消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)

※2014年5月10日にラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話した内容を再構築したものです。


消えた筑波山の『お宝』・・・
宝物を言いましても、大判小判ザクザク、金塊ごろごろ・・・でなくて、もし筑波山に残っていたら今頃、観光の目玉のラインナップになったのでは・・・と思われる、幻の『地域の宝』です。
具体的には、江戸時代に栄華を極めて、明治になって、廃仏毀釈の暴動で破壊された、筑波山中禅寺の仏像などです。

前編の前回(→ 消えた筑波山の「お宝」を巡って!(前編)) は、つくば市周辺で、消えた筑波山の宝物を追う旅をしました。

さて、後編の今回は、茨城を飛び出しまして、東京に行ってきました電車

-------------------------------------------------------
なんと!筑波山に大仏があった!

大仏と言えば、奈良の大仏、鎌倉の大仏が有名ですよね。

が、江戸時代までは、筑波山にも大仏があったのです!


もし現存していたら、『筑波大仏』と呼ばれていたかもしれない大仏キラキラ

その大仏やその他の筑波山にあった仏像などがあるという、東京の文京区にある護国寺に行ってきました。

東京メトロ有楽町線に護国寺駅という駅がありますが、その護国寺で、駅を出てすぐ目の前にあります。









なぜ護国寺に?

筑波山から、なぜ東京の護国寺に仏像達は運ばれたのでしょうか?

話は江戸時代になります。
似たようなお寺の名前も出てきますので、混乱しないでくださいねちょき

まず、江戸時代になり、徳川幕府になった時に、江戸の鬼門(東北の方向)を守るとうことで、筑波山にあった中禅寺が、徳川家の祈願所となり、多くの寄進を幕府より受けて繁栄したお話は、前回しました。

でも、筑波山はやはり江戸からはちょっと遠い汗

なので、いつでもお参りできるように、出張所が欲しい。
ということで、江戸には筑波山知足院別院があったようです。

最初はどこにあったのか分からないのですが、五代将軍徳川綱吉公の時に、湯島に移転し、続いて
規模を大きくして1688年(元禄元年)、江戸城の北東、お堀の外(神田橋外)に作リ直したようです。
この時はまだ『筑波山知足院江戸別院』でした。

綱吉公は、生類憐みの令を出した、お犬様の将軍で有名ですね。

その7年後、1695年(元禄8年)、 『知足院江戸別院』は、『護持院』と改称されました。

ところが、大寺院の護持院は1717年(享保2年)に、火事で焼失してしまいました。

その時は、8代将軍徳川吉宗公。
質素倹約政策を徹底した将軍ですね。

それもあるのか(?)、火事で焼けてしまった護持院は再建されず、ちょっと離れた、護国寺というお寺の境内に移されました。

引っ越し先の護国寺というのは、同じく5代将軍綱吉公が、お母さんの桂昌院のために建立を命じて出来たお寺で、護持院よりも先に(江戸城の北西に作られる7年前、天和元年1681年に)建立されていたお寺でした。

護持院が護国寺境内に移ったことで、事実上護国寺と合併した形となり、さらに明治になって護持院の方が廃止されて、護国寺だけが残り今に至っています。

なお、焼け野原になった、江戸城のすぐそばの北西のエリアにあった護持院の跡地は、幕末まで『護持院が原』という空き地になったままだったそうです。
現在の皇居外苑で、竹橋駅とか、首都高の一ツ橋出入り口などがある一帯です。(平川門の付近)

・・・というわけで、明治になって、筑波山で吹き荒れた廃仏毀釈の難を逃れた一部の仏像などが、縁のある護国寺境内の護持院に運び込まれたというわけのようです。

で、今に残って実際に見られるのが4つあります(文献1)。
銅製大仏
銅製金剛力士像
銅製多宝塔(ゆぎとう)
銅造地蔵菩薩

で、実際、護国寺に行って見てきましたちょき


東京メトロ有楽町線の護国寺駅を出ると、そこは護国寺前です♪










護国寺の仁王門をくぐります。










階段の上に『不老門』という門があります。











訪れた時(2014年5月ゴールデンウィーク)階段わきのツツジが美しいキラキラ












不老門の向こうに・・・!












見よ!この肉体美ハート
筑波山にあった金剛力士像です。

前編でお話した、流れ仁王の像と似ているのは、胸の下・腹部上部の筋肉の表現です。
ボールがたくさんあるように、筋肉を表現しています。
当時の表現の流行だったのでしょうか。















こちらは地蔵菩薩像。これも筑波山にありました。
















金剛力士像と地蔵菩薩像は、このように隣り合って、参道の向かって左に安置されています。












そして本堂の方を見ると、向かって右側に、大仏が!














