2018年01月05日
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(後編)
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
前回のお話
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
④『観流庵』の場所候補を2か所想定してみる
前回書いた検討から、観流庵があった場所の候補としては、i以下の2か所想定出来るかと考えます。
中禅寺(現 筑波山神社)境内の端あたりから
★候補1: 【左右に男女川ならば】ケーブルカー宮脇駅の西側、大御堂の裏手の共同墓地の奥付近
★候補2: 【西十町余り=約1.1km西ならば】現在の筑波山梅林~フォレストアドベンチャーつくば付近
どちらも、地形的に沢っぼくなっていますので、雰囲気はありますね。
(梅林は現在は梅の木々で整備されていますが、江戸の頃は草木も茂っていたのでしょうか)
しかもどちらも大岩はごろごろで、『禅窟』もありそう。
(ちなみに、これらの大岩は、山頂付近から風化/土石流で転がってきたと考えられる斑レイ岩です)
★候補1★
私の個人的見解としては、やはり『左右に男女川』(文献1)という記述と、『常陸国筑波山縁起 下巻』の絵図(文献5、6)から、
大御堂の裏手の共同墓地の奥付近(ケーブルカー宮脇駅の西側)の男女川の沢
に、観流庵があったのではないかと考えています。
(『十町余』と表現された理由は不明ですが)

(
注意
) 大御堂の裏手の共同墓地の奥は、道は続いていますが、『入山禁止 筑波北警察署』の看板がありますので、この先は行けません。

道の入口から見ても、めっちゃ雰囲気がありますが、入山禁止なので残念ながらここまで。
草木が茂っていて分かりにくいですが、写真の左側は男女川のある沢へ下る斜面になっているのがお分かりかと。

道の反対方向。
共同墓地自体も、斜面を造成して作ったように見えますね。

共同墓地の端にある大岩。
周りには古い石造物(墓?)もあり、古えの雰囲気も漂っています。
この岩の向こうが、男女川の沢のある方向です。
★候補2★
現在の筑波山神社拝殿の『十町余西(約1.1kmあまり西)』という記述(文献1)にこだわってみると、
筑波山梅林付近になります。
(『男女川』のそばではありませんが)

男女川ではありませんが、沢の流れもあります。
(2017年3月上旬撮影)

梅林から筑波山(男体山)を見上げる。
このあたりも大昔の土石流跡だそうです。
(2017年4月下旬撮影)
筑波山梅林については、過去に何度か記事を書いていますので、良かったら。
→ 筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日
→ 筑波山南麓 なごりのヤマザクラと、見頃のヤマツツジ・ヤマブキ

梅林の下に位置するフォレストアドベンチャーつくば
上記にも書きましたが、私個人の見解としては、『観流庵』の場所はここ筑波山梅林ではないと考えますが、こう見ると、もし梅林だったとすると観光的に良かったかも♪ な~んて思っちゃいますね
【おまけ】
観流庵の住人だった修行僧の出身地、隠岐。
島根県の隠岐の島です。
『筑波山名跡誌』(文献1)の『観流庵』の項に、観流庵の住人だった修行僧についての記述があり、
『終焉ちかき頃の歌と見へて かぎりあへば 泊りの磯に住みはてず 霞の浦も春はくれ行(ゆく)。 此歌を按ずるに、泊りの磯は隠岐の国なり』
の一文があります。

写真は、隠岐の島町(島後)の海。
(2017年6月撮影)
『泊りの磯』は分からないのですが、一般に『泊』の地名は港である(あった)場所を指すことが多いと云いますので、隠岐島のどこかの港ではないかと想像します。
昔から、隠岐は日本海交易の拠点として栄えていたそうなので、筑波山名跡誌や、同書が引用している宗祇諸国物語が書かれた(室町後期?) ~江戸中期の頃、『泊りの磯』は隠岐の国の地名だと知られていたのかもしれませんね。
ちなみに後醍醐天皇や後鳥羽上皇が流されたのは、島前の島の方(隠岐島はいくつかの島々で構成されています)です。
こんな遠くの島から筑波山まで来て修行して一生を終えられたのですね。
感無量です。
ちなみに、昔の流罪の刑で最も重い刑『遠流(おんる)』の地は、
伊豆,安房,常陸,佐渡,隠岐,土佐の6国
だそうで、遠流の地つながりでもある…^^;。
また偶然ですが、隠岐島は、ユネスコによって世界ジオパークに認定されています。
筑波山地域は、日本ジオパーク認定。ジオパーク繋がりでもありますね♪
(『世界』までにはかなり遠そうですが^^;)
このシリーズ続きます。お楽しみに
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
*****************************************************************************************
【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『筑波山麓フットパス 筑波山口~筑波山神社』マップ つくば市 発行
3.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
4.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』 日本地図センター 発行
5.『筑波山 ―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
6.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』 筑波山神社 発行
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
前回のお話
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
④『観流庵』の場所候補を2か所想定してみる
前回書いた検討から、観流庵があった場所の候補としては、i以下の2か所想定出来るかと考えます。
中禅寺(現 筑波山神社)境内の端あたりから
★候補1: 【左右に男女川ならば】ケーブルカー宮脇駅の西側、大御堂の裏手の共同墓地の奥付近
★候補2: 【西十町余り=約1.1km西ならば】現在の筑波山梅林~フォレストアドベンチャーつくば付近
どちらも、地形的に沢っぼくなっていますので、雰囲気はありますね。
(梅林は現在は梅の木々で整備されていますが、江戸の頃は草木も茂っていたのでしょうか)
しかもどちらも大岩はごろごろで、『禅窟』もありそう。
(ちなみに、これらの大岩は、山頂付近から風化/土石流で転がってきたと考えられる斑レイ岩です)
★候補1★
私の個人的見解としては、やはり『左右に男女川』(文献1)という記述と、『常陸国筑波山縁起 下巻』の絵図(文献5、6)から、
大御堂の裏手の共同墓地の奥付近(ケーブルカー宮脇駅の西側)の男女川の沢
に、観流庵があったのではないかと考えています。
(『十町余』と表現された理由は不明ですが)

(



道の入口から見ても、めっちゃ雰囲気がありますが、入山禁止なので残念ながらここまで。
草木が茂っていて分かりにくいですが、写真の左側は男女川のある沢へ下る斜面になっているのがお分かりかと。

道の反対方向。
共同墓地自体も、斜面を造成して作ったように見えますね。

共同墓地の端にある大岩。
周りには古い石造物(墓?)もあり、古えの雰囲気も漂っています。
この岩の向こうが、男女川の沢のある方向です。
★候補2★
現在の筑波山神社拝殿の『十町余西(約1.1kmあまり西)』という記述(文献1)にこだわってみると、
筑波山梅林付近になります。
(『男女川』のそばではありませんが)

男女川ではありませんが、沢の流れもあります。
(2017年3月上旬撮影)

梅林から筑波山(男体山)を見上げる。
このあたりも大昔の土石流跡だそうです。
(2017年4月下旬撮影)

→ 筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日
→ 筑波山南麓 なごりのヤマザクラと、見頃のヤマツツジ・ヤマブキ

梅林の下に位置するフォレストアドベンチャーつくば
上記にも書きましたが、私個人の見解としては、『観流庵』の場所はここ筑波山梅林ではないと考えますが、こう見ると、もし梅林だったとすると観光的に良かったかも♪ な~んて思っちゃいますね

【おまけ】
観流庵の住人だった修行僧の出身地、隠岐。
島根県の隠岐の島です。
『筑波山名跡誌』(文献1)の『観流庵』の項に、観流庵の住人だった修行僧についての記述があり、
『終焉ちかき頃の歌と見へて かぎりあへば 泊りの磯に住みはてず 霞の浦も春はくれ行(ゆく)。 此歌を按ずるに、泊りの磯は隠岐の国なり』
の一文があります。

写真は、隠岐の島町(島後)の海。
(2017年6月撮影)
『泊りの磯』は分からないのですが、一般に『泊』の地名は港である(あった)場所を指すことが多いと云いますので、隠岐島のどこかの港ではないかと想像します。
昔から、隠岐は日本海交易の拠点として栄えていたそうなので、筑波山名跡誌や、同書が引用している宗祇諸国物語が書かれた(室町後期?) ~江戸中期の頃、『泊りの磯』は隠岐の国の地名だと知られていたのかもしれませんね。
ちなみに後醍醐天皇や後鳥羽上皇が流されたのは、島前の島の方(隠岐島はいくつかの島々で構成されています)です。
こんな遠くの島から筑波山まで来て修行して一生を終えられたのですね。
感無量です。
ちなみに、昔の流罪の刑で最も重い刑『遠流(おんる)』の地は、
伊豆,安房,常陸,佐渡,隠岐,土佐の6国
だそうで、遠流の地つながりでもある…^^;。
また偶然ですが、隠岐島は、ユネスコによって世界ジオパークに認定されています。
筑波山地域は、日本ジオパーク認定。ジオパーク繋がりでもありますね♪
(『世界』までにはかなり遠そうですが^^;)
このシリーズ続きます。お楽しみに

→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『筑波山麓フットパス 筑波山口~筑波山神社』マップ つくば市 発行
3.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
4.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』 日本地図センター 発行
5.『筑波山 ―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
6.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』 筑波山神社 発行
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