2017年12月14日
松の古木と風光明媚 湊公園(日和山・いひん閣跡)~ひたちなか
松の古木と風光明媚 湊公園(日和山・いひん閣跡)~ひたちなか
その土地ごとの風光明媚な場所を集めた「○○八景」というのが、江戸時代ごろ流行ったそうです。
中国の瀟湘八景(しょうしょう はっけい)にならったそうで、wikipediaによると、
八景(はっけい)とは、ある地域における八つの優れた風景を選ぶ、風景評価の様式とのこと。
10世紀に北宋で選ばれた瀟湘八景がモデルとなり、影響を受けた台湾、朝鮮、日本など東アジア各地で、いろいろ八景が選定されてきたそうです。
瀟湘八景の『瀟湘』とは、同じくwikipediaによると、中国の湖南省長沙一帯の地域を指し、中国の山水画の伝統的な画題またその8つの名所のことだそうです。
茨城県下でも、水戸八景、土浦八景など、結構たくさんあります(文献1)
【水戸八景とは】
ちなみに『水戸八景』は、幕末の水戸藩主 徳川斉昭が制定したとのことで、領内の風光明媚な8か所を定め、子弟の鍛錬・自然観賞のために水戸八景をめぐって歩くことを推奨したそうです。
今でいうウォーキングルート、フットパスですね♪
ちなみに、水戸八景を全部廻ると、総距離110km!
これはすごい。
(水戸一高の70kmウォークを始め、茨城県下の高校では長距離ウォーキングが伝統行事になっている所が多いようですが、もしかしてその伝統の流れだったりするのかなぁ??)
この『水戸八景』のうち2か所を、さらに見渡せる場所があるのです!
それが、ひたちなかにある、湊公園(いひん閣跡地、日和山)です。
【湊公園 いひん閣(夤賓閣)跡 と 日和山】
先日、観光ボランティアの勉強会でひたちなかに行く機会があり、湊公園を訪れました。
公園入り口にある、『湊公園について』という看板。
『いひん閣(夤賓閣)』とは、水戸光圀が元禄十六年(1698年)に建てた迎賓のためのお屋敷でした。水戸藩別邸とも呼ばれるようです。
看板によると『歴代藩主の静養や接待のほか、海防の要衝として使われました』
とのこと。
太平洋、涸沼川、那珂湊一帯が見渡せる、大変風光明媚な場所で、この高台一体が、『日和山』もしくは『御殿山』と呼ばれるそうです。
しかし、大変残念なことに、いひん閣(夤賓閣)、幕末の水戸藩内の内紛(元治甲子の乱 1864年)で、焼失。
残っていたらすごい観光資源だったでしょうに…
現在は、『湊公園』として整備され、立派な松の木数本だけが、当時を偲ばせてくれます。
先の看板によると、これらの黒松は水戸光圀が、須磨明石(現在の兵庫県)から取り寄せたものと伝えられ、樹齢は300年を超えると推定されるそう!!
この風格はすごい。
湊公園の中で一番高い場所に登っていきます。
【水戸八景のうちの二つ 巌船夕照と水門帰帆】
さて、ここで、先に説明した『水戸八景』が出てきます♪
この日和山のてっぺんから、水戸八景のなかの、
『巌船夕照(いわふねゆうしょう)、水門帰帆(みなときはん)が謡われた場所が見渡せます。』
と地元の観光ボランティアの方がおっしゃっていました。
ちなみに、『巌船夕照』が謡われた地は大洗町祝町付近、そして『水門帰帆』が謡われたのは、ひたちなか市和田町付近とのこと
参考→ ひたちなか市ホームページ > 【文化財講座】水戸八景講座
アクアワールド茨城県大洗水族館方面を望む。
『水門帰帆』の地、ひたちなか市和田町付近は、写真のあたりよりもうちょっと左の方のようです。
那珂湊の港をはじめ、太平洋も見渡せる、大変気持ちの良い場所。
【富士山と筑波山が同時に見える景勝地】
『巌船夕照』の地、大洗町祝町付近を望む
ゆったり流れる涸沼川
川が大きくカーブしたあたりからの見た夕焼けが、
水戸八景の1つ『巌船夕照(いわふねのゆうしょう)』
だそうです。
コンディションが良い日だと、ちょうどそのカーブする涸沼川の上あたりの方向に、富士山も見えるそうです。
そうすると、筑波山、富士山が同時に見える場所なのですね♪
そして、訪れたこの日は、筑波山系がはっきりと見えました!
