2017年07月25日
坂東ぷちドライブ~(1)逆井城跡公園~
坂東ぷちドライブ~(1)逆井城跡公園~
中世戦国期の城ブームだそうです。
天守閣がそびえるタイプとは違う、質実剛健な作りが受けているそう。
そんな中世の城の雰囲気を再現している城跡公園が、坂東市にある逆井城跡公園。
ロケ地としても有名で、昨年のNHK大河ドラマ『真田丸!』でもロケで使われたとか。
つくば市にも、同時期に存在した小田城があり、遺構を復元した小田城跡歴史ひろばがあります。
ご参考 → “ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
が、こちらは建物の復元はありません(併設する案内書には、ジオラマはあります)。
なので、ちょっとイメージがつかみにくい。
ということで、坂東市までぷちドライブがてら行ってきました。
(1)逆井城跡公園
逆井城。別名 飯沼城。
城があった当時、すぐそばまできていた飯沼が天然の防御となり、、水運も視野に入れ、戦国時代末期の最新技術で、後北条氏が築城した城だったとのこと(文献1)
さて、逆井城跡公園については、下記のホームページが詳しいです。
坂東市観光協会HP 逆井城の概要・歴史
逆井城跡公園の特色は、発掘調査に加え、『戦国時代末期の城郭建築の歴史考証を基に』、近隣や県内の同時代の建物を復元して建築したり、移築したりして作られていることだと思います。
なので、土塁や堀の遺構を見ながら、戦国末期の城の様子も体感できる歴史公園と云えましょう♪
中世の城や建物について、鋭意勉強中の私には、もってこいの場所
ということで、行ってきました、逆井城跡公園。
以下の説明は、主に上記の坂東市観光協会HPや、現地の解説版を参考にしています。
●土塁や堀
土塁や堀らしい跡が
あちこちに残っています。
●観音堂
赤い色が目を引くこのお堂は、旧岩井市(現 坂東市)の大安寺にあったもの移築したものとのこと。市指定文化財。
建物解体時に天正16年(1588)建立時の棟札も発見されており、
『木柄の大きな角柱の面取り、舟(ふな)肘(ひじ)木(き)などはいずれも天正期特有の様式をよく残している』
とのことで、こちらに移築されたのかなと思います。納得。
●関宿城門
関宿城の城門と伝えられる門。『薬医門』と呼ばれる門だそうです。
関宿城は、明治6年廃城になった後、城の一部は民間に払い下げられたそうです。
この門も払い下げられ、旧猿島町(現 坂東市)の個人のお宅にあったものを、移築したとのこと。
それでいくと、多分これは、戦国末期よりかなり時代の下った江戸末期の建築物になるのでしょうか??
しかし中世から続いた関宿城に実際にあったものなので、ここに移築されても悪くはないかなと感じます。
復元では醸し出せない、いろんな歴史を見てきた本物の風格は、さすがに素晴らしい!
●主殿
建物自体は、潮来市の大台城跡で、ここ逆井城と同じ頃に存在してた城とのこと。
それゆえでしょうか、『発掘の際に出土した主殿遺構を参考に建築』 したのが、この主殿とのことです。
屋根の方をみると、『三つ鱗』の家紋。
戦国末期、ここは後北条氏の城だったとのことで、後北条氏家紋を付けたのですね。
庭は枯山水庭園。
The 『城』 というより、ござっぱりして品のいい日本家屋の雰囲気です。
●二層櫓(にそうやぐら)
説明板によると、『外観二層の容姿をもつ戦国期の櫓を復元したもの』 で、『入り母屋の望楼に下見板張り等の外壁によって当時の景観を再現しています』 とのこと。
結構、どっしりした作りですよね。
嬉しいことに、中に入れます♪
階段を上がると・・・。
上から四方を見回せます。
逆井城が周りからやや高い土地にあって、見晴らしが良い場所なのがよくわかります。
格子窓から、塀と井楼矢倉を望む。
戦国時代の頃、ここは飯沼に接する場所だったのでしょうか。
土塁や池(堀の一部?)を見ていると、その当時、兵士達がここを上ってくる様子が浮かぶ気がします。
戦国末期の頃の先端技術で、後北条氏が築城した(文献1)というのも、頷ける美しい土塁のライン。
●井楼矢倉(せいろうやぐら)
戦国時代末期のものを復元したとのこと。
井形を組んで作られたシンプルな作り。高さは約12m。
高所恐怖症なので、登るのが少々怖い…(笑)
階段を上っていくと、一番上には、矢をよける盾になると思われる戸板が、四方に張り巡らされています。
でも大人が4~5人でいっぱいになるくらいに狭い。
戦国時代は、戸板の陰から矢を射ったのでしょう。
でも現代では、矢は向けずに、カメラを向けます♪ d(^o^) (←自分でも巧いことを言うなぁと(^m^))
●公園入り口にある、園内案内版
大河ドラマ『真田丸!』は園内のどこで撮影したのかな??
●木橋と門を望む。
大きな『冠木門(かぶきもん)』は、いかにも戦国時代の城の門っぽいですよね(よく時代劇に出てくる)。
この冠木門についての説明板はなかったようだったのですが、これも当時のものを再現しているのでしょうか。
●鐘掘り池
悲しい伝説が伝わる池。
でもその後、鐘を探して何度も掘られたことから名づけられた池ということなので、伝説の鐘は見つからなかったのかな??
●櫓門と橋
この櫓門と橋は、逆井城跡の発掘調査の成果を元に復元されているとのこと。
ただし遺構保護のため、実際の場所よりずらして復元建築されているとのこと。
●石碑
綺麗に刈り込まれた庭木も美しい。
芝生の広場は、グランドゴルフのポールがあちこちに立っていました。
中世~戦国の世はもののふ達が戦った場所は、
現代は(ちょっと年季の入った)スポーツマン&スポーツウーマンが集う場となっていますね(^^)
逆井城跡公園、見ごたえあります! 戦国時代のお城好きの方、必見かと思います(^^)v
(しかも入館無料ってすごいです♪)
続きます。
→ 坂東ぷちトリップ~(2 )天然温泉・さしま健康交流センター遊楽里で日帰り湯
*****************************************************
【参考文献】
1.「図説 茨城の城郭」 茨城城郭研究会 国書刊行会
【参考ホームページ】
・坂東市観光協会ホームページ http://bandokanko.jp/
中世戦国期の城ブームだそうです。
天守閣がそびえるタイプとは違う、質実剛健な作りが受けているそう。
そんな中世の城の雰囲気を再現している城跡公園が、坂東市にある逆井城跡公園。
ロケ地としても有名で、昨年のNHK大河ドラマ『真田丸!』でもロケで使われたとか。
つくば市にも、同時期に存在した小田城があり、遺構を復元した小田城跡歴史ひろばがあります。
ご参考 → “ 小田城跡歴史ひろば ” の歩き方(入門編)
が、こちらは建物の復元はありません(併設する案内書には、ジオラマはあります)。
なので、ちょっとイメージがつかみにくい。
ということで、坂東市までぷちドライブがてら行ってきました。
(1)逆井城跡公園
逆井城。別名 飯沼城。
城があった当時、すぐそばまできていた飯沼が天然の防御となり、、水運も視野に入れ、戦国時代末期の最新技術で、後北条氏が築城した城だったとのこと(文献1)
さて、逆井城跡公園については、下記のホームページが詳しいです。
坂東市観光協会HP 逆井城の概要・歴史
逆井城跡公園の特色は、発掘調査に加え、『戦国時代末期の城郭建築の歴史考証を基に』、近隣や県内の同時代の建物を復元して建築したり、移築したりして作られていることだと思います。
なので、土塁や堀の遺構を見ながら、戦国末期の城の様子も体感できる歴史公園と云えましょう♪
中世の城や建物について、鋭意勉強中の私には、もってこいの場所
ということで、行ってきました、逆井城跡公園。
以下の説明は、主に上記の坂東市観光協会HPや、現地の解説版を参考にしています。
●土塁や堀
土塁や堀らしい跡が
あちこちに残っています。
●観音堂
赤い色が目を引くこのお堂は、旧岩井市(現 坂東市)の大安寺にあったもの移築したものとのこと。市指定文化財。
建物解体時に天正16年(1588)建立時の棟札も発見されており、
『木柄の大きな角柱の面取り、舟(ふな)肘(ひじ)木(き)などはいずれも天正期特有の様式をよく残している』
とのことで、こちらに移築されたのかなと思います。納得。
●関宿城門
関宿城の城門と伝えられる門。『薬医門』と呼ばれる門だそうです。
関宿城は、明治6年廃城になった後、城の一部は民間に払い下げられたそうです。
この門も払い下げられ、旧猿島町(現 坂東市)の個人のお宅にあったものを、移築したとのこと。
それでいくと、多分これは、戦国末期よりかなり時代の下った江戸末期の建築物になるのでしょうか??
しかし中世から続いた関宿城に実際にあったものなので、ここに移築されても悪くはないかなと感じます。
復元では醸し出せない、いろんな歴史を見てきた本物の風格は、さすがに素晴らしい!
●主殿
建物自体は、潮来市の大台城跡で、ここ逆井城と同じ頃に存在してた城とのこと。
それゆえでしょうか、『発掘の際に出土した主殿遺構を参考に建築』 したのが、この主殿とのことです。
屋根の方をみると、『三つ鱗』の家紋。
戦国末期、ここは後北条氏の城だったとのことで、後北条氏家紋を付けたのですね。
庭は枯山水庭園。
The 『城』 というより、ござっぱりして品のいい日本家屋の雰囲気です。
●二層櫓(にそうやぐら)
説明板によると、『外観二層の容姿をもつ戦国期の櫓を復元したもの』 で、『入り母屋の望楼に下見板張り等の外壁によって当時の景観を再現しています』 とのこと。
結構、どっしりした作りですよね。
嬉しいことに、中に入れます♪
階段を上がると・・・。
上から四方を見回せます。
逆井城が周りからやや高い土地にあって、見晴らしが良い場所なのがよくわかります。
格子窓から、塀と井楼矢倉を望む。
戦国時代の頃、ここは飯沼に接する場所だったのでしょうか。
土塁や池(堀の一部?)を見ていると、その当時、兵士達がここを上ってくる様子が浮かぶ気がします。
戦国末期の頃の先端技術で、後北条氏が築城した(文献1)というのも、頷ける美しい土塁のライン。
●井楼矢倉(せいろうやぐら)
戦国時代末期のものを復元したとのこと。
井形を組んで作られたシンプルな作り。高さは約12m。
高所恐怖症なので、登るのが少々怖い…(笑)
階段を上っていくと、一番上には、矢をよける盾になると思われる戸板が、四方に張り巡らされています。
でも大人が4~5人でいっぱいになるくらいに狭い。
戦国時代は、戸板の陰から矢を射ったのでしょう。
でも現代では、矢は向けずに、カメラを向けます♪ d(^o^) (←自分でも巧いことを言うなぁと(^m^))
●公園入り口にある、園内案内版
大河ドラマ『真田丸!』は園内のどこで撮影したのかな??
●木橋と門を望む。
大きな『冠木門(かぶきもん)』は、いかにも戦国時代の城の門っぽいですよね(よく時代劇に出てくる)。
この冠木門についての説明板はなかったようだったのですが、これも当時のものを再現しているのでしょうか。
●鐘掘り池
悲しい伝説が伝わる池。
でもその後、鐘を探して何度も掘られたことから名づけられた池ということなので、伝説の鐘は見つからなかったのかな??
●櫓門と橋
この櫓門と橋は、逆井城跡の発掘調査の成果を元に復元されているとのこと。
ただし遺構保護のため、実際の場所よりずらして復元建築されているとのこと。
●石碑
綺麗に刈り込まれた庭木も美しい。
芝生の広場は、グランドゴルフのポールがあちこちに立っていました。
中世~戦国の世はもののふ達が戦った場所は、
現代は(ちょっと年季の入った)スポーツマン&スポーツウーマンが集う場となっていますね(^^)
逆井城跡公園、見ごたえあります! 戦国時代のお城好きの方、必見かと思います(^^)v
(しかも入館無料ってすごいです♪)
続きます。
→ 坂東ぷちトリップ~(2 )天然温泉・さしま健康交流センター遊楽里で日帰り湯
*****************************************************
【参考文献】
1.「図説 茨城の城郭」 茨城城郭研究会 国書刊行会
【参考ホームページ】
・坂東市観光協会ホームページ http://bandokanko.jp/
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