2024年02月10日
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
紋三郎稲荷とは、笠間稲荷の別名。
その笠間稲荷に絡んだ落語があります。
その名もスバリ 『紋三郎稲荷』。
以下、『古典落語大系 第五巻』(文献1)にある 『紋三郎稲荷』 を基に話を見ていきます。
この落語の主人公は、笠間藩牧野家の家臣 山崎平馬。
江戸勤番を命じられたが、風邪を引き寝込んだため、一行より3日遅れて出立するところから始まります。
寒い時期で体調も完全ではなかった平馬は、裏地に狐の毛皮(尻尾付き)を縫い付けた胴着を身につけ、更にその上に背割り羽織を着て、江戸に向かいました。
そして水戸街道に出て、途中、とって(取手:当時は『とって』と呼ばれた)で、渡しに乗って川を越えましたが、天気は時雨てきて北風も寒く、病み上がりには辛い状況。
そこで平馬は、松戸まで駕籠に乗ることにしました。
この駕籠を担ぐ二人の勘違いが第一の面白いところ。
平馬はその勘違いを利用していきます。
松戸の陣屋に到着すると、駕籠かきから事情を聴いた陣屋当主の勘違い、そして近所を巻き込んでの騒動が第二の面白いところ
・・・しかしここで話のあらすじを細かく書くのは、野暮ってもの。
今はYoutubeなどで名人の話芸が聞けますので、是非そちらで、話をご堪能下さい。
さて、この『紋三郎稲荷』は、紋三郎稲荷こと笠間稲荷のある笠間は、実はほとんど出てきません。
現在の茨城県・千葉県北東部辺りかが舞台の落語です。
写真は、笠間稲荷の参道から、笠間稲荷の楼門を望む(2021年2月撮影)。
狛犬ならぬ、お狐さまの石像があります。
お狐さまは、神社のご祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属でお使いです。
落語『紋三郎稲荷』の主人公 山崎平馬は、この笠間稲荷のある常陸国笠間藩(現在の茨城県笠間市)藩主 牧野氏の家来という設定。
今回、笠間は訪ねませんでしたが、この愉快な落語の聖地巡りということで、主人公の山崎平馬がたどった道に想いを巡らせて、車旅ですが、回ってみました。
まず1回目の今回は、この話のメインが始まる、とって(取手)の渡しから、利根川を渡り、平馬が途中の茶屋に立ち寄るところまでです。
(1) とって(取手)の渡し
笠間を出て、どこの地点からから水戸街道に合流して歩いてきた山崎平馬は、当時『とって』と呼ばれてたという取手に到着。
そこから利根川で向こう岸まで渡ります。
落語の中では、取手についたのは 『八つ時を過きたあたり』 ということで、午後2時過ぎでしょうか。
江戸時代の頃、利根川を渡るため、街道筋にあたる取手にはいくつか渡し船があったようです(文献2)が、現在は、『小堀(おおほり)の渡し』 が残っています。
『小堀』と書いて『おおほり』と読みます。
難読地名です。
小堀(おおほり) 地区は、大正時代に利根川の改修事業で、茨城県の川向こうの千葉県側に位置することとなり、取手市の飛び地となりました。
『小堀(おおほり)の渡し』は、現在取手市が運営しており、取手市の中心付近の2カ所の乗り場と小堀地区をを繋いています。
(写真は2024年1月撮影)
詳細:
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし)
https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
ということで、まずは、 『小堀(おおほり)の渡し』 に乗ってみました。
その体験については、先日書いた記事をご参照ください。
→ 利根川の『小堀の渡し』に乗ってみた
(2)駕籠に乗った平馬が立ち寄る茶屋
落語『紋三郎稲荷』の話に戻りましょう。
とって(取手)から舟に乗り川を渡った平馬は、北風が病み上がりの身体に辛いために、ちょうど近づいてきた駕籠に乗ることにします。
写真は、茨城県側から利根川を渡った所にある、『小堀(おおほり)』地区付近(2024年1月撮影 以下同じ)。
先にも書いたように、茨城県取手市の飛び地です。
よく見ると、写真左奥に、利根川が蛇行していた時の名残の三日月湖である 『古利根沼』 が見えます。
小堀(おおほり)地区は、江戸時代後期は高瀬舟、明治初期は蒸気船通運丸の停泊する河岸として賑わったといいます(文献2)。
取手からの渡し船は複数あったそうです(文献2)。
この小堀(おおほり)地区は、江戸時代の頃はまだ川向こうではなかったので、平馬が渡ってきた場所候補にはなりません。
しかし今に残る渡し船でも行ける地ということで、訪れました。
さて平馬は、八つ時(午後2時)過ぎに取手に到着し、それから舟に乗って利根川を渡ったということで、午後3時過ぎに川向こうに到着し、それから駕籠に乗って出発したと想定。
当時、篭籠は一里(4km)を40~60分で走ったといいますので、その平均で50分で走ったとして時速4.8kmくらいで走ったことにしましょう。
気前の良い平馬の様子に加え、防寒用の狐の毛皮の尻尾が見えることから、この籠屋が平馬を狐が化けていると思い込んでしまいます。
この駕籠屋と平馬のやりとりが、この落語の第一の山場?というか、面白いところ
水戸街道で江戸に向かう駕籠の中、駕籠かきの2人が自分をキツネだと勘違いしていることを知った平馬は、いたずら心を出します。
2人から訊かれるままに、笠間稲荷のお使いのキツネだと答え、途中に立ち寄った茶屋では稲荷寿司ばかり食べて、キツネのフリをします。
立ち寄った茶屋はどの辺りだと想定すると良さそうでしょうか。
当時、街道では、宿場町周辺はもちろんのこと沿道に茶屋があったといいます。
まず取手から我孫子までは(川も含めて?)、約7km。
我孫子宿から小金宿までは約8km。
小金宿から松戸宿までは、約9km。
落語では、どの辺りで茶屋に入ったかは触れられていませんが、まあ、我孫子宿から小金宿の間で茶屋に入ったとするのが自然でしょう。
我孫子宿の本陣跡。
JR常磐線 我孫子駅南口から南東へ500~600mあたり、道路に面したマンションの入り口付近に、本陣跡地の碑があります。
本陣跡からほど近い所に、我孫子宿の説明板がありました。
この辺りはほとんど宿場町の雰囲気は残っていないようで、この説明版で当時に想いを巡らすしかないのが残念。
想定より手前ですが、そこからほど近い交差点のコンビニ(現代の茶屋♪)で、稲荷寿司とお茶を購入して食べました。
落語の主人公の平馬の気分をちょっぴり感じられた・・・かな?(笑)
さて、次回は、我孫子宿を出て、小宿宿から、話の終盤で最大の山場の松戸宿を訪ねます。
続きます。
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
*****************************
【参考文献】
1. 『古典落語大系 第五巻』 江國茂・大西信行・永井啓夫・矢野誠一・三田純一 編著
三一書房
p.156~ 『紋三郎稲荷』
2.『新編 旧水戸街道繁盛記』 山本鉱太郎 崙書房出版
【参考サイト】
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし)
https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
紋三郎稲荷とは、笠間稲荷の別名。
その笠間稲荷に絡んだ落語があります。
その名もスバリ 『紋三郎稲荷』。
以下、『古典落語大系 第五巻』(文献1)にある 『紋三郎稲荷』 を基に話を見ていきます。
この落語の主人公は、笠間藩牧野家の家臣 山崎平馬。
江戸勤番を命じられたが、風邪を引き寝込んだため、一行より3日遅れて出立するところから始まります。
寒い時期で体調も完全ではなかった平馬は、裏地に狐の毛皮(尻尾付き)を縫い付けた胴着を身につけ、更にその上に背割り羽織を着て、江戸に向かいました。
そして水戸街道に出て、途中、とって(取手:当時は『とって』と呼ばれた)で、渡しに乗って川を越えましたが、天気は時雨てきて北風も寒く、病み上がりには辛い状況。
そこで平馬は、松戸まで駕籠に乗ることにしました。
この駕籠を担ぐ二人の勘違いが第一の面白いところ。
平馬はその勘違いを利用していきます。
松戸の陣屋に到着すると、駕籠かきから事情を聴いた陣屋当主の勘違い、そして近所を巻き込んでの騒動が第二の面白いところ
・・・しかしここで話のあらすじを細かく書くのは、野暮ってもの。
今はYoutubeなどで名人の話芸が聞けますので、是非そちらで、話をご堪能下さい。
さて、この『紋三郎稲荷』は、紋三郎稲荷こと笠間稲荷のある笠間は、実はほとんど出てきません。
現在の茨城県・千葉県北東部辺りかが舞台の落語です。
写真は、笠間稲荷の参道から、笠間稲荷の楼門を望む(2021年2月撮影)。
狛犬ならぬ、お狐さまの石像があります。
お狐さまは、神社のご祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属でお使いです。
落語『紋三郎稲荷』の主人公 山崎平馬は、この笠間稲荷のある常陸国笠間藩(現在の茨城県笠間市)藩主 牧野氏の家来という設定。
今回、笠間は訪ねませんでしたが、この愉快な落語の聖地巡りということで、主人公の山崎平馬がたどった道に想いを巡らせて、車旅ですが、回ってみました。
まず1回目の今回は、この話のメインが始まる、とって(取手)の渡しから、利根川を渡り、平馬が途中の茶屋に立ち寄るところまでです。
(1) とって(取手)の渡し
笠間を出て、どこの地点からから水戸街道に合流して歩いてきた山崎平馬は、当時『とって』と呼ばれてたという取手に到着。
そこから利根川で向こう岸まで渡ります。
落語の中では、取手についたのは 『八つ時を過きたあたり』 ということで、午後2時過ぎでしょうか。
江戸時代の頃、利根川を渡るため、街道筋にあたる取手にはいくつか渡し船があったようです(文献2)が、現在は、『小堀(おおほり)の渡し』 が残っています。
『小堀』と書いて『おおほり』と読みます。
難読地名です。
小堀(おおほり) 地区は、大正時代に利根川の改修事業で、茨城県の川向こうの千葉県側に位置することとなり、取手市の飛び地となりました。
『小堀(おおほり)の渡し』は、現在取手市が運営しており、取手市の中心付近の2カ所の乗り場と小堀地区をを繋いています。
(写真は2024年1月撮影)
詳細:
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし)
https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
ということで、まずは、 『小堀(おおほり)の渡し』 に乗ってみました。
その体験については、先日書いた記事をご参照ください。
→ 利根川の『小堀の渡し』に乗ってみた
(2)駕籠に乗った平馬が立ち寄る茶屋
落語『紋三郎稲荷』の話に戻りましょう。
とって(取手)から舟に乗り川を渡った平馬は、北風が病み上がりの身体に辛いために、ちょうど近づいてきた駕籠に乗ることにします。
写真は、茨城県側から利根川を渡った所にある、『小堀(おおほり)』地区付近(2024年1月撮影 以下同じ)。
先にも書いたように、茨城県取手市の飛び地です。
よく見ると、写真左奥に、利根川が蛇行していた時の名残の三日月湖である 『古利根沼』 が見えます。
小堀(おおほり)地区は、江戸時代後期は高瀬舟、明治初期は蒸気船通運丸の停泊する河岸として賑わったといいます(文献2)。
取手からの渡し船は複数あったそうです(文献2)。
この小堀(おおほり)地区は、江戸時代の頃はまだ川向こうではなかったので、平馬が渡ってきた場所候補にはなりません。
しかし今に残る渡し船でも行ける地ということで、訪れました。
さて平馬は、八つ時(午後2時)過ぎに取手に到着し、それから舟に乗って利根川を渡ったということで、午後3時過ぎに川向こうに到着し、それから駕籠に乗って出発したと想定。
当時、篭籠は一里(4km)を40~60分で走ったといいますので、その平均で50分で走ったとして時速4.8kmくらいで走ったことにしましょう。
気前の良い平馬の様子に加え、防寒用の狐の毛皮の尻尾が見えることから、この籠屋が平馬を狐が化けていると思い込んでしまいます。
この駕籠屋と平馬のやりとりが、この落語の第一の山場?というか、面白いところ
水戸街道で江戸に向かう駕籠の中、駕籠かきの2人が自分をキツネだと勘違いしていることを知った平馬は、いたずら心を出します。
2人から訊かれるままに、笠間稲荷のお使いのキツネだと答え、途中に立ち寄った茶屋では稲荷寿司ばかり食べて、キツネのフリをします。
立ち寄った茶屋はどの辺りだと想定すると良さそうでしょうか。
当時、街道では、宿場町周辺はもちろんのこと沿道に茶屋があったといいます。
まず取手から我孫子までは(川も含めて?)、約7km。
我孫子宿から小金宿までは約8km。
小金宿から松戸宿までは、約9km。
落語では、どの辺りで茶屋に入ったかは触れられていませんが、まあ、我孫子宿から小金宿の間で茶屋に入ったとするのが自然でしょう。
我孫子宿の本陣跡。
