八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山

日本最古の歌集 『万葉集』 以降に編纂された八つの勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された和歌集) 「八代集」
・古今和歌集 ・後撰和歌集 ・拾遺和歌集 ・後拾遺和歌集 ・金葉和歌集 ・詞花和歌集 ・千載和歌集 ・新古今和歌集に歌われる、『つくばやま・つくばね (筑波山・筑波嶺)』の歌を見ていくシリーズ。

豆電球今までの記事
八代集に収められている筑波山の歌~【1】古今和歌集にある筑波山
八代集に収められている筑波山の歌~【2】後撰和歌集にある筑波山

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
第三回目の今回は、拾遺和歌集・後拾遺和歌集・詞花和歌集の3つの和歌集にある筑波山の歌をまとめて見ていきます。

この写真の謎解き?は、後ほど笑

※八代集の中で編纂されて時期の順で見ると、後拾遺和歌集と詞花和歌集の間に、金葉和歌集があります。しかし金葉和歌集には、筑波山(つくばやま)、筑波嶺(つくばね)を歌った歌は収録されていないので、このシリーズでは金葉和歌集には触れません。






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(3)拾遺和歌集

拾遺和歌集は、先に紹介した、古今和歌集、後撰和歌集に次ぐ、3番目の勅撰和歌集です。
(古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集の3つは『三代集』とも呼ばれているとのこと(文献1)

一条天皇の時代、花山院が親撰した和歌集で、『寛弘年間の所産ということになり』(文献1)とのこと。
寛弘年間とは1004年~1012年頃。完成はその頃のようですが、はっきりは分からないようです。

さて、この拾遺和歌集にも、『筑波山・筑波嶺』を歌った和歌が、一首、選ばれていますキラキラ

拾遺和歌集 627番 詠み人知らず:

音に聞く人に心をつくばねのみねど恋しき君にもある哉(かな)


文献1の解説によると、歌の意味は
評判ばかり聞く人に思いをかけて、筑波嶺の峰ではないが、逢い見たこともないけれども、恋しく思われるあなたであることだ
とのこと。
(同じシリーズでも文献1の拾遺和歌集の歌の訳はとても分かりやすい気がします笑

『つくばねのみねど』が、ダブルのかけことばになっていて、
その前の『心を』と繋がって、『心を付く』
その後の『恋しき』に繋がって、『嶺ど恋しき』 → 『見ねど恋しき』
と、『巧いこと言うねぇ!』という歌なのですグッド

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
素敵な噂を聞いて、妄想 想いが膨らんで、逢ったこともない人に恋している歌です。
現代と違って、写真もテレビもインターネットももちろんない時代、人の噂で恋する人もとても多かったのでしょうねハート

(写真は石岡方面から見た筑波山。男体山に女体山が寄り添っているように見えますよねハート 2021年3月撮影)







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(4)後拾遺和歌集

後拾遺和歌集は、拾遺和歌集の後に編纂された、4番目の勅撰和歌集。
白河天皇の勅命で、藤原通俊が選者。応徳3年(1086年)に完成。

後拾遺和歌集では、筑波山・筑波嶺を歌った和歌はありませんが、の最後の方に、『筑波嶺』が出てきます。
その部分を抜粋しますと・・・、

 

・・・菅(すが)の根の長き秋の夜、筑波嶺のつくづくと、白糸の思ひ乱れつゝ、三年(みとせ)になりぬれば・・・ (抜粋)

 ※ 『筑波嶺つくづくと』は、文献1では、『づく』が繰り返しの『〲』になっていますが、
横書きのフォントがないので、当ブログでは『づく』とひらがな書きにしています。

文献2によると、
 ・『菅の根』: 『長き』の序詞
 ・『筑波嶺』: 『つくづくと』を起こす序詞
 ・『白糸の』: 『乱れ』を起こす序詞

序詞(じょし、じょことば)とは、枕詞にも似て、あることばを導くための表現。
序詞を使って、叙情的に雅びに表現してるのですね♪ 

『菅の根』、『白糸』という一般名詞に混じって、『筑波嶺』は堂々の固有名詞! さすが歌枕の地グッド

植物の管(すが、すげ)は、カヤツリグサ科スゲ属の総称で、種類もとても多いそうです。
和歌に出てくる菅は、具体的にどれを指すのか分かりませんが…というか、細い葉で茂るの草の総称のように思います。

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
茅葺屋根の『茅(かや)』も、『古くから屋根材や飼肥料などに利用されてきた、イネ科あるいはイネ科およびカヤツリグサ科の草本の総称である(wikipediaより)』

