【茨城&つくば プチ民俗学】 筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (2)
※2013年6月16日(日)に、FM84.2MHz ラヂオつくば「つくば井戸端レポーター」で放送したものを、再構築して掲載しています。


前回に引き続き、筑波山に関する伝説から、興味深いミステリーを探索しています。

★前回までのお話 → 筑波山伝説ミステリー!? ―見えてくる歴史あんなこと、こんなこと― (1)



ミステリー2: 筑波山中の鐘の謎 龍が運んできた!?


さて2つ目のミステリーに関するクイズですキラキラ

【クイズ2】 三択問題です。

① むかし、むかし、筑波山にあった鐘は、たいへんイワクつきで、封印されてしまいました。なぜ封印されたのでしょう?
 1.鐘をつくと、雷を呼んで落雷した。 
 2.鐘をつくと、川が氾濫した。 
 3.鐘をつくと、海から海水が逆流してきた。

② さて、その鐘は、どうして筑波山にあったといわれていたのでしょうか。
 1.龍が作った。
 2.龍がどこからか持ってきた。
 3.龍が鐘になった。




(1)筑波山の鐘で有名なのは 大御堂の鐘 ですが・・・。

 

 筑波山伝説ミステリー!? 見えてくる歴史(2)現在の筑波山の大御堂の鐘は 平成13年に130年ぶりに作られたものです。
 元の鐘は、明治の廃仏毀釈で壊されたそうです。
 ← 写真は、大御堂と、その鐘です。

  
 でも今回お話するのは、この知足院の鐘ではありません

 明治になる前まで、筑波山には、もう一つ、謎めいた鐘がありました
 




(2)今はなき、筑波山中の謎の鐘

 現存している江戸時代の図を見ると、筑波山中の聖天堂(『弁慶の七戻り』=江戸時代の名称は『目貫石』 の近く)に鐘の絵が描かれています。

例えば、
宝暦5年(1755年)に描かれた『常陸国筑波山上画図』には、『竜宮鐘』、
宝暦13年(1763年)に描かれた『天地開闢筑波山絵図』には、『釣鐘』
宝永8年(1779年)に描かれた『筑波山名跡誌』には、『汐呼鐘』
文化5年(1808年)に描かれた『常陸国筑波山縁起・下巻』には、『汐呼鐘
・・・
と名称は幾つかあったようです(文献4)。

特に『汐呼鐘』・・・という名前が気になりますが、やはりこの鐘にまつわるミステリアスな伝説があります。


(3)汐呼鐘の伝説

★『筑波山名跡誌』(1799年)に書かれている話

(文献5 より) (現代訳は筆者による)
汐呼鐘(しおよびのかね)
 昔、龍宮より山上の六社(※)に献じられたという。実にこの地上の鋳造には見えない。周りには六体の像が彫られており、観音にも天人にも見える。これらは山上の本地仏の六観音とも伝えられている。昔、この鐘の音に応じて、鹿島浦から海水が逆流してきて、多くの人や物を溺れさせてしまったことがあり、それ以来、この鐘を突くことを禁じた。風土記によると、 汲上の浦と呼ばれる場所はこの時海水が上がってきたところだという。
 この鐘はこの山の名物となっている。暁の鐘の響きもつくば山 とも 鐘はつくばのねにたちて とも詠まれる。



 ★『百番観音霊験記 巻2』(1982年)に書かれている話
 
 また、明治15年(1882年)に刊行された『百番観音霊験記 巻2』の『坂東廿五番常州筑波大御堂千手観音』の項にも、『汐呼鐘』の伝説に触れられています。

 汐呼鐘の部分(文献4) (現代文訳 筆者による):
 その昔、この山の龍神が六観音が周りに彫られた鐘をに持ってきて、六所明神に献上し(鐘を)突いたら、山の麓まで海水が逆上ってきて、人々は汐呼(しおよび)鐘とよんで水死を恐れたため、この山の神がこの鐘を封印し、龍神を弁天として祀った。それからは山の麓は平穏となった。

※ 『観音霊験記』というのは、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の百観音の霊場のいわれをまとめた本。筑波山の大御堂は坂東第二十五番観音となっています。
詳細
・埼玉県立図書館HP(デジタルライブラリー)
  https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/syosai/016.html・国際日本文化研究センター データベース (錦絵観音霊験記)
  http://db.nichibun.ac.jp/ja/


 ということで、クイズ2の答えにこにこ

①鐘が封印された理由は、「3.鐘をつくと、海から海水が逆流してきた。」
②その鐘が筑波山にあった理由「2.龍がどこからか(龍宮という説もあるが)持ってきた」
でした。



 今は完全に内陸の筑波山ですが、大昔は筑波山のふもとまで海が来ていたそうです、時代が下っても、筑波山麓の桜川は、舟が往来していました。
 大昔、海が近くにあった頃に遭った津波や高潮の被害と記憶が、伝説として語り継がれていたのかもしれません。


 なお汐呼鐘の伝説ついては、

  『弁慶がふもとから持って登ったが、奇岩の通路が狭くて通れないので置き去りにした
というバージョン(文献6)や、

  『稲村権現にある約2mの古鐘で、一説には大昔、琉球から奉納された』 
というバージョン(文献7)も伝わっているようです。


 さて、このミステリアスな『汐呼鐘』、今はありません
明治になる前はあったそうです。どうも明治になり、廃仏毀釈の際に行方不明になったようです・・・汗


 次回、第三のミステリーは、『龍が龍宮から持ってきた』と筑波山では言われていた汐呼鐘、本当はどこから持ってきたのか??
です。 お楽しみに!

筑波山伝説ミステリー!? 見えてくる歴史(3)

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参考文献

4. 「特別展 筑波山―神と仏の御座す山―」 茨城県立図書館
5. 「筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―」 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
6. 「筑波山」 木村繁 著 朝日新聞水戸支局
7. 「茨城の史跡と伝説」 茨城新聞社編 暁印書館





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