シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居


江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)

今までのお話
豆電球シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
豆電球シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
豆電球 シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
豆電球 シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)

久しぶりの更新です。
第8回は、『一の鳥居』です。

筑波山名跡誌にもその名が書かれている『一の鳥居』
北条~神郡~臼井~筑波山神社をまっすぐ通る『つくば道』の途中にある、石造りの鳥居です。
別名、『六丁目の鳥居』とも呼ばれます。

春と秋の御座替祭では、鳥居そばに御仮屋が建てられ、そこに安置されいた大神輿と、筑波山頂を巡ってきた小神輿と、半年間山頂にあった『神衣』を運んできた櫃が御仮屋の中に入り、周りが覆われて外からは見えない状態で神事が行われます。
その後、関係者による大人数の行列で筑波山神社に向かう『神幸祭』が、この一の鳥居から出発します。


シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
春の御座替祭の時の一の鳥居(2017年4月撮影)

豆電球御座替祭の神幸祭の様子については、以前書いた記事も良かったら♪
  → 筑波山神社 春の御座替神事(神幸祭) 2017







シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
ちなみにこちらは、緑濃い季節の頃の一の鳥居(2014年9月撮影)



参詣路である つくば道は、臼井の集落からは筑波山神社まで急な坂道が続きますが、この一の鳥居からはさらに道が急になり、最後の方は階段となっていきます。


 

現在の石鳥居は、宝暦9年(1759)、再建されたものとのこと。
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
『一の鳥居』の説明の看板

宝暦13年11月(1763)に、嵯峨宮の御染筆の『天地開闢筑波神社』と書かれた勅願が、明治になるまで掲げられていたといいます。


さて、この一の鳥居の近くに、一つの台座が残っています。
これは、江戸時代までここに立っていた1体の仁王像(金剛力士像)のものです。



シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
写真の中に白い枠の部分がそうです(2014年9月撮影)









シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
こちらは2017年春の御座替祭の時に撮影。

お神輿が安置される御仮屋のそばに、仁王像の台座だった石があります。







シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
アップにすると。

像の足が取り付けられていた後の孔がありますね。

筑波山名跡誌には、『一人仁王』(筑波の一王と呼ばれることもあるよう?)と呼ばれた、この一体の「吽形(うんぎょう)」の銅製の仁王像にまつわる話が書かれ、江戸中期の絵図(文献 )にもこの鳥居の脇に、それらしい1体の像が描かれています。




ここにどんな像が建っていたのでしょうか?

なんと!この台座に立っていた青銅製の仁王像(金剛力士像)は、現在、明治の廃仏毀釈の際に移動されて、現在は東京・文京区の護国寺の境内に祀られています。

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
こちらが、その仁王像です!(2014年5月撮影)
筋肉ムキムキですキラキラ

先に紹介した鳥居のそばに、この像がすっくと立って、こちらを睨んでいると想像してみてください♪








シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
後ろ姿はこちら♪ (2016年12月撮影)

古の人々は、この背中を見ながら、山から下りてきて、一の鳥居をくぐって下山していったのですね笑


この『一人仁王』にまつわる伝説が面白い!。
その伝説と、現在の護国寺にある様子については、以前詳しく書きましたので、そちらをお読み頂けると幸いです。

 豆電球消えた筑波山の「お宝」を巡って!(後編)  

 豆電球元々は筑波山にあった、東京・護国寺の瑜祇(ゆぎ)塔

さて、他にも、この一の鳥居の近くには、

天明2年(1782年)に建てられた、服部嵐雪(松尾芭蕉門下、十哲の一人)の句碑
雪は まうさず まず むらさきの筑波山

文政10年(1827年)に建てられた、27世木村庄之助の句碑
西東 山の錦や はなすまひ

があります。

どちらも、この地を訪れた際に読まれた句だそうで、二つとも古びて雰囲気のある石碑です。


この一の鳥居付近は、江戸時代、旅籠、茶屋などが立ち並んで、大変賑わったと言います。
江戸時代の絵図にも、この道沿いに建物が続いている様子が描かれています。

今は、懐かしい雰囲気を残す静かな住宅街ですが、当時に思いを馳せながら、この参道を登って参拝するのも良いものです(^^)

でも、現在もこの一の鳥居に、筋肉ムキムキの一人仁王様が立っていたら、この急な坂を登っていく気合いを入れてくれるだろうなぁグッド


→ このシリーズ、ぼちぼち続きます♪


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【参考文献】

1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説  筑波書林

2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
   p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』

3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
   p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
   元禄七年(1694年)

4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
   p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し

5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行




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Posted by かるだ もん at 23:53│Comments(0)茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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