シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳


江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)


今までのお話
豆電球シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
豆電球 シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2)男女川(水源)
豆電球シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石


第4回の今回は、『亀之岳』についてです。

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳



文献1の『筑波山名跡誌』では、『亀之岳』と書いて『かめがをか』とルビを振っています。

同書によると、
夫女が原の東の方にあり。山の形亀の甲に肖(に)たるゆへに、亀が岳(かめがをか)と名づく
とのこと。
『岳』というと、峻嶮な山を想像しますが、ルビは『をか(おか)』です。

ちなみに、文献2の『筑波山』では、『亀(※)之岡』と記載しています。
(※『亀』の字は、旧字の『龜』)
なお解説内容は、筑波山名跡誌とまったく同じで、筑波山名跡誌の引用だけで終わっています。

さて話を『筑波山名跡誌』に戻しますと、
亀が岳には名産があったとのことで、
此岳蓍(めどぎ)の名産にて・・・
続いて
一株百茎(きやう)の下には必ず亀ありて負うと。依って亀が岳と号すと。一株百茎は稀にして得がたし
とあります。

続いて同書は、

・丹波の亀山と、この亀之岳は、日本蓍の名産で、易の占い師が信用する品
・毎年(旧暦)7月7日の夜、地元の人は、このメドギを採り、夫女石の上に晒し、これを易占い使う


旨が書かれています。

一株百茎の下には必ず亀ありて負う・・・がどういうことを指すのかよく分かりませんが、
たぶん、亀の甲のような地形に密集して茂るメドハギ(=めどぎ)は珍しく、そこに昔の人(特に占い師の世界で)は神秘を感じ、より占いの道具の材料としての格を感じたのかもしれません。

ちなみに、古代は亀の甲を使って占いをしたと言います。
丹波(今の兵庫県東部)の亀山も『亀』の字がありますし、吉祥の動物『亀』に似ている土地というのも、聖なる土地の表れだと、昔の人は感じたのかもしれませんね。


【名産の蓍(めどぎ)とは?】

『蓍(めどぎ)』は、メドハギという植物を指すそうです。
『ハギ』の名がつくので分かる通り、メドハギは、秋に咲く萩(はぎ)の仲間です。

メドハギは、日当たりのよい晴れ草地に生える芽雑草で痩せた土地でも育つそうで、我が家の庭にも、夏になるとメドハギが生えてきます(← 庭が痩せ地ってことですね汗

『蓍(めどぎ)』はまた、メドハギの茎を乾燥させて作った筮竹(易占という占いの道具)のことも指したよう。
なお現在は、占いに使われる筮竹は、一般的は竹製だそうで、竹ひごっぽく見えます。

豆電球筮竹は、長谷川町子原作の『サザエさん』の漫画(アニメでなくて原作の方)にしばしば登場していた町の易者のおじさんの道具として描かれていましたっけ。

豆電球ちなみに『当たるも八卦、当たらぬも八卦』の『八卦』は易占から来た言葉です。

その筮竹の材料として、丹波(現在の兵庫県東部)の亀山と、この筑波山麓『亀之岳』で産する『日本蓍』が、易者の人々に信頼されていた旨と、筑波山名跡誌の著者、上生庵亮盛 は書いています。


【亀之岳(かめがおか)はどこ? 】

文献3の『筑波誌』では、『裳萩津』の項で、
裳萩津(もはぎつ) 又 妹背(いもせ)ヶ原(はら) 夫女原(ぶじょがはら) 亀(かめ※)ケ岡(をか)等の名あり』(※『亀』の字は、旧字の『龜』)
として、前回紹介した夫女原の別名と記載しています。

以上、文献1~3を総合すると、

・夫女ケ原の東にある
・夫女ケ原の別名でもある。→ 夫女ケ原に隣接するか、ほぼ同じエリアか?
・蓍(めどぎ)がたくさん生えている。蓍は筑波山の名産とされた。
・『亀の甲』のような形の丘なので、『かめがおか』と呼ばれたという。
・亀之岳に生えているメドギを、(旧暦)7月7日の夜に刈り取って、夫女石(ぶじょいし/ぶじょがいし)の上で晒したものが、易占に使われたという。

ということのようですね。

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
7月7日の夜、刈ったメドギを晒したという、夫女石。









シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
夫女が原の東は、谷と言いますが、沢になっています。
上流には、古くから修行の場だったという白滝と、不動尊を祀る白滝不動があります。

