2020年03月14日
つくば市フットパス『筑波山麓』で訪ねる 金色姫伝説の地
つくば市フットパス『筑波山麓』で訪ねる 金色姫伝説の地
筑波山麓 神郡(かんごおり)地区は、養蚕信仰のメッカ蚕影山神社と金色姫伝説にちなむ祠がひっそりと佇むエリアです。
筑波山南麓にもつくば市が整備したフットパスがあり、詳しいルートの解説も書かれたフットパスマップも出ています。
筑波山麓フットパスマップは、つくば市HPからもダウンロード出来ます。
→ つくば市HP フットパスマップ https://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/kankojoho/annai/1001433.html
その中のフットパスマップ『神郡~六所~筑波コース中』の地図(文献1)を見ながら、養蚕信仰と伝説を伝える地を訪ねて歩いてみました。
※この記事の写真は、昨年2019年3月下旬に撮ったものです。
【金色姫の伝説がひっそりと息づく道】
金色姫伝説というのは、養蚕にまつわる伝説です。蚕影山神社がその発祥の地とも言われています。
金色姫伝説は、いくつかのパターンがあるようですが、
このうち、金色姫を助けて育てた『権太夫』が出てくる伝説にちなむ祠や石造物が
神社の付近に点在します。
今回は、
>蚕影山神社 → 春喜屋 → 権太夫の宮(跡) → 桑林寺(跡) → 船の宮 → 六所方面へ
のルートでご案内します。
●蚕影山神社
フットパスマップ(文献1)では、『蚕影神社(通称 蚕影山神社)』となっています。
関東甲信越地域に広く信仰され建立されている「蚕影神社」の総本社。
正式名称は「蚕影神社」でなくて、「蚕影山神社」だとも聞いたことがあります。
(本当はどっち?)。
ちなみに御朱印は筑波山神社の社務所で頂けます。
写真を撮影した日(2019年3月28日)は、春の例大祭(蚕糸祭)の日で、たくさんの人が参拝に来られていました。
蚕影山神社本殿の屋根には、やはり 『蚕』 の文字が。
蚕影山神社の主祭神は、
稚産霊神(わかみむすびのかみ)、埴山姫命(はにやまびめのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
伝説が伝わる金色姫は、神社の祭神ではないのです・・・不思議。
10年程前までは、この絵馬堂(本殿の隣の建物)には、奉納された額などが掲げられていましたが、現在はありません(保護のためにどこかに保管されていると聞きました)。
奉納された額の中には、金色姫伝説の場面を描いたものもあったのも記憶しています。
確か、権太夫夫妻を描いた絵だったと思います。
(昔に撮った写真があるはずなのですが、見つからず)
写真のように、今はがらんどうの絵馬堂。
また近年の台風の被害で境内に達するほどのがけ崩れがあり、一部立ち入り禁止の箇所があります。
・・・豪雨がある度にどんどん浸食されるようで、心配です
蚕影山神社は、蚕影山の中腹にありますが、この蚕影山、実は、『阿自久麻夜未(あじくまやま)』という名で、
万葉集にも歌われている山なのです。 詳しくは以前書いた記事をご覧下さい。
→ つくば市内 万葉集に詠われるもう一つの山 『あじくま山』
●春喜屋
昭和中期ごろまで、旅館兼土産物屋だったとのこと。
現在は、祭事の時などにお店を開かれているようです。
お店が開いている時は、お茶やお菓子、そして、蚕影山神社のお札もこちらで扱っておられます。 レアものですね
写真奥が、蚕影山神社に上る階段で、写真向かって左の紅い壁の建物が、春喜屋さんです。
写真を撮った日も、祭事の日だったので、お店を開けておられました。
お店の中は、時が止まったような、とても懐かしい雰囲気でした
●タルの宮(跡)・権太夫の碑・
金色姫伝説で、流れついた金色姫は権太夫夫婦に育てられます。
その権太夫を祀る宮が、以前あったそうです。
文献2(『筑波歴史散歩』)にある『タルの宮』は、『太夫の宮』が訛ったものとのことで、同書にその『タルの宮』の写真があります。
地元の人から聞いた話だと、以前は塚のような土盛があって、その上にに藁葺屋根の社があったそうです。
ただ、その『タルの宮』は、火事で焼けてなくなってしまったとのこと。
碑(?)もしくはご神体?は、地元のどなたかのお宅で保管されているとおっしゃっていました。
現在は、神郡児童館の建物脇にある灯籠のような石造物がある場所が、『タルの宮』の名残とのことのようです。
フットパスマップにある 『権太夫の碑』については、地図では、神郡児童館のお隣らしい建物(家?)にあるように見えますが、『碑』らしいものは見当たりません。
それで、先の話を伺った地元の方に聞くと、『碑』の場所というより、先に書いた『タルの宮(権太夫の宮?)』の話をされました。
なのでフットパスマップにある 『権太夫の”碑”』 らしいものは分かりませんでしたが、上の写真の場所が 『タルの宮跡』で間違いないと思います。
●桑林寺跡
明治の廃仏毀釈で廃寺になりました。
桑林寺は蚕影山神社の神宮寺(神様を守る/神社を管理する寺)で、いうなれば、
桑林寺と蚕影山神社は、二つでワンセットでした。
(江戸時代までの神仏習合の頃は、この形態は一般的な形でした)
現在は竹林になっています。
特に看板もないので、フットパスマップの地図を見ないと、ここにお寺があったとは分かりません
蚕影山神社からスタートし、神郡児童館の前を歩いてちょっと先に、フットパスのこげ茶色ポールがある角を右に曲がると、道の突き当たりに、次のフットパスのポール(写真)が見えます。
このポールがある辺りの竹林が、桑林寺があった場所のようです。
●船の宮
伝説で金色姫が乗った船が漂着したとされる場所でしょうか。
小さな石の祠が、他の祠と並んで、逆川沿いの原っぱの奥にあります。
祠のそばの木は、桜かな?