幕末の水戸藩の内紛では、この日和山と、川の向こうの高台から、大砲を撃ち合ったそうです…(>_<)。そして貴重な建築や資料が焼失・・・。
【日和山秋月の碑~みなと八景~】
さて日和山のてっぺんには『湊八景 日和山秋月』と彫られた石碑があります。
『水戸八景』のほかに、『湊八景』というのもあって、その一つが『日和山から見た秋の月』なのですね。
ボランティアガイドさんによると、この湊公園がある高台と涸沼川の間で、高台のすぐ下の道は、昔は水路で、水戸藩の米を運搬していたそうです。
危険な海上を避けて、この水路から涸沼川に入り → 涸沼 → 陸路 → 北浦・霞ヶ浦 → 利根川水系→ ・・・→ 江戸という運搬経路があったとのこと。
【天然記念物 イワレンゲの群生】
日和山には、もうひとつ珍しい植物群が。
ひたちなか市指定天然記念物 イワレンゲの群生。
ここがイワレンゲの自生北限だそうです。
イワレンゲは、緑色のバラのような形の多肉植物。
季節が過ぎてすっかり枯れていますが、ひょろひょろ伸びているのが、花を咲かせた茎。
ひたちなか沖で暖流と寒流がぶつかるので、本来暖かい気候の場所で自生するイワレンゲが自生しているそうです。
そして、自生出来る北限がこのひたちなかとのこと!
不勉強で、このひたちなかの湊公園、そして、いひん(夤賓)閣を知りませんでしたが、景観がすばらしい!
そして、松の古木の品格は別格。
さすが水戸藩別邸の庭だった歴史的な名跡。
ここはもっと知られても良い場所です!
是非、行かれてみてください
*******************************************************************************
【参考文献】
・「茨城八景」 柳生四郎著 筑波書林
【参考ホームページ】
・ひたちなか市ホームページ > 【文化財講座】水戸八景講座
その土地ごとの風光明媚な場所を集めた「○○八景」というのが、江戸時代ごろ流行ったそうです。
中国の瀟湘八景(しょうしょう はっけい)にならったそうで、wikipediaによると、
八景(はっけい)とは、ある地域における八つの優れた風景を選ぶ、風景評価の様式とのこと。
10世紀に北宋で選ばれた瀟湘八景がモデルとなり、影響を受けた台湾、朝鮮、日本など東アジア各地で、いろいろ八景が選定されてきたそうです。
瀟湘八景の『瀟湘』とは、同じくwikipediaによると、中国の湖南省長沙一帯の地域を指し、中国の山水画の伝統的な画題またその8つの名所のことだそうです。
茨城県下でも、水戸八景、土浦八景など、結構たくさんあります(文献1)
【水戸八景とは】
ちなみに『水戸八景』は、幕末の水戸藩主 徳川斉昭が制定したとのことで、領内の風光明媚な8か所を定め、子弟の鍛錬・自然観賞のために水戸八景をめぐって歩くことを推奨したそうです。
今でいうウォーキングルート、フットパスですね♪
ちなみに、水戸八景を全部廻ると、総距離110km!
これはすごい。
(水戸一高の70kmウォークを始め、茨城県下の高校では長距離ウォーキングが伝統行事になっている所が多いようですが、もしかしてその伝統の流れだったりするのかなぁ??)
この『水戸八景』のうち2か所を、さらに見渡せる場所があるのです!
