2010年11月23日
常陸大宮 吉田八幡神社の「三浦杉」を訪ねて
つくば(茨城)プチ民俗学 常陸大宮 美和地区(旧美和村) 吉田八幡神社の「三浦杉」を訪ねて
(初出:2010年11月23日 17時13分)
【★ 先日2010年11/15-19に放送した ラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」で触れた内容です】
報告が遅くなりましたが、今年の8月、ドライブがてらに、常陸大宮方面に行ってきました。
吉田八幡神社の「三浦杉」と、「鷲子山上神社」が第一の目的でした。
「鷲子山上神社」については、すでに報告しているので( 「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」 と 鷲子山上神社を訪ねて)、
本日は「三浦杉」の報告です。
三浦杉の伝説の概要
--------------------------------------------------------------------------------------------
・平安末期、那須(現在の栃木)で悪行の数々を行っていた妖狐「九尾の狐」を退治に来た、相模国の三浦大介義明(一説には三浦基安)が、無事妖狐を退治できるよう、この吉田八幡神社で、その時願をかけて苗を植えたのが、今もある、杉の大木。
・この杉の大木は「鎌倉杉」と呼ばれいたが、江戸時代、水戸光圀が、ここを訪ねて杉の由来を聞いたところ、「「ならば、三浦杉」と名乗るが良い」と行ったため、それ以降「三浦杉」という名で呼ばれている。
・樹齢約850年以上、幹周囲10m 樹高58m 枝下28m-------------------------------------------------------------------------------------------
「三浦杉」のある、吉田八幡神社は、常陸大宮市の美和地区(旧 美和村)の静かな山間の里に位置しています。
吉田八幡神社の前は「吉田あやめ公園」で、あやめの時期は大変きれいだと思います。
私たちが行った時は盛夏まっさかりで、青々とした葉が茂っていました。
ここの駐車場に車を停めて、神社まで歩きます。
吉田八幡神社入り口
あやめ公園にある、吉田八幡神社と「三浦杉」の由来が書かれた看板によると、
「樹齢850年以上、幹周囲10m、樹高58m、枝下28mというこの杉は、「久寿2年(1155年)相模国・三浦大介義明が、下野国・那須野ヶ原に金毛九尾の悪狐退治に行く途中、この神社に参拝し「われ冥護により能く悪狐を獲ば此の杉天にそびゆべし」と祈願して植えた杉と伝えられています。」(看板より抜粋)
とのこと。
威風堂々の三浦杉
神社の拝殿は山の中腹にあり、階段を上っていきます。この階段の途中に、見事に大きな二本の杉がありました。「三浦杉」です。
私たちが行った時は、「安全のため、全面通行止め」の旨の立て看板と柵があって、階段の途中までしか上がれませんでした。ちょうど三浦杉の1本の根元近くに柵がありました。
杉の根本にある石碑に書かれた三浦杉の由来もありました。
駐車場の作った看板とちょっと内容が違います。いろんな伝承が伝わっている模様。
「・・・この杉の由来は、近衛天皇の久寿二年(一一五五) 相模(神奈川県)の住人三浦大介基安が勅命により下野国那須野(栃木県那須町)の悪狐退治のため四人のともをつれて、小田野に入りました。基安は吉田八幡神社に参拝し 悪狐征伐を祈願して社前に杉を植え ・・・(中略)・・・基安は再び小田野にみえ悪狐退治の報告を 吉田神社にしたと云うことです。・・・」(石碑より抜粋)
この地の伝承では、三浦大介は 三浦義明と三浦基安の二つの名前が伝わっているようです。
ちなみに「三浦介」というのは、当時の役職名です。三浦氏の本拠地、神奈川県の三浦半島では、「三浦義明(1092-1180)」が、特に「三浦大介」と呼ばれています。三浦大介義明は衣笠山(横須賀市)の城で壮絶な最期を遂げています。
三浦神社
さてこの地での伝承では、