写真は、筑波山梅林の展望四阿(あずまや)の屋根。2021年3月撮影。
筑波山麓の茅葺屋根『筑波流』で葺かれています。








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(5)詞花和歌集

八代集の六番目の勅撰和歌集。天養元年(1144年)に崇徳院が下命し、藤原顕輔が撰者。
仁平元年(1151年)に完成。

こちらには『筑波山・筑波嶺』の歌が2首、収められていますが、どちらも大変興味深いのです!びっくり

① 164番 能因法師 : 君が世は白雲かゝる筑波嶺のみねのつゞきの海となるまで

② 373番 太皇太后宮肥後: 筑波山(つくばやま)ふかくうれしと思ふかな浜名(はまな)の橋にわたす心を

具体的に見ていきましょう笑


*******

① 詞花和歌集164番 能因法師:

長元八年宇治前太政大臣家歌合によめる

君が世は白雲かゝる筑波嶺のみねのつゞきの海となるまで


歌合せの会で 『寿ぐ』 歌と言うことで、歌われたとのこと(文献2)。

まるで、『君が代』の詞を彷彿させる和歌ですよね!!

『君が代』の歌詞の元は、

古今和歌集 賀歌 343番 詠み人知らず:
 わが君は 千世にやちよに さざれいしのいはほとなりて こけのむすまで


で、やはり寿ぎの場で歌われた歌とのこと。

古今和歌集の仮名序の(→ 八代集に収められている筑波山の歌~(1)古今和歌集にある筑波山)の
…さざれ石にたとへ 筑波山にかけて君を願ひ 喜び身に過ぎ …
でも、『さざれ石』 と 『筑波山』が 並んで語られていますし、やはり『筑波山』は長久を表す山と云えましょうグッド。 

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
地理的に見ても、筑波山系は霞ヶ浦に続くように連なっていて、現在の霞ケ浦は、昔は海(内海)でしたから、
まさしく、この歌のように『筑波嶺のみねのつゞき』は『海となる』までは事実なわけですちょき

写真は筑波山山頂(女体山山頂)から霞ケ浦を望む。
(2018年8月撮影)



八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
そしてこちらの写真は、昔は『雄龍岩』と呼ばれ、その尾は霞ケ浦まで続くと言われていた蝦蟇石。
(2018年8月撮影)


作者の能因法師(988年 - 1050年​もしくは1058年)は、平安時代中期の僧侶・歌人。
中古三十六歌仙の一人。奥州をはじめ諸国を旅して各地の歌を作った旅の歌人。

小倉百人一首『嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり』の作者でもあります。
鎌倉時代の説話集『古今著聞集』にも、歌人としてのすごいこだわりを伝える面白い逸話が伝わる人物。



筑波山・筑波嶺は、寿ぎの地でもあり、和歌にも歌われている!

しかもその歌は『君が代』の歌詞と酷似の詞で、
百人一首にも選ばれている有名歌人の能因法師が詠っているのです!

!

これももっと知られてい良いと思いますし、もっともっと宣伝すべきだと思いますグッド

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
(霞ヶ浦湖上から筑波山系を望む。2013年5月撮影)

能因法師が詠った筑波山・筑波嶺の歌は、この八代集の八つの勅撰和歌集以外にもあるので、
それも機会があったら見ていきたいと思ってます笑






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② 詞花和歌集 373番 太皇太后宮肥後

藤原実宗常陸の介に侍ける時、大蔵省の使(つかひ)どもきびしく責めければ、
卿匡房にいひて侍りければ、遠江にきりかへて侍れければ、いひつかはしける


筑波山(つくばやま)ふかくうれしと思ふかな浜名(はまな)の橋にわたす心を


藤原実宗が常陸介だったころ、抱えていた常陸国の負債を払えないで、大蔵省か強く返済を迫られて困っていて、
匡房に相談したところ、その負債を遠江国のものとして払ってくれて助かった時に、
感謝して歌った和歌とのこと。

今まで見てきた歌とかなり異色の歌ですが、歌の背景を見ていくと大変興味深く(妄想も膨らみ♪豆電球)、しかもその後の
東国の歴史にも関わってくることにも繋がるのです!

