2018年09月12日
石岡駅の忠犬タロー像
石岡駅の忠犬タロー像
今更ながらですが、2018年は戌年。
2018年も9月に入り、残り4カ月弱ですが、せっかくの戌年ですので、
茨城県内に伝わる、犬にちなむ昔話・伝説と、そこにちなむ土地をいくつか訪ねた報告をします
。
茨城県内の犬の伝説といえば、まず頭に浮かんだのが、
つくばみらい市にある板橋不動尊に伝わる、白犬伝説。
板橋不動尊が、安産子育てのご利益で有名になっている、その元となる伝説です。
この白犬伝説については、以前、詳しく書いたので、
→ 春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)
で今回は、昔話といっても昭和の時代、つまり現代に入ってからのお話です。
石岡駅前に犬の像があるのをご存知ですか。
これは、昨年2017年4月に完成した、『忠犬タロー像』です。

石岡駅西口にある、忠犬タロー像 = 『みんなのタロー』像。
子供2人と一緒に佇むワンコが可愛い
この忠犬タローについては、『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』(参考文献1)に、当時を知る人々へのインタビュー、回想や、平成に入っての後日談などもあって、大変詳細に書かれています。
他にも、いくつか新聞記事(参考サイト1、2、3)にもなったので、ご存じの方も多いかと思います。
※新聞記事、特に参考サイト1(産経新聞)、2(茨城新聞)は、かなりはしょった内容なので、上記の参考文献1および参考サイト3(朝日新聞)記事をもとに、概要を書くと、
☆昭和39年頃、一匹のワンコが、石岡市立東小学校に迷い込み、用務員さんを中心に小学校で飼われた(たぶんその時タローと名付けられた?)。
タローは、それから17年間、毎日朝夕、石岡駅に通い続けた(石岡駅に通って駅にいることで、「飼い主を待っている」と人々に考えられた?)。
☆通い始めてから10年ほど経ってから、評判になり、週刊誌やテレビでも取り上げられるようになった。
☆後日談として、平成に入り、自分が園児だった時に、電車で一緒に通園していた(いい時代です(^^))ある日、石岡駅で はぐれた飼い犬(名前:コロ)でないかと名乗る女性が出て、時期と場所が比較的合致するため、タローはコロではないかと言われるようになった。
☆渋谷の有名な忠犬ハチ公を髣髴させられる話ですが、悲しいハチ公の話と違うのは、タローは小学校で飼われ、石岡の町の人々に可愛がられ、小学校で、(推定)18年の天寿を全うしたということ。
東京の雑踏・渋谷と違い、のんびりした石岡の、しかも昭和40年代から50年代のゆる~い時代の、心がぽかぽかするお話です
。
それにしても、現代の超~過保護・・・ゴホゴホ・・・いえ、大事にされている室内犬と違い、当時の犬の17才~18才って、すごい長生きですよね!
学校で飼われていたので、夜は学校で寝て、昼間は石岡駅まで通っていたとか、夏は駅前のスーパーの涼しい処で涼んでいたとか、微笑ましいやら、たくましいやら(^^)
。
(現在だとすぐに保健所行きになってしまいますが)
ところで、文献1によると、昭和39年当時、学校に迷い込んだタローの状態は、首輪や針金(!)が首に食い込み、化膿していたそうです
。
つまり、ひどい状態で飼われていたか、逃げ出した後、成長するくらい日が経っていたことになります。
なので、文献1や参考サイト3で紹介されている、平成に入っての後日談(当時の女の子飼い犬)のコロとタローは違う犬なのではないかなと、私は感じます。
理由は、首輪や針金が化膿するまで食い込むような飼い方していたとは考えにくいからです。
また、昭和の当時、野良犬や放し飼いの犬は多かったので、時期と場所と犬のおおまかな特徴が一致しているだけでは、タロー=コロ とはならないように思うのですが。
・・・でも、はぐれたワンコが可愛がられて天寿を全うしたと信じたいですよね(気持はすごくわかります)。
タローは実のところ、小学校で飼われて子供たちと遊び、学校の給食の残りを食べて楽しく暮らしているうちに、本当の飼い主(ひどい状態で放し飼いしていた大人だと私は思います)は、忘れたんだと思います。
そして、1日2回散歩&日勤(?)で石岡駅に通い、駅でも人々に可愛がられ、町の人にも何気にに見守られ、いきつけのお店もあったり(^m^)で、夜は小学校の構内で眠る。
犬としては超~長生きしたタローは、(推定)18年間、素晴らしく幸せな一生だったと思います
。
なお、もちろん犬の放し飼いを推奨するわけではありません。
21世紀になり平成も終わろうとする現代では、飼い犬はちゃんと家で繋ぐか室内犬として飼うのは常識です。
(ちなみにうちのおばあちゃんワンコも室内犬・・・遊んでくれる人が少ないので、タローより幸せかどうかは、ちょっとわかりませんが
(^^;))
でも、石岡の『忠犬タロー』の話は、ゆるくも温かい、当時の石岡の町の雰囲気と人々のまなざしが伝わってくるお話で私も好きですし、それを伝えるのが駅前のタロー像。

子供とタローの姿が本当に微笑ましい像。
撫でたくなります(*^^*)

角度を変えた写真。
この角度の方が、タローの表情が分かりやすいかな
タローが生きていた昭和40年代50年代とは、駅前の様子はかなり変わったことでしょう。

道路側からみると、タローは駅の方向を見ているのがわかります。
で、現在の石岡駅舎には筑波山の絵が描かれているので、タローと子供たちは、奇しくも筑波山を見ているようにも見えますね♪

像の後ろには、忠犬タローの物語も彫られています。
そのタローの、たくましく幸せで長生きな一生にあやかるため
にも、石岡駅西口の忠犬タロー像を、おがみにいくのも良いかも知れません♪
*****************************
【参考文献】
1.『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』 今泉文彦著 茨城新聞社
【参考サイト】
1.産経新聞記事
「忠犬タロー物語」後世に 石岡駅前に銅像完成 茨城 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/region/news/170416/rgn1704160020-n1.html
2.茨城新聞記事
忠犬タローおかえり 石岡駅広場で像除幕
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14922495530326
3.朝日新聞記事
45年越しの待ち人 タローは駅に通い続けた
http://www.asahi.com/special/080804/TKY200906190306.html
今更ながらですが、2018年は戌年。
2018年も9月に入り、残り4カ月弱ですが、せっかくの戌年ですので、
茨城県内に伝わる、犬にちなむ昔話・伝説と、そこにちなむ土地をいくつか訪ねた報告をします

茨城県内の犬の伝説といえば、まず頭に浮かんだのが、
つくばみらい市にある板橋不動尊に伝わる、白犬伝説。
板橋不動尊が、安産子育てのご利益で有名になっている、その元となる伝説です。
この白犬伝説については、以前、詳しく書いたので、

をご覧ください(^^)

で今回は、昔話といっても昭和の時代、つまり現代に入ってからのお話です。
石岡駅前に犬の像があるのをご存知ですか。
これは、昨年2017年4月に完成した、『忠犬タロー像』です。

石岡駅西口にある、忠犬タロー像 = 『みんなのタロー』像。
子供2人と一緒に佇むワンコが可愛い

この忠犬タローについては、『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』(参考文献1)に、当時を知る人々へのインタビュー、回想や、平成に入っての後日談などもあって、大変詳細に書かれています。
他にも、いくつか新聞記事(参考サイト1、2、3)にもなったので、ご存じの方も多いかと思います。
※新聞記事、特に参考サイト1(産経新聞)、2(茨城新聞)は、かなりはしょった内容なので、上記の参考文献1および参考サイト3(朝日新聞)記事をもとに、概要を書くと、
☆昭和39年頃、一匹のワンコが、石岡市立東小学校に迷い込み、用務員さんを中心に小学校で飼われた(たぶんその時タローと名付けられた?)。
タローは、それから17年間、毎日朝夕、石岡駅に通い続けた(石岡駅に通って駅にいることで、「飼い主を待っている」と人々に考えられた?)。
☆通い始めてから10年ほど経ってから、評判になり、週刊誌やテレビでも取り上げられるようになった。
☆後日談として、平成に入り、自分が園児だった時に、電車で一緒に通園していた(いい時代です(^^))ある日、石岡駅で はぐれた飼い犬(名前:コロ)でないかと名乗る女性が出て、時期と場所が比較的合致するため、タローはコロではないかと言われるようになった。
☆渋谷の有名な忠犬ハチ公を髣髴させられる話ですが、悲しいハチ公の話と違うのは、タローは小学校で飼われ、石岡の町の人々に可愛がられ、小学校で、(推定)18年の天寿を全うしたということ。
東京の雑踏・渋谷と違い、のんびりした石岡の、しかも昭和40年代から50年代のゆる~い時代の、心がぽかぽかするお話です

それにしても、現代の超~過保護・・・ゴホゴホ・・・いえ、大事にされている室内犬と違い、当時の犬の17才~18才って、すごい長生きですよね!

