2015年11月03日
【つくばのレトロ建築めぐり5】稲岡・消防団詰所
【つくばのレトロ建築めぐり5】 稲岡 消防団詰所
つくばでも道を車で移動していたり、歩いていたり、ランニングしていたりする時に、ぱっと目に入ってきて、気になる『レトロ建築』を少しずつアップしているシリーズ。
(基本的に 旧公共建築物、お店・病院等の建物です)
→ 「つくばのレトロ建築めぐり1」
「つくばのレトロ建築めぐり2」
「つくばのレトロ建築めぐり3」
「つくばのレトロ建築めぐり4」
前回、西大橋にある木造の火の見櫓を紹介しました。
さて、今回も火の見櫓=消防団つながりで、消防団の詰所らしい建築です。
正直、「レトロ」というより、ある意味微妙な木造建築ですが、見ていて郷愁を感じるので、紹介します。
(5)稲岡 消防団詰所 建物
旧道沿いで、三把稲雷神社の敷地のすぐ隣にあります。
「つくば市消防団 第五分団」とシャッターに大きく書かれたガレージの隣にある木造二階建てです。たぶん、消防団の詰所かなと思います。そばには鉄塔の火の見櫓も。
建築のことは全く疎いのですが、昭和の香りする木造2階建てに感じます。
壁の木の感じ、鄙びたたたずまい。
個人的に好きです。
消防団の詰所の建物も、多くはプレハブだったりセメント壁だったりで、結構味気ない建物が多い中、このような鄙びた木造建築が残っているのは珍しいと思います。
取り壊されてしまわないうちに・・・というお節介な気持ちで紹介しました。
さて、このあたりも、近くには高速のICも出来て、さらに、巨大ショッピングモール・つくばイーオンも出来て、すっかり景色が変わりました。
すぐ近くに鎮座する三把稲雷神社は、小さいながらも非常に古い神社のようです。
名前に「雷」がつくので分かるように、雨乞いの神様として古くから信仰を集めていました。
また、『日待ち』塔の大変古い石造物もあります。
この『日待ち』塔は、脇にある説明石碑によると、日本で二番目に古い!そうです。
(文献1では『日本で一番古い』となっていますが、その後、さらに古いものが見つかったようで、二番目になったのかと思います)
文禄四年(1595年)建立とのこと。
また『日待』信仰とは、説明石碑によると『決められた日の』『翌日の日の出を拝む太陽崇拝に基づくものと考えられます』とのこと。
以前、県立歴史館の方が、
『(証拠はないが)“ 稲岡”という地名もあり、常陸国風土記に出てくる、"筑波の神" を分祀した社も、この地にあったのではないか』
という説を話されているのも聞いたことがあります。
また『三把稲』も、北西方面(※)からくる雷雲のことのようです。
参考:広報古河2011年11月1日号「古河ヒストリー」より
http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/0000000355.html
※雷雲が来る方角は、場所によって微妙に違うかと思いますが、西方面からの雷雲には間違いないと理解しています。
『三把稲雷神社』はその名の通り、西からくる雷雲と雷様を信仰する神社なんですね。
祭神は、三羽征箭富貴神尊(文献「谷田部の歴史」より)
ちなみに、征矢/征箭(そや) とは、『攻撃力の高い鏃を付けた矢』のことで、
『三つ羽の征矢(みつばのそや)』という表現があり、『3枚の矢羽をつけた征矢。また、非常に速いことのたとえにもいう。三つ立ての征矢(goo辞書より)』だそうです。
名前からして、稲光を神格化しているような。
しかも、古くから信仰されていながら、古事記・日本書紀に出てこなさそうな神様の名前というのも、個人的に好み♪
ICやショッピングモールが出来る前は、田んぼや畑に囲まれて、長い参拝道ごと、鬱蒼とした木々に囲まれたお社でした。
鄙びた雰囲気に囲まれて、かなり聖地的雰囲気があった場所です。
しかし今は、その木々もすっかり少なくなり、さっぱりしすぎたというか、社のすぐ後ろに出来た新道(国道6号バイパス)や、圏央道やつくばイーオンやらで、雰囲気も変わりました。
が、この地に宿る長い歴史は変わりませんし、信仰も変わらないで欲しいと思います。
境内にはいくつか石造物があり、『雷神様』と彫られた石造物も、境内の左右2か所にありました。
拝殿から参拝道を望む。
こじんまりとした気持のよいホーリープレイス。
消防団詰所の木造建築の話より、すぐ隣の神社の話が多くなってしまいました
しかしながら、消防団詰所というものは古くからの集落内の人が集まりやすい場所にあり、しかも旧道沿い。
そうするとやはり、集落の氏神様の神社近くに作られているケースが多いように感じます。
稲岡の場合も、由緒ある神社のそばにある、昭和の香りする木造建築です。
続きます。
→ 【つくばのレトロ建築めぐり6】 旧筑波山郵便局
------------------------------------------------
【参考文献】
1. 谷田部の石仏 谷田部町教育委員会
2. 谷田部町史 谷田部町教育委員会
つくばでも道を車で移動していたり、歩いていたり、ランニングしていたりする時に、ぱっと目に入ってきて、気になる『レトロ建築』を少しずつアップしているシリーズ。
(基本的に 旧公共建築物、お店・病院等の建物です)
→ 「つくばのレトロ建築めぐり1」
「つくばのレトロ建築めぐり2」
「つくばのレトロ建築めぐり3」
「つくばのレトロ建築めぐり4」
前回、西大橋にある木造の火の見櫓を紹介しました。
さて、今回も火の見櫓=消防団つながりで、消防団の詰所らしい建築です。
正直、「レトロ」というより、ある意味微妙な木造建築ですが、見ていて郷愁を感じるので、紹介します。
(5)稲岡 消防団詰所 建物
旧道沿いで、三把稲雷神社の敷地のすぐ隣にあります。
「つくば市消防団 第五分団」とシャッターに大きく書かれたガレージの隣にある木造二階建てです。たぶん、消防団の詰所かなと思います。そばには鉄塔の火の見櫓も。
建築のことは全く疎いのですが、昭和の香りする木造2階建てに感じます。
壁の木の感じ、鄙びたたたずまい。
個人的に好きです。
消防団の詰所の建物も、多くはプレハブだったりセメント壁だったりで、結構味気ない建物が多い中、このような鄙びた木造建築が残っているのは珍しいと思います。
取り壊されてしまわないうちに・・・というお節介な気持ちで紹介しました。
さて、このあたりも、近くには高速のICも出来て、さらに、巨大ショッピングモール・つくばイーオンも出来て、すっかり景色が変わりました。
すぐ近くに鎮座する三把稲雷神社は、小さいながらも非常に古い神社のようです。
名前に「雷」がつくので分かるように、雨乞いの神様として古くから信仰を集めていました。
また、『日待ち』塔の大変古い石造物もあります。
この『日待ち』塔は、脇にある説明石碑によると、日本で二番目に古い!そうです。
(文献1では『日本で一番古い』となっていますが、その後、さらに古いものが見つかったようで、二番目になったのかと思います)
文禄四年(1595年)建立とのこと。
また『日待』信仰とは、説明石碑によると『決められた日の』『翌日の日の出を拝む太陽崇拝に基づくものと考えられます』とのこと。
以前、県立歴史館の方が、
『(証拠はないが)“ 稲岡”という地名もあり、常陸国風土記に出てくる、"筑波の神" を分祀した社も、この地にあったのではないか』
という説を話されているのも聞いたことがあります。
また『三把稲』も、北西方面(※)からくる雷雲のことのようです。
参考:広報古河2011年11月1日号「古河ヒストリー」より
http://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/0000000355.html
※雷雲が来る方角は、場所によって微妙に違うかと思いますが、西方面からの雷雲には間違いないと理解しています。
『三把稲雷神社』はその名の通り、西からくる雷雲と雷様を信仰する神社なんですね。
祭神は、三羽征箭富貴神尊(文献「谷田部の歴史」より)
ちなみに、征矢/征箭(そや) とは、『攻撃力の高い鏃を付けた矢』のことで、
『三つ羽の征矢(みつばのそや)』という表現があり、『3枚の矢羽をつけた征矢。また、非常に速いことのたとえにもいう。三つ立ての征矢(goo辞書より)』だそうです。
名前からして、稲光を神格化しているような。
しかも、古くから信仰されていながら、古事記・日本書紀に出てこなさそうな神様の名前というのも、個人的に好み♪
ICやショッピングモールが出来る前は、田んぼや畑に囲まれて、長い参拝道ごと、鬱蒼とした木々に囲まれたお社でした。
鄙びた雰囲気に囲まれて、かなり聖地的雰囲気があった場所です。
しかし今は、その木々もすっかり少なくなり、さっぱりしすぎたというか、社のすぐ後ろに出来た新道(国道6号バイパス)や、圏央道やつくばイーオンやらで、雰囲気も変わりました。
が、この地に宿る長い歴史は変わりませんし、信仰も変わらないで欲しいと思います。
境内にはいくつか石造物があり、『雷神様』と彫られた石造物も、境内の左右2か所にありました。
拝殿から参拝道を望む。
こじんまりとした気持のよいホーリープレイス。
消防団詰所の木造建築の話より、すぐ隣の神社の話が多くなってしまいました
しかしながら、消防団詰所というものは古くからの集落内の人が集まりやすい場所にあり、しかも旧道沿い。
そうするとやはり、集落の氏神様の神社近くに作られているケースが多いように感じます。
稲岡の場合も、由緒ある神社のそばにある、昭和の香りする木造建築です。
続きます。
→ 【つくばのレトロ建築めぐり6】 旧筑波山郵便局
------------------------------------------------
【参考文献】
1. 谷田部の石仏 谷田部町教育委員会
2. 谷田部町史 谷田部町教育委員会
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (三)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(9) 地元の方から教えて頂いた神栖に伝わるお話
国立歴史民俗博物館 企画展 『陰陽師とは何者か』 を見て
映画『石岡タロー』
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(9) 地元の方から教えて頂いた神栖に伝わるお話
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Posted by かるだ もん at 19:16│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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