2021年05月24日
八代集に収められている筑波山の歌~【4】新古今和歌集にある筑波山
八代集に収められている筑波山の歌~【4】新古今和歌集にある筑波山
日本最古の歌集 『万葉集』 以降に編纂された八つの勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された和歌集) 「八代集」
・古今和歌集 ・後撰和歌集 ・拾遺和歌集 ・後拾遺和歌集 ・金葉和歌集 ・詞花和歌集 ・千載和歌集 ・新古今和歌集に歌われる、『つくばやま・つくばね (筑波山・筑波嶺)』の歌を見ていくシリーズ。
今までの記事
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【1】古今和歌集にある筑波山
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【2】後撰和歌集にある筑波山
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
第4回目最終回の今回は、新古今和歌集にある筑波山の歌を見ていきます。
(6)新古今和歌集
註: 5番目の勅撰和歌集の『金葉和歌集』と7番目の勅撰和歌集の『千載和歌集』には筑波山を歌う歌がないので、
八代集の最後ですが(6)になっています。
新古今和歌集は、鎌倉時代の初期、後鳥羽院の下命により編纂された八番目の勅撰和歌集です。
建仁元年(1201年)に和歌所が設置され六名の撰者が任命されました。その後、長年、撰者達のよる歌の収集と改訂を繰り返し、
後鳥羽院自らによっても選別と編集が繰り返され、承久の乱(1221年)後鳥羽院が隠岐に流された後も、隠岐で後鳥羽院が晩年まで編集を続けたそうです。
後鳥羽院の執念が込められた和歌集と云えましょう。
そんな後鳥羽院こだわりの和歌集~新古今和歌集にも、筑波山を歌った歌が2首選ばれています。
① 1013番 源重之:
筑波山 は山しげ山しげゝれど思ひ入るはさはらざりけり
② 1014番 大中臣能宣朝臣:
又通ふ人ありける女のもとにつかはしける
われならぬ人に心を筑波山したにかよはん道だにやなき
実は、この二首は既に当ブログで扱ったことがあります。
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
ということで、上の二首についての詳細は上記の記事をを読んで頂けたらと思いますが、
先に書いた記事の時から新たに文献(文献1:『新古典文学大系11 新古今和歌集』 校注者 田中裕 赤瀬信吾 岩波書店
)が加わり、その解説が分かりやすく、また新しい知見もありましたので、今回解釈を追加したいと思います。
**********
① 新古今和歌集 1013番 ; 源重之
筑波山 は山しげ山しげゝれど思ひ入るはさはらざりけり
歌の意味は、文献1の解説によると
『筑波山は端山茂山と重なっている-人目が随分うるさい-が、決心して分け入る-慕い寄る-時の障碍にならないな』
とのこと。
(写真は筑波山中腹、東山付近から、筑波連山・宝筺山方面を望む。 2021年3月撮影)
歌の中の語句の説明は、同書によると、
・は山:里近い浅い山
・しげ山:は山の対
・しげゝれ:木の繁茂していることを人目の多い譬えとする。
・思ひ入る:恋い慕う意味もあり、一首が恋の譬となる
この歌の本歌は、やはり
風俗歌『筑波山』の
『筑波山は山しげ山茂きをぞや 誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』
としています。
風俗歌『筑波山』については、
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
をご参照下さい。
さて、歌の意味なのですが、以前書いたブログの記事(源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編))での解釈では、
『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
としましたので、歌の印象が随分変わりますね!
なお同じく文献1の解説では、
・筑波山:和歌初学抄に常陸国として『しげきことによむ』とある。
と書かれています。
『しげきこと』というのは同書に解釈のままだと『人目が多いこと』ともとれますので、
常陸国は、『人目が多い』の譬えにされていたのでしょうか!???
