茨城&つくば プチ民俗学  学園都市地区の学校跡を訪ねて(1/3)
(初出:2009年8月23日 15時33分)


 TX開通で児童数、生徒数の増えている小中学校があると思えば、児童数が減って閉校となってしまう小学校もあるつくば。

 学園都市中心地区で、その昔あった学校の跡を訪ねました。

 割と知られている松代地区の「小野川小学校手代木分教場」跡は、次号報告しますが、まず初回は、分教場ができる前に手代木集落にあった、「(旧制)手代木小學校」跡をご紹介します。

 以前紹介した「地図でみるつくば市の変遷」(財団法人日本地図センター)の明治16年頃の地図にはまだ記載されていないのですが、大正10年の地図(解説冊子掲載)には、「文」の字が記載されています。





跡地はこちらです。 現在は畑の真ん中にあります。
(一応小さなあぜ道がありますが)




以前、地元の方に「これが昔の小学校跡」と聞いていたので分かりましたが、そうでないとちょっと分かりにくいです。
木の根元に立派な石碑があります。
あぜ道があるとは言え、畑の中なので、かなり気が引けたのですが、ちょっと失礼させて頂いて急いで写真だけ取らさせていただきました。
 写真を拡大して読んでみたところ(デジカメは便利)、
 「宮崎才兵衛さんという方が尽力されて字天神下(この地?)に「手代木小學校」を明治11年10月設置し、その後の学制の変革によって、榎戸小學校や稲岡小學校の分教場となり、明治42年5月小野川小學校分教場になって今に至る・・・その後児童数が増え手狭になったので校舎を新築するために移転したので、この地に宮崎翁の功績を讃えるためにこの石碑を建てた」という旨が書かれているようです。

 跡地を教えてくださった地元の方の話では、
「この学校に当時非常にめずらしいことに、アメリカ人の児童が在籍していたことがあり、その記念に、セコイア(とおっしゃっていたと記憶しています)の木を植樹した。それが背の高い針葉樹」とのことです。
 植樹したなんて、素敵ですね。インターナショナルな片鱗なすでにあったのでしょうか(^^)。

 さてこの「小野川小學校分教場」は昭和2年7月に字大塚(現在の松代4丁目付近)に移転するまで、この地で近隣の小学校の子どもたちの学業の場となっていたのですね。

 さて、その後の小野川小學校分教場は、次回ご紹介します。 



同じカテゴリー(茨城&つくば プチ民俗学・歴史)の記事画像
常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(後編)
常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編)
筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて
筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編)
『おでにちさま』の飾り
筑波山神社 観月祭
同じカテゴリー(茨城&つくば プチ民俗学・歴史)の記事
 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(後編) (2018-12-13 22:46)
 常陸大宮に伝わる 頑張った犬の伝説2つ(前編) (2018-12-06 00:31)
 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(後編) ~ 『しっぺい太郎』の姿を訪ねて (2018-11-07 23:18)
 筑波山麓の『しっぺい太郎』伝説(前編) (2018-11-04 20:36)
 『おでにちさま』の飾り (2018-10-09 23:45)
 筑波山神社 観月祭 (2018-09-25 20:31)
Posted by かるだ もん at 15:33│Comments(0)茨城&つくば プチ民俗学・歴史
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
コメントフォーム
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城



オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 5人
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE