2020年09月30日
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(前編)
あの源氏物語に、なんと『筑波山』の名が出てくるのをご存じですか?
源氏物語全五十四帖の中の五十帖目、いわゆる『宇治十帖』の六帖目になる『東屋(あずまや)』の冒頭は、
『筑波山(つくばやま)』
で始まるのです!
舞台は京の宇治。
なのになぜ遠い常陸国の筑波山(つくばやま)の名が出てくるのでしょう?
1.『筑波山』が出てくる前後のストーリー
実は私は、正直言って源氏物語には、ど~~~しても気持ちが入り込めないのですが
、
『筑波山』の名が出てくるなら、話は別です
。
状況説明のため、『東屋』の前の四十九帖(宇治十帖の五帖)『宿木』と、五十帖(宇治十帖の六帖)『東屋』帖の最初の方だけ、
さくさくと読んで
、あらすじを書きます。
【あらすじ】
源氏物語の最後の十帖「宇治十帖」では、宇治が舞台で、主人公は薫君(かおるのきみ)と匂宮(におうのみや)です。
薫君は、光源氏の親友の頭中将の息子だけど、実は光源氏の息子である疑いが濃厚…
。
匂宮は、光源氏の孫。
そしてこの二人はほぼ同じ年齢(つまり光源氏があちこちで…以下自粛(笑))。
で、同じ浮舟という女性を好きになってしまう
。
浮舟と呼ばれる女性が登場するのは、『宿木』の帖からです。

(写真は、2013年2月の石岡市まちかど情報センターの『いしおか雛巡り』展示のひな人形です。
テーマは『源氏物語』でした
)
浮舟は、中級貴族の娘ですが、とても美しい
。
父(養父)は、垢ぬけないけれど、金持ちで羽振りの良い常陸介。
だから(父親のお金目当てもあって)貴族の男たちが言い寄るのですが、その美しさゆえに、超~高級貴族の薫君や匂宮も目を付けます
。