写真は、夫女ケ原の東側よりも下流の、六所の滝付近。
上流はもっと急な沢になっていると思います。






最初、私は、『岳』という字があてられているのもあり、夫女ヶ原の東側の谷を挟んだ向こうの山(現在はゴルフ場)を、『かめがおか』と呼んでいたのかと思いました。

しかし、刈り取ったメドギを『夫女石の上で晒した』とあります。
そうすると、作業効率からいっても、谷を渡って刈り取ったメドギを運んだとは考えにくい。

やはり、『かめがおか』は夫女が原に隣接するエリア もしくは、夫女が原が含まれる一帯と考えた方が自然だと考えます。

地形図を見ると、夫女が原一帯から東のエリアはゆるくなだらかな尾根になっています。
草原状態ならば、『亀の甲』に見えそう。

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳



上の地図は、筑波山麓フットパスの一部です。
豆電球詳細は、つくば市ホームページでダウンロードできます。
 → つくば市フットパスマップ

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
現在、夫女ケ原一帯は、前回でもふれたように、つくば市の宿泊・学習施設『筑波ふれあいの里』の敷地となってます。

筑波ふれあいの里の敷地内の、長いローラー滑り台があるあたり。
一帯がゆるやかな下り坂の岡だというのがお分かりになるかと。
今は木がたくさん生えていますが、江戸中期の頃は草原だったのですね、きっと。




シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
こちらは、キャンプ場・ロッジがあるあたり。
夫女石の北東にあたります。

私は、たぶんこの辺りから南の、なだらかな下り坂の岡が、
『かめがおか』=亀之岳/亀ケ岡
ではないかとニラんでいます笑






【なぜ、筑波山の蓍(めどぎ)が珍重されたのか?】

さて、蓍(めどぎ)ことメドハギは、日当たりのよい草地でよく見られる雑草。それ自体は珍しい植物でないです。

筑波山名跡誌が書かれた江戸中期、メドハギは珍しい植物だったかどうかは不明ですが、多分、現在と同じく雑草としてよく見られるものではなかったでしょうか。

そうすると、どうして、『筑波山のメドギ』は占いの道具として重宝されたのでしょうか。

理由の1つは、先にも書いた、亀の甲に似た土地に繁茂する姿が珍しいとされたことでしょう。

あともう1つの理由は、ここからは私の想像ですが、前回 の『夫女之原、夫女石』にも書いた様に、

古代から 『筑波山の二神』が現れていると畏敬された聖なる岩 『夫女石』 がカギなのではないかと思います。

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
二つで一つの、夫女石。

その聖なる岩のある土地の近くで採取され、聖なる岩の上で干されたメドギだからこそ、神が宿っているメドギとして尊重されたのではないか。

筑波山名跡誌には、
(旧暦)7月7日の夜に、メドギを採り、夫女石の上に晒したとあります。
7月7日といえば、七夕の節句!キラキラ 

夫婦神のおわす筑波山のふもとにある、夫婦神の姿に似た2つの巨石『夫女石』の上で、七夕の夜に刈られ、一晩置かれた蓍(めどぎ)。

確かに、特別な力を持ちそうです!グッド

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(4)亀之岳
この辺りは、夫女石の他にも、大小の転石がたくさんあります。
筑波山頂付近の斑レイ岩が、風化して割れて大きな石となり、土石流などでここまで落ちてきたと考えられるそうです。








【現代にも復活させて、是非、縁結び占いやグッズに♪】

もし、今もこの一帯でメドギ=メドハギ が採れるとしたら。
夫女が原は、現在は林となっている場所も多く、草地の部分はあまり多くないように見えます。
でも、日当たりのよい草地ならば、メドハギは生えていそう。

そんなメドハギを、七夕の夜に刈って夫女石の上で一晩置いて恋占いや縁結びのグッズとして使えるのではないか♪ハート
と、ちょっと妄想しています(^^)。

 豆電球恋占い・縁結び・・・と言えば、このシリーズ第1回に書いた、男体山山頂そばにある、常陸帯宮 も連想しますね。

おみくじの棒のような使い方でも良いし、クラフト的なチャームを作っても良いしハート
いかがでしょう(^^)v

とりあえず、来年の夏ごろ、うちの庭に生えたメドハギを刈って干して、何か作ってみようかなちょき

続きます♪

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)


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【参考文献】

1. 『筑波山名跡誌 安永期の貴重な地誌再現』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 (ふるさと文庫) 筑波書林 

2. 『筑波山<交通世界社版>』 岩上長作 著 崙書房

3. 『筑波誌 <筑波山神社版>』 杉山友章 著 崙書房

4.『ヤマケイポケットガイド① 野の花』 木原浩 著 山と渓谷社









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