2013年12月30日
常陸国風土記1300年記念♪ 常陸国風土記の楽しみ方(後編 おでかけ編)
常陸国風土記1300年記念、おむすび持ってどこへ行こう?後編
おでかけ、こんな場所、こんな楽しみ方!編
※ラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』で放送した内容の再構築したものです。
★前回のお話 → 『常陸国風土記1300年記念! 常陸国風土記の楽しみ方 ”『握り飯持ってどこへ行こう?” 前編 お腹がすく常陸国風土記 古代を味わおう! 』
常陸国風土記の編纂の詔が出されたのが、奈良時代 西暦713年。
そして今年2013年は、ちょうど1300年目に当たるということで、県内各所でイベントが行われました。
この713年の詔で編纂された各地の風土記現在文書として残っているのは、たった5つ、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5つの国だけ。
東日本では、ここ茨城の『常陸国風土記』だけ!
県のHP『茨城県 常陸国風土記1300年記念」 http://www.hitachifudoki1300.jp/
当時の観光ガイドブックとしても読める常陸国風土記。
いろいろ行ってみたいところ、盛りだくさんなのですが、今回、あえて、2か所ご提案♪
1.行方郡… 行方市 風土記にちなむブロンズ像を訪ねて
2.パワーストーンを訪ねて(太刀割り石、玉石(めのう)産地(県北地域))
近場には、地元筑波山や、奈良時代の国府のあった石岡もありますが、あえてここは選ばず、行方と、県北の日立の竪破(たつわれ)山を選びました。
県南県西にお住まいの方は、意外にご存じないかな?というコースです
***************************************************
1.行方郡… 行方市 風土記にちなむブロンズ像を訪ねて。
常陸国風土記は、残念なことに、内容全てが残っているわけではありません。地域によって少ししか記載がなかったり、省略されて全く記載がなかったりする場所もあります。
その中で、唯一、行方郡(なめかたのこおり)がほぼ全文(?)残っています。また、風土記に描かれている場所であろうと言われる場所も、異説はあるようですが、たくさん残っています。
また、このあたりは大きな前方後円墳も多く残っています。
霞ケ浦沿岸にある三昧塚古墳は、壊されかかっていたのを、奇跡的に救えた古墳とのことで、その後の調査で、馬の装飾が施された見事な金の冠が出土しています。
役所の跡だったとも言われる『井上長者曲輪(くるわ)』。現在は広大な畑の一区画になっていますが。空からの航空写真で、敷地と溝の跡がちゃんと残って映っています。
またここからほど近い『井上廃寺』、ここも現在は畑ですが、よく見ると、当時の瓦の破片が落ちています。びっくりです。
『玉清井』『椎井池』とされる泉も残っています。
『化蘇沼稲荷神社』には、奉納相撲のりっぱな土俵もあります。
鹿嶋神社の元だとも伝わる『大生神社』、その周りの『大生古墳群』。大小二百基ほど古墳があるそうです。
1300年前に書かれた風土記にきちんと文章が残っている場所が、まだここにある!というロマンが一番感じられるエリアでしょう。
このように、古代史ファンの夢をかき立てる行方ですが、まずは入門編的&アート鑑賞の両方が楽しめる、『ブロンズ像』巡り です!
行方市在住の彫刻家、宮路久子さんが制作された、常陸国風土記に出てくる人をイメージしたブロンズ像を巡ります。
旧玉造町の時にゆかりの地に6体、常陸国風土記1300年記念の今年、新たに化蘇沼稲荷神社に1体、設置されています。
・椎の池(壬生連麻呂 みぶのむらじまろ)
・橘郷造神社(弟橘姫)
・鴨ノ宮(ヤマトタケル)
・玉清井(ヤマトタケル)
・荒原神社(佐伯の親子像)
・化蘇沼稲荷神社(キツヒコ、キツヒメ)
・霞ヶ浦ふれあいランド虹の搭そば(ヤマトタケル)
7か所全部はまだなのですが、このうち3か所ご紹介。
※ふれあいランドは何度も言っているのに、ヤマトタケルのブロンズ像に気付かず(^^;)
・椎の池(壬生連麻呂 みぶのむらじまろ)
椎井の候補に挙げられている『椎の池』のそばに、可愛らしいブロンズ像がたたずんでいます。
水底の白砂から、今も綺麗な水が湧いているのが見えます。
この池の裏手の丘を上がっていくと、愛宕神社と、『夜刀(やと)の神』をまつる夜刀神社があります。
夜刀神の碑がある『夜刀神社』は新しいお社ですが、愛宕神社は中世までさかのぼる歴史がある神社とのこと。
(※行方市主催の常陸国風土記ツアーでの解説より)
・荒原神社(佐伯の親子像)
仲睦まじい親子の像。どこかを指差している姿です。
・化蘇沼稲荷神社(キツヒコ、キツヒメ)
こちらも、若々しい夫婦が空を指して見上げているブロンズ像。
こちらの神社境内の奥には、立派な土俵が。
現在も奉納相撲が行われているそうです。
2.パワーストーンを訪ねて(太刀割り石、玉石(めのう)産地(県北地域))・・・地質(ジオ)の旅
・・・ちょうど県立自然博物館で展示会開催中。
(1)太刀割り石
太刀割石のある竪破山(たつわれさん)にある 黒前(くろさき)神社は黒坂命を祀っています。
黒坂命は、常陸国風土記の『茨城郡』の章で、茨城県の県名の由来になった「茨」の由来の説話に出てくる人です。
この竪破山にある『太刀割石』がすごい。
山の中に忽然と現れる巨大な丸い岩。それが、真中で見事に真っ二つに『切られたように』割れています。
半径数メートルの巨大な石の玉がまっぷたつに割れて分かれている様は圧巻です。
この岩は花崗岩の岩とのこと。
面は直径6m位として計算すると、面積が28.2㎡、畳1畳1.62㎡として、17.4畳の広さ
人の大きさと比べると、巨大さも実感。
※なぜか、つっかえ棒のような木の枝が何本も。効果なくても、人間心理としてつい木の枝をつっかえ棒として置きたくなるんですね(笑)。
なお、黒坂命の墓と言われる古墳が、美浦村にあります。
大塚古墳1号墳”黒坂命古墳” (おおつかこふんいちごうふん”くろさかのみことこふん”)がそれです。
大塚古墳1号墳の頂上から見た霞ケ浦。
ちなみに、「太刀割り石」の命名者は水戸光圀。常陸国風土記を世に知らしめたのは、実は水戸黄門こと、水戸光圀さんです。
光圀さんの命で加賀前田藩に伝わっていた常陸国風土記写本を、彰考館(しょうこうかん)で写し、それが今に伝わっているそうです。
(2) 久慈川の支流 玉川と、めのう採掘跡(常陸太田市、常陸大宮市)
身につけるパワーストーンとして、メノウも人気ですね。外国産のより、どうせなら地元でとれるメノウの方が、ご利益もありそう!?
装飾品としてのメノウと、火打ち石は、同じ鉱物だそうです。
色の美しいものが、装飾品として昔から珍重されたんですね。
常陸国風土記の『久慈郡』には 「玉川」で 今でいう『メノウ/火打石』がとれる旨の記載があります。
久慈川の支流の玉川とのことですが、ここの川原では、今もよく探すとメノウが見つかるそうで、今度行ってみたいなぁと思っています。
また、この地域は、江戸時代、火打石の産地として有名でした。そのため鉱山跡があります。
写真は2002年、(独)産業技術総合研究所 地質標本館の野外観察会で、メノウ鉱山跡を訪ねた時のもの。
白く見えるのが、メノウの鉱脈です。
茨城の県北地域は、日本ジオパークにも認定されていて、日本で一番古い岩や、鉱物が発見されいる場所でもあります。
また、奥久慈の急峻な地形は、1900万年前の海底火山の噴出物から生まれたものとのこと。
大きな『パワーストーン』も、小さな『パワーストーン』も、地球の創生から、日本の歴史を秘めて、大変魅力的
是非、お出かけして見て下さいね!
●茨城県のHP「茨城県 常陸国風土記1300年記念」にもイベントや名所旧跡が載っているのでご参照ください。
http://www.hitachifudoki1300.jp/visit/index.html
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その他、個人的、お勧め『常陸国風土記』にちなむ場所(含む 行ってみたい場所)。
・三昧塚古墳(行方市) 霞ケ浦の景色、高浜の向こうに見える筑波山の景色。
・富士見塚古墳(かすみがうら市) 霞ケ浦、鹿嶋方面、筑波山、富士山が見える絶景。
・常陸の海の、海産物の旅!
・石岡 八郷の佐久の大杉。樹齢1300年。常陸国風土記と同じ年。
・いわずと知れた、地元筑波山。
・風土記に書かれていない 河内郡などをたずねる・・・マニア向け
・密筑の里(日立地域)や、泉が森。 ← Twitterで @yao463 (楠葉さん) さんからもお勧めの場所ということで教えて頂きました♪
他にもお勧めの場所がありましたら、是非ご教示頂けると幸いです!
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参考文献等
・ 『常陸国風土記 全訳注』 秋本吉徳 著 講談社学術文庫
・ 常陽藝文 1988年10月号 「奇岩と伝説の山」
・ 常陽藝文 1997年11月号 「八幡太郎義家伝説を追う」
・2013年 常陸国風土記1300年記念 行方ゆかりの地ツアー 配布資料 及び口頭解説
・2013年 常陸国風土記1300年記念 美浦村文化財センター(陸平研究所) 展示説明 及び 講演会
・茨城県立自然博物館 企画展『ジオ トラベル in いばらき-5億年の大地をめぐる旅』 展示 及び パンフレット
・2002年 産業技術総合研究所 地質標本館 野外観察会 配布資料
おでかけ、こんな場所、こんな楽しみ方!編
※ラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』で放送した内容の再構築したものです。
★前回のお話 → 『常陸国風土記1300年記念! 常陸国風土記の楽しみ方 ”『握り飯持ってどこへ行こう?” 前編 お腹がすく常陸国風土記 古代を味わおう! 』
常陸国風土記の編纂の詔が出されたのが、奈良時代 西暦713年。
そして今年2013年は、ちょうど1300年目に当たるということで、県内各所でイベントが行われました。
この713年の詔で編纂された各地の風土記現在文書として残っているのは、たった5つ、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5つの国だけ。
東日本では、ここ茨城の『常陸国風土記』だけ!
県のHP『茨城県 常陸国風土記1300年記念」 http://www.hitachifudoki1300.jp/
当時の観光ガイドブックとしても読める常陸国風土記。
いろいろ行ってみたいところ、盛りだくさんなのですが、今回、あえて、2か所ご提案♪
1.行方郡… 行方市 風土記にちなむブロンズ像を訪ねて
2.パワーストーンを訪ねて(太刀割り石、玉石(めのう)産地(県北地域))
近場には、地元筑波山や、奈良時代の国府のあった石岡もありますが、あえてここは選ばず、行方と、県北の日立の竪破(たつわれ)山を選びました。
県南県西にお住まいの方は、意外にご存じないかな?というコースです
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1.行方郡… 行方市 風土記にちなむブロンズ像を訪ねて。
常陸国風土記は、残念なことに、内容全てが残っているわけではありません。地域によって少ししか記載がなかったり、省略されて全く記載がなかったりする場所もあります。
その中で、唯一、行方郡(なめかたのこおり)がほぼ全文(?)残っています。また、風土記に描かれている場所であろうと言われる場所も、異説はあるようですが、たくさん残っています。
また、このあたりは大きな前方後円墳も多く残っています。
霞ケ浦沿岸にある三昧塚古墳は、壊されかかっていたのを、奇跡的に救えた古墳とのことで、その後の調査で、馬の装飾が施された見事な金の冠が出土しています。
役所の跡だったとも言われる『井上長者曲輪(くるわ)』。現在は広大な畑の一区画になっていますが。空からの航空写真で、敷地と溝の跡がちゃんと残って映っています。
またここからほど近い『井上廃寺』、ここも現在は畑ですが、よく見ると、当時の瓦の破片が落ちています。びっくりです。
『玉清井』『椎井池』とされる泉も残っています。
『化蘇沼稲荷神社』には、奉納相撲のりっぱな土俵もあります。
鹿嶋神社の元だとも伝わる『大生神社』、その周りの『大生古墳群』。大小二百基ほど古墳があるそうです。
1300年前に書かれた風土記にきちんと文章が残っている場所が、まだここにある!というロマンが一番感じられるエリアでしょう。
このように、古代史ファンの夢をかき立てる行方ですが、まずは入門編的&アート鑑賞の両方が楽しめる、『ブロンズ像』巡り です!
行方市在住の彫刻家、宮路久子さんが制作された、常陸国風土記に出てくる人をイメージしたブロンズ像を巡ります。
旧玉造町の時にゆかりの地に6体、常陸国風土記1300年記念の今年、新たに化蘇沼稲荷神社に1体、設置されています。
・椎の池(壬生連麻呂 みぶのむらじまろ)
・橘郷造神社(弟橘姫)
・鴨ノ宮(ヤマトタケル)
・玉清井(ヤマトタケル)
・荒原神社(佐伯の親子像)
・化蘇沼稲荷神社(キツヒコ、キツヒメ)
・霞ヶ浦ふれあいランド虹の搭そば(ヤマトタケル)
7か所全部はまだなのですが、このうち3か所ご紹介。
※ふれあいランドは何度も言っているのに、ヤマトタケルのブロンズ像に気付かず(^^;)
・椎の池(壬生連麻呂 みぶのむらじまろ)
椎井の候補に挙げられている『椎の池』のそばに、可愛らしいブロンズ像がたたずんでいます。
水底の白砂から、今も綺麗な水が湧いているのが見えます。
この池の裏手の丘を上がっていくと、愛宕神社と、『夜刀(やと)の神』をまつる夜刀神社があります。
夜刀神の碑がある『夜刀神社』は新しいお社ですが、愛宕神社は中世までさかのぼる歴史がある神社とのこと。
(※行方市主催の常陸国風土記ツアーでの解説より)
・荒原神社(佐伯の親子像)
仲睦まじい親子の像。どこかを指差している姿です。
・化蘇沼稲荷神社(キツヒコ、キツヒメ)
こちらも、若々しい夫婦が空を指して見上げているブロンズ像。
こちらの神社境内の奥には、立派な土俵が。
現在も奉納相撲が行われているそうです。
2.パワーストーンを訪ねて(太刀割り石、玉石(めのう)産地(県北地域))・・・地質(ジオ)の旅
・・・ちょうど県立自然博物館で展示会開催中。
(1)太刀割り石
太刀割石のある竪破山(たつわれさん)にある 黒前(くろさき)神社は黒坂命を祀っています。
黒坂命は、常陸国風土記の『茨城郡』の章で、茨城県の県名の由来になった「茨」の由来の説話に出てくる人です。
この竪破山にある『太刀割石』がすごい。
山の中に忽然と現れる巨大な丸い岩。それが、真中で見事に真っ二つに『切られたように』割れています。
半径数メートルの巨大な石の玉がまっぷたつに割れて分かれている様は圧巻です。
この岩は花崗岩の岩とのこと。
面は直径6m位として計算すると、面積が28.2㎡、畳1畳1.62㎡として、17.4畳の広さ
人の大きさと比べると、巨大さも実感。
※なぜか、つっかえ棒のような木の枝が何本も。効果なくても、人間心理としてつい木の枝をつっかえ棒として置きたくなるんですね(笑)。
なお、黒坂命の墓と言われる古墳が、美浦村にあります。
大塚古墳1号墳”黒坂命古墳” (おおつかこふんいちごうふん”くろさかのみことこふん”)がそれです。
大塚古墳1号墳の頂上から見た霞ケ浦。
ちなみに、「太刀割り石」の命名者は水戸光圀。常陸国風土記を世に知らしめたのは、実は水戸黄門こと、水戸光圀さんです。
光圀さんの命で加賀前田藩に伝わっていた常陸国風土記写本を、彰考館(しょうこうかん)で写し、それが今に伝わっているそうです。
(2) 久慈川の支流 玉川と、めのう採掘跡(常陸太田市、常陸大宮市)
身につけるパワーストーンとして、メノウも人気ですね。外国産のより、どうせなら地元でとれるメノウの方が、ご利益もありそう!?
装飾品としてのメノウと、火打ち石は、同じ鉱物だそうです。
色の美しいものが、装飾品として昔から珍重されたんですね。
常陸国風土記の『久慈郡』には 「玉川」で 今でいう『メノウ/火打石』がとれる旨の記載があります。
久慈川の支流の玉川とのことですが、ここの川原では、今もよく探すとメノウが見つかるそうで、今度行ってみたいなぁと思っています。
また、この地域は、江戸時代、火打石の産地として有名でした。そのため鉱山跡があります。
写真は2002年、(独)産業技術総合研究所 地質標本館の野外観察会で、メノウ鉱山跡を訪ねた時のもの。
白く見えるのが、メノウの鉱脈です。
茨城の県北地域は、日本ジオパークにも認定されていて、日本で一番古い岩や、鉱物が発見されいる場所でもあります。
また、奥久慈の急峻な地形は、1900万年前の海底火山の噴出物から生まれたものとのこと。
大きな『パワーストーン』も、小さな『パワーストーン』も、地球の創生から、日本の歴史を秘めて、大変魅力的
是非、お出かけして見て下さいね!
●茨城県のHP「茨城県 常陸国風土記1300年記念」にもイベントや名所旧跡が載っているのでご参照ください。
http://www.hitachifudoki1300.jp/visit/index.html
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その他、個人的、お勧め『常陸国風土記』にちなむ場所(含む 行ってみたい場所)。
・三昧塚古墳(行方市) 霞ケ浦の景色、高浜の向こうに見える筑波山の景色。
・富士見塚古墳(かすみがうら市) 霞ケ浦、鹿嶋方面、筑波山、富士山が見える絶景。
・常陸の海の、海産物の旅!
・石岡 八郷の佐久の大杉。樹齢1300年。常陸国風土記と同じ年。
・いわずと知れた、地元筑波山。
・風土記に書かれていない 河内郡などをたずねる・・・マニア向け
・密筑の里(日立地域)や、泉が森。 ← Twitterで @yao463 (楠葉さん) さんからもお勧めの場所ということで教えて頂きました♪
他にもお勧めの場所がありましたら、是非ご教示頂けると幸いです!
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参考文献等
・ 『常陸国風土記 全訳注』 秋本吉徳 著 講談社学術文庫
・ 常陽藝文 1988年10月号 「奇岩と伝説の山」
・ 常陽藝文 1997年11月号 「八幡太郎義家伝説を追う」
・2013年 常陸国風土記1300年記念 行方ゆかりの地ツアー 配布資料 及び口頭解説
・2013年 常陸国風土記1300年記念 美浦村文化財センター(陸平研究所) 展示説明 及び 講演会
・茨城県立自然博物館 企画展『ジオ トラベル in いばらき-5億年の大地をめぐる旅』 展示 及び パンフレット
・2002年 産業技術総合研究所 地質標本館 野外観察会 配布資料
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