・・・これはあまり納得できませんが。
詳しい方、ご教示頂けると幸いです。
なお、参考として同書では、平安時代中期の歌人の曽禰好忠(そねのよした)の
『筑波山は山しげ山しげけれど降りつむ雪はさはらざりけり』
(好忠集)
の歌も解説の中で挙げています。
『筑波山 端山(はやま) 茂山(しげやま) 茂げ・・・』
のフレーズは、語呂も良いですし、歌人達によく使われたフレーズなんですね。
********
② 新古今和歌集 1014番 大中臣能宣朝臣
又通ふ人ありける女のもとにつかはしける
われならぬ人に心を筑波山したにかよはん道だにやなき
同じく文献1の解説によると
『私以外の男に心をつくばあなたに、そのつくば山でないが、ひそかに通う道-てだてさえもないのでしょうか』
同書での語句の説明は、
・心を筑: 思いを寄せる 『付く』と『筑』を掛ける。
・したにかよわん: 本歌による。本歌の終わりの二句は、人目につかないように、こっそりと通うがよい。
私の相手の男はこっそり通っているの意。
とのこと。
ここで言う「本歌」も、1013番の源重之の歌の本歌と同じく、風俗歌『筑波山』です。
そして同書では、『誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』の意味は、
『人目につかないように、こっそりと通うがよい。私の相手の男はこっそり通っている』
とのこと。
(写真は2021年3月撮影)
つまり、風俗歌『筑波山』
『筑波山は山しげ山茂きをぞや 誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』
の意味は、
『筑波山は端山茂山がそばにある(人目が多い)から、人目に付かないようにこっそり通うのが良いですよ。
私の彼はこっそり通っていますから』
ということになるでしょうか。
一方、以前書いたブログの記事(源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編))での解釈では、
『(歌垣・嬥歌(かがい)のあって古来から有名な)筑波山の周りの樹々が茂った山道(は皆が通う道なので)を通ってはいけない。
こっそり通いなさい。私の愛しい人は密かに(別の場所に)いるのだから』
としました。
比較すると、歌の雰囲気が、結構違ってきますね。
特にやはり、最後のに句の解釈が違うので、歌全体の印象も違ってくる。
ただ多少はニュアンスに違いがあっても、ほぼ近い状況を歌っているわけです。
歌の真意は、それを作った原作者のみが知ることなので、後世ではいろんな解釈があってもOKだと私は思います(^^)
こう深く考えていくと、和歌って面白いなぁと、ちょっとハマりそうです
******
以上、4回に分けて、有名な、古今和歌集から新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集のうち、
6つの勅撰和歌集に選ばれた『筑波山』『筑波嶺』の歌を見てきました。
調べている内にも、有名な歌人が歌った、筑波山・筑波嶺を和歌があるのが分かりましたので、
また機会を見て、すこしずつ見ていきたいと思っています(^^)
歌人が歌った和歌を口ずさみながら見る筑波山、筑波連山もまた、趣深いですから(^^)
**********************
【参考文献】
1. 「新古典文学大系11 新古今和歌集」 校注者 田中裕 赤瀬信吾 岩波書店
2. 「新訂 新古今和歌集」 ワイド版岩波文庫115 佐佐木信綱 校訂 岩波書店
3. 「新古今和歌集 下」 新潮日本古典集成<新装版> 久保田淳 校注 新潮社
日本最古の歌集 『万葉集』 以降に編纂された八つの勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された和歌集) 「八代集」
・古今和歌集 ・後撰和歌集 ・拾遺和歌集 ・後拾遺和歌集 ・金葉和歌集 ・詞花和歌集 ・千載和歌集 ・新古今和歌集に歌われる、『つくばやま・つくばね (筑波山・筑波嶺)』の歌を見ていくシリーズ。
今までの記事
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【1】古今和歌集にある筑波山
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【2】後撰和歌集にある筑波山
→ 八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
第4回目最終回の今回は、新古今和歌集にある筑波山の歌を見ていきます。
(6)新古今和歌集
註: 5番目の勅撰和歌集の『金葉和歌集』と7番目の勅撰和歌集の『千載和歌集』には筑波山を歌う歌がないので、
八代集の最後ですが(6)になっています。
新古今和歌集は、鎌倉時代の初期、後鳥羽院の下命により編纂された八番目の勅撰和歌集です。
建仁元年(1201年)に和歌所が設置され六名の撰者が任命されました。その後、長年、撰者達のよる歌の収集と改訂を繰り返し、
後鳥羽院自らによっても選別と編集が繰り返され、承久の乱(1221年)後鳥羽院が隠岐に流された後も、隠岐で後鳥羽院が晩年まで編集を続けたそうです。
後鳥羽院の執念が込められた和歌集と云えましょう。
そんな後鳥羽院こだわりの和歌集~新古今和歌集にも、筑波山を歌った歌が2首選ばれています。
① 1013番 源重之:
筑波山 は山しげ山しげゝれど思ひ入るはさはらざりけり
② 1014番 大中臣能宣朝臣:
又通ふ人ありける女のもとにつかはしける
われならぬ人に心を筑波山したにかよはん道だにやなき
実は、この二首は既に当ブログで扱ったことがあります。
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
ということで、上の二首についての詳細は上記の記事をを読んで頂けたらと思いますが、
先に書いた記事の時から新たに文献(文献1:『新古典文学大系11 新古今和歌集』 校注者 田中裕 赤瀬信吾 岩波書店
)が加わり、その解説が分かりやすく、また新しい知見もありましたので、今回解釈を追加したいと思います。
**********
① 新古今和歌集 1013番 ; 源重之
筑波山 は山しげ山しげゝれど思ひ入るはさはらざりけり
歌の意味は、文献1の解説によると
『筑波山は端山茂山と重なっている-人目が随分うるさい-が、決心して分け入る-慕い寄る-時の障碍にならないな』
とのこと。
(写真は筑波山中腹、東山付近から、筑波連山・宝筺山方面を望む。 2021年3月撮影)
歌の中の語句の説明は、同書によると、
・は山:里近い浅い山
・しげ山:は山の対
・しげゝれ:木の繁茂していることを人目の多い譬えとする。
・思ひ入る:恋い慕う意味もあり、一首が恋の譬となる
この歌の本歌は、やはり
風俗歌『筑波山』の
『筑波山は山しげ山茂きをぞや 誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』
としています。
風俗歌『筑波山』については、
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
をご参照下さい。
さて、歌の意味なのですが、以前書いたブログの記事(源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編))での解釈では、
『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
としましたので、歌の印象が随分変わりますね!