それが、ひたちなかにある、湊公園(いひん閣跡地、日和山)です。
【湊公園 いひん閣(夤賓閣)跡 と 日和山】
先日、観光ボランティアの勉強会でひたちなかに行く機会があり、湊公園を訪れました。
公園入り口にある、『湊公園について』という看板。
『いひん閣(夤賓閣)』とは、水戸光圀が元禄十六年(1698年)に建てた迎賓のためのお屋敷でした。水戸藩別邸とも呼ばれるようです。
看板によると『歴代藩主の静養や接待のほか、海防の要衝として使われました』
とのこと。
太平洋、涸沼川、那珂湊一帯が見渡せる、大変風光明媚な場所で、この高台一体が、『日和山』もしくは『御殿山』と呼ばれるそうです。
しかし、大変残念なことに、いひん閣(夤賓閣)、幕末の水戸藩内の内紛(元治甲子の乱 1864年)で、焼失。
残っていたらすごい観光資源だったでしょうに…
現在は、『湊公園』として整備され、立派な松の木数本だけが、当時を偲ばせてくれます。
先の看板によると、これらの黒松は水戸光圀が、須磨明石(現在の兵庫県)から取り寄せたものと伝えられ、樹齢は300年を超えると推定されるそう!!
この風格はすごい。
湊公園の中で一番高い場所に登っていきます。
【水戸八景のうちの二つ 巌船夕照と水門帰帆】
さて、ここで、先に説明した『水戸八景』が出てきます♪
この日和山のてっぺんから、水戸八景のなかの、
『巌船夕照(いわふねゆうしょう)、水門帰帆(みなときはん)が謡われた場所が見渡せます。』
と地元の観光ボランティアの方がおっしゃっていました。
ちなみに、『巌船夕照』が謡われた地は大洗町祝町付近、そして『水門帰帆』が謡われたのは、ひたちなか市和田町付近とのこと
参考→ ひたちなか市ホームページ > 【文化財講座】水戸八景講座
アクアワールド茨城県大洗水族館方面を望む。
『水門帰帆』の地、ひたちなか市和田町付近は、写真のあたりよりもうちょっと左の方のようです。
那珂湊の港をはじめ、太平洋も見渡せる、大変気持ちの良い場所。
【富士山と筑波山が同時に見える景勝地】
『巌船夕照』の地、大洗町祝町付近を望む
ゆったり流れる涸沼川
川が大きくカーブしたあたりからの見た夕焼けが、
水戸八景の1つ『巌船夕照(いわふねのゆうしょう)』
だそうです。
コンディションが良い日だと、ちょうどそのカーブする涸沼川の上あたりの方向に、富士山も見えるそうです。
そうすると、筑波山、富士山が同時に見える場所なのですね♪
そして、訪れたこの日は、筑波山系がはっきりと見えました!
幕末の水戸藩の内紛では、この日和山と、川の向こうの高台から、大砲を撃ち合ったそうです…(>_<)。そして貴重な建築や資料が焼失・・・。
【日和山秋月の碑~みなと八景~】
さて日和山のてっぺんには『湊八景 日和山秋月』と彫られた石碑があります。
『水戸八景』のほかに、『湊八景』というのもあって、その一つが『日和山から見た秋の月』なのですね。
ボランティアガイドさんによると、この湊公園がある高台と涸沼川の間で、高台のすぐ下の道は、昔は水路で、水戸藩の米を運搬していたそうです。
危険な海上を避けて、この水路から涸沼川に入り → 涸沼 → 陸路 → 北浦・霞ヶ浦 → 利根川水系→ ・・・→ 江戸という運搬経路があったとのこと。
【天然記念物 イワレンゲの群生】
日和山には、もうひとつ珍しい植物群が。
ひたちなか市指定天然記念物 イワレンゲの群生。
ここがイワレンゲの自生北限だそうです。
イワレンゲは、緑色のバラのような形の多肉植物。
季節が過ぎてすっかり枯れていますが、ひょろひょろ伸びているのが、花を咲かせた茎。
ひたちなか沖で暖流と寒流がぶつかるので、本来暖かい気候の場所で自生するイワレンゲが自生しているそうです。
そして、自生出来る北限がこのひたちなかとのこと!
不勉強で、このひたちなかの湊公園、そして、いひん(夤賓)閣を知りませんでしたが、景観がすばらしい!
そして、松の古木の品格は別格。
さすが水戸藩別邸の庭だった歴史的な名跡。
ここはもっと知られても良い場所です!
是非、行かれてみてください
*******************************************************************************
【参考文献】
・「茨城八景」 柳生四郎著 筑波書林
【参考ホームページ】
・ひたちなか市ホームページ > 【文化財講座】水戸八景講座
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