作者は、太皇太后宮肥後という女性。
関白藤原師実家に30余年仕え、その後、白河天皇の皇女の令子内親王(太皇太后宮)に仕え、勅撰集にはなんと50首入っており、家集『肥後集』も伝わる代表的な女流歌人。肥後守藤原定成の娘で、夫は常陸介だった藤原実宗。

当時の女性は、本名が残っている人は少なく、この歌の作者も、父親の肥後守藤原定成の職業から『肥後』と呼ばれ、
その後、夫の職業の『常陸介』からか『常陸』の名でも歌を詠んでいます(文献4、5)。

常陸介だった藤原実宗の代わりに、奥さんが感謝の和歌を作って贈ったわけですが、
奥様が代表的歌人ならば、感謝の意の和歌もお手のもの。
逆に歌人としての腕の見せどころだったかもしれませんグッド

この歌には、常陸国の『筑波山(つくばやま)』と、遠江国の『浜名(はまな)の橋』2つの歌枕の地を読み込まれています。

『浜名の橋』は、現在の浜名湖付近にあった橋で、京や西国から東国に行くときに必ず通る場所。

だたならぬ(?)状況で歌った歌汗なわけですが、この歌には『藤原実宗常陸の介に侍ける時、大蔵省の使(つかひ)どもきびしく責めければ、卿匡房にいひて侍りければ、遠江にきりかへて侍れければ、いひつかはしける
という説明が書かれているので、それを基に調べてみると、大変興味深いことが分かってきました豆電球

まず、『藤原実宗常陸の介に侍ける時』の『藤原実宗』は、作者の肥後の夫であることは書きました。

そして、『卿匡房』は、大蔵卿の大江匡房(まさふさ)。1041年~1111年。権中納言、太宰権帥。後三条・白河・堀河帝の侍読(天皇に教える学者)。 多くの著作・詩文も残す歌人でもあります。
鳥羽天皇の天永2年(1111年)、大蔵卿に遷任されるが同年薨去。享年71とのこと(wikipediaより)。

つまりこの和歌が作られたは状況を、無理やり現代に置き換えますと(細かいことは無視して)、

茨城県知事が国からの負債を払えないで財務省から督促されて困り果てていたところを、
財務大臣が静岡県の負債に切り替えてくれて助かったので、茨城県知事の奥さんで有名な歌人(つまりアーティスト)が
感謝の意を込めて歌った和歌。びっくり

ということでしょうか。

…すごいシチュエーション…汗
そして、肩代わりさせられた遠江国守はどうしたんでしょう? (財力があったのか?)

そして、大江匡房は大蔵卿なったその年に71歳で亡くなっています。借金を切り替えたのは、大江匡房が亡くなる直前??
大江匡房、体調不調だったりして、判断力あったのか?

太皇太后宮肥後のお礼の歌を、ちゃんと大江匡房は読むことが出来たのか??

頭の中は妄想が渦巻きまくりです!(笑)。

さてさて、ラッキーな藤原実宗さん。
こちらも調べると、すごいことになります!!

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
常陸介になった実宗は、常陸国伊佐荘(現在の筑西市中館)に住み、常陸伊佐城の元になる居城を構えます。
実宗から5代目の朝宗は、源頼朝の奥州征討に加わり、戦功を上げ、陸奥伊達郡を与えられて伊達氏を名乗ります。
…そうです、あの伊達氏の祖です!
 
 参考: 茨城県教育委員会HP 『伊佐城阯』

(写真は筑西市船玉古墳付近から撮った筑波山。2011年10月撮影)


つまり、その後の常陸国の歴史も、伊達氏が生まれて奥州の覇者になったのも、大蔵卿だった大江匡房が、
常陸国の借金を、遠江国に肩代わりさせてくれたお陰!? と言っていい位でしょうキラキラ

逆に大江匡房の措置が無かったら、その後の日本の、特に東日本の歴史はかなり大きく変わっていた可能性が高いわけですびっくり

そういう観点から、もう一度、
筑波山(つくばやま)ふかくうれしと思ふかな浜名(はまな)の橋にわたす心を
の歌を味わってみましょう。


…うーん、歴史は深い。


さて、文献3の解説には書かれていないのですが、肥後ほどの実力のある歌人キラキラ
もっと懸けていることばも暗喩もあるように私は思っています。

例えば、

① 『筑波山ふかくうれし…』の『ふかく』は、その前の『筑波山』と後の『うれし』の二つに懸かり、
『筑波山ふかく(山深い)』と『ふかくうれし(大変うれしい)』…つまり、『筑波山』があるから、
『ふかく』という言葉を選んでいるのでは?

② 遠江国にある歌枕『(浜名)橋』を歌に詠みこみたいために、『(感謝を)届けたい』を『渡す』と表現した。

③ 『浜名の橋』は、現在の浜名湖付近にあった橋で、東国と西国を繋ぐ要所の橋。
  災害でよく流されていたと云い(文献3)、事実 室町時代 年の津波で地形が変わって現在の浜名湖が出来たと云います。
  そんな、壊れやすいけれど大事な橋、『常陸国の負債を遠江国の負債に切り替えた』という危く(?)難しい対応ことをやってくれた
  ことに対する感謝が、『浜名の橋にわたす心を』で表しているのではないか?