なお同じく文献1の解説では、
・筑波山:和歌初学抄に常陸国として『しげきことによむ』とある。
と書かれています。
『しげきこと』というのは同書に解釈のままだと『人目が多いこと』ともとれますので、
常陸国は、『人目が多い』の譬えにされていたのでしょうか!???
・・・これはあまり納得できませんが。
詳しい方、ご教示頂けると幸いです。
なお、参考として同書では、平安時代中期の歌人の曽禰好忠(そねのよした)の
『筑波山は山しげ山しげけれど降りつむ雪はさはらざりけり』
(好忠集)
の歌も解説の中で挙げています。
『筑波山 端山(はやま) 茂山(しげやま) 茂げ・・・』
のフレーズは、語呂も良いですし、歌人達によく使われたフレーズなんですね。
********
② 新古今和歌集 1014番 大中臣能宣朝臣
又通ふ人ありける女のもとにつかはしける
われならぬ人に心を筑波山したにかよはん道だにやなき
同じく文献1の解説によると
『私以外の男に心をつくばあなたに、そのつくば山でないが、ひそかに通う道-てだてさえもないのでしょうか』
同書での語句の説明は、
・心を筑: 思いを寄せる 『付く』と『筑』を掛ける。
・したにかよわん: 本歌による。本歌の終わりの二句は、人目につかないように、こっそりと通うがよい。
私の相手の男はこっそり通っているの意。
とのこと。
ここで言う「本歌」も、1013番の源重之の歌の本歌と同じく、風俗歌『筑波山』です。
そして同書では、『誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』の意味は、
『人目につかないように、こっそりと通うがよい。私の相手の男はこっそり通っている』
とのこと。
(写真は2021年3月撮影)
つまり、風俗歌『筑波山』
『筑波山は山しげ山茂きをぞや 誰が子も歌ふな下に通へ わが妻は下に』
の意味は、
『筑波山は端山茂山がそばにある(人目が多い)から、人目に付かないようにこっそり通うのが良いですよ。
私の彼はこっそり通っていますから』
ということになるでしょうか。
一方、以前書いたブログの記事(源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編))での解釈では、
『(歌垣・嬥歌(かがい)のあって古来から有名な)筑波山の周りの樹々が茂った山道(は皆が通う道なので)を通ってはいけない。
こっそり通いなさい。私の愛しい人は密かに(別の場所に)いるのだから』
としました。
比較すると、歌の雰囲気が、結構違ってきますね。
特にやはり、最後のに句の解釈が違うので、歌全体の印象も違ってくる。
ただ多少はニュアンスに違いがあっても、ほぼ近い状況を歌っているわけです。
歌の真意は、それを作った原作者のみが知ることなので、後世ではいろんな解釈があってもOKだと私は思います(^^)
こう深く考えていくと、和歌って面白いなぁと、ちょっとハマりそうです
******
以上、4回に分けて、有名な、古今和歌集から新古今和歌集までの8つの勅撰和歌集のうち、
6つの勅撰和歌集に選ばれた『筑波山』『筑波嶺』の歌を見てきました。
調べている内にも、有名な歌人が歌った、筑波山・筑波嶺を和歌があるのが分かりましたので、
また機会を見て、すこしずつ見ていきたいと思っています(^^)
歌人が歌った和歌を口ずさみながら見る筑波山、筑波連山もまた、趣深いですから(^^)
**********************
【参考文献】
1. 「新古典文学大系11 新古今和歌集」 校注者 田中裕 赤瀬信吾 岩波書店
2. 「新訂 新古今和歌集」 ワイド版岩波文庫115 佐佐木信綱 校訂 岩波書店
3. 「新古今和歌集 下」 新潮日本古典集成<新装版> 久保田淳 校注 新潮社
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (三)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(9) 地元の方から教えて頂いた神栖に伝わるお話
国立歴史民俗博物館 企画展 『陰陽師とは何者か』 を見て
映画『石岡タロー』
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(9) 地元の方から教えて頂いた神栖に伝わるお話
国立歴史民俗博物館 企画展 『陰陽師とは何者か』 を見て
映画『石岡タロー』
Posted by かるだ もん at 19:54│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
コメントフォーム