2012年01月21日
筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(6)
筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(6) 冬至に筑波山頂きに日の入りライン ― 常陸国古代からの歴史変遷・信仰変遷が伺えるライン?
(初出:つくば市民レポーター 2012年1月21日 19時12分)
筑波山を中心とした「太陽の道」 (春分、秋分、冬至、夏至に、筑波山に日の出、日の入りが見られる、信仰の地、遺跡を繋いだライン)を、探訪する旅の6回目、
最終回、冬至の頃、筑波山に日に入りが見られるラインを探訪しました。
前回までの話は、
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(1) 筑波山の真東ライン ― 夫婦神の山から望む日の出の地「子生」 」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(2) 筑波山の真西ライン ― ライン東端と西端に共通する聖地?」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(3) 夏至に筑波山から日が昇るライン― 子授けの聖地ラインの予感? 」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(4)―夏至ラインに筑波山頂日の入り 鹿島―筑波山ラインに乗る錚々たる神社・遺跡群!」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(5) 冬至に筑波山から日が昇るライン ― 古墳・遺跡と、古代太陽祭祀の香り? 」
をご参照下さい。
(※2011年10月30日に放送したラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」の内容に情報追加、再構築しています)
6.冬至に筑波山頂付近に日が沈む昇るライン
(1) 石岡(八郷地区) 西光院
← 山の中腹にある、峰寺山西光院。
由来は、
「大同2年(807年、法相宗の徳一法師が山麓を御巡錫の折、山腹に不思議に輝いた岩が見えた。上人は自然の偉大な力に、感動して奇幽な岩を馬頭観世音としてまつり、その後、多くの信仰を集める世になった」[文献1,2,3,4]
とのこと。
徳一法師は筑波山中尊寺(今はない)開基の方でもあります。
← そして、その西光院からの景色。
まさしく絶景! 遠く東の方が見えます。御来光を拝みにくる方も多いそうのもうなづけます
東の日の出が見事なのに、「西光院」という名前は不思議です。開祖の徳一法師に何か想いがあったのでしょうか。
← 「関東の清水寺」のゆえんなる、この木組み。
見ものです。
京都・清水寺と同じ「懸造り」 とのこと [文献2]
← 本堂の後方。先に紹介した、「馬頭観世音」の形をした岩を包むように、本堂が作られています。
「絶対秘仏で公開はしない」(社務所の方より)とのことです。
← 2011年12月23日冬至の日に行きました。
拝殿からは立派な木々に遮られ、筑波山頂はかなり見えにくのですが、そこから100mほど離れたお寺の駐車場付近からはよく山頂が見えました。
Google Earthのシュミレーションと同じく、太陽は、筑波山女体山のやや下の方に入っていくらしいのを確認しました(日の入りまでいられなかったので)。
伝説では、奥方を連れた殿様が、この山のふもと付近で、奥方が産気づき、この山の水を飲んで無事男の子を産んだ という話も伝わっています[文献3,4]。
麓の地名「吉生(よしう)」もそこから来ているということ[文献4]。
このあたり、「筑波山を中心にした太陽の道」に多く乗ってきた、「子授け・子育て」信仰の地と共通するものを感じます。
すぐ近くに、県の天然記念物の小判石がみられる絶壁や、お猿さんの芸で地元で有名な東筑波ユートピアがあります
(2)笠間(岩間地区) 愛宕山 愛宕神社
← 古くは「風穴山」と呼ばれたという、愛宕山。
江戸時代の国学者 平田篤胤の「仙境異聞」で紹介された、天狗小僧「寅吉」の話で有名になった山 [文献5,6]。
現在も、毎年12月に行われている奇祭「悪態祭り」でも知られています。
徳一法師開基。 愛宕神社は「三大火伏の一つ」とのこと。[文献5]
奥の院は飯綱神社。
古来「火」=「日」という説もあります [文献7]。
もしかすると、古代は「日=太陽」を崇める聖地だったのが、時代が下って、「火」を崇め、さらに修験道が入ってきて、今に至っているのかもしれませんね(←私の妄想ですが^^;)
筑波山と愛宕山の間に高い山があるため、神社から筑波山は残念ながら見られません。
ただし加波山山頂らしい山は、木々の間からみられました。
← とにかく、東側に開ける景色が非常に素晴らしい。
すぐ近くに「あたご天狗の森スカイロッジ」があります(詳細:笠間観光協会HP)。桜の名所としても有名な場所。
春から初夏、そして、秋の紅葉の頃に是非訪れたいと思いました。隠れた名所です。
(3)水戸 愛宕山古墳 愛宕神社
地図で見ると、ここからから見て、夏至の日の出は大洗磯前神社方向になるのも、私は気になっています。
奇しくも上述(2)と同じ「愛宕」がつきます。
国史跡。非常に保存のよい古墳で、那珂国造「建借間命」の墓とも伝えられており[文献8.9]、「考古学および古代史研究の上で重要な古墳」とのこと[文献10]。
那珂川そばの段丘に造られていて、現在は茨城大学に近い、文教地区の住宅に囲まれています。
古墳頂上に愛宕神社。
2012年1月3日に行きました。お正月なのこともあり、地元の方が何人か参拝にいらしていました。