JR常磐線 我孫子駅南口から南東へ500~600mあたり、道路に面したマンションの入り口付近に、本陣跡地の碑があります。
本陣跡からほど近い所に、我孫子宿の説明板がありました。
この辺りはほとんど宿場町の雰囲気は残っていないようで、この説明版で当時に想いを巡らすしかないのが残念。
想定より手前ですが、そこからほど近い交差点のコンビニ(現代の茶屋♪)で、稲荷寿司とお茶を購入して食べました。
落語の主人公の平馬の気分をちょっぴり感じられた・・・かな?(笑)
さて、次回は、我孫子宿を出て、小宿宿から、話の終盤で最大の山場の松戸宿を訪ねます。
続きます。
→ 落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
*****************************
【参考文献】
1. 『古典落語大系 第五巻』 江國茂・大西信行・永井啓夫・矢野誠一・三田純一 編著
三一書房
p.156~ 『紋三郎稲荷』
2.『新編 旧水戸街道繁盛記』 山本鉱太郎 崙書房出版
【参考サイト】
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし)
https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
2024年01月14日
利根川の『小堀の渡し』に乗ってみた
利根川の『小堀の渡し』に乗ってみた
『小堀の渡し』の『小堀』は難読地名です。
なんと読むのでしょう?
・答えは 『おおほり』
『小』は『お』でなく『おお』!
意味的には真逆で、どうしてそう読むのか不思議です。
その小堀(おおほり)地区は、利根川を挟んで茨城県の対岸、千葉県側にあります。茨城県取手市の飛び地です。
昔、利根川は蛇行していて水害も耐えなかったので、明治40年~大正9年までの利根川改修工事が行われ、その以前は陸続きだった小堀(おおほり)地区が、改修工事で利根川の向こう側(千葉県側)になりました。
その為に往来が不便になり、渡し船が生まれたのが『小堀の渡し』の由来とのこと。
現在の小堀の渡しは、取手市が運営しています。
詳細:
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし) https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
ずっと気になっていた 『小堀の渡し』
先日、初めて乗ってみました。
乗り場は3か所。
① 小堀(おおほり:千葉県側(取手飛び地)
② 取手緑地運動公園駐車場前 (取手福祉会館近くの河川敷駐車場)
③ 取手ふれあい桟橋(JR常磐線の橋の下付近)
この3か所を繋ぐ渡し船です。
全部回ると1時間程度の船旅。
今回は時間の関係で、②の取手緑地運動公園駐車場前から、③の取手ふれあい桟橋までの間を乗ってみました。
同じ岸側なので「渡し船」の意味がない乗り方ですが、体験乗船としてはgoodかと。
快晴の空の元、船は出航。
コンバクトで可愛い船ですが、デッキはもちろん、船内にも入れて座れます。
船内への出入り口のドア。
この日、北風が強く外は寒かったので私は迷わず船内へ♪
船内ではモニターに取手市の観光案内が流れています(案内音声は外のデッキでも聞こえます)。
また船内には、乗船記念スタンプと、小堀の渡しについての案内パンフレット、絵はがきに加え、渡し船のクラフトキットセット もご自由にお取り下さいとのことで置かれていて、渡し船に乗船した際は、船内も要チェックです♪
船内の窓から見る景色。
水面に近いので、昔の渡し船からの見る目線に近いかも。
利根川から、常磐線の橋を望む。
今回は② ~ ③の間だけだったので10分ほどの乗船。
②~③は同じ岸側で、その間を歩いても10分程度の距離。なので歩いて乗ってきた場所に戻れますし、アトラクション感覚で体験乗船としてはとても良いかもと思いました。
小堀方面に向かう船をお見送り。
汽笛を鳴らしてくれました♪
船賃は、1運行:大人200円。小学生100円。
一周:大人400円。小学生200円
(2024年1月現在)
今度は是非、気候の良い時に、①〜③を一周するマルコースで!向こうの小堀まで渡ってみたいと思いました。
利根川のプチ船旅、おすすめです(^^)
『小堀の渡し』の『小堀』は難読地名です。
なんと読むのでしょう?
・答えは 『おおほり』
『小』は『お』でなく『おお』!
意味的には真逆で、どうしてそう読むのか不思議です。
その小堀(おおほり)地区は、利根川を挟んで茨城県の対岸、千葉県側にあります。茨城県取手市の飛び地です。
昔、利根川は蛇行していて水害も耐えなかったので、明治40年~大正9年までの利根川改修工事が行われ、その以前は陸続きだった小堀(おおほり)地区が、改修工事で利根川の向こう側(千葉県側)になりました。
その為に往来が不便になり、渡し船が生まれたのが『小堀の渡し』の由来とのこと。
現在の小堀の渡しは、取手市が運営しています。
詳細:
● 取手市HP 小堀の渡し(おおほりのわたし) https://www.city.toride.ibaraki.jp/mizutomidori/bunkakatsudo/kanko/kankomesho/ohorinowatashi.html
● 取手観光協会HP 小堀の渡し
https://www.toride-kankou.net/page/page000009.html
ずっと気になっていた 『小堀の渡し』
先日、初めて乗ってみました。
乗り場は3か所。
① 小堀(おおほり:千葉県側(取手飛び地)
② 取手緑地運動公園駐車場前 (取手福祉会館近くの河川敷駐車場)
③ 取手ふれあい桟橋(JR常磐線の橋の下付近)
この3か所を繋ぐ渡し船です。
全部回ると1時間程度の船旅。
今回は時間の関係で、②の取手緑地運動公園駐車場前から、③の取手ふれあい桟橋までの間を乗ってみました。
同じ岸側なので「渡し船」の意味がない乗り方ですが、体験乗船としてはgoodかと。
快晴の空の元、船は出航。
コンバクトで可愛い船ですが、デッキはもちろん、船内にも入れて座れます。
船内への出入り口のドア。
この日、北風が強く外は寒かったので私は迷わず船内へ♪
船内ではモニターに取手市の観光案内が流れています(案内音声は外のデッキでも聞こえます)。
また船内には、乗船記念スタンプと、小堀の渡しについての案内パンフレット、絵はがきに加え、渡し船のクラフトキットセット もご自由にお取り下さいとのことで置かれていて、渡し船に乗船した際は、船内も要チェックです♪
船内の窓から見る景色。
水面に近いので、昔の渡し船からの見る目線に近いかも。
利根川から、常磐線の橋を望む。
今回は② ~ ③の間だけだったので10分ほどの乗船。
②~③は同じ岸側で、その間を歩いても10分程度の距離。なので歩いて乗ってきた場所に戻れますし、アトラクション感覚で体験乗船としてはとても良いかもと思いました。
小堀方面に向かう船をお見送り。
汽笛を鳴らしてくれました♪
船賃は、1運行:大人200円。小学生100円。
一周:大人400円。小学生200円
(2024年1月現在)
今度は是非、気候の良い時に、①〜③を一周するマルコースで!向こうの小堀まで渡ってみたいと思いました。
利根川のプチ船旅、おすすめです(^^)
2024年01月04日
辰年・一の矢八坂神社の龍の土鈴と、信州の土人形の龍
辰年・一の矢八坂神社の龍の土鈴と、信州の土人形の龍
2024年元旦から続いている 能登の大きな地震。
被害の大きさに胸が締め付けられます。
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
どうか一刻も早く救助が進むことと早期の復興を願ってやみません。
さて、細々と綴っている当ブログですが、2024年、本年もよろしくお願い申し上げます。
2024年は辰年ということで、白い龍の土鈴と 赤いタツノオトシゴの土人形のツーショットです。
それぞれの説明をしますと・・・
今年も初詣は幸先詣でで、2024年元旦前日の2023年大晦日に、つくばの一の矢八坂神社にお詣りに行きました。
そして例年通り、今年も 八坂神社の土鈴を購入。
コロンと可愛い造形なのに、意外とお顔は凜々しくて
さすが龍です
そしてこちらは、年末、12/23~26に、長野県飯山の戸狩(※)に行ったときに、行きに寄った 『道の駅ふるさと豊田』 にて購入。
龍というより、タツノオトシゴなのですが、綺麗な赤色と可愛い造形に 一目惚れで購入。
同封されていたカードより、『創作人形工房まちなか交流の家』さんが作られた土人形とのこと。
上記の一ノ矢八坂神社の土鈴が白いので、並べると紅白コンビの龍とタツノオトシコの組み合わせとなって、なかなか良い感じに。
気に入っております。
※12/23〜26 ヒッポファミリークラブの『飯山暖らんふるさとキャンプ』で、長野県飯山市の戸狩温泉のお宿に泊まり、いろいろアクティビティを楽しんできました♪
【龍よ、どうか暴れないで】
東京大学地震研究所 鯰江紹介 「江戸の鯰たち~幕末の江戸に群れる地震鯰~」
https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/tosho/panko2020/
によると、鎌倉時代の初め頃には、日本は巨大な龍に囲まれていて、地震はその龍が動くことで起きると考えていたとのことです。
もちろん龍や鯰が地震を起こしているとは現代科学の世では考えませんが、私も東日本大震災を経験しているので、震災直後の大小の地震がずっと続くあの時の不安と感覚は、忘れられませんし、「龍が暴れている」と考えた昔の人の想いはよく分かります。
能登の地震が早く収束することを祈るとともに、地震大国日本、出来る備えをしていきたい。
そんな想いを、この紅白の龍の置物を見ながら思っています。
2024年元旦から続いている 能登の大きな地震。
被害の大きさに胸が締め付けられます。
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
どうか一刻も早く救助が進むことと早期の復興を願ってやみません。
さて、細々と綴っている当ブログですが、2024年、本年もよろしくお願い申し上げます。
2024年は辰年ということで、白い龍の土鈴と 赤いタツノオトシゴの土人形のツーショットです。
それぞれの説明をしますと・・・
今年も初詣は幸先詣でで、2024年元旦前日の2023年大晦日に、つくばの一の矢八坂神社にお詣りに行きました。
そして例年通り、今年も 八坂神社の土鈴を購入。
コロンと可愛い造形なのに、意外とお顔は凜々しくて
さすが龍です
そしてこちらは、年末、12/23~26に、長野県飯山の戸狩(※)に行ったときに、行きに寄った 『道の駅ふるさと豊田』 にて購入。
龍というより、タツノオトシゴなのですが、綺麗な赤色と可愛い造形に 一目惚れで購入。
同封されていたカードより、『創作人形工房まちなか交流の家』さんが作られた土人形とのこと。
上記の一ノ矢八坂神社の土鈴が白いので、並べると紅白コンビの龍とタツノオトシコの組み合わせとなって、なかなか良い感じに。
気に入っております。
※12/23〜26 ヒッポファミリークラブの『飯山暖らんふるさとキャンプ』で、長野県飯山市の戸狩温泉のお宿に泊まり、いろいろアクティビティを楽しんできました♪
【龍よ、どうか暴れないで】
東京大学地震研究所 鯰江紹介 「江戸の鯰たち~幕末の江戸に群れる地震鯰~」
https://www.eri.u-tokyo.ac.jp/tosho/panko2020/
によると、鎌倉時代の初め頃には、日本は巨大な龍に囲まれていて、地震はその龍が動くことで起きると考えていたとのことです。
もちろん龍や鯰が地震を起こしているとは現代科学の世では考えませんが、私も東日本大震災を経験しているので、震災直後の大小の地震がずっと続くあの時の不安と感覚は、忘れられませんし、「龍が暴れている」と考えた昔の人の想いはよく分かります。
能登の地震が早く収束することを祈るとともに、地震大国日本、出来る備えをしていきたい。
そんな想いを、この紅白の龍の置物を見ながら思っています。