2016年12月04日
東京・立川の『猫返し神社』と筑波山麓の関係!
東京・立川の『猫返し神社』と筑波山麓の関係!
※2016年11月3日放送の FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話した内容を、再構成して書いています。
『筑波山が見えるエリア』の話題として、
東京・立川市のとある場所と、筑波山麓の意外な関係について
です。
特に、猫好きの方、耳よりかもしれません。
『立川から筑波山見えるの??』
という声も聞こえそうですが、
立川の南隣の多摩市の高台から、私は筑波山を見たことがあります。
証拠がこの写真!
← 朝もやに浮かぶ筑波山(2013年3月撮影)。
なので、多摩市の北に位置する立川からも、高台やビルの上からならば、
筑波山は当然見えるだろう
ということで、取り上げます(^^)v。
【立川の『猫返し神社』は、どこから勧請された?】
立川市 阿豆佐味天(あずさみてん)神社(通称:立川水天宮)の境内には、
『蚕影神社』があります。
阿豆佐味天神社(立川水天宮)
立川市砂川町にあります。
境内にある蚕影神社
こちらの蚕影神社は、もともと筑波山麓にある蚕影山神社から勧請されて建立された神社とのことですが、
今はなんと!
『猫返し神社』
として有名になっています。
同神社のHP http://www.azusami-suitengu.net/
によりますと、
ジャズピアニスト山下洋輔さんによって『猫返し神社』と命名されたそうで、
『愛猫の無事や健康を祈りに多くの方がいらっしゃいます』
とのこと。
上の写真にある狛犬のようなニャンコ像が、
これが同神社HPに書かれている『ただいま猫』の石像だと思います。
猫の石像や猫の絵馬やら、とってもにぎやか。
絵馬をみると、
『いなくなった猫が戻ってきますように』、
『飼いネコが元気になりますように』
という祈願が多く、飼い主さん達の切実な想いが伝わってきます。
伝統民芸品江戸張り子の張り子犬のデザインを猫バージョンにした(?)石像も!
ちょっと、○ラえもん に似ている気も・・・(^m^)
こちらの神社のHPには、
『境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)がその社で、蚕の天敵がねずみ、猫を守り神にしています。』
となっていて、蚕影神社の祭神が『猫』!? のように読めますが、
実際に現地に行きますと、神社脇には、
『ご祭神 金色姫命 蚕影神社 (別称 猫返し神社)』
と、いう木製の看板に書かれています。
また、立川市教育委員会の説明板もあり、
『市指定史跡 蚕影神社跡』ということで、
『蚕影神社は、養蚕の守り神として、常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)から、安政七年(一八六〇)二月に勧請された 阿豆佐味天神社の末社です』
と書かれています。
『常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)』は、筑波山麓の豊浦にある、蚕影山神社のこと。
金色姫伝説が伝わっています。
今から150年程前に、蚕影山神社から立川の砂川に勧請されたのですね。
写真は蚕影山神社(つくば市)。
【何故、筑波山麓の蚕影山神社の分社が、立川に?】
でも何故、筑波山から離れた現在の立川市に、筑波山麓の蚕影山神社の分社『蚕影神社』があるのでしょうか。
明治から昭和中ごろまで、外国への輸出品としての絹糸の生産が、日本の一大産業だったことは、ご存じの方も多いでしょう。
その絹糸を生み出す蚕を飼って育てる養蚕農家も、全国に多くありました。
それに伴い、蚕の神様としての伝説を持つ蚕影山神社が、養蚕農家の信仰を集め、
一時期はバスをしたてて参詣者が来たそうなんです。
← 蚕影山神社に奉納された額(2005年撮影・現在は保存のために、外されているかもしれません)。
そして、養蚕業が盛んだった地域、特に関東甲信地方では、
筑波山麓の蚕影山神社から分霊された『蚕影神社』が各地に勧請され、崇敬されてきました。
立川市の阿豆佐味天神社(通称、水天宮)の境内にある『蚕影神社』もその一つなわけです。
特にこの地区の近郊は、横浜港へと生糸を運ぶための『絹の道』もあった場所でもあります。
立川市に隣接する八王子市のHP
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/
によりますと、『絹の道』の説明があります。
