2018年12月13日
常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(後編)
常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(後編)
今年2018年戌年にちなんで、茨城の犬にまつわる伝説の紹介とちなむ場所を訪ねるシリーズ。
同シリーズ
→ 石岡駅の忠犬タロー像
→ 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)
→ 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて
→ 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)
また、板橋不動尊(つくばみらい市)の安産子育てのご利益の由来で有名な、白犬伝説については、以前書いた記事、
→ 春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)
前回 『常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)』 に続き、常陸大宮に伝わる犬の伝説の後編、旧美和村の上檜沢地区に伝わるお話です。
(2)常陸大宮市 旧美和村 地名『犬塚・箱地・仲平』の起こり
【あらすじ】 (文献1『美和村史』より抜粋)
現在、満福寺がある場所は、江戸時代以前までは、浄因寺というお寺がありました。
鎌倉時代のころ、その浄因寺に、鎌倉の建長寺から来た西堂という僧侶が住んだそうです。
西堂は白い犬を飼っていました。
ある時、鎌倉の源頼朝への火急の連絡のために、西堂は、犬の首に文箱をつけて鎌倉に送り出しました。
犬は途中休み間もなく鎌倉まで走り続け使いを果たすと、また急いで帰路を走って帰りましたが、
村に着くころには息も絶え絶えで、悲しい叫び声を上げて鳴きながら浄因寺に向かいました。
鳴きながら通った集落は『ナキダイラ』と呼ばれ、現在の『仲平』にあたるといいます。
しかし犬は、浄因寺の目前で力尽きて倒れ、そのまま死んでしまいました。
その死骸を埋めたのが『犬塚』で、つけていた文箱を埋めた集落が『箱地』と呼ばれる地域です。
江戸時代になり破却された浄因寺の跡地には、別の場所にあった満福寺が移され現在に至っているとのこと。
① 美和村史には、『浄因寺の境内にあったと推定される薬師堂(犬塚薬師)』ということで、犬塚薬師について触れられています。
ところで、美和村史では、伝説の紹介のページに、倒れた犬を祀った『犬神明神』という小さな社の写真が載っています。
しかし『犬塚』と名付けられた地名の由来(犬が倒れた場所)については書かれていますが、同書の物語の中では『犬塚薬師』の名前は出てきません。
同書では、『犬塚薬師』については、上にも書きましたが、満福寺の項目で、『浄因寺の境内にあったと考えられる薬師堂』という記述のみです。
② ところで、上の伝説は文献2、3でも紹介されていますが、これらの書籍では、鎌倉時代の話としながらも、舞台は浄因寺ではなく、(江戸時代に別の場所から移転してきた)満福寺の伝説として紹介されています。
また『犬塚薬師』についても、『倒れた犬を祀った』のが『犬塚薬師』となっています。
多分、美和村史に書かれている内容が正確のように思いますが、伝説の伝播で、人々の口から伝えられているうちに、後者の書籍に載っているような話で語られるバージョンも生まれたのでしょう
。
③ そんな中、満福寺さんのHPの『薬師堂(犬塚薬師)』 http://manpukuji.konjiki.jp/ を見ると、この犬の話を聞いた鎌倉の執権から、犬を祀った『犬神』を『犬塚薬師』として浄因寺(今の満福寺)で祀るようにとの上意があり、犬塚薬師となった旨のことが書かれています
。
この『犬神』は、美和村史に祠の写真もある『犬神明神』ではないかと思われます。
上記の①②の2つのバージョンを繋ぐ話として、興味深いです
。
【犬が手紙を届けること】
ところで『犬にお使いを頼む』のいうのが、『やはりおとぎ話』だと荒唐無稽だと思われる方も多いことでしょう。
ところが、おとぎ話でなくて、実際に行われていたそうなのです
。
今回の物語の時代(鎌倉時代)よりだいぶ時代は下りますが、江戸時代の頃です。
伊勢神宮にお参りするお伊勢参りが、人々の中で流行っていた時に、身体が不自由など何らかの事情がある人が、飼い犬にお伊勢参りを代参をさせていた例が多かったそうです(文献4)
また四国讃岐(今の香川県)のこんぴらさん(金刀比羅宮)参りも、犬に代参させることもあり、そのような犬は『こんぴら狗』と呼ばれたそうです。
実際、香川県のこんぴらさん(金刀比羅宮)を訪れると、境内には『こんぴら狗』の像が建立されていたり、社務所では『こんぴら狗』の置物が売られていたしています。

『こんぴら狗』の置物
(2018年11月に金刀比羅宮にて購入)
生真面目そうな表情がまた良いですね(*^^*)
江戸時代の伊勢参りやこんぴら参りについては、犬がたった一匹で行くというより、一時的でも一緒に行く人や、道々で世話する人がいたそうです(文献4)。
今と違って、気軽に大きな神社仏閣に行くことが出来ない当時、神仏のお参りを代参するワンコをお世話することは、神仏の心にかなってご利益があるとして、道中いろいろな人が犬を助けたそうなのです。
また現代と違って車の往来がないことも、犬にとっては安心安全
。
『生類憐みの令』が出るなどした江戸時代と、時代を遡った鎌倉時代とは一概に同じだとは言えないでしょうが、昔は決して荒唐無稽ではなく、現実的な方法だったのかもしれません。
読まれては困る大事な手紙を犬に預けたかどうかは分かりませんが、それなりの手紙(暗号文だったりするのかな?)を犬に託して、(多分、世話人もついて?)行かせることは、案外敵を欺く方法だったりするのかも・・・と妄想します
。
また、常陸大宮、旧美和村に伝わる、鎌倉時代の浄因寺の犬の伝説の場合は、お寺からお使いの犬なので、信心深い人々が道中一緒に行ったり、餌などの世話をしたりしたのかもしれませんね
。
お使い犬の歴史を調べると、いろいろ興味深いことが分かりそうですね。
*****
・・・とういことで、茨城県北地域 常陸大宮市の2か所に伝わる、がんばったワンコの伝説のご紹介でした。
背後に史実や歴史ロマンが感じられて、常陸大宮をまた訪ねたくなりました。
行ったらまた報告したいと思います♪
現代でも警察犬、介護犬、救助犬などの高度な専門職(職ですよね)の犬がいます
が、昔も、化け物(悪者)退治の他にも、手紙を運んだり、代わりに神社仏閣にお参りにいったりと、現代とは違いう活躍の場が犬にはあったのですね(^o^)
。
2018年戌年もそろそろ年の瀬。
働き者のワンコ達に思いをはせて年を締めくくるのもいかがでしょう
【おまけ】

今回紹介した伝説では遠く相模国(現在の神奈川県)の鎌倉の地名が出てきます。
実際、旧美和村の辺りは他にも鎌倉や三浦半島方面との関係が伝わる場所が他にもあり、『三浦杉』の巨木がある吉田八幡神社や、『三浦大介像』が伝わる三浦神社などがある土地です。
三浦神社
(写真は2010年撮影)

吉田八幡神社の三浦杉については、かなり以前に記事に書きましたので、良かったら。
→ 常陸大宮 美和地区(旧美和村) 吉田八幡神社の「三浦杉」を訪ねて
写真は吉田八幡神社の『三浦杉』(2010年撮影)
どうして常陸大宮の旧美和村の地域に、遠く離れた鎌倉や三浦関係の伝説が伝わるのか…についても、歴史の流れや当時の土地の所領のことなども含め、美和村史(文献1)に詳しいです。
********************************************************************
【参考文献】
1.『美和村史』 美和村史編さん委員会 編集 美和村 発行
2.『日本の伝説37 茨城の伝説』 今瀬文也・武田静澄 共著 角川書店
3.『茨城の伝説』 茨城民俗学会 編 日本標準
4.『犬の伊勢参り』仁科邦男著 平凡社新書
今年2018年戌年にちなんで、茨城の犬にまつわる伝説の紹介とちなむ場所を訪ねるシリーズ。
同シリーズ
→ 石岡駅の忠犬タロー像
→ 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)
→ 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて
→ 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)
また、板橋不動尊(つくばみらい市)の安産子育てのご利益の由来で有名な、白犬伝説については、以前書いた記事、
→ 春の布施街道(千葉・柏(布施)~茨城・つくば(谷田部))を行く(2)
をご覧ください(^^)
前回 『常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)』 に続き、常陸大宮に伝わる犬の伝説の後編、旧美和村の上檜沢地区に伝わるお話です。
(2)常陸大宮市 旧美和村 地名『犬塚・箱地・仲平』の起こり
【あらすじ】 (文献1『美和村史』より抜粋)
現在、満福寺がある場所は、江戸時代以前までは、浄因寺というお寺がありました。
鎌倉時代のころ、その浄因寺に、鎌倉の建長寺から来た西堂という僧侶が住んだそうです。
西堂は白い犬を飼っていました。
ある時、鎌倉の源頼朝への火急の連絡のために、西堂は、犬の首に文箱をつけて鎌倉に送り出しました。
犬は途中休み間もなく鎌倉まで走り続け使いを果たすと、また急いで帰路を走って帰りましたが、
村に着くころには息も絶え絶えで、悲しい叫び声を上げて鳴きながら浄因寺に向かいました。
鳴きながら通った集落は『ナキダイラ』と呼ばれ、現在の『仲平』にあたるといいます。
しかし犬は、浄因寺の目前で力尽きて倒れ、そのまま死んでしまいました。
その死骸を埋めたのが『犬塚』で、つけていた文箱を埋めた集落が『箱地』と呼ばれる地域です。
江戸時代になり破却された浄因寺の跡地には、別の場所にあった満福寺が移され現在に至っているとのこと。
① 美和村史には、『浄因寺の境内にあったと推定される薬師堂(犬塚薬師)』ということで、犬塚薬師について触れられています。
ところで、美和村史では、伝説の紹介のページに、倒れた犬を祀った『犬神明神』という小さな社の写真が載っています。
しかし『犬塚』と名付けられた地名の由来(犬が倒れた場所)については書かれていますが、同書の物語の中では『犬塚薬師』の名前は出てきません。
同書では、『犬塚薬師』については、上にも書きましたが、満福寺の項目で、『浄因寺の境内にあったと考えられる薬師堂』という記述のみです。
② ところで、上の伝説は文献2、3でも紹介されていますが、これらの書籍では、鎌倉時代の話としながらも、舞台は浄因寺ではなく、(江戸時代に別の場所から移転してきた)満福寺の伝説として紹介されています。
また『犬塚薬師』についても、『倒れた犬を祀った』のが『犬塚薬師』となっています。
多分、美和村史に書かれている内容が正確のように思いますが、伝説の伝播で、人々の口から伝えられているうちに、後者の書籍に載っているような話で語られるバージョンも生まれたのでしょう

③ そんな中、満福寺さんのHPの『薬師堂(犬塚薬師)』 http://manpukuji.konjiki.jp/ を見ると、この犬の話を聞いた鎌倉の執権から、犬を祀った『犬神』を『犬塚薬師』として浄因寺(今の満福寺)で祀るようにとの上意があり、犬塚薬師となった旨のことが書かれています

この『犬神』は、美和村史に祠の写真もある『犬神明神』ではないかと思われます。
上記の①②の2つのバージョンを繋ぐ話として、興味深いです

【犬が手紙を届けること】
ところで『犬にお使いを頼む』のいうのが、『やはりおとぎ話』だと荒唐無稽だと思われる方も多いことでしょう。
ところが、おとぎ話でなくて、実際に行われていたそうなのです

今回の物語の時代(鎌倉時代)よりだいぶ時代は下りますが、江戸時代の頃です。
伊勢神宮にお参りするお伊勢参りが、人々の中で流行っていた時に、身体が不自由など何らかの事情がある人が、飼い犬にお伊勢参りを代参をさせていた例が多かったそうです(文献4)
また四国讃岐(今の香川県)のこんぴらさん(金刀比羅宮)参りも、犬に代参させることもあり、そのような犬は『こんぴら狗』と呼ばれたそうです。
実際、香川県のこんぴらさん(金刀比羅宮)を訪れると、境内には『こんぴら狗』の像が建立されていたり、社務所では『こんぴら狗』の置物が売られていたしています。

『こんぴら狗』の置物
(2018年11月に金刀比羅宮にて購入)
生真面目そうな表情がまた良いですね(*^^*)
江戸時代の伊勢参りやこんぴら参りについては、犬がたった一匹で行くというより、一時的でも一緒に行く人や、道々で世話する人がいたそうです(文献4)。
今と違って、気軽に大きな神社仏閣に行くことが出来ない当時、神仏のお参りを代参するワンコをお世話することは、神仏の心にかなってご利益があるとして、道中いろいろな人が犬を助けたそうなのです。
また現代と違って車の往来がないことも、犬にとっては安心安全

『生類憐みの令』が出るなどした江戸時代と、時代を遡った鎌倉時代とは一概に同じだとは言えないでしょうが、昔は決して荒唐無稽ではなく、現実的な方法だったのかもしれません。
読まれては困る大事な手紙を犬に預けたかどうかは分かりませんが、それなりの手紙(暗号文だったりするのかな?)を犬に託して、(多分、世話人もついて?)行かせることは、案外敵を欺く方法だったりするのかも・・・と妄想します

また、常陸大宮、旧美和村に伝わる、鎌倉時代の浄因寺の犬の伝説の場合は、お寺からお使いの犬なので、信心深い人々が道中一緒に行ったり、餌などの世話をしたりしたのかもしれませんね

お使い犬の歴史を調べると、いろいろ興味深いことが分かりそうですね。
*****
・・・とういことで、茨城県北地域 常陸大宮市の2か所に伝わる、がんばったワンコの伝説のご紹介でした。
背後に史実や歴史ロマンが感じられて、常陸大宮をまた訪ねたくなりました。
行ったらまた報告したいと思います♪
現代でも警察犬、介護犬、救助犬などの高度な専門職(職ですよね)の犬がいます


2018年戌年もそろそろ年の瀬。
働き者のワンコ達に思いをはせて年を締めくくるのもいかがでしょう

【おまけ】

今回紹介した伝説では遠く相模国(現在の神奈川県)の鎌倉の地名が出てきます。
実際、旧美和村の辺りは他にも鎌倉や三浦半島方面との関係が伝わる場所が他にもあり、『三浦杉』の巨木がある吉田八幡神社や、『三浦大介像』が伝わる三浦神社などがある土地です。
三浦神社
(写真は2010年撮影)

吉田八幡神社の三浦杉については、かなり以前に記事に書きましたので、良かったら。
→ 常陸大宮 美和地区(旧美和村) 吉田八幡神社の「三浦杉」を訪ねて
写真は吉田八幡神社の『三浦杉』(2010年撮影)
どうして常陸大宮の旧美和村の地域に、遠く離れた鎌倉や三浦関係の伝説が伝わるのか…についても、歴史の流れや当時の土地の所領のことなども含め、美和村史(文献1)に詳しいです。
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【参考文献】
1.『美和村史』 美和村史編さん委員会 編集 美和村 発行
2.『日本の伝説37 茨城の伝説』 今瀬文也・武田静澄 共著 角川書店
3.『茨城の伝説』 茨城民俗学会 編 日本標準
4.『犬の伊勢参り』仁科邦男著 平凡社新書
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