学校で飼われていたので、夜は学校で寝て、昼間は石岡駅まで通っていたとか、夏は駅前のスーパーの涼しい処で涼んでいたとか、微笑ましいやら、たくましいやら(^^)

(現在だとすぐに保健所行きになってしまいますが)
ところで、文献1によると、昭和39年当時、学校に迷い込んだタローの状態は、首輪や針金(!)が首に食い込み、化膿していたそうです

つまり、ひどい状態で飼われていたか、逃げ出した後、成長するくらい日が経っていたことになります。
なので、文献1や参考サイト3で紹介されている、平成に入っての後日談(当時の女の子飼い犬)のコロとタローは違う犬なのではないかなと、私は感じます。
理由は、首輪や針金が化膿するまで食い込むような飼い方していたとは考えにくいからです。
また、昭和の当時、野良犬や放し飼いの犬は多かったので、時期と場所と犬のおおまかな特徴が一致しているだけでは、タロー=コロ とはならないように思うのですが。
・・・でも、はぐれたワンコが可愛がられて天寿を全うしたと信じたいですよね(気持はすごくわかります)。
タローは実のところ、小学校で飼われて子供たちと遊び、学校の給食の残りを食べて楽しく暮らしているうちに、本当の飼い主(ひどい状態で放し飼いしていた大人だと私は思います)は、忘れたんだと思います。
そして、1日2回散歩&日勤(?)で石岡駅に通い、駅でも人々に可愛がられ、町の人にも何気にに見守られ、いきつけのお店もあったり(^m^)で、夜は小学校の構内で眠る。
犬としては超~長生きしたタローは、(推定)18年間、素晴らしく幸せな一生だったと思います

なお、もちろん犬の放し飼いを推奨するわけではありません。
21世紀になり平成も終わろうとする現代では、飼い犬はちゃんと家で繋ぐか室内犬として飼うのは常識です。
(ちなみにうちのおばあちゃんワンコも室内犬・・・遊んでくれる人が少ないので、タローより幸せかどうかは、ちょっとわかりませんが

でも、石岡の『忠犬タロー』の話は、ゆるくも温かい、当時の石岡の町の雰囲気と人々のまなざしが伝わってくるお話で私も好きですし、それを伝えるのが駅前のタロー像。

子供とタローの姿が本当に微笑ましい像。
撫でたくなります(*^^*)

角度を変えた写真。
この角度の方が、タローの表情が分かりやすいかな

タローが生きていた昭和40年代50年代とは、駅前の様子はかなり変わったことでしょう。

道路側からみると、タローは駅の方向を見ているのがわかります。
で、現在の石岡駅舎には筑波山の絵が描かれているので、タローと子供たちは、奇しくも筑波山を見ているようにも見えますね♪


像の後ろには、忠犬タローの物語も彫られています。
そのタローの、たくましく幸せで長生きな一生にあやかるため


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【参考文献】
1.『あした会えるさ:忠犬タローものがたり』 今泉文彦著 茨城新聞社
【参考サイト】
1.産経新聞記事
「忠犬タロー物語」後世に 石岡駅前に銅像完成 茨城 - 産経ニュース
https://www.sankei.com/region/news/170416/rgn1704160020-n1.html
2.茨城新聞記事
忠犬タローおかえり 石岡駅広場で像除幕
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14922495530326
3.朝日新聞記事
45年越しの待ち人 タローは駅に通い続けた
http://www.asahi.com/special/080804/TKY200906190306.html
養蚕信仰 ~ 群馬県にお住まいの方からご教示頂きました!
結城での研修と、結城土産
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『光る君へ』 と常陸国 ~伊勢大輔と平維幹と平為賢~
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続・源氏物語に出てくる 『筑波山』
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Posted by かるだ もん at 22:15│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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