最初に浮舟を見初めた
のは薫君。
薫君は偶然、浮舟を見かけます。
そして、思いを寄せていた今は亡き大宮(おおいみや・八の宮の長女)にそっくりな浮舟に心惹かれ、忘れられなくなります。
そっくりなはず、浮舟は大宮の異母妹。
ここまでが『宿木』の帖。
浮舟に心惹かれる薫君ですが、『自分のような超~身分の高い人間が、身分が下の娘(浮舟)に言い寄るのは、世間体が悪い』と
グダグダ悩みます(^^;)。
この煮え切らない薫君の気持から、『東屋』帖は始まります。
そしてその『東屋』の冒頭のことばが
『筑波山(つくばやま)』
なのです
。
【原文】東屋
筑波山を分け見まほしき御心はありながら、端山の繁りまであながちに思ひ入らむも 、
いと 人聞き軽々しう、かたはらいたかるべきほどなれば、思し憚りて、御消息をだにえ伝へさせたまはず。
文献1(「源氏物語 七」 新潮日本古典集成) によると、この意味は、
『(薫は)筑波山に分け入って、よく見たいお気持ちもありながら、そんな端山(はやま)の繁みまでむやみに熱心になるのも、
全く人に聞かれても、身分にふさわしからぬ見苦しい振舞と思われそうな相手の分際なので、[思いはばかって] お手紙も
お取り次がせになれないでいる』
※[ ] 内は私が追加しました。
つまり、
薫は、(浮舟に)会いたい気持ちはあるけれど、端山(里の山)の繁み(=身分の低い娘)にまで 恋心を持っているというを、
人に知られたら、軽々しいアホ男と思われちゃってなんだかなぁ
と思いはばかって、手紙さえも届けられなかった。
・・・ということで、薫君の態度にイラッ
とするのを置いておいて(笑)、
注目すべきは、この『東屋』の帖の冒頭は
『筑波山(つくばやま)』
で始まることなのです!
でもなぜ、ここでいきなり何の断りもなしに、『筑波山』で始まるのでしょうか?
2.平安貴族のハートをつかむパワーワード『筑波山』
実はこれは、有名な歌人(三十六歌仙の一人)源重之の歌
『筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり』
(つくばやま はやま しげやま しげけれど おもひいるには さはらざりけり)
が背景にあります。
しかしこの歌自体は源氏物語の中では直接書かれていません。
『引歌』というそうですが、有名な歌を引用する(想起させる)形で、
作者の紫式部は、登場人物の気持ちをつづっているわけです。
つまり、有名な源重之の歌にある『つくばやま(筑波山)』
が、薫の苦悩を語る『つかみの一言』なのです
。
源重之の詠んだ歌の意味は、
『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
つまり、『(身分の違いなど)何の障害でもありません!』
オリジナルの源重之の歌はカッコイイ!
でも悲しいかな、この歌のように薫君は言えないのです…世間体ってヤツで
。
そんな煮え切らないオトコ
の恋心の葛藤をも、
雅び
に伝えるためのパワーワードが、
『筑波山』
という地名(歌枕)。
これが『東屋』の帖の冒頭で出てきて、読者の平安貴族の皆様はハートをガッツリ
わしづかみにされるわけです。
つくばやま(筑波山)、ただ者ではありません
3.源重之の筑波山の歌
では、当時の平安貴族の常識でもあるらしい、この源重之の歌について、もう少し見ていきましょう。
源氏物語に『筑波山』の名が出る元となった源重之の歌
筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり
は、『新古今和歌集』 第十一 戀歌一(文献2、3) にある歌です。
源重之は、平安時代中期の貴族・歌人で、三十六歌仙(※)の一人。
百人一首の48番『風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな』 を詠った歌人でもあります。
『筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり』
意味:『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
平安時代、遠い京の都の人にとっては、辺境の地の常陸国にある『山深い』イメージだったのは想像に難くない。
一方、『筑波山 つくばやま』は、古く万葉の時代から男女が集まる『かがい(歌垣)』の地=『恋の山』としても知られていました。
(平安時代の更に昔、奈良時代に編纂された万葉集に、筑波山は、25首、歌に詠まれています
)
筑波山は、『恋の山』としてのイマジネーションを掻き立てられる地名(歌枕)の地。
だから『草木が茂っていても、山深くても、恋の道には何の障害にもならない』
と、三十六歌仙にも選ばれている源重之にも詠われたのでしょう
。
それゆえ、当時の貴族の超~人気小説『源氏物語』にも、引歌として『筑波山』を歌う和歌が引用されたのでしょう。
源氏物語に『筑波山』の名が出てくる事実は、もっと知られるべきです!
※ ちなみに、筑波山神社にも三十六歌仙の額があります♪
狩野采女(後の 狩野探幽)画。三十六歌仙のうち34人の歌仙の絵図が残っています。
そこにも源重之の姿絵もあります。
実はこの歌、本ブログでも多く引用している、江戸時代中期に書かれたガイドブック『筑波山名跡誌』の最初にも、紹介されています。
つまり、昔から教養人には知られた歌だった。
だから、現代でも、もっと知られても良い歌ですよね。

なお、 「つくばやま はやましげやま しげけれど」 の描く情景ですが、
私は、これは、国府のあった石岡から八郷を越えて、筑波山中腹あたりにあったかがいの地(裳萩津)に行く時の景色ではないかと思います。
つまり、「はやましげやま」は、石岡市八郷地区の山並みではないかと、私は個人的に思っています。
(写真は、八郷地区、茨城県フラワーパーク付近の景色。2016年11月撮影)

八郷地区から筑波山を望む。2016年11月撮影
後編は、源重之の筑波山の歌の本歌かもしれない?歌 のことや、
源氏物語が書かれた時代の、筑波山麓の様子など、見ていきます
次回につづく
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
**********************************************
【参考文献】
1.「源氏物語 七」 新潮日本古典集成<新装版> i石田穣二・清水好子 校注 新潮社
2.「新訂 新古今和歌集」 ワイド版岩波文庫115 佐佐木信綱 校訂 岩波書店
3.「新古今和歌集 下」 新潮日本古典集成<新装版> 久保田淳 校注 新潮社
「日本国語大辞典」 第2板 9巻 小学館
「古事類苑 樂舞部 一」 吉川弘文館
※
古事類苑については、国際日本文化研究センターのWEBサイトのデータベースのページ
http://db.nichibun.ac.jp/pc1/ja/
で全文を見ることが出来ます。
あの源氏物語に、なんと『筑波山』の名が出てくるのをご存じですか?
源氏物語全五十四帖の中の五十帖目、いわゆる『宇治十帖』の六帖目になる『東屋(あずまや)』の冒頭は、
『筑波山(つくばやま)』
で始まるのです!