神社のある前方部分から、後円部分方向を見る。後円部分にも天満宮がありました。
大変きれいに整備されていて、気持ちの良い場所です。
古墳頂上の木々の間からも、筑波山がよく見えました。
訪れたのは冬至から10日程過ぎた1月3日夕方ですが、太陽が筑波山頂に沈むらしいことを確認しました。Google Earthのシュミレーションとほぼ同じです。
那珂国の首長級の古墳の位置として、二つのライン(筑波山冬至ライン、大洗磯前神社夏至ライン)がクロスする特別な場所に造られたように思います。
(4)(参考)権現山古墳・真崎古墳群
文献10 を調べていたら、この「権現山古墳、真崎古墳群」が偶然かこのラインに乗ることに気付きました。
東海村村松にあります。 権現山古墳は全長87m 東海村で一番大きい前方後円墳とのこと。
また、この地域は「古墳期初頭から終末期まで古墳時代を通じて墓域だった」とのこと[文献]。…何かありそうな予感(^^)。
ここも、近いうちに訪ねたいと思っています。
(5)参考: 日立沖 おんねさま(おんね磯)
日立の大甕神社の沖にある磯。伝説では大甕神社の宿魂石の破片が飛んだ場所とも、宿根石と繋がっているとも言われ、深い関係があります [文献3]。
地元では大変神聖な岩場とされています。
(大甕神社の宿根石については、以前このブログで
「 【つくば、茨城 プチ民俗学】 茨城県内の巨石を訪ねて・・・ 知る人ぞ知る巨石を4つご紹介(前編) 」
としても紹介しています。良かったらご覧くださいませ
)
Google Earthで見ると、もし海上から筑波山が見られれば、冬至のころ、筑波山に日が沈むようです。
ライン上、おんね磯と水戸の間には、東海村のある微高地があるのですが、海上から見てここがじゃましなければ、筑波山は十分見られるように思うのですが。
(釣り船で釣りされた方、漁業関係者の方、ご一報頂けると幸いでです)。
ちなみにラインより少し南になりますが、 「国営ひたち海浜公園」のホームページを見ると、「みはらしの丘」では
「筑波山はもちろん、よく晴れた日には富士山を望むことができる」(http://www.hitachikaihin.go.jp/shisetsu/miharashi/index.htm)
とのことです
。
古来から漁をする時に、「山立て」ということで、山の形、大きさで、海上での現在置を把握するそうです。
筑波山も見えるなら、山立ての山になっていると思うのです。
「古来から信仰されている筑波山に、冬至の頃に日が沈むのが見られる磯」いうことで、古代から神聖視されていたおんね磯が、その後の宗教的歴史的経緯を経て、今の伝説になっている可能性もあるのではないか・・・とも思えるのです。いかかでしょうか。
(※実際、宿魂石のある大甕神社の縁起は、少なくとも江戸時代に書き換えられたとする説があります[文献11]。)
いろいろ想像するとロマンがかきたてられます
↓ ★今回のラインの地図
http://g.co/maps/xqrmk
筑波山を中心とした、太陽の道ライン探訪、調べるとまだまだ奥が深いことを感じます。
また、何か分かりましたら、このブログで報告ささせて頂きますね。
皆さまも是非、お出かけしてみて下さい。
お読み頂き、ありがとうございました
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参考文献
1. 「西光院 由来」パンフレット 峰寺山西光院発行
2. 「常陽藝文 1997年4月号」 (財)常陽藝文センター発行
3. 「常陸の伝説」 藤田 稔 編著 第一法規
4.「茨城の史跡と伝説」 茨城新聞社編 暁印書院
5. 「日本三大火防神社の一社 愛宕神社」パンフレット 愛宕神社社務所
6. 「常陸国天狗譚」 岡村 青 著 筑波書林
7. 「東アジアの古代文化」 24号 大和書房
8. 「茨城県の歴史散歩」 茨城県地域史研究会編 山川出版社
9. 「茨城の史跡と天然記念物」 山崎睦男・高根信和著 茨城新聞社
10. 「茨城の考古学散歩」 茨城県考古学協会
11. 「寺社の縁起と伝説」 志田諄一著 崙書房出版
(初出:つくば市民レポーター 2012年1月21日 19時12分)
筑波山を中心とした「太陽の道」 (春分、秋分、冬至、夏至に、筑波山に日の出、日の入りが見られる、信仰の地、遺跡を繋いだライン)を、探訪する旅の6回目、
最終回、冬至の頃、筑波山に日に入りが見られるラインを探訪しました。
前回までの話は、
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(1) 筑波山の真東ライン ― 夫婦神の山から望む日の出の地「子生」 」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(2) 筑波山の真西ライン ― ライン東端と西端に共通する聖地?」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(3) 夏至に筑波山から日が昇るライン― 子授けの聖地ラインの予感? 」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(4)―夏至ラインに筑波山頂日の入り 鹿島―筑波山ラインに乗る錚々たる神社・遺跡群!」
「筑波山を中心とした「太陽の道」を探る(5) 冬至に筑波山から日が昇るライン ― 古墳・遺跡と、古代太陽祭祀の香り? 」
をご参照下さい。
(※2011年10月30日に放送したラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」の内容に情報追加、再構築しています)
6.冬至に筑波山頂付近に日が沈む昇るライン
(1) 石岡(八郷地区) 西光院

由来は、
「大同2年(807年、法相宗の徳一法師が山麓を御巡錫の折、山腹に不思議に輝いた岩が見えた。上人は自然の偉大な力に、感動して奇幽な岩を馬頭観世音としてまつり、その後、多くの信仰を集める世になった」[文献1,2,3,4]
とのこと。
徳一法師は筑波山中尊寺(今はない)開基の方でもあります。

まさしく絶景! 遠く東の方が見えます。御来光を拝みにくる方も多いそうのもうなづけます
東の日の出が見事なのに、「西光院」という名前は不思議です。開祖の徳一法師に何か想いがあったのでしょうか。

見ものです。
京都・清水寺と同じ「懸造り」 とのこと [文献2]

「絶対秘仏で公開はしない」(社務所の方より)とのことです。

拝殿からは立派な木々に遮られ、筑波山頂はかなり見えにくのですが、そこから100mほど離れたお寺の駐車場付近からはよく山頂が見えました。
Google Earthのシュミレーションと同じく、太陽は、筑波山女体山のやや下の方に入っていくらしいのを確認しました(日の入りまでいられなかったので)。
伝説では、奥方を連れた殿様が、この山のふもと付近で、奥方が産気づき、この山の水を飲んで無事男の子を産んだ という話も伝わっています[文献3,4]。
麓の地名「吉生(よしう)」もそこから来ているということ[文献4]。
このあたり、「筑波山を中心にした太陽の道」に多く乗ってきた、「子授け・子育て」信仰の地と共通するものを感じます。
すぐ近くに、県の天然記念物の小判石がみられる絶壁や、お猿さんの芸で地元で有名な東筑波ユートピアがあります
(2)笠間(岩間地区) 愛宕山 愛宕神社

江戸時代の国学者 平田篤胤の「仙境異聞」で紹介された、天狗小僧「寅吉」の話で有名になった山 [文献5,6]。
現在も、毎年12月に行われている奇祭「悪態祭り」でも知られています。
徳一法師開基。 愛宕神社は「三大火伏の一つ」とのこと。[文献5]
奥の院は飯綱神社。

もしかすると、古代は「日=太陽」を崇める聖地だったのが、時代が下って、「火」を崇め、さらに修験道が入ってきて、今に至っているのかもしれませんね(←私の妄想ですが^^;)
筑波山と愛宕山の間に高い山があるため、神社から筑波山は残念ながら見られません。
ただし加波山山頂らしい山は、木々の間からみられました。

すぐ近くに「あたご天狗の森スカイロッジ」があります(詳細:笠間観光協会HP)。桜の名所としても有名な場所。
春から初夏、そして、秋の紅葉の頃に是非訪れたいと思いました。隠れた名所です。
(3)水戸 愛宕山古墳 愛宕神社
地図で見ると、ここからから見て、夏至の日の出は大洗磯前神社方向になるのも、私は気になっています。
奇しくも上述(2)と同じ「愛宕」がつきます。

那珂川そばの段丘に造られていて、現在は茨城大学に近い、文教地区の住宅に囲まれています。

2012年1月3日に行きました。お正月なのこともあり、地元の方が何人か参拝にいらしていました。

大変きれいに整備されていて、気持ちの良い場所です。

訪れたのは冬至から10日程過ぎた1月3日夕方ですが、太陽が筑波山頂に沈むらしいことを確認しました。Google Earthのシュミレーションとほぼ同じです。
那珂国の首長級の古墳の位置として、二つのライン(筑波山冬至ライン、大洗磯前神社夏至ライン)がクロスする特別な場所に造られたように思います。
(4)(参考)権現山古墳・真崎古墳群
文献10 を調べていたら、この「権現山古墳、真崎古墳群」が偶然かこのラインに乗ることに気付きました。
東海村村松にあります。 権現山古墳は全長87m 東海村で一番大きい前方後円墳とのこと。
また、この地域は「古墳期初頭から終末期まで古墳時代を通じて墓域だった」とのこと[文献]。…何かありそうな予感(^^)。
ここも、近いうちに訪ねたいと思っています。
(5)参考: 日立沖 おんねさま(おんね磯)
日立の大甕神社の沖にある磯。伝説では大甕神社の宿魂石の破片が飛んだ場所とも、宿根石と繋がっているとも言われ、深い関係があります [文献3]。
地元では大変神聖な岩場とされています。
(大甕神社の宿根石については、以前このブログで
「 【つくば、茨城 プチ民俗学】 茨城県内の巨石を訪ねて・・・ 知る人ぞ知る巨石を4つご紹介(前編) 」
としても紹介しています。良かったらご覧くださいませ

Google Earthで見ると、もし海上から筑波山が見られれば、冬至のころ、筑波山に日が沈むようです。
ライン上、おんね磯と水戸の間には、東海村のある微高地があるのですが、海上から見てここがじゃましなければ、筑波山は十分見られるように思うのですが。
(釣り船で釣りされた方、漁業関係者の方、ご一報頂けると幸いでです)。
ちなみにラインより少し南になりますが、 「国営ひたち海浜公園」のホームページを見ると、「みはらしの丘」では
「筑波山はもちろん、よく晴れた日には富士山を望むことができる」(http://www.hitachikaihin.go.jp/shisetsu/miharashi/index.htm)
とのことです

古来から漁をする時に、「山立て」ということで、山の形、大きさで、海上での現在置を把握するそうです。
筑波山も見えるなら、山立ての山になっていると思うのです。
「古来から信仰されている筑波山に、冬至の頃に日が沈むのが見られる磯」いうことで、古代から神聖視されていたおんね磯が、その後の宗教的歴史的経緯を経て、今の伝説になっている可能性もあるのではないか・・・とも思えるのです。いかかでしょうか。
(※実際、宿魂石のある大甕神社の縁起は、少なくとも江戸時代に書き換えられたとする説があります[文献11]。)
いろいろ想像するとロマンがかきたてられます
↓ ★今回のラインの地図
http://g.co/maps/xqrmk
筑波山を中心とした、太陽の道ライン探訪、調べるとまだまだ奥が深いことを感じます。
また、何か分かりましたら、このブログで報告ささせて頂きますね。
皆さまも是非、お出かけしてみて下さい。
お読み頂き、ありがとうございました
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参考文献
1. 「西光院 由来」パンフレット 峰寺山西光院発行
2. 「常陽藝文 1997年4月号」 (財)常陽藝文センター発行
3. 「常陸の伝説」 藤田 稔 編著 第一法規
4.「茨城の史跡と伝説」 茨城新聞社編 暁印書院
5. 「日本三大火防神社の一社 愛宕神社」パンフレット 愛宕神社社務所
6. 「常陸国天狗譚」 岡村 青 著 筑波書林
7. 「東アジアの古代文化」 24号 大和書房
8. 「茨城県の歴史散歩」 茨城県地域史研究会編 山川出版社
9. 「茨城の史跡と天然記念物」 山崎睦男・高根信和著 茨城新聞社
10. 「茨城の考古学散歩」 茨城県考古学協会
11. 「寺社の縁起と伝説」 志田諄一著 崙書房出版
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