これが、筑波山にあった大仏です!びっくり

『筑波大仏』だったかもしれない、現在の護国寺の大仏様のお顔は、口元に微笑みをたたえているような優しいお顔で、見ているとこちらもニコニコしたくなるお顔でした笑

実際、境内を歩いているカップルが、『かわいい!』と写真を取っているのを、2組も見ました笑








後でまた触れますが、いずれの仏像も、特に『筑波山知足院にあった・・・』というような説明板はありませんでした。
購入した冊子にも記載はなく、残念です・・・汗





なお、銅製多宝塔(瑜祇塔 ゆぎとう)は、お寺の方にも訊いたのですが分からず、今回見つけることが出来ませんでした。
文献1には写真が掲載されているので、多分、墓地の方にあるのかもしれません。


-------------------------------------------------------
さて、ここでクイズです。

【クイズ1】
今は護国寺の境内にある大仏様ですが、現在は筑波山神社になっている境内のあったでしょうか?
 
① 今の筑波山神社拝殿の裏手。
②  今の筑波山神社の、お守りやおみくじを売っている社務所
③ 今の境内で、『宇宙の卵』(1985年科学万博の展示品)が置かれている場所。



正解は・・・
江戸時代の境内の絵地図(文献1、2)を見ると、

大仏今の筑波山神社拝殿の裏手、ちょっと登って左手にあったようです。
拝殿裏手は森になっていますが、最近、『万葉の小径(こみち)』といって、筑波山を謳った万葉集の歌が彫られた、石碑がたくさんあって、それを巡る散策路が新しく出来ましたが、そのあたりかなと思います。
ということで、正解は①の『今の筑波山神社拝殿の裏手あたりです。

その他のものは、
多宝塔(瑜祇塔 ゆぎとう) これは、日枝神社、春日神社の裏手を登っていったところにあったようです。今は木々が茂っていまして、近づけない場所です。

金剛力士像 現在も残っている一の鳥居の脇にあったようです。江戸中期1779年に刊行された『筑波山名跡誌』に記載があり、実際それらしい像も挿絵に書かれています(文献3)。 

地蔵菩薩 はっきりは分からないのですが、江戸時代の絵地図(文献1、2)に像らしいスケッチがあるので、一つの候補として、今の拝殿のすぐ目の前の階段の向かって左脇、今は石碑がいくつかある、そこかなとも思います。
どなたかおわかりになったら、是非教えてください。


【クイズ2】

金剛力士像についてのクイズです。護国寺に今も1体で境内に立っておられる、金剛力士像ですが、これは、江戸時代に安置された時から、すでに口を閉じた「うんぎょう」型の1体だけだったようです。なぜ最初から1体だけだったのでしょうか。

① たたりがあって、もう一体の、口を開けた「あぎょう」型が作れなかった。
② 造ったばかりのところを、盗まれた。
③ 口を閉じた「うんぎょう」を作ったところで予算がなくなり、作れなかった。


正解は、
その言われも『筑波山名跡誌』に書かれています(文献3)。

それによると、
作る手順を間違えて、先に口を閉じた「うんぎょう」の金剛力士像を作ってしまったため、差しさわりがあり(つまり一種のたたり?)があり、「あぎょう」の像が作れなくなってしまい、1体だけになった・・・
という話が江戸時代中期、既に伝わっていたようです。

ということで、正解は、①の(一種の)たたり的な問題が生じて、口をあけた「あぎょう」型が作れなかった。
です。

・・・たぶん、作った人の言いわけだったりする?気がしますが汗、でもそういう伝説があるのがミステリアスで面白いですね!

・・・というわけで、

もし大仏が筑波山に残っていたら、牛久大仏、筑波大仏の新旧2つの大仏が茨城県にあったんだよな~

と、結構残念に思っています。

あと、もうひとつ残念なこと。
先にも書きましたが、現在の護国寺にある、上記の筑波山由来の仏像・仏具の説明が、境内にないことです。
これでは『いきなり置かれている、一体しかない仁王(金剛力士像)』、『小さな大仏』と言われてもしかたありません泣

護国寺で購入した小冊子にも書かれていませんでしたがーん…

歴史を語る由来のものなのに、大変残念です。


--------------------------------------------------------
ミステリー どうやって筑波山から、金属製の大仏などを、東京まで運んだか?

さて、銅製の大仏など、重い仏像、仏具、大型トラックも鉄道もない、道路も今のように舗装されていない明治初期、どうやって筑波山から東京まで運んだのか、不思議に思いませんか?

最後のクイズです。

【クイズ3】
どうやって、金属製の大仏などの仏像を江戸まで運んだか?
2択です。

(1)大八車のような荷車で何度も運び手が交代して運んだ
(2)舟で運んだ


正解の鍵は、当時、隆盛を極めていた、霞ケ浦の水運です
それというのも、高瀬舟を使った霞ケ浦や利根川の水運は非常に盛んであり、年貢の米など、かなり重いものを運搬していたそうなのです(文献5、参考HPなど)。

ちなみに、
高瀬舟 200~1200俵の米俵を運ぶことができた→ 1俵60kgとして、12000kg~72000kg=12~72t
航路は、たぶん、筑波山~桜川~霞ケ浦~潮来~利根川~関宿~江戸川~小名木川(人工水路)~江戸・・・が考えられます。

大仏の重さですが、
像の高さ11.3mの鎌倉大仏が121tとのこと。
護国寺の大仏は高さ2.4mで、高さは2.4/11.3(約1/5)。
体積比だと、ざっくり計算して(2.4/11.3)3乗=13.8/1442.9 の大きさなので、
大まかな重さは
121 x 13.8/1442.9 = 1.2t 
でしょう。
これだと、余裕で舟で運べる豆電球

護国寺の近くまで神田川が来ていますし、(神田川にかかる)江戸川橋から北へまっすぐに護国寺まで伸びる広い音羽通りは、天和元年(1681)に護国寺を創建した五代将軍綱吉によって開かれた将軍御成道(おなりみち)なので、そこもなんとか運べたと思います。たぶん大八車???

筑波山から桜川まではどうやって運んだか・・・これは、不思議なのですが、前編でも、鐘楼を(分解して?)運んでますので、大八車のような荷車で運んだのでしょうか。

ということで、正解は、一部陸路はあったものの、大部分は、(2)の舟が主な運搬手段だったのではないかと考えます。

・・・霞ケ浦や、利根川などの水運、すごかったんですね豆電球


---------------------------------------------------------------
(おまけ) 音羽富士

ちょっと、おまけの話ですが、筑波山といえば、常陸国風土記にも書かれている『富士山と筑波山』の伝説がありますが、ここ、筑波山に縁が深い護国寺に、富士山があるのです!

その名は『音羽富士』。

これは江戸時代にはやった富士塚信仰で、江戸や関東を中心に、『富士塚』と呼ばれる小さな富士山が寺社の境内に作られました。
そこにお参りすると、富士山に行ったと同じご利益あるということで、江戸時代に大流行した信仰です。
(今も、毎年山開き(7/1)になると、各地の富士塚で神事が行われ、参拝者で賑わうところが多いです♪)

護国寺にも『音羽富士』と呼ばれる、富士塚があります。
他の神社仏閣にある富士山は、7月1日のお山開きの時しか登れなかったりする場所も多いのですが、ここ音羽富士は、いつでも登れますちょき





筑波山から仏像をお参りして、ミニ富士山に登るのも一興ですね
グッド

---------------------------------------------------------------

ということで、『消えた筑波山の”お宝”を巡って』前編・後編、いかがだったでしょうか。

こういう目で改めて、筑波山神社はもちろん、前回・今回ご紹介した場所を訪れると、また違った風景が見えるかもしれません。
是非、ドライブに、散策に、いかがでしょうちょき


【2017年2月27追記】
その後、護国寺にある瑜祇塔(ゆぎとう)を見つけることが出来ました。
その報告です。

→ 『元々は筑波山にあった、東京・護国寺の瑜祇(ゆぎ)塔



---------------------------------------------------------------
【参考文献】
1. 「筑波山-神と仏のおわす山―」  茨城県立歴史館 
2. 「関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記」 筑波山神社
3. 「筑波山名跡誌 -安永期の貴重な地誌再現-」 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
4. 「江戸散歩 東京散歩」 成美堂出版
5. 「大利根百話」 建設省関東地方建設局監修  (社)関東建設弘済会

【参考HP】
・千葉県立中央博物館 大利根分館 
   http://www2.chiba-muse.or.jp/?page_id=275
・霞ケ浦河川事務所 
   http://www.ktr.mlit.go.jp/kasumi/rekishi/syu_chosi.htm
・国土交通省 関東地方整備局 下館河川事務所 
   http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/04_ryuik/history3.htm
・国土交通省 水管理・国土保全
   http://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/83028/83028-2_p1.html 
   http://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/minamo/kandagawa.html
















同じカテゴリー(茨城&つくば プチ民俗学・歴史)の記事画像
『おでにちさま』の飾り
筑波山神社 観月祭
石岡駅の忠犬タロー像
結城と福井を繋ぐ伝説と信仰―猫塚伝説と袋羽神―
筑波山神社 ご神橋の修理工事
茨城こんなもの見つけた♪(39)  鹿島の帯占い
同じカテゴリー(茨城&つくば プチ民俗学・歴史)の記事
 『おでにちさま』の飾り (2018-10-09 23:45)
 筑波山神社 観月祭 (2018-09-25 20:31)
 石岡駅の忠犬タロー像 (2018-09-12 22:15)
 結城と福井を繋ぐ伝説と信仰―猫塚伝説と袋羽神― (2018-09-06 23:05)
 筑波山神社 ご神橋の修理工事 (2018-08-19 10:29)
 茨城こんなもの見つけた♪(39) 鹿島の帯占い (2018-07-22 17:19)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
コメントフォーム
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城



オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE