁止したとのことです。
ちなみにそのあたりには、その昔、遊郭があって男性の遊び場として有名な場所だったそうです。
・・・美しいお姫様、そして「わかめとあわびの化け物」ってなんでしょうか?(^m^)
そして光圀公は、若いころ、めっちゃ遊んでいたそうです。。。

私は個人的に、もう一人の登場人物 『和田平助正勝』に興味を持ちました。
さて、若いころの遊びはおいといて(?)、光圀公は実際、涸沼川での舟遊びがお好きだったそうです。
那珂川河口から涸沼川をさかのぼって涸沼にたくさんの舟で繰り出して、魚を採る漁や、獣を捕る猟をしたり、舟に乗ってお酒を飲んで、詩歌を作ったり…という行楽を何度も楽しんだとか(文献6)。
【訪問記】
「機織石」/「織姫塚」を見たいと思い、話が伝わる涸沼川の下流付近を訪ねてみました。
話が伝わる場所は、文献によると
候補① 水戸市下大野の対岸。近くに『呼塚(よばりづか)』と呼ばれる古墳があり、昔は織姫塚あるいは機織(はたおり)塚と呼ばれていた。(文献3 茨城の史跡と伝説 茨城新聞社編 暁印書房)
候補② 祝町願入寺の裏。涸沼川と那珂川の合流するところは深い淵になっている。(文献4 常陸の伝説 藤田稔 編著 第一法規))
候補③ 大洗町五反田地区の北方の涸沼川岸に突出している第三期層の大きな岩石(文献5 大洗歴史漫歩 大久保景明 著・発行)
とあります。
①は地図で現在の調べると「水戸市下大野町」の対岸かと思いますが、対岸は大洗町でなく、ひたちなか市(旧那珂湊市)。しかも川は涸沼川でなく那珂川です・・・??
②は水戸八景のひとつ「巌船夕照」の地でしょうか。このあたりも地形的には大きな岩や淵はありそうです。ただし塚や古墳はあるかどうか不明。
しかし、涸沼川と那珂川の合流地点ですと、「涸沼川の話」というよりも、より大きな「那珂川の話」として伝わりそうに思うのですが?
③ これが具体的ですし、確かにこの場所なら「涸沼川」沿岸と明言出来ます。地形的にも深い淵がありそうです。
しかも著者は地元の郷土史家の方とのこと。これで決定的ですね!

・・・ということで、候補③の対岸付近にあたる、水戸市川又町春日香取神社がある付近を訪れ、そこから大洗方向を見てみることにしました。

このあたりは、涸沼川の下流で、那珂川と合流する直前の場所。
小高い丘の下を涸沼川は大きく蛇行しています。
地形的にも深い「淵」になっていそうです。
写真は対岸の水戸市側から、大洗町側を撮影。
この写真の中央付近の水面近くに、露出している岩が見えます

アップにすると。
木に覆われてちょっと見えにくいのですが、確かに岩が露出しています

淵のそばというロケーションといい、これが機織石の可能性がありそうですね!
本当は地元の方に直接聞いてみるのが一番なのですが。
ご存知の方、ご教示頂けると幸いです。

水戸市川又町側の涸沼川沿岸には漁船も停泊していました。
このくらいの船が通れるということは、やはりそれなりに水深はありそうなのかな?
涸沼川の上流方向を望む。ゆったりと平地を流れていて「淵」などなさそうな流れです。
川岸では釣り人も見かけました。何が釣れるのかな?
水戸八景「巌船夕照」のほど近い場所でもあり、夏の夕方、ゆっくりと時が進んでいく風景も良いものでした。
【参考文献】
3. 「茨城の史跡と伝説」 茨城新聞社編 暁印書房
4. 「常陸の伝説」 藤田稔 編著 第一法規
5. 「大洗歴史漫歩」 大久保景明 著・発行
6. 「カラーブックス804 水戸黄門紀行」 鈴木一夫 著 保育社
【参考ホームページ】
大洗町のHP:「織姫塚伝説 (おりひめづかでんせつ)」
http://www.town.oarai.lg.jp/viewer/info.html?id=519
※さらっと無難なあらすじが書かれています(^^)
3つ目の話は次号に続きます。
→ 大人の♪いばらき おとぎ話2。水戸のご老公にまつわる、お・と・なの話~その3
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