2015年12月20日
茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(2)
茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(2)
(2015年12月4日に FM84.2MHZラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』で放送した内容の一部を抜粋、再構築しております)
今までの話 → 茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(1)
(2)蓑和田ってどこ?
さて、江戸時代の書物、我が国初の百科事典『和漢三才図会』や、俳諧指南書の『毛吹草(けふきぐさ)』にも載っている、『常陸国の蓑和田』
それはどこなのか? というミステリーに迫っていきましょう。
(注)
前回も書きましたが、「みのわだ」の音の表記は、
蓑和田、箕和田、箕輪田
と何通りかあるようです。
江戸時代、地名など、発音にいろんな漢字を充てて記載し、何通りか漢字表記がよくあるようなので、「みのわだ」表記は複数あると理解して 進めます。
(A) 候補 霞ヶ浦沿岸の『箕和田(蓑和田)』浦
まず『蓑和田の鯉取』の舞台、『蓑和田』の第一の候補は
① 霞ヶ浦沿岸の『箕和田浦』 (浮島~麻生の水域)です。
幕府の御留川でした(霞ヶ浦環境科学センターHPより)。
御留川とは
河川・湖沼で,領主の漁場として,一般の漁師の立ち入りを禁じた所。「冥加を納める者以外の漁を禁じる」とした(霞ヶ浦環境科学センター資料より)
冥加(みょうが)とは、江戸時代に山野河海などを利用したり、営業などの免許の代償として幕府や藩に対して支払ったりした租税の一種。
これで決まり!と言えそうなのですが、念のために他にもないかと、『みのわ』という地名がつくところを探してみました。
すると、ネットで検索できた地名だけなのですが、
② 小貝川沿岸で、『つくばみらい市箕輪』、『常総市箕輪町』
③ 涸沼沿岸で、『鉾田市箕輪』
という場所があります。
小貝川も涸沼も、鯉など魚介類は豊富に獲れる場所です。
地域名として、『箕輪』に『田』をつけて、『箕輪田』と呼ばれた可能性もあるかもしれません。
(B) 小貝川沿岸か?
ちなみに、今回参考にした文献の『江戸のパロディー もじり百人一首を読む』では、解説の中で『小貝川の鯉取り』としています(ただし根拠は不明)。
もちろん、小貝川でも鯉は獲れたそう(今も鯉釣りが出来る模様)。
すると、候補②『つくばみらい市箕輪』 もしくは 『常総市箕輪町』ではないかとも思えます。
※常総市箕輪町も2015年の鬼怒川氾濫で甚大な被害を受けています。心よりお見舞い申し上げます。
写真はつくばみらい市箕輪にほど近い、つくばみらい市西丸山にある月読神社。
しかし、小貝川は、常陸国と下総国の国境でした。
そうすると、『下総国土産』と名乗る場合もあるのでは?
『常陸国土産』とは言い切らないのでは?
ちなみに先に出た江戸時代の百科事典『和漢三才図会』の下総国の項には、『鯉』はありません。
(海苔の他に、結城の紬・ごぼう・うどん・・・の名前はありました)
『常陸国』とはっきり言えるのは、
候補①の霞ヶ浦沿岸 浮島の付近の『箕和田浦』か、
候補③ 涸沼沿岸の『箕輪』なのではないかなあと思うのですが?
(C) 筑波山の水が流れてくる場所となると、やはり・・・
さて、冒頭で紹介した、江戸時代前期の狂歌集 吾吟我集(ごぎんわがしゅう)に掲載されているもじり歌、
『筑波根の水も落ちくる 箕輪田の・・・』
となっています。
『箕輪田には、筑波山の水が流れてくる』という共通認識が当時あったからこその、パロディだと感じます。
江戸時代前期の狂歌の作者が、筑波山系や常陸国南部の地理に詳しかったどうか不明ですが、歌に忠実に筑波山付近の水系を考えてみます。
候補③の涸沼沿岸(鉾田市箕輪)は、常陸国ではありますが、筑波山から離れていて、水系が完全に違います・・・。
写真は、鉾田市箕輪にある『いこいの村涸沼』より、涸沼を望む。
候補②の小貝川沿岸ですが、地理的に見て筑波山系の水は、すぐ麓をを流れる桜川などに流れ込んでいて、筑波台地を挟んで桜川より西に位置している小貝川には、直接は流れているとは言いにくいです。
それに対し、筑波山のすぐ下を流れる桜川の水は霞ヶ浦に水は流れ込んでいるので、候補①の霞ヶ浦沿岸の箕和田浦は、『筑波根の水もおちくる・・・』にぴったり。
そうすると、ここははやり、『みのわだ』としっかり名前もありますし、幕府の御留川で獲れた鯉というで、ブランド化したのではないかとも考えられますので、江戸時代の文献に出てくる『蓑和田の鯉』の『蓑和田』は、候補① 霞ヶ浦沿岸浮島付近の『箕和田浦』の可能性が一番高いと考えます。
ちなみに、浮島付近は 昭和30年代に本新島干拓(箕和田浦干拓)で埋め立てられ、
この時、箕和田浦も埋め立てられてしまいました。
今は陸地で水田地帯の一角(現在の茨城県稲敷市)になっているようです。
ちょっぴり残念・・・。
写真は浮島地区にほど近いところにある、大杉神社。
しかし、江戸の当時、箕和田浦の沖にあった浮島には、現在は、『浮島園地(和田公園) 』があります。
参考 稲敷市観光協会HP
4月の稲敷チューリップ祭もきれいそうですし、景色も素晴らしそう!
昔に思いを馳せながら、バーベキューとか楽しめそうです。
次回はシリーズ最後、『鯉取り』漁法と、意外な鯉の料理に迫ります。
→ 茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(3)
つづく
*****************************************************
【参考文献】
・江戸のパロディー もじり百人一首を読む 武藤禎夫著 東
京堂出版
・和漢三才図会<10> (東洋文庫 456) 寺島良安 著 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳 訳注
【参考webサイト】
・霞ヶ浦環境科学センターHP
調査研究>霞ヶ浦への招待 Ⅳ 霞ケ浦と人とのかかわり より『霞ヶ浦の漁法』
・歴史的農業景観閲覧システム
http://habs.dc.affrc.go.jp/
『土浦』地図
・茨城県HP 霞ヶ浦北浦と利根川の年表4
ホーム > 茨城を創る > 農林水産業 > 水産業 > 茨城県水産試験場 > 内水面支場トップページ > 内水面支場コンテンツ > 霞ヶ浦北浦と利根川の年表 > 霞ヶ浦北浦と利根川の年表4
・Webio辞書『季語・季題辞典』
・(毛吹草)
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構国文学研究資料館HP
国文学研究資料館トップ > 電子資料館 >古事類苑データベース
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/tibu1/frame/f001147.html
(古事類苑>地部十四>常陸國>人口 第 2 巻 1147 頁) より
・(吾吟我集)
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0214-16902
(2015年12月4日に FM84.2MHZラヂオつくば『つくばね自由研究クラブ』で放送した内容の一部を抜粋、再構築しております)
今までの話 → 茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(1)
(2)蓑和田ってどこ?
さて、江戸時代の書物、我が国初の百科事典『和漢三才図会』や、俳諧指南書の『毛吹草(けふきぐさ)』にも載っている、『常陸国の蓑和田』
それはどこなのか? というミステリーに迫っていきましょう。
(注)
前回も書きましたが、「みのわだ」の音の表記は、
蓑和田、箕和田、箕輪田
と何通りかあるようです。
江戸時代、地名など、発音にいろんな漢字を充てて記載し、何通りか漢字表記がよくあるようなので、「みのわだ」表記は複数あると理解して 進めます。
(A) 候補 霞ヶ浦沿岸の『箕和田(蓑和田)』浦
まず『蓑和田の鯉取』の舞台、『蓑和田』の第一の候補は
① 霞ヶ浦沿岸の『箕和田浦』 (浮島~麻生の水域)です。
幕府の御留川でした(霞ヶ浦環境科学センターHPより)。
御留川とは
河川・湖沼で,領主の漁場として,一般の漁師の立ち入りを禁じた所。「冥加を納める者以外の漁を禁じる」とした(霞ヶ浦環境科学センター資料より)
冥加(みょうが)とは、江戸時代に山野河海などを利用したり、営業などの免許の代償として幕府や藩に対して支払ったりした租税の一種。
これで決まり!と言えそうなのですが、念のために他にもないかと、『みのわ』という地名がつくところを探してみました。
すると、ネットで検索できた地名だけなのですが、
② 小貝川沿岸で、『つくばみらい市箕輪』、『常総市箕輪町』
③ 涸沼沿岸で、『鉾田市箕輪』
という場所があります。
小貝川も涸沼も、鯉など魚介類は豊富に獲れる場所です。
地域名として、『箕輪』に『田』をつけて、『箕輪田』と呼ばれた可能性もあるかもしれません。
(B) 小貝川沿岸か?
ちなみに、今回参考にした文献の『江戸のパロディー もじり百人一首を読む』では、解説の中で『小貝川の鯉取り』としています(ただし根拠は不明)。
もちろん、小貝川でも鯉は獲れたそう(今も鯉釣りが出来る模様)。
すると、候補②『つくばみらい市箕輪』 もしくは 『常総市箕輪町』ではないかとも思えます。
※常総市箕輪町も2015年の鬼怒川氾濫で甚大な被害を受けています。心よりお見舞い申し上げます。
写真はつくばみらい市箕輪にほど近い、つくばみらい市西丸山にある月読神社。
しかし、小貝川は、常陸国と下総国の国境でした。
そうすると、『下総国土産』と名乗る場合もあるのでは?
『常陸国土産』とは言い切らないのでは?
ちなみに先に出た江戸時代の百科事典『和漢三才図会』の下総国の項には、『鯉』はありません。
(海苔の他に、結城の紬・ごぼう・うどん・・・の名前はありました)
『常陸国』とはっきり言えるのは、
候補①の霞ヶ浦沿岸 浮島の付近の『箕和田浦』か、
候補③ 涸沼沿岸の『箕輪』なのではないかなあと思うのですが?
(C) 筑波山の水が流れてくる場所となると、やはり・・・
さて、冒頭で紹介した、江戸時代前期の狂歌集 吾吟我集(ごぎんわがしゅう)に掲載されているもじり歌、
『筑波根の水も落ちくる 箕輪田の・・・』
となっています。
『箕輪田には、筑波山の水が流れてくる』という共通認識が当時あったからこその、パロディだと感じます。
江戸時代前期の狂歌の作者が、筑波山系や常陸国南部の地理に詳しかったどうか不明ですが、歌に忠実に筑波山付近の水系を考えてみます。
候補③の涸沼沿岸(鉾田市箕輪)は、常陸国ではありますが、筑波山から離れていて、水系が完全に違います・・・。
写真は、鉾田市箕輪にある『いこいの村涸沼』より、涸沼を望む。
候補②の小貝川沿岸ですが、地理的に見て筑波山系の水は、すぐ麓をを流れる桜川などに流れ込んでいて、筑波台地を挟んで桜川より西に位置している小貝川には、直接は流れているとは言いにくいです。
それに対し、筑波山のすぐ下を流れる桜川の水は霞ヶ浦に水は流れ込んでいるので、候補①の霞ヶ浦沿岸の箕和田浦は、『筑波根の水もおちくる・・・』にぴったり。
そうすると、ここははやり、『みのわだ』としっかり名前もありますし、幕府の御留川で獲れた鯉というで、ブランド化したのではないかとも考えられますので、江戸時代の文献に出てくる『蓑和田の鯉』の『蓑和田』は、候補① 霞ヶ浦沿岸浮島付近の『箕和田浦』の可能性が一番高いと考えます。
ちなみに、浮島付近は 昭和30年代に本新島干拓(箕和田浦干拓)で埋め立てられ、
この時、箕和田浦も埋め立てられてしまいました。
今は陸地で水田地帯の一角(現在の茨城県稲敷市)になっているようです。
ちょっぴり残念・・・。
写真は浮島地区にほど近いところにある、大杉神社。
しかし、江戸の当時、箕和田浦の沖にあった浮島には、現在は、『浮島園地(和田公園) 』があります。
参考 稲敷市観光協会HP
4月の稲敷チューリップ祭もきれいそうですし、景色も素晴らしそう!
昔に思いを馳せながら、バーベキューとか楽しめそうです。
次回はシリーズ最後、『鯉取り』漁法と、意外な鯉の料理に迫ります。
→ 茨城由来の冬の季語『蓑和田の鯉取り』を探る(3)
つづく
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【参考文献】
・江戸のパロディー もじり百人一首を読む 武藤禎夫著 東
京堂出版
・和漢三才図会<10> (東洋文庫 456) 寺島良安 著 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳 訳注
【参考webサイト】
・霞ヶ浦環境科学センターHP
調査研究>霞ヶ浦への招待 Ⅳ 霞ケ浦と人とのかかわり より『霞ヶ浦の漁法』
・歴史的農業景観閲覧システム
http://habs.dc.affrc.go.jp/
『土浦』地図
・茨城県HP 霞ヶ浦北浦と利根川の年表4
ホーム > 茨城を創る > 農林水産業 > 水産業 > 茨城県水産試験場 > 内水面支場トップページ > 内水面支場コンテンツ > 霞ヶ浦北浦と利根川の年表 > 霞ヶ浦北浦と利根川の年表4
・Webio辞書『季語・季題辞典』
・(毛吹草)
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構国文学研究資料館HP
国文学研究資料館トップ > 電子資料館 >古事類苑データベース
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/tibu1/frame/f001147.html
(古事類苑>地部十四>常陸國>人口 第 2 巻 1147 頁) より
・(吾吟我集)
大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館
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