2013年07月30日
筑波山伝説ミステリー!? 見えてくる歴史(3)
【茨城&つくば プチ民俗学】 筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (3)
※2013年6月16日(日)に、FM84.2MHz ラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」で放送したものを、再構築して掲載しています。
今までのお話
→ ・筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (1)
→ ・筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (2)
前回は、明治になるまで、筑波山中、聖天社近くにあったという伝説の『汐呼鐘』のお話でした。
『龍(または弁慶)が持ってきた』という『汐呼鐘』、もし本当なら、どこから運ばれたのでしょうか!?
「汐呼鐘」についてのミステリーの続きです。
ミステリー3: この鐘は、どこからか来たのか???
筑波山の龍(または弁慶)がどこからか持ってきたという「汐呼鐘」。
どこから持ってきたんだろう??
…たかが伝説というなかれ、なんと、呼応するような伝説が伝わる場所があるのです。
茨城県西地区にほど近い、埼玉県の久喜、行田、鴻巣、熊谷付近に、鐘の伝説が伝わっています。
東方に筑波山が見える地域ですね。
(1)埼玉県久喜市: 太鼓坂の伝説 (文献8 より)
あらすじ:
昔、今の埼玉の久喜市(菖蒲町)にある幸福寺(久喜市菖蒲町下栢間7)の近くに龍が住んでいた。この寺の鐘つき堂の主の龍だといわれていた。ある時、この龍が出かけているすきに、この鐘が盗まれた。怒り狂った龍は、「鐘が戻ったら返す」と言って、寺の太鼓を持ち出してどこかへいってしまった。龍が寺の前の坂に太鼓を隠したので、坂を歩くとポンポンと音がする・・・。なお、鐘を盗んだのは筑波山に住む龍だった。今でも筑波山の鐘を突くと「栢間(かやま)恋し」と鳴る・・・。
(2)埼玉県行田市・鴻巣市・熊谷市: 三千坊沼の伝説と、龍淵寺(熊谷市)に伝わる伝説
(文献9 より)
「三千坊沼から龍淵寺の和尚が法力で救いあげた鐘・・・今は常州筑波山にあるという」
三千坊沼は『前谷村にあり』とあります(文献9)。この前谷村は、現在の行田市前谷地区だと考えらます。
写真は、三千坊沼があった場所に近い、行田市のさきたま古墳群から。2010年9月撮影。
この日は霞んで見えませんが、晴れていると筑波山が見えるはずです(^^;)。
(3) 何故、伝説のリンクが生まれたのか?
鐘や仏像が盗まれた…という昔話や伝説は、各地でよく聞かれます。
実際、昔、お寺や神社の仏像、神像、鐘など、宝物は、結構盗んだり、盗まれたり…はよくあったことなのでしょう。
特に特に中世や戦国時代など、混沌とした世の中では、どさくさに紛れて盗難が多かっただろうことも、想像にかたくありません。
また宗派やお坊さん同士の抗争もあったことでしょう。
なので、昔(多分、江戸時代より昔?)筑波山がらみで、鐘の争奪が起きたのもあり得ることでしょう。
寺の関係者を龍に例えて、話を伝えたのかもしれません。
また、霊場巡りをする人々からも、訪れた土地や帰ってきた土地に伝説が伝わり、人口に膾炙されアレンジも加わって伝えられたことも考えられます。
というのも、筑波山大御堂(坂東三十三霊場 第二十五番札所)のご詠歌には、
「おほみどう かねはつくばの みねにたて かたゆふぐれに くにぞこひしき.」
とあります。 (文献「図録 筑波山」他)
※御詠歌:仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律に乗せて唱えるもの。
この中の「くにぞ恋しき」と、上述した(1)の伝説の『栢間(かやま)恋しと鳴る』が、と呼応するように思いませんか?
霊場まわりの巡業をする人々の『噂話』として、『筑波山に鐘が持って行かれたという』、『龍(または弁慶)が持ってきたという』・・・という話になってしまった可能性もありますね。
更に、伝説を下地に、お寺や神社の布教・ご利益の宣伝や説法のネタとして、脚色も加えられて話されたこともあったかもしれません。
つまり、たとえ筑波山とは全く関係なかったとしても、御詠歌の歌詞の影響で、いつのまにが筑波山のせいにされた可能性もあるわけです(^^;)。
※上述の伝説が伝わるエリアからは、東の方角に筑波山がしっかり見えます。つい伝説に筑波山を引き合いに出しやすい景色の場所でもありますね。
まあ、伝説なので、事実はどうだったかはもう解りません。
しかし、いずれにせよ、関東平野どこからでも見えるランドマークであり聖地である・筑波山を中心に、人の流れが常にあった故に生まれた伝説のように感じらませんか(^^)
それぞれの土地に伝説を残す鐘は、現在もどこかで、ひっそりと眠っているのかもしれませんね。
そう考えるとロマンを感じます。
・・・ただし、第二次世界大戦のときに、文化財に指定されている鐘以外の全国の寺の鐘の9割が、鉄材として供出されたとも聞きます。
件の鐘が明治の廃仏毀釈から逃れて昭和初期まであったとしても、第二次世界大戦の時に供出されてなくなってしまったかもしれません・・・(T_T)。
そういった意味でも、筑波山の汐呼鐘も、どこかで人知れず眠っていると良いなぁ~なんて思います。
筑波山の鐘の伝説を調べていたら、埼玉の伝説に繋がりました。面白いですね!
探すと他にも同じような伝説や、「実はこの鐘が・・・」みたいな昔話があるかもしれません。
そんな想いを馳せながら、ドライブ、お散歩されるのも楽しいです!
今度のお休みの日などいかかでしょう(^o^)。
【おまけ】 さきたま古墳公園、行田『フライ』と『ゼリーフライ』
古墳好きにとっては絶対外せない、埼玉県行田市にある、さきたま古墳公園。
大型の古墳がこれだけ近くに密集しているのもすごいです。
公園内にある、埼玉県立さきたま史跡の博物館も見たい場所。
国宝『金錯銘鉄剣』と、古墳内部が見られる将軍山展示館は必見。
行田の有名なB級グルメ 『フライ』と『ゼリーフライ』
こちらは『フライ』@にしかた
さきたま古墳公園の近くにあるお店です。
ふわふわのお好み焼きのような感じです
(2010年9月撮影)
そして、こちらが『ゼリーフライ』
ソースたっぷりのおからコロッケという感じでしょうか。
こちらも、さきたま古墳の近くのお店で揚げたてを買いました♪
(2010年9月撮影)
『フライ』も『ゼリーフライ』も、ほのぼのした美味しさでした(^o^)
-------------------------------------
参考文献
8. 『新編埼玉県史 別編2』 埼玉県 発行 編集
9. 『増補忍名所圖會附録』 (『新訂増補 埼玉叢書 第二巻』 稲村担元 著 国書刊行会)
※2013年6月16日(日)に、FM84.2MHz ラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」で放送したものを、再構築して掲載しています。
今までのお話
→ ・筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (1)
→ ・筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (2)
前回は、明治になるまで、筑波山中、聖天社近くにあったという伝説の『汐呼鐘』のお話でした。
『龍(または弁慶)が持ってきた』という『汐呼鐘』、もし本当なら、どこから運ばれたのでしょうか!?
「汐呼鐘」についてのミステリーの続きです。
ミステリー3: この鐘は、どこからか来たのか???
筑波山の龍(または弁慶)がどこからか持ってきたという「汐呼鐘」。
どこから持ってきたんだろう??
…たかが伝説というなかれ、なんと、呼応するような伝説が伝わる場所があるのです。
茨城県西地区にほど近い、埼玉県の久喜、行田、鴻巣、熊谷付近に、鐘の伝説が伝わっています。
東方に筑波山が見える地域ですね。
(1)埼玉県久喜市: 太鼓坂の伝説 (文献8 より)
あらすじ:
昔、今の埼玉の久喜市(菖蒲町)にある幸福寺(久喜市菖蒲町下栢間7)の近くに龍が住んでいた。この寺の鐘つき堂の主の龍だといわれていた。ある時、この龍が出かけているすきに、この鐘が盗まれた。怒り狂った龍は、「鐘が戻ったら返す」と言って、寺の太鼓を持ち出してどこかへいってしまった。龍が寺の前の坂に太鼓を隠したので、坂を歩くとポンポンと音がする・・・。なお、鐘を盗んだのは筑波山に住む龍だった。今でも筑波山の鐘を突くと「栢間(かやま)恋し」と鳴る・・・。
(2)埼玉県行田市・鴻巣市・熊谷市: 三千坊沼の伝説と、龍淵寺(熊谷市)に伝わる伝説
(文献9 より)
「三千坊沼から龍淵寺の和尚が法力で救いあげた鐘・・・今は常州筑波山にあるという」
三千坊沼は『前谷村にあり』とあります(文献9)。この前谷村は、現在の行田市前谷地区だと考えらます。
写真は、三千坊沼があった場所に近い、行田市のさきたま古墳群から。2010年9月撮影。
この日は霞んで見えませんが、晴れていると筑波山が見えるはずです(^^;)。
(3) 何故、伝説のリンクが生まれたのか?