「三浦杉」を植えた「三浦大介」は、狐を退治してからこの地に戻り、出家して「空智上人」となって、その後留まったそうです(文献1)。自分の座像を彫ったとのこと。
その像が安置されているという三浦神社にも、入り口まで行ってきました。
神社には、「木造 空智上人坐像」の他に「木造 不動明王立像」が安置されている旨の立看板がありました。考えてみると神仏混淆が生きているんですね。
この地には、三浦大介が烏帽子をかけたという「烏帽子掛峠」もありますが、実はこの後、以前既に報告した、鷲子山上神社に行ったため、この時は烏帽子掛峠は行きませんでした。
今度機会を改め、また行ってみたいと思っています。
後掲の文献1によりますと、三浦基安の家来の子孫の皆さんが、今もこの地にいらっしゃるとのこと、大変な歴史を感じます。三浦一族の誰かがこの地に留まって、この地を開拓したのでしょうか。
ところで、美和地区に行かれたら、この「三浦杉」の他に、「花立自然公園」 「ふるさと活性化センター 北斗星」もおすすめとの情報を Twitterで mda_abm さんから教えて頂きました。
三浦杉も、「昔はぐるっと手を繋いで長さが測れました」とのことです。
更に mda_abm さんからは、同じく常陸大宮市には、「風車の矢七の墓」もあるとの情報も教えて頂きました。昔の「ドラマ水戸黄門」に出てきた「風車の矢七」のモデルになった人のお墓だそうです。
近くの公衆トイレは男性用「矢七」、女性用「お新」と書かれているそうです!粋ですね。
mda_abm さん、情報ありがとうございました
。
ドライブがてらお出かけして、歴史と自然を満喫し、おいしい食材もゲット。こんどのお休みの時など、いかがでしょう?
参考文献:
1. 常陽藝文 2003年2月号 (財)常陽藝文センター
2. 茨城県の歴史散歩 山川出版社(1985年)
参考ホームページ:
常陸大宮市観光協会HP
http://www.city.hitachiomiya.ibaraki.jp/~kankokyokai/
(初出:2010年11月23日 17時13分)
【★ 先日2010年11/15-19に放送した ラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」で触れた内容です】
報告が遅くなりましたが、今年の8月、ドライブがてらに、常陸大宮方面に行ってきました。
吉田八幡神社の「三浦杉」と、「鷲子山上神社」が第一の目的でした。
「鷲子山上神社」については、すでに報告しているので( 「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」 と 鷲子山上神社を訪ねて)、
本日は「三浦杉」の報告です。
三浦杉の伝説の概要
--------------------------------------------------------------------------------------------
・平安末期、那須(現在の栃木)で悪行の数々を行っていた妖狐「九尾の狐」を退治に来た、相模国の三浦大介義明(一説には三浦基安)が、無事妖狐を退治できるよう、この吉田八幡神社で、その時願をかけて苗を植えたのが、今もある、杉の大木。
・この杉の大木は「鎌倉杉」と呼ばれいたが、江戸時代、水戸光圀が、ここを訪ねて杉の由来を聞いたところ、「「ならば、三浦杉」と名乗るが良い」と行ったため、それ以降「三浦杉」という名で呼ばれている。
・樹齢約850年以上、幹周囲10m 樹高58m 枝下28m-------------------------------------------------------------------------------------------
「三浦杉」のある、吉田八幡神社は、常陸大宮市の美和地区(旧 美和村)の静かな山間の里に位置しています。
吉田八幡神社の前は「吉田あやめ公園」で、あやめの時期は大変きれいだと思います。
私たちが行った時は盛夏まっさかりで、青々とした葉が茂っていました。
ここの駐車場に車を停めて、神社まで歩きます。

あやめ公園にある、吉田八幡神社と「三浦杉」の由来が書かれた看板によると、