あと、もしかすると古今和歌集1095番(常陸歌)
 : 筑波嶺の このもかのもに 陰はあれど 君がみかげにますかげはなし
豆電球詳細 → 八代集に収められている筑波山の歌~(1)古今和歌集にある筑波山

あたりも、作者の肥後の頭にあったのではないかと私は思いますにこにこ
この場合の『君』は、大蔵卿大江匡房であり、事実上肩代わりしてくれる遠江国守で。

そうすると、常陸介からの感謝を歌うとしたら、やはり『筑波山』は絶対に使いたいことばなわけで(^^)


素人の私にはこれ位しか分かりませんが、専門家だと何かもっと懸けていることや、暗喩も分かるのかもしれませんね。
こうやって考えると、歌・和歌も大変深いですね…。


とにかく、筑波山付近に住む我々は歴史の妙を感じながら、感謝して、浜名湖の鰻や浜名湖名物うなぎパイ
を食べないといけませんね(^^)。

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
という訳で、冒頭にも掲げたこの写真は、

つくば土産の、筑波山の形のクッキーと、ご存じ浜名湖名物 うなぎパイ。

うなぎパイを、『浜名橋』に見立てておりますちょき


太皇太后宮肥後の和歌
筑波山(つくばやま)ふかくうれしと思ふかな浜名(はまな)の橋にわたす心を

を表した現代お菓子の図。
こんなことしたのは、私ぐらいでしょう(笑)グッド

もちろん、撮影後は美味しく頂きました♪





【おまけ】

この歌が歌われた頃(1111年頃 平安後期)の筑波山麓の様子を見てみると、常陸平氏の全盛期
平致幹が東城寺に経塚を納めた頃の10年ちょっと前。
 八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
(東城寺の経塚群 2020年2月撮影)
東城寺(現在の土浦市 )の経塚から発掘された、銅鋳製の経筒には,保安3年(1122)​・天治元年(1124)の年紀と
平致幹の名が刻まれています。(発掘された文物は、国指定重要文化財指定、茨城県指定重要文化財指定)

  詳細: 茨城県教育委員会HP 東城寺経塚群
      茨城県立歴史館HP 東城寺と経塚
 
平致幹の祖父は平維幹、父は平為幹。権勢と財力は、今昔物語にも語られているくらい。
平維幹、為幹について伝わる話についても、以前書いた記事もご覧ください(^^)

   →  豆電球宇治拾遺物語と筑波山麓 ~ 多気の大夫 (前編)
     豆電球宇治拾遺物語と筑波山麓 ~ 多気の大夫 (後編)

八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山
また、北条地区に残る日向廃寺跡。京都の平等院と同じ形式の建築で、 12世紀後半から13世紀初頭に平(多気)義幹(致幹の孫)によって建立されたと言われています(文献6)。 
(写真は、日向廃寺跡。2011年5月撮影)   

更に北条地区に隣接する小田地区の山の花崗岩の崖に彫られた、摩崖仏(小田不動尊)も作風から平安後期の作と考えられるそう。
 小田の摩崖仏(小田不動尊)についても、以前書いた記事も良かったら。
     → 豆電球信仰とジオの意外な関係(3)
~崖の岩に彫られた仏像(磨崖仏)に秘められた歴史と地球ロマン―後篇~



次の勅撰和歌集は千載和歌集と新古今和歌集ですが、残念ながら千載和歌集には『筑波山・筑波嶺』の歌は収められていません。
なので次回は、新古今和歌集に収められた筑波山・筑波嶺の歌を見ていきます。

続きます。

 → 八代集に収められている筑波山の歌~【4】新古今和歌集にある筑波山


************************************
【参考文献】

1.『拾遺和歌集  新日本古典文学大系7』 岩波書店

2.『後拾遺和歌集  新日本古典文学大系8』 岩波書店

3.『金葉和歌集 詞花和歌集  新日本古典文学大系9』 岩波書店

4.『日本古代人名辞典』 阿部猛 編著 東京堂出版

5.『日本女性人名辞典』 日本図書センター

6.茨城県立歴史館 『いばらきの歴史をさぐる』 茨城県立歴史館

7.『八代集総索引 新日本古典文學体系 別巻』 岩波書店

8.『筑波誌 <筑波山神社版>』 杉山友章 著 崙書房
  筑波山を歌った歌・和歌が数多く紹介されています。







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Posted by かるだ もん at 23:06│Comments(0)茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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