鐘や仏像が盗まれた…という昔話や伝説は、各地でよく聞かれます。
実際、昔、お寺や神社の仏像、神像、鐘など、宝物は、結構盗んだり、盗まれたり…はよくあったことなのでしょう。
特に特に中世や戦国時代など、混沌とした世の中では、どさくさに紛れて盗難が多かっただろうことも、想像にかたくありません。
また宗派やお坊さん同士の抗争もあったことでしょう。
なので、昔(多分、江戸時代より昔?)筑波山がらみで、鐘の争奪が起きたのもあり得ることでしょう。
寺の関係者を龍に例えて、話を伝えたのかもしれません。
また、霊場巡りをする人々からも、訪れた土地や帰ってきた土地に伝説が伝わり、人口に膾炙されアレンジも加わって伝えられたことも考えられます。
というのも、筑波山大御堂(坂東三十三霊場 第二十五番札所)のご詠歌には、
「おほみどう かねはつくばの みねにたて かたゆふぐれに くにぞこひしき.」
とあります。 (文献「図録 筑波山」他)
※御詠歌:仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律に乗せて唱えるもの。
この中の「くにぞ恋しき」と、上述した(1)の伝説の『栢間(かやま)恋しと鳴る』が、と呼応するように思いませんか?
霊場まわりの巡業をする人々の『噂話』として、『筑波山に鐘が持って行かれたという』、『龍(または弁慶)が持ってきたという』・・・という話になってしまった可能性もありますね。
更に、伝説を下地に、お寺や神社の布教・ご利益の宣伝や説法のネタとして、脚色も加えられて話されたこともあったかもしれません。
つまり、たとえ筑波山とは全く関係なかったとしても、御詠歌の歌詞の影響で、いつのまにが筑波山のせいにされた可能性もあるわけです(^^;)。
※上述の伝説が伝わるエリアからは、東の方角に筑波山がしっかり見えます。つい伝説に筑波山を引き合いに出しやすい景色の場所でもありますね。
まあ、伝説なので、事実はどうだったかはもう解りません。
しかし、いずれにせよ、関東平野どこからでも見えるランドマークであり聖地である・筑波山を中心に、人の流れが常にあった故に生まれた伝説のように感じらませんか(^^)
それぞれの土地に伝説を残す鐘は、現在もどこかで、ひっそりと眠っているのかもしれませんね。
そう考えるとロマンを感じます。
・・・ただし、第二次世界大戦のときに、文化財に指定されている鐘以外の全国の寺の鐘の9割が、鉄材として供出されたとも聞きます。
件の鐘が明治の廃仏毀釈から逃れて昭和初期まであったとしても、第二次世界大戦の時に供出されてなくなってしまったかもしれません・・・(T_T)。
そういった意味でも、筑波山の汐呼鐘も、どこかで人知れず眠っていると良いなぁ~なんて思います。
筑波山の鐘の伝説を調べていたら、埼玉の伝説に繋がりました。面白いですね!
探すと他にも同じような伝説や、「実はこの鐘が・・・」みたいな昔話があるかもしれません。
そんな想いを馳せながら、ドライブ、お散歩されるのも楽しいです!
今度のお休みの日などいかかでしょう(^o^)。
【おまけ】 さきたま古墳公園、行田『フライ』と『ゼリーフライ』
古墳好きにとっては絶対外せない、埼玉県行田市にある、さきたま古墳公園。
大型の古墳がこれだけ近くに密集しているのもすごいです。
公園内にある、埼玉県立さきたま史跡の博物館も見たい場所。
国宝『金錯銘鉄剣』と、古墳内部が見られる将軍山展示館は必見。
行田の有名なB級グルメ 『フライ』と『ゼリーフライ』
こちらは『フライ』@にしかた
さきたま古墳公園の近くにあるお店です。
ふわふわのお好み焼きのような感じです
(2010年9月撮影)
そして、こちらが『ゼリーフライ』
ソースたっぷりのおからコロッケという感じでしょうか。
こちらも、さきたま古墳の近くのお店で揚げたてを買いました♪
(2010年9月撮影)
『フライ』も『ゼリーフライ』も、ほのぼのした美味しさでした(^o^)
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参考文献
8. 『新編埼玉県史 別編2』 埼玉県 発行 編集
9. 『増補忍名所圖會附録』 (『新訂増補 埼玉叢書 第二巻』 稲村担元 著 国書刊行会)
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