「樹齢850年以上、幹周囲10m、樹高58m、枝下28mというこの杉は、「久寿2年(1155年)相模国・三浦大介義明が、下野国・那須野ヶ原に金毛九尾の悪狐退治に行く途中、この神社に参拝し「われ冥護により能く悪狐を獲ば此の杉天にそびゆべし」と祈願して植えた杉と伝えられています。」(看板より抜粋)
とのこと。

神社の拝殿は山の中腹にあり、階段を上っていきます。この階段の途中に、見事に大きな二本の杉がありました。「三浦杉」です。
私たちが行った時は、「安全のため、全面通行止め」の旨の立て看板と柵があって、階段の途中までしか上がれませんでした。ちょうど三浦杉の1本の根元近くに柵がありました。
杉の根本にある石碑に書かれた三浦杉の由来もありました。
駐車場の作った看板とちょっと内容が違います。いろんな伝承が伝わっている模様。
「・・・この杉の由来は、近衛天皇の久寿二年(一一五五) 相模(神奈川県)の住人三浦大介基安が勅命により下野国那須野(栃木県那須町)の悪狐退治のため四人のともをつれて、小田野に入りました。基安は吉田八幡神社に参拝し 悪狐征伐を祈願して社前に杉を植え ・・・(中略)・・・基安は再び小田野にみえ悪狐退治の報告を 吉田神社にしたと云うことです。・・・」(石碑より抜粋)
この地の伝承では、三浦大介は 三浦義明と三浦基安の二つの名前が伝わっているようです。
ちなみに「三浦介」というのは、当時の役職名です。三浦氏の本拠地、神奈川県の三浦半島では、「三浦義明(1092-1180)」が、特に「三浦大介」と呼ばれています。三浦大介義明は衣笠山(横須賀市)の城で壮絶な最期を遂げています。

さてこの地での伝承では、
「三浦杉」を植えた「三浦大介」は、狐を退治してからこの地に戻り、出家して「空智上人」となって、その後留まったそうです(文献1)。自分の座像を彫ったとのこと。
その像が安置されているという三浦神社にも、入り口まで行ってきました。
神社には、「木造 空智上人坐像」の他に「木造 不動明王立像」が安置されている旨の立看板がありました。考えてみると神仏混淆が生きているんですね。
この地には、三浦大介が烏帽子をかけたという「烏帽子掛峠」もありますが、実はこの後、以前既に報告した、鷲子山上神社に行ったため、この時は烏帽子掛峠は行きませんでした。
今度機会を改め、また行ってみたいと思っています。
後掲の文献1によりますと、三浦基安の家来の子孫の皆さんが、今もこの地にいらっしゃるとのこと、大変な歴史を感じます。三浦一族の誰かがこの地に留まって、この地を開拓したのでしょうか。
ところで、美和地区に行かれたら、この「三浦杉」の他に、「花立自然公園」 「ふるさと活性化センター 北斗星」もおすすめとの情報を Twitterで mda_abm さんから教えて頂きました。
三浦杉も、「昔はぐるっと手を繋いで長さが測れました」とのことです。
更に mda_abm さんからは、同じく常陸大宮市には、「風車の矢七の墓」もあるとの情報も教えて頂きました。昔の「ドラマ水戸黄門」に出てきた「風車の矢七」のモデルになった人のお墓だそうです。
近くの公衆トイレは男性用「矢七」、女性用「お新」と書かれているそうです!粋ですね。
mda_abm さん、情報ありがとうございました

ドライブがてらお出かけして、歴史と自然を満喫し、おいしい食材もゲット。こんどのお休みの時など、いかがでしょう?
参考文献:
1. 常陽藝文 2003年2月号 (財)常陽藝文センター
2. 茨城県の歴史散歩 山川出版社(1985年)
参考ホームページ:
常陸大宮市観光協会HP
http://www.city.hitachiomiya.ibaraki.jp/~kankokyokai/
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Posted by かるだ もん at 17:13│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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