元々は筑波山にあった、東京・護国寺の瑜祇(ゆぎ)塔


以前、江戸時代まで筑波山にあった大仏の話など、書きました。
豆電球消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)

豆電球現在の筑波山神社の敷地には、江戸時代まで『筑波山知足院中禅寺』というお寺がありました。明治の廃仏毀釈で、中禅寺はなくなり、筑波山神社となり現在に至っています。

この大仏に加え、同じく筑波山(知足院中禅寺)にあった、地蔵菩薩像仁王像(1体)と瑜祇(ゆぎ)塔が、現在、東京の護国寺あるということで、見に行った時の話が上記の記事です。

ですが、その時は、『瑜祇塔(ゆぎとう)』だけがどこにあるか分かりませんでした汗


どこにあるのかな・・・と気になっていたところへ、2か月ちょっと前(2016年12月)、つくば観光ボランティアの勉強会で、護国寺に行く機会がありました。
同寺の僧侶の方のご説明とご案内で、境内の筑波山関連の寺宝を拝見しました。

そして、この時に、前回場所が分からなかった
『瑜祇塔』
を見ることができました!
グッド\(^o^)/


瑜祇塔は、現在は、護国寺の敷地の奥の方、音羽陸軍埋葬地の敷地の中にあります。


フェンスに囲まれたエリアの更に奥にひっそりと建つ瑜祇塔。

『瑜祇塔』は、現在は護国寺では、『多宝塔』と呼んでいるようです。
ただし、護国寺では一般に『多宝塔』は、昭和13年に建立された大きな建物を指すようで、ちょっと紛らわしい汗
(なので、以前、護国寺を音連れた時に、「瑜祇塔はどこですか?」と訊いても分からなかったわけです・・・)

このブログでは、筑波山にあった時の名称
瑜祇塔
で通します。

以前は、この瑜祇塔は、大きな多宝塔の近くにある『忠霊堂』の裏手にあったそうです。
そこはもともと、日清日露戦争(とのご説明と記憶)の戦没者のお墓があったそうで、瑜祇塔もそこに建立(正確には筑波山から移築)されていたそうです。
近年、そこが整理され、お骨とともに、現在の音羽陸軍墓地(護国寺の西の奥の墓地)に移転したとのこと。




瑜祇塔 の上部の中には、小さな仏像が安置され、さらに四面に小さな仏像が安置されています。

四面に安置された仏像は、真言宗で言われる、四つの方向(東西南北)を守る仏様ではないかということです。







瑜祇塔の胴の部分には大きな梵字の他にも、文字がたくさん彫られています。










特に下部の台座部分には、小さい文字(奉納者の名前か?)がびっしり彫られています。










「瑜祇塔」の説明が彫られた石碑。
磨かれた石に彫られているので、近くの人が写りこんでしまって見えづらくてすみません汗

石碑には『護国寺多寶塔の由来』(『宝』の字が旧字の『寶』)と彫られています。
呼称は『瑜祇塔』でなく、やはり『多寶塔』となっていますね。

続く説明文は、
『もと、當山の薬師堂の西側に、明治二十五年十二月二十一日建立されたものである・・・』
に始まり、明治以降の由来が書かれていますが、
それ以前の由来(筑波山にあった等)については、残念ながら触れられていません・・・(T_T)。

でも、日清日露戦争の戦没者の供養のための塔として、現在も役立っているのは良いことですにこにこ


【今も本堂の中で現役の鐘の由来は!】


さて、「第五の!筑波山(知足院中禅寺)から来た仏具かも??」ということで、僧侶の方に案内されて拝見した、本堂の中にある小さな鐘。
今も現役で使われているそうです!

写真では分かりにくいのですが、『筑波山元禄寺』(←要確認※)と彫られているとのご説明がありました。

※『元禄寺』だったと記憶。『中禅寺』でなかったのは確かです。
暗いところでの撮影で、文字がよく写っていなくて写真で確認出来ない汗


筑波山』の文字はありますが、江戸時代まで筑波山にあった『筑波山知足院中禅寺』由来のものでなく、護国寺に併合された護持院(『筑波山護持院元禄寺』※※)由来のもののようです。

でも『筑波山』の文字が彫られている鐘が現存していて、しかも現役で使われているのは嬉しいですねグッド

※※護持院については、冒頭で紹介させて頂いた当ブログの記事もご参考までに。
豆電球参照→ 消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編) 

護持院: 筑波山知足院中禅寺の別院として、当初は元禄元年に神田橋外に開山されたとのこと。
 享保2年の火災による焼失を経て、護国寺の隣に移転し、明治になり廃寺となって護国寺の管轄になっているそう。
 なお、享保以降に護持院があった敷地(護国寺の東側)は、現在は宮家の方々の墓地となっているとのことです。

今回、観光ボランティアの勉強会ということで、護国寺の僧侶の方に説明頂いたので、大変細かく拝見することが出来ました。


たとえば大仏に彫られた、鋳造した人や、願主など奉納者の名前。
これも説明頂いて知りました。

『下妻』など筑波山近郊の地名もしっかり彫られているのも見られて、
やはり筑波山にあった大仏なのだなぁ!』と感動しました。
大仏の背面の方に、多くの人の名前も彫られていましたちょき





【これらの鋳造物が運ばれていた経路】

これについても、冒頭でも紹介した拙ブログの以前の記事でも考察させて頂きましたが
豆電球消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)

今回、護国寺の僧侶の方から、

護国寺の近くまで(水路で)運ばれた後は、正面の道(御成道)を使って登ってくるより、寺の東側の方を通った方が坂道がゆるやかなので、そこから護国寺まで運ばれたのではないか

という旨のお話もありました。

重い鋳造物を、大八車のようなものに乗せて運んだと思われますから、確かにそうかもしれないと納得!


【おまけ】



『一人仁王』の後ろ姿。


仁王の後ろ姿というのは、普通は(仁王門に安置されていたりするので)なかなか見られませんが、こちらではしっかり見られます。
素晴らしい肉体美♪ハート 
すごいかっこいい!ハート

『一人仁王』は、江戸時代に書かれた絵図から推察すると、六丁目の『一の鳥居』の脇に(建物に覆われることなく)、立っていたようなので、当時もこんなふうに、麗しい肉体美の背中も見られたのではないかと想像します(*^^*)

ちなみに一人仁王像は、現在の場所に安置される前は、護国寺の寺務所(だと記憶)のある付近あったそうです。

その後、現在の位置である不老門の後ろに安置されるようになって、
奇しくも、この(不老門の後ろ付近)エリアは、大仏・一人仁王像・地蔵菩薩像が集まる“筑波山エリア”になっています
とのお寺の僧侶の方のご説明。

これこそまさしく地縁&仏縁ですね!♪ちょき


さて、この「一人仁王」像、について、文献『筑波山名跡誌』(筑波山名跡誌 -安永期の貴重な地誌再現-」上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林)を、再度読み直しました。

上記の当ブログ記事
消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)
で紹介した
「なぜ一体だけなのか」を説明する伝説の他に、

『元々は(対のある) “仁王” ではない』

という説がある旨も書かれてました。

しかし「筑波山名跡誌」が書かれた江戸中期でも、
「なぜ仁王なのに一体だけなのか」 、「(仁王でなければ)本当は何の仏像なのか」
は、既によく分からなくなっていた・・・というのが本当のようです・・・。

伝説としては、作る手順を間違えて・・・云々の言い伝えの方が面白いのですが(^m^)


【お礼】

今回の勉強会に関し、関係者の皆さま、また時間をご説明下さった護国寺の僧侶の皆さま、ありがとうございました。
護国寺の方から、以前書かせて頂いた拙ブログの記事を読んでくださった旨を伺い、大変恐縮するとともに、感激しました。
(ウソを書かないように、さらに精進する所存です)
これからもよろしくお願い申し上げます。

今回の記事も、私の方の事実誤認等がありましたら、ご教示頂けると幸いです。


****************************************************************************************************

【参考文献】
・ 「筑波山-神と仏のおわす山―」  茨城県立歴史館 

・ 「筑波山名跡誌 -安永期の貴重な地誌再現-」 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林


【参考サイト】

・護国寺ナビ
http://gokokujinavi.com/gokokuji/

・千代田区観光協会
『我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地) 』ページ
http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/286/Default.aspx



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徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

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