2010年09月11日
「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」 と 鷲子山上神社を訪ねて
つくば(茨城)プチ民俗学 「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」 と 鷲子山上神社を訪ねて
(初出:2010年9月11日 16時01分)
さて、突然ですがクイズ。
「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」とは? 人は通っても良いのでしょうか!?
実際に昔からある道標からの問題です。
答えはのちほど。
★鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)
先日8月中旬、常陸太田市方面までドライブがてら、「鷲子山上神社」に
行ってみました。
この「鷲子山上神社)」 非常に面白いのは、栃木県(馬頭町)と茨城県(常陸大宮市)の県境に位置しています。
だから、なんと境内の中を茨城・栃木県境が通っている んです。
社務所も神社前のお店も、茨城県側と栃木県側、それぞれあります。
ただし常時、人がいるのは、栃木県側のお店と社務所のようです。
大同二年(八〇七)の創建。祀られているのは、天日鷲命 ( あめのひわしのみこと ) ・ 大己貴命 ( おうなむちのみこと ) ・ 少彦名命 ( すくなひこなのみこと )。
ピンボケ写真で すみません。 瑞神門、拝殿、本殿は、歴史を感じさせる立派な木造建築です。本殿は1552年(天文21年)創建とのこと(文献※1)。
本殿を飾る精緻な彫り物が見事 です。
この土地には「鷲子彫」という見事な伝統技法が伝わっているとのことで(文献※2)、それを裏付けるような本殿です。
源頼朝も、社殿修繕料を奉納している記録が残っているそうです(文献※1)
お参りの後、お守りを買うため社務所へ。
社務所の方が
「最近、若い女性が皆、ご朱院帳持っているんですよ。
ちょっと前まで考えられなかったです。
うちも先日パワースポットとして雑誌に紹介されたんですよ。」
とおっしゃっていました。
また「お釜おまもりセット」というのもあったので、聞いてみると、
「(台所の)お釜、火防せ 盗難よけのお守り3点セットで、昔は氏子さん代表がお参りに来て、村の戸数分受け取って配って、古いお札は納めに来たものなんです。
でも今は、そうやってまとめて受け取る人もいなくなり、氏子の各家庭がそれぞれお求めになるんで、こうやって置いてあるんです」
とのこと。
今昔の神社信仰の変遷を感じます。
境内は杉の古木に囲まれ、静かで大変気持ちが良いところです。
ここの神社は、「ふくろう神社」という異名もあり、境内いたるところにフクロウの石造が奉納され、日本一の大ふくろう像まであります。
「ふくろう」→「不苦労」祈願だそうです。
高額宝くじが当たった人もいるとか!?
鷲子山上神社で、社務所でかわいいフクロウの置物があったので買いました。
背中に達筆で「鷲子山」と朱書きされています。
つくば市の鳥もフクロウ。フクロウつながりで縁がありますね。
(このフクロウの置物については、別途 ⇒「 いばらき こんなもの見つけた (3) 鷲子山上神社の焼き物のフクロウ」で報告しています)
★「はとうからすやまとりのこみち」
この鷲子山上神社の近くに、「はとうからすやまとりのこみち」 と彫られた古い道標があります。
これを見た旅人が「この小道は ハト(鳩) ウ(鵜) カラス(烏) ヤマドリ(山鳥) しか通ってはいけないのか」と引き返したという笑い話が伝わっているそうです(※1,2)。
というわけで、冒頭のクイズの答え。
道標の意味は「馬頭 烏山 鷲子 道」です。
栃木県馬頭町、烏山町 そしてこの鷲子地区の方向を示した道標でした。
道標は2か所あり、いずれも栃木県です。
中央下 ガードレール傍の黒い石が道標(1)
一か所(1)は国道293号茨城県側から栃木・馬頭町方面に行く途中、伴睦峠の手前の陸橋下の旧道。
写真左下 草むらの中にある細長い石が 道標(2)
もう一か所(2)は、同じく国道293号 「鷲子山上神社」登山出口付近です。
※鷲子山上神社へは、車での登り口(茨城県側)と下り口(栃木県側)が別です。道が狭いためのようです。
(1)の道標
前面: 「右 はとう からす山 左 とりのこ 道」
背面: 「道標再建の記 文政初年の頃 建立の道がこの地にあった 旅のつれづれに 誰読むともなく「はと うがらす やまどり の ・・・(読めず)・・・ みかえられて 広く世の知るところ ・・・(読めず)・・・ この碑はその後行方知れず ・・・(読めず)・・・ これを惜みここに再建する 昭和四十八年六月 馬頭町長(以下名前) 再建社代表(以下名前)」
(2)の道標
前面:「はとからすやまとりのこみち」
背面「馬頭烏山鷲子道」 (建立年等よく分かりませんでした)
ドライブや現地でのハイキング、歴史散策、宝くじ大当たり祈願(^o^) など、これからの季節、行ってみてはいかがでしょう?
---- 参考文献 ----
※1 「日本の自然百選 霊峰 とりのこ山」 改訂7版 平成14年11月 (鷲子山上神社社務所)
※2 「常陽藝文 1994年9月号」 (財団法人 常陽藝文センター)
(初出:2010年9月11日 16時01分)
さて、突然ですがクイズ。
「鳩 鵜 烏 山鳥の小道」とは? 人は通っても良いのでしょうか!?
実際に昔からある道標からの問題です。
答えはのちほど。
★鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)
先日8月中旬、常陸太田市方面までドライブがてら、「鷲子山上神社」に
行ってみました。
この「鷲子山上神社)」 非常に面白いのは、栃木県(馬頭町)と茨城県(常陸大宮市)の県境に位置しています。
だから、なんと境内の中を茨城・栃木県境が通っている んです。
社務所も神社前のお店も、茨城県側と栃木県側、それぞれあります。
ただし常時、人がいるのは、栃木県側のお店と社務所のようです。
大同二年(八〇七)の創建。祀られているのは、天日鷲命 ( あめのひわしのみこと ) ・ 大己貴命 ( おうなむちのみこと ) ・ 少彦名命 ( すくなひこなのみこと )。
ピンボケ写真で すみません。 瑞神門、拝殿、本殿は、歴史を感じさせる立派な木造建築です。本殿は1552年(天文21年)創建とのこと(文献※1)。
本殿を飾る精緻な彫り物が見事 です。
この土地には「鷲子彫」という見事な伝統技法が伝わっているとのことで(文献※2)、それを裏付けるような本殿です。
源頼朝も、社殿修繕料を奉納している記録が残っているそうです(文献※1)
お参りの後、お守りを買うため社務所へ。
社務所の方が
「最近、若い女性が皆、ご朱院帳持っているんですよ。
ちょっと前まで考えられなかったです。
うちも先日パワースポットとして雑誌に紹介されたんですよ。」
とおっしゃっていました。
また「お釜おまもりセット」というのもあったので、聞いてみると、
「(台所の)お釜、火防せ 盗難よけのお守り3点セットで、昔は氏子さん代表がお参りに来て、村の戸数分受け取って配って、古いお札は納めに来たものなんです。
でも今は、そうやってまとめて受け取る人もいなくなり、氏子の各家庭がそれぞれお求めになるんで、こうやって置いてあるんです」
とのこと。
今昔の神社信仰の変遷を感じます。
境内は杉の古木に囲まれ、静かで大変気持ちが良いところです。
ここの神社は、「ふくろう神社」という異名もあり、境内いたるところにフクロウの石造が奉納され、日本一の大ふくろう像まであります。
「ふくろう」→「不苦労」祈願だそうです。
高額宝くじが当たった人もいるとか!?
鷲子山上神社で、社務所でかわいいフクロウの置物があったので買いました。
背中に達筆で「鷲子山」と朱書きされています。
つくば市の鳥もフクロウ。フクロウつながりで縁がありますね。
(このフクロウの置物については、別途 ⇒「 いばらき こんなもの見つけた (3) 鷲子山上神社の焼き物のフクロウ」で報告しています)
★「はとうからすやまとりのこみち」
この鷲子山上神社の近くに、「はとうからすやまとりのこみち」 と彫られた古い道標があります。
これを見た旅人が「この小道は ハト(鳩) ウ(鵜) カラス(烏) ヤマドリ(山鳥) しか通ってはいけないのか」と引き返したという笑い話が伝わっているそうです(※1,2)。
というわけで、冒頭のクイズの答え。
道標の意味は「馬頭 烏山 鷲子 道」です。
栃木県馬頭町、烏山町 そしてこの鷲子地区の方向を示した道標でした。
道標は2か所あり、いずれも栃木県です。
中央下 ガードレール傍の黒い石が道標(1)
一か所(1)は国道293号茨城県側から栃木・馬頭町方面に行く途中、伴睦峠の手前の陸橋下の旧道。
写真左下 草むらの中にある細長い石が 道標(2)
もう一か所(2)は、同じく国道293号 「鷲子山上神社」登山出口付近です。
※鷲子山上神社へは、車での登り口(茨城県側)と下り口(栃木県側)が別です。道が狭いためのようです。
(1)の道標
前面: 「右 はとう からす山 左 とりのこ 道」
背面: 「道標再建の記 文政初年の頃 建立の道がこの地にあった 旅のつれづれに 誰読むともなく「はと うがらす やまどり の ・・・(読めず)・・・ みかえられて 広く世の知るところ ・・・(読めず)・・・ この碑はその後行方知れず ・・・(読めず)・・・ これを惜みここに再建する 昭和四十八年六月 馬頭町長(以下名前) 再建社代表(以下名前)」
(2)の道標
前面:「はとからすやまとりのこみち」
背面「馬頭烏山鷲子道」 (建立年等よく分かりませんでした)
ドライブや現地でのハイキング、歴史散策、宝くじ大当たり祈願(^o^) など、これからの季節、行ってみてはいかがでしょう?
---- 参考文献 ----
※1 「日本の自然百選 霊峰 とりのこ山」 改訂7版 平成14年11月 (鷲子山上神社社務所)
※2 「常陽藝文 1994年9月号」 (財団法人 常陽藝文センター)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (三)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (一)
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(9) 地元の方から教えて頂いた神栖に伝わるお話
国立歴史民俗博物館 企画展 『陰陽師とは何者か』 を見て
映画『石岡タロー』
落語『紋三郎稲荷』 の舞台を訪ねて (二)
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Posted by かるだ もん at 16:01│Comments(0)│茨城&つくば プチ民俗学・歴史
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