春は満開の花で綺麗でしょうね
写真 向かって左の祠が『船ノ宮』、向かって右の祠が『稲荷宮』です。
船の宮も以前は少し違った場所にあったらしい(同じく地元の人の話)です。
元はどこにあったのか興味ありますが、多分、道の造成等でこちらに移されたのかもしれませんね(私の想像です)。
この辺り一帯は、縄文時代の遺跡もある所(文献3、4)。
つまり古代から人が住んでいた場所です。筑波山を目の前にして、川も流れ、穏やかな土地。
すごく分かる気がします。
【逆川を渡って六所へ】
『逆川』を挟んで、向こう側は六所。
逆川については、以前書いた記事など
→ 『シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川』
六所のあたりは、金色姫伝説に関するものはありませんが、長閑な中にも、新しいものと古いものが共存しているのが面白いなぁと感じます。
●六所大仏
六所大仏は近年に安置されたもので、お参りする時、花崗岩の石像が輝いて回りの山々と青空に映えます。
写真の左奥の方に白く見える像が、六所大仏。
写真右側の木々は、逆川沿いのハナモモの木々。
ハナモモの花は、白、薄いピンク、濃いピンクなので、逆川は、ハナモモの季節は大変あでやかに彩られます。
この日も、少しずつ、ハナモモが咲き始めていました。
●ワイン用のブドウ畑
ブドウの枝を誘導するワイヤーが並びます。
盛りの菜の花に隠れていますが、選定されて春を待つブドウの木が並んでいます。
菜の花と、ワイン用ブドウ用のワイヤーと、背景の茅葺き屋根の古民家。
なかなか味わい深い組み合わせ
つくば産のワインについては、以前書いた記事など、良かったら
→ 『茨城こんなもの見つけた♪ (45) つくば産ワイン 3種』
●六所神社跡
六所神社は、明治以前はかなり大きな境内を持った神社だったそうで「馬場」などの小字名も残ります。
明治の頃に倒れた鳥居から、坂上田村麻呂が奉納した銅鏡が出てきたとも伝わります(文献)。
筑波山の御座替り祭では、昔は六所神社から出発したとのこと。
そんな由緒を持つ神社だったのに、敷地しか残っていないのは、大変もったいないですね…。
明治時代に廃社になり、現在は宗教団体が管理されているそうで、境内は凛としてきれいです。
4月になると、上に書いた逆川沿岸のハナモモ、つくばりんりんロード沿いの桜・八重桜が見ごろになり、
続く、ヤマザクラの季節は、この辺りの山々もヤマザクラが山を彩ります。
今年2020年は暖冬で、ヤマザクラの開花も平年より早そうですね。
そして4月下旬から5月上旬は、新緑と田植えの苗で、爽やかで美しい緑に囲まれます。
秋、11月中旬から下旬は、蚕影山神社の紅葉も綺麗です。
古代から人が住み、伝説に彩られる静かな山間の道の散策。
是非、フットパスマップをダウンロードして歩いてみて下さい。
お勧めです
★ 蚕影山神社及び桑林寺と養蚕信仰については、また後日改めて書きます。
→ 蚕影山神社と桑林寺 ~金色姫伝説の不思議
*********************************
【参考文献】
1. 『筑波山麓フットパスマップ 神郡~六所~筑波』 マップ つくば市 発行
2. 『筑波歴史散歩』 宮本宣一著 日経事業出版センター
3. 『筑波町史 上』 筑波町史編纂委員会
4. 『つくば市遺跡地図』 つくば市教育委員会
筑波山麓 神郡(かんごおり)地区は、養蚕信仰のメッカ蚕影山神社と金色姫伝説にちなむ祠がひっそりと佇むエリアです。
筑波山南麓にもつくば市が整備したフットパスがあり、詳しいルートの解説も書かれたフットパスマップも出ています。
筑波山麓フットパスマップは、つくば市HPからもダウンロード出来ます。
→ つくば市HP フットパスマップ https://www.city.tsukuba.lg.jp/kankobunka/kankojoho/annai/1001433.html
その中のフットパスマップ『神郡~六所~筑波コース中』の地図(文献1)を見ながら、養蚕信仰と伝説を伝える地を訪ねて歩いてみました。
※この記事の写真は、昨年2019年3月下旬に撮ったものです。
【金色姫の伝説がひっそりと息づく道】
金色姫伝説というのは、養蚕にまつわる伝説です。蚕影山神社がその発祥の地とも言われています。
金色姫伝説は、いくつかのパターンがあるようですが、
このうち、金色姫を助けて育てた『権太夫』が出てくる伝説にちなむ祠や石造物が
神社の付近に点在します。
今回は、
>蚕影山神社 → 春喜屋 → 権太夫の宮(跡) → 桑林寺(跡) → 船の宮 → 六所方面へ
のルートでご案内します。
●蚕影山神社
フットパスマップ(文献1)では、『蚕影神社(通称 蚕影山神社)』となっています。
関東甲信越地域に広く信仰され建立されている「蚕影神社」の総本社。
正式名称は「蚕影神社」でなくて、「蚕影山神社」だとも聞いたことがあります。
(本当はどっち?)。
ちなみに御朱印は筑波山神社の社務所で頂けます。
写真を撮影した日(2019年3月28日)は、春の例大祭(蚕糸祭)の日で、たくさんの人が参拝に来られていました。
蚕影山神社本殿の屋根には、やはり 『蚕』 の文字が。
蚕影山神社の主祭神は、
稚産霊神(わかみむすびのかみ)、埴山姫命(はにやまびめのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。
伝説が伝わる金色姫は、神社の祭神ではないのです・・・不思議。
10年程前までは、この絵馬堂(本殿の隣の建物)には、奉納された額などが掲げられていましたが、現在はありません(保護のためにどこかに保管されていると聞きました)。
奉納された額の中には、金色姫伝説の場面を描いたものもあったのも記憶しています。
確か、権太夫夫妻を描いた絵だったと思います。
(昔に撮った写真があるはずなのですが、見つからず)
写真のように、今はがらんどうの絵馬堂。
また近年の台風の被害で境内に達するほどのがけ崩れがあり、一部立ち入り禁止の箇所があります。
・・・豪雨がある度にどんどん浸食されるようで、心配です
蚕影山神社は、蚕影山の中腹にありますが、この蚕影山、実は、『阿自久麻夜未(あじくまやま)』という名で、
万葉集にも歌われている山なのです。 詳しくは以前書いた記事をご覧下さい。
→ つくば市内 万葉集に詠われるもう一つの山 『あじくま山』
●春喜屋
昭和中期ごろまで、旅館兼土産物屋だったとのこと。
現在は、祭事の時などにお店を開かれているようです。
お店が開いている時は、お茶やお菓子、そして、蚕影山神社のお札もこちらで扱っておられます。 レアものですね
写真奥が、蚕影山神社に上る階段で、写真向かって左の紅い壁の建物が、春喜屋さんです。
写真を撮った日も、祭事の日だったので、お店を開けておられました。
お店の中は、時が止まったような、とても懐かしい雰囲気でした
●タルの宮(跡)・権太夫の碑・
金色姫伝説で、流れついた金色姫は権太夫夫婦に育てられます。
その権太夫を祀る宮が、以前あったそうです。
文献2(『筑波歴史散歩』)にある『タルの宮』は、『太夫の宮』が訛ったものとのことで、同書にその『タルの宮』の写真があります。
地元の人から聞いた話だと、以前は塚のような土盛があって、その上にに藁葺屋根の社があったそうです。
ただ、その『タルの宮』は、火事で焼けてなくなってしまったとのこと。
碑(?)もしくはご神体?は、地元のどなたかのお宅で保管されているとおっしゃっていました。
現在は、神郡児童館の建物脇にある灯籠のような石造物がある場所が、『タルの宮』の名残とのことのようです。
フットパスマップにある 『権太夫の碑』については、地図では、神郡児童館のお隣らしい建物(家?)にあるように見えますが、『碑』らしいものは見当たりません。
それで、先の話を伺った地元の方に聞くと、『碑』の場所というより、先に書いた『タルの宮(権太夫の宮?)』の話をされました。
なのでフットパスマップにある 『権太夫の”碑”』 らしいものは分かりませんでしたが、上の写真の場所が 『タルの宮跡』で間違いないと思います。
●桑林寺跡
明治の廃仏毀釈で廃寺になりました。
桑林寺は蚕影山神社の神宮寺(神様を守る/神社を管理する寺)で、いうなれば、
桑林寺と蚕影山神社は、二つでワンセットでした。
(江戸時代までの神仏習合の頃は、この形態は一般的な形でした)
現在は竹林になっています。
特に看板もないので、フットパスマップの地図を見ないと、ここにお寺があったとは分かりません
蚕影山神社からスタートし、神郡児童館の前を歩いてちょっと先に、フットパスのこげ茶色ポールがある角を右に曲がると、道の突き当たりに、次のフットパスのポール(写真)が見えます。
このポールがある辺りの竹林が、桑林寺があった場所のようです。
●船の宮
伝説で金色姫が乗った船が漂着したとされる場所でしょうか。
小さな石の祠が、他の祠と並んで、逆川沿いの原っぱの奥にあります。
祠のそばの木は、桜かな?
春は満開の花で綺麗でしょうね
写真 向かって左の祠が『船ノ宮』、向かって右の祠が『稲荷宮』です。
船の宮も以前は少し違った場所にあったらしい(同じく地元の人の話)です。
元はどこにあったのか興味ありますが、多分、道の造成等でこちらに移されたのかもしれませんね(私の想像です)。
この辺り一帯は、縄文時代の遺跡もある所(文献3、4)。
つまり古代から人が住んでいた場所です。筑波山を目の前にして、川も流れ、穏やかな土地。
すごく分かる気がします。
【逆川を渡って六所へ】
『逆川』を挟んで、向こう側は六所。
逆川については、以前書いた記事など
→ 『シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川』
六所のあたりは、金色姫伝説に関するものはありませんが、長閑な中にも、新しいものと古いものが共存しているのが面白いなぁと感じます。
●六所大仏
六所大仏は近年に安置されたもので、お参りする時、花崗岩の石像が輝いて回りの山々と青空に映えます。
写真の左奥の方に白く見える像が、六所大仏。
写真右側の木々は、逆川沿いのハナモモの木々。
ハナモモの花は、白、薄いピンク、濃いピンクなので、逆川は、ハナモモの季節は大変あでやかに彩られます。
この日も、少しずつ、ハナモモが咲き始めていました。
●ワイン用のブドウ畑
ブドウの枝を誘導するワイヤーが並びます。
盛りの菜の花に隠れていますが、選定されて春を待つブドウの木が並んでいます。
菜の花と、ワイン用ブドウ用のワイヤーと、背景の茅葺き屋根の古民家。
なかなか味わい深い組み合わせ
つくば産のワインについては、以前書いた記事など、良かったら
→ 『茨城こんなもの見つけた♪ (45) つくば産ワイン 3種』
●六所神社跡
六所神社は、明治以前はかなり大きな境内を持った神社だったそうで「馬場」などの小字名も残ります。
明治の頃に倒れた鳥居から、坂上田村麻呂が奉納した銅鏡が出てきたとも伝わります(文献)。
筑波山の御座替り祭では、昔は六所神社から出発したとのこと。
そんな由緒を持つ神社だったのに、敷地しか残っていないのは、大変もったいないですね…。
明治時代に廃社になり、現在は宗教団体が管理されているそうで、境内は凛としてきれいです。
4月になると、上に書いた逆川沿岸のハナモモ、つくばりんりんロード沿いの桜・八重桜が見ごろになり、
続く、ヤマザクラの季節は、この辺りの山々もヤマザクラが山を彩ります。
今年2020年は暖冬で、ヤマザクラの開花も平年より早そうですね。
そして4月下旬から5月上旬は、新緑と田植えの苗で、爽やかで美しい緑に囲まれます。
秋、11月中旬から下旬は、蚕影山神社の紅葉も綺麗です。
古代から人が住み、伝説に彩られる静かな山間の道の散策。
是非、フットパスマップをダウンロードして歩いてみて下さい。
お勧めです
★ 蚕影山神社及び桑林寺と養蚕信仰については、また後日改めて書きます。
→ 蚕影山神社と桑林寺 ~金色姫伝説の不思議
*********************************
【参考文献】
1. 『筑波山麓フットパスマップ 神郡~六所~筑波』 マップ つくば市 発行
2. 『筑波歴史散歩』 宮本宣一著 日経事業出版センター
3. 『筑波町史 上』 筑波町史編纂委員会
4. 『つくば市遺跡地図』 つくば市教育委員会
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