そのまま引用しますと、
『安政6年(1859)に横浜が開港し、その後、鉄道が発達する明治の中ごろまで、輸出用の生糸が多数運ばれたルートのひとつです。八王子周辺地域で生産された生糸は、八王子宿に集められ、この道を通って横浜に運ばれて行きました。』
とのこと。
また、立川水天宮にある蚕影神社の傍にある立川市教育委員会の説明板でも、
『この砂川地区では、すでに江戸時代の中頃から養蚕が行われていました。幕末の安政五年、外国との貿易を始めるようになると、養蚕は著しく発展し、村の主産業になりました。そして明治から昭和にかけて、砂川の養蚕は最盛期を迎え、人々の生活を支えました。』
とあります。
そんな時勢の中、筑波山麓にある蚕影山神社が養蚕の神様として脚光を浴びて、
全国から参拝者が集まり、
また各地に勧請もされて『蚕影神社』が建立されていったのでしょう。
しかし、だんだん国内での絹織物産業は衰退し、養蚕業も衰退していきます。
それに伴って、全国にある蚕影神社の総本社の蚕影山神社も、
各地に生まれた蚕影神社も、参拝者がめっきり減ってしまったんですね・・・。
ところが、現代になって、
立川市の立川水天宮(阿豆佐味天神社)の境内にある「蚕影神社」は、『猫返し神社』とまで命名されて、
猫の守り神様として信仰されるようになりました。
本来の「養蚕の神様」から、
現在は「猫返しの神様」として有名になったんですね。
人々の信仰の流行と歴史が伝わってきて、大変興味深いです。
【筑波山麓の『蚕影山神社』が、ニャンコの神様にも!?】
さて、偶然か必然か、養蚕業では、蚕の天敵が「ネズミ」だそうです。
大事に飼っている蚕を、ネズミが食べてしまうんだそうで、
そのネズミ駆逐のために、猫は大事にされていて、「蚕の守り神」と信仰されている土地もある
と聞いたことがあります。
だから、
蚕を守る神様 → 猫の神様
に繋がる素地も、もともと十分あったわけですね。
立川の『猫返し神社』=蚕影神社 の親分(?)、
総本社、筑波山麓にある『蚕影山神社』。
← 蚕影山神社 拝殿
こちらでも、飼い猫の健康や、家出猫が帰ってくるように等、お願いしたら、ご利益あるかもしれませんね!
山間の鄙びた雰囲気が、猫に似合っています。
散策にもぴったり。
ニャンコ好きの皆さま、一度訪ねてみてはいかがでしょう(^o^)
蚕影山神社の近く、つくば市の神郡(かんごおり)の古い街並み。
筑波山がどーんと見えます♪
「筑波山が見えるエリア!」の話題で、蚕~猫 を連想させる、別の話題もあります。
これもまた機会があったらお話したいと思っています。
※2016年11月3日放送の FM84.2MHzラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』でお話した内容を、再構成して書いています。
『筑波山が見えるエリア』の話題として、
東京・立川市のとある場所と、筑波山麓の意外な関係について
です。
特に、猫好きの方、耳よりかもしれません。
『立川から筑波山見えるの??』
という声も聞こえそうですが、
立川の南隣の多摩市の高台から、私は筑波山を見たことがあります。
証拠がこの写真!
← 朝もやに浮かぶ筑波山(2013年3月撮影)。
なので、多摩市の北に位置する立川からも、高台やビルの上からならば、
筑波山は当然見えるだろう
ということで、取り上げます(^^)v。
【立川の『猫返し神社』は、どこから勧請された?】
立川市 阿豆佐味天(あずさみてん)神社(通称:立川水天宮)の境内には、
『蚕影神社』があります。
阿豆佐味天神社(立川水天宮)
立川市砂川町にあります。
境内にある蚕影神社
こちらの蚕影神社は、もともと筑波山麓にある蚕影山神社から勧請されて建立された神社とのことですが、
今はなんと!
『猫返し神社』
として有名になっています。
同神社のHP http://www.azusami-suitengu.net/
によりますと、
ジャズピアニスト山下洋輔さんによって『猫返し神社』と命名されたそうで、
『愛猫の無事や健康を祈りに多くの方がいらっしゃいます』
とのこと。
上の写真にある狛犬のようなニャンコ像が、
これが同神社HPに書かれている『ただいま猫』の石像だと思います。
猫の石像や猫の絵馬やら、とってもにぎやか。
絵馬をみると、
『いなくなった猫が戻ってきますように』、
『飼いネコが元気になりますように』
という祈願が多く、飼い主さん達の切実な想いが伝わってきます。
伝統民芸品江戸張り子の張り子犬のデザインを猫バージョンにした(?)石像も!
ちょっと、○ラえもん に似ている気も・・・(^m^)
こちらの神社のHPには、
『境内社の蚕影神社(こかげじんじゃ)がその社で、蚕の天敵がねずみ、猫を守り神にしています。』
となっていて、蚕影神社の祭神が『猫』!? のように読めますが、
実際に現地に行きますと、神社脇には、
『ご祭神 金色姫命 蚕影神社 (別称 猫返し神社)』
と、いう木製の看板に書かれています。
また、立川市教育委員会の説明板もあり、
『市指定史跡 蚕影神社跡』ということで、
『蚕影神社は、養蚕の守り神として、常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)から、安政七年(一八六〇)二月に勧請された 阿豆佐味天神社の末社です』
と書かれています。
『常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)』は、筑波山麓の豊浦にある、蚕影山神社のこと。
金色姫伝説が伝わっています。
今から150年程前に、蚕影山神社から立川の砂川に勧請されたのですね。
写真は蚕影山神社(つくば市)。
【何故、筑波山麓の蚕影山神社の分社が、立川に?】
でも何故、筑波山から離れた現在の立川市に、筑波山麓の蚕影山神社の分社『蚕影神社』があるのでしょうか。
明治から昭和中ごろまで、外国への輸出品としての絹糸の生産が、日本の一大産業だったことは、ご存じの方も多いでしょう。
その絹糸を生み出す蚕を飼って育てる養蚕農家も、全国に多くありました。
それに伴い、蚕の神様としての伝説を持つ蚕影山神社が、養蚕農家の信仰を集め、
一時期はバスをしたてて参詣者が来たそうなんです。
← 蚕影山神社に奉納された額(2005年撮影・現在は保存のために、外されているかもしれません)。
そして、養蚕業が盛んだった地域、特に関東甲信地方では、
筑波山麓の蚕影山神社から分霊された『蚕影神社』が各地に勧請され、崇敬されてきました。
立川市の阿豆佐味天神社(通称、水天宮)の境内にある『蚕影神社』もその一つなわけです。
特にこの地区の近郊は、横浜港へと生糸を運ぶための『絹の道』もあった場所でもあります。
立川市に隣接する八王子市のHP
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/
によりますと、『絹の道』の説明があります。
そのまま引用しますと、
『安政6年(1859)に横浜が開港し、その後、鉄道が発達する明治の中ごろまで、輸出用の生糸が多数運ばれたルートのひとつです。八王子周辺地域で生産された生糸は、八王子宿に集められ、この道を通って横浜に運ばれて行きました。』
とのこと。
また、立川水天宮にある蚕影神社の傍にある立川市教育委員会の説明板でも、
『この砂川地区では、すでに江戸時代の中頃から養蚕が行われていました。幕末の安政五年、外国との貿易を始めるようになると、養蚕は著しく発展し、村の主産業になりました。そして明治から昭和にかけて、砂川の養蚕は最盛期を迎え、人々の生活を支えました。』
とあります。
そんな時勢の中、筑波山麓にある蚕影山神社が養蚕の神様として脚光を浴びて、
全国から参拝者が集まり、
また各地に勧請もされて『蚕影神社』が建立されていったのでしょう。
しかし、だんだん国内での絹織物産業は衰退し、養蚕業も衰退していきます。
それに伴って、全国にある蚕影神社の総本社の蚕影山神社も、
各地に生まれた蚕影神社も、参拝者がめっきり減ってしまったんですね・・・。
ところが、現代になって、
立川市の立川水天宮(阿豆佐味天神社)の境内にある「蚕影神社」は、『猫返し神社』とまで命名されて、
猫の守り神様として信仰されるようになりました。
本来の「養蚕の神様」から、
現在は「猫返しの神様」として有名になったんですね。
人々の信仰の流行と歴史が伝わってきて、大変興味深いです。
【筑波山麓の『蚕影山神社』が、ニャンコの神様にも!?】
さて、偶然か必然か、養蚕業では、蚕の天敵が「ネズミ」だそうです。
大事に飼っている蚕を、ネズミが食べてしまうんだそうで、
そのネズミ駆逐のために、猫は大事にされていて、「蚕の守り神」と信仰されている土地もある
と聞いたことがあります。
だから、
蚕を守る神様 → 猫の神様
に繋がる素地も、もともと十分あったわけですね。
立川の『猫返し神社』=蚕影神社 の親分(?)、
総本社、筑波山麓にある『蚕影山神社』。
← 蚕影山神社 拝殿
こちらでも、飼い猫の健康や、家出猫が帰ってくるように等、お願いしたら、ご利益あるかもしれませんね!
山間の鄙びた雰囲気が、猫に似合っています。
散策にもぴったり。
ニャンコ好きの皆さま、一度訪ねてみてはいかがでしょう(^o^)
蚕影山神社の近く、つくば市の神郡(かんごおり)の古い街並み。
筑波山がどーんと見えます♪
「筑波山が見えるエリア!」の話題で、蚕~猫 を連想させる、別の話題もあります。
これもまた機会があったらお話したいと思っています。
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