舞台は京の宇治。
なのになぜ遠い常陸国の筑波山(つくばやま)の名が出てくるのでしょう?
1.『筑波山』が出てくる前後のストーリー
実は私は、正直言って源氏物語には、ど~~~しても気持ちが入り込めないのですが

『筑波山』の名が出てくるなら、話は別です

状況説明のため、『東屋』の前の四十九帖(宇治十帖の五帖)『宿木』と、五十帖(宇治十帖の六帖)『東屋』帖の最初の方だけ、
さくさくと読んで

【あらすじ】
源氏物語の最後の十帖「宇治十帖」では、宇治が舞台で、主人公は薫君(かおるのきみ)と匂宮(におうのみや)です。
薫君は、光源氏の親友の頭中将の息子だけど、実は光源氏の息子である疑いが濃厚…

匂宮は、光源氏の孫。
そしてこの二人はほぼ同じ年齢(つまり光源氏があちこちで…以下自粛(笑))。
で、同じ浮舟という女性を好きになってしまう

浮舟と呼ばれる女性が登場するのは、『宿木』の帖からです。
(写真は、2013年2月の石岡市まちかど情報センターの『いしおか雛巡り』展示のひな人形です。
テーマは『源氏物語』でした

浮舟は、中級貴族の娘ですが、とても美しい

父(養父)は、垢ぬけないけれど、金持ちで羽振りの良い常陸介。
だから(父親のお金目当てもあって)貴族の男たちが言い寄るのですが、その美しさゆえに、超~高級貴族の薫君や匂宮も目を付けます

最初に浮舟を見初めた

薫君は偶然、浮舟を見かけます。
そして、思いを寄せていた今は亡き大宮(おおいみや・八の宮の長女)にそっくりな浮舟に心惹かれ、忘れられなくなります。
そっくりなはず、浮舟は大宮の異母妹。
ここまでが『宿木』の帖。
浮舟に心惹かれる薫君ですが、『自分のような超~身分の高い人間が、身分が下の娘(浮舟)に言い寄るのは、世間体が悪い』と
グダグダ悩みます(^^;)。
この煮え切らない薫君の気持から、『東屋』帖は始まります。
そしてその『東屋』の冒頭のことばが
『筑波山(つくばやま)』
なのです

【原文】東屋
筑波山を分け見まほしき御心はありながら、端山の繁りまであながちに思ひ入らむも 、
いと 人聞き軽々しう、かたはらいたかるべきほどなれば、思し憚りて、御消息をだにえ伝へさせたまはず。
文献1(「源氏物語 七」 新潮日本古典集成) によると、この意味は、
『(薫は)筑波山に分け入って、よく見たいお気持ちもありながら、そんな端山(はやま)の繁みまでむやみに熱心になるのも、
全く人に聞かれても、身分にふさわしからぬ見苦しい振舞と思われそうな相手の分際なので、[思いはばかって] お手紙も
お取り次がせになれないでいる』
※[ ] 内は私が追加しました。
つまり、
薫は、(浮舟に)会いたい気持ちはあるけれど、端山(里の山)の繁み(=身分の低い娘)にまで 恋心を持っているというを、
人に知られたら、軽々しいアホ男と思われちゃってなんだかなぁ

・・・ということで、薫君の態度にイラッ

注目すべきは、この『東屋』の帖の冒頭は
『筑波山(つくばやま)』
で始まることなのです!
でもなぜ、ここでいきなり何の断りもなしに、『筑波山』で始まるのでしょうか?
2.平安貴族のハートをつかむパワーワード『筑波山』
実はこれは、有名な歌人(三十六歌仙の一人)源重之の歌
『筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり』
(つくばやま はやま しげやま しげけれど おもひいるには さはらざりけり)
が背景にあります。
しかしこの歌自体は源氏物語の中では直接書かれていません。
『引歌』というそうですが、有名な歌を引用する(想起させる)形で、
作者の紫式部は、登場人物の気持ちをつづっているわけです。
つまり、有名な源重之の歌にある『つくばやま(筑波山)』
が、薫の苦悩を語る『つかみの一言』なのです

源重之の詠んだ歌の意味は、
『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
つまり、『(身分の違いなど)何の障害でもありません!』
オリジナルの源重之の歌はカッコイイ!

でも悲しいかな、この歌のように薫君は言えないのです…世間体ってヤツで

そんな煮え切らないオトコ



『筑波山』
という地名(歌枕)。
これが『東屋』の帖の冒頭で出てきて、読者の平安貴族の皆様はハートをガッツリ

わしづかみにされるわけです。
つくばやま(筑波山)、ただ者ではありません

3.源重之の筑波山の歌
では、当時の平安貴族の常識でもあるらしい、この源重之の歌について、もう少し見ていきましょう。
源氏物語に『筑波山』の名が出る元となった源重之の歌
筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり
は、『新古今和歌集』 第十一 戀歌一(文献2、3) にある歌です。
源重之は、平安時代中期の貴族・歌人で、三十六歌仙(※)の一人。
百人一首の48番『風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな』 を詠った歌人でもあります。
『筑波山 端山繁山しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり』
意味:『筑波山の端山(近くの小さな山)も、茂る樹々や草も、あなたを思う気持ちには、なんの障害にもなりません』
平安時代、遠い京の都の人にとっては、辺境の地の常陸国にある『山深い』イメージだったのは想像に難くない。
一方、『筑波山 つくばやま』は、古く万葉の時代から男女が集まる『かがい(歌垣)』の地=『恋の山』としても知られていました。
(平安時代の更に昔、奈良時代に編纂された万葉集に、筑波山は、25首、歌に詠まれています



だから『草木が茂っていても、山深くても、恋の道には何の障害にもならない』
と、三十六歌仙にも選ばれている源重之にも詠われたのでしょう

それゆえ、当時の貴族の超~人気小説『源氏物語』にも、引歌として『筑波山』を歌う和歌が引用されたのでしょう。
源氏物語に『筑波山』の名が出てくる事実は、もっと知られるべきです!
※ ちなみに、筑波山神社にも三十六歌仙の額があります♪
狩野采女(後の 狩野探幽)画。三十六歌仙のうち34人の歌仙の絵図が残っています。
そこにも源重之の姿絵もあります。
実はこの歌、本ブログでも多く引用している、江戸時代中期に書かれたガイドブック『筑波山名跡誌』の最初にも、紹介されています。
つまり、昔から教養人には知られた歌だった。
だから、現代でも、もっと知られても良い歌ですよね。

なお、 「つくばやま はやましげやま しげけれど」 の描く情景ですが、
私は、これは、国府のあった石岡から八郷を越えて、筑波山中腹あたりにあったかがいの地(裳萩津)に行く時の景色ではないかと思います。
つまり、「はやましげやま」は、石岡市八郷地区の山並みではないかと、私は個人的に思っています。
(写真は、八郷地区、茨城県フラワーパーク付近の景色。2016年11月撮影)

八郷地区から筑波山を望む。2016年11月撮影
後編は、源重之の筑波山の歌の本歌かもしれない?歌 のことや、
源氏物語が書かれた時代の、筑波山麓の様子など、見ていきます

次回につづく
→ 源氏物語と筑波山~平安貴族のハートをつかむ地名(後編)
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【参考文献】
1.「源氏物語 七」 新潮日本古典集成<新装版> i石田穣二・清水好子 校注 新潮社
2.「新訂 新古今和歌集」 ワイド版岩波文庫115 佐佐木信綱 校訂 岩波書店
3.「新古今和歌集 下」 新潮日本古典集成<新装版> 久保田淳 校注 新潮社
「日本国語大辞典」 第2板 9巻 小学館
「古事類苑 樂舞部 一」 吉川弘文館
※

http://db.nichibun.ac.jp/pc1/ja/
で全文を見ることが出来ます。
Posted by かるだ もん at 21:56│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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