2012年12月09日
河童が教えた薬!? 茨城県下に伝わる 河童の妙薬5つ(2)
※2012年11月18日(日)18:00-18:30放送の FM84.2MHzラヂオつくば『つくば井戸端レポーター』での内容を再構築しております。
※ラヂオつくばは、インターネットでも聴けます。 聴き方→(ラヂオつくばHP)
河童が教えた薬!? 茨城県内、『河童の妙薬』5つ (2)
さて、前回から引き続き、茨城県内に伝わる『河童の妙薬』のお話です。
今までの話 → 河童が教えた薬!? 茨城県内、『河童の妙薬』5つ (1)
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(4) 小美玉市(旧小川町)川戸地区 とげぬきの薬、血の道の薬(婦人病の薬)
小美玉市川戸地区に流れる小川の鎌田川にかかる、小さな橋。これが通称『かっぱ橋』と呼ばれるそうで、そこにも伝説があります。
← かっぱ橋(白いガードレールの場所)
★話のあらすじ:
時は応仁の乱の頃、家の周りを何か不思議な生き物がうろついているということで、家人や使用人が怖がるので、家の長が見張っていたところ、河童を捕まえた。河童は『自分は怪しい者ではない。そこの鎌田川に住む河童です』と申し開きをしたが、主人に『これ以上うろつくと切るぞ』と脅され、詫びに、とげぬきの薬と血の道の薬の作り方を教えて、命は助けられた。
『そのかわり無償で希望者に渡す様に』とのことで、これが代々ずっと守られている。このお宅の近く橋は、通称『かっぱ橋』と呼ばれる。[文献3, 4, 5, 8, 9 ,11,12]
製法を伝えるお宅には、近年、河童のとげぬき薬の由緒を書いた石碑を庭に建てられたそうです。
(「広報おみたま」平成21年12月号より: http://www.city.omitama.lg.jp/files/20100309183138.pdf )
医者も薬もない時代、地元の人に重宝されてきたのでしょう。 長いこと、伝来の薬を今に伝えていらっしゃるお宅があるということ、本当に敬服しますし、これからも大事に伝わって欲しいと切に願います。
← 鎌田川から上流を見る。遠くにかっぱ橋と川戸の集落
※一緒にいった連れ合いが、「心に刺さったトゲにも効くのかな。そうしたら欲しいんだけどな~」と、盛んに申しておりました(笑)。
(5) 土浦・取手 十三枚膏
これが『河童の妙薬』だという話は、茨城県下には伝わっていないようで、利根川流域の河童の話を調べていて[文献7, 13]、千葉県の佐原に伝わる伝承から、土浦や取手に伝わる薬(施術)との関わりが分りました。
★話のあらすじ:
昔、利根川下流の(現在の佐原あたり)には、川と川にはさまれた『シマ』と呼ばれる陸地がいくつもあった。そのシマのひとつに住む、ある親孝行な息子が、足を痛めている母親の為に川藻を取っていた。そこへ河童が現れて与太浦の河童を名乗り、藻を取る理由を聞いた。
息子が説明すると、『良い薬の作り方を教えよう』と、川の中の薬草とサケの油と藻をよく練ったものを塗ると良いと教えた。 息子が教わった通りにしすると、母親の足の痛みが取れて歩けるようになり、近所の評判となった。
そして『十三枚』という名前の由来は・・・(続きは後述)。 十三枚という地名は、土浦、取手にも伝わるという[文献7, 13]
河童に教わったという膏薬が、『十三枚本世散』という名でを、千葉県の佐原扇島 本世堂病院で、昭和48年ごろまで作られていたそうで、本世堂病院を営んできた高安家が代々伝えてきたとのことです。
伝説では“『十三枚』は地名になっている“とのことですが、実際は字名でなく、地名の愛称として『十三枚(じゅうさんめえ)』と呼ばれてきたそうで、船着き場の名前にもなっていたそうです。
また伝説では『十三枚という地名は、土浦や取手にも…』となっていましたが、それも、実際の地名でなく、土浦や取手にも十三枚医院があったとのことです。
以上、佐原扇島の本世堂病院や、船着き場の名前の話、土浦、取手の十三枚については、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )からご教示頂きました。ありがとうございました。
土浦の十三枚病院についても、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )が詳しく調べらていらっしゃり、ご自身のブログに書かれていますので、ご興味ある方はそちらを是非ご参照ください
→ http://blue.ap.teacup.com/suigou/6.html 十三枚(1)
http://blue.ap.teacup.com/suigou/12.html 十三枚(5) 他
ここで クイズ3
『十三枚』という名前の由来です。良く効く貼り薬だと聞いて、江戸からはるばるその薬を貰いに来た人がいたそうです。その人の職業は何だったでしょうか?
ヒント1 怪我しやすい ヒント2 河童の好きな競技
なぜ、河童が傷薬の作り方を教える昔話が、全国に多いのか?
河童は建築・護岸工事のエンジニア集団だったという説もあります。つまり土木建築に従事するために 怪我がつきもの。伝統の治療法を知っているという説です?
たとえば隅田川の河童伝説。護岸工事を手伝ったとの話が伝わっています。[文献1, 14, 15]
ここからは私見になります。
霞ヶ浦や利根川流域は、古来より水運、漁業が盛んでした。大小の川が入り組み、湿地帯の多い土地で、陸よりも水運の方が物資・人とも運びやすかったのです。戦の際も、水運は当然重要だったはずです。
← 霞ヶ浦から土浦市街地を望む。今はヨットがたくさん
また、水運(同時に漁業)を生業としていた人々は、ある時は駆り出されて兵士に、ある時は水上運輸の担い手に、ある時は海賊(湖族)取り締まりに、更には海賊(湖賊)そのものに なっていたようです[文献16, 17, 18]。
河川・海・湖が生活の場ですから、泳ぐのはもちろん得意。
また、格闘技である相撲は、戦の訓練にもなっていたはずです。
また戦いに駆りだされた時に、医術の心得のある金創医や僧侶から知識を学んだ人もいたことでしょう。 つまり怪我の治し方にも知識がある者もいたのも十分考えられます。
そういう人たちから何らかの形で薬の作り方や、骨継ぎの方法などを教わったりして伝えてきた・・・ということも十分ありうると、私は思います
つまり、水軍・海賊の兵士(及びその成れの果て?や子孫)のことも『河童』になぞられたこともあるのではないか。
特に利根川・霞ヶ浦水域の河童は、水軍や海賊の場合もあったのでは・・・と考えています (なにぶん不勉強なので、この視点で議論されているのをまだ知りませんが、ご存知の方、是非ご教示お願いいたします)。
これに、大きなスッポン、蛇、魚、カワウソなどを、『妖怪の河童』と見なしたり、『水神』信仰(荒らぶる水を抑えるものへの信仰、また水死者、人柱への鎮魂も含む)も重なっていったのでしょう。
加えて後世、 『水神』という畏敬の対象のイメージから、薬や療法に『箔をつける伝説』として、河童から教わったという話を作り、人々も『さもありなん』(効きそう)というイメージで迎え入れたのでないか・・・などと考えています。
最後に
今回は『茨城に伝わる 河童の妙薬5つ』をテーマに河童のお話をしました。茨城県内では、まだ他にも河童にまつわるお話がたくさんあります。例えば利根川の河童の女親分、ネネコ河童。
また、「かぴたり餅」「川ひたり餅」と言って、河童(または川の神様)にお餅をお供えする意味で、川に餅を入れる風習も県内各所に伝わっていたと言います。[文献2]
河童で町おこしは、全国で多いけれど、茨城では、他とは違うひとひねりした河童にちなむことで、町おこし出来そうな気がします。 まずは県内で河童サミットとか妖怪サミットとか、やったら楽しいと思います。
(昨年2011年には、茨城県立歴史館で『妖怪見聞』展が開かれたのは画期的だとおもいます)。
加えて、河童とも縁の深い相撲に目を向けても、牛久には、横綱を狙う 大関稀勢の里 もいますね。土浦にも、平成生まれで初の関取となった、その名も奇しくも、高安がいます。
どちらも、怪我には気をつけて頑張ってほしいですね
・・・おあとがよろしいようで。
お礼
今回の『茨城県下に伝わる河童の妙薬5つ』に関し、沢山の方にご協力頂きました。
(1)(2)の本文中でご紹介した、だぁなさん(mda_abm)、特急しらほさん(shiraho_ef63)、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )の他、ゆきだるまんさん(yukidarumanneo)からは、参考書籍を教えて頂きました。
また、がすきさん(ibaraki_gasuki)、そして同じつくば市民レポーターの清水さん(http://reporter.e298.jp/user.php?uid=1297)にもご協力頂きました。
皆さま、ありがとうございました!
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クイズの答え
クイズ1の答え: 馬
『むしろに岩瀬万能膏を塗って、井戸に蓋をしたら、落ちた馬が吸い上げられた! それだけ膿を吸い出す力が強い』という逸話(?)というか笑い話が言われたそうです(文献)。
たぶん、ガマの口上のように、その昔、薬を売るときに、効能を面白おかしく伝えて宣伝していたのかもしれませんね。『馬でも吸い上げる岩瀬万能膏薬!』すごいキャッチコピー!
クイズ2の答え: 手の形の絵馬 及び 手の形のフィギュア(というのかな?)
金属の薄い板でできたのもの(上の方に並んでいます)、木で作った手の形のもの、手袋など。
どれも両手がそろって奉納されていると思いました。
← 手接神社に奉納されている絵馬や、手のフィギュア。
クイズ3の答え: お相撲さん
河童の好きな「相撲」=お相撲さんとのかかわりあいを、ここでも感じられます。
膏薬(貼り薬)を毎日取り替えて貼って、十三枚目に治ったので、『十三枚』と言われるようになったそうです(文献7, 13)
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参考文献
1. 『怪異の民俗学3 河童』 小松和彦 責任編集 河出書房新社
2. 『平成23年 特別展 妖怪見聞』 茨城県立歴史館 編集・発行
3. 常陽藝文 2001年10月号
4. 『茨城の河童伝承』 岡村青 著 筑波書林
5. 『茨城の民俗 第7号』 茨城民俗学会
6. 『那珂の伝説 下』 大録義行 編 筑波書林
7. 『利根川のおばけ話』 加藤政晴 著 崙書房
8. 『日本の伝説37 茨城の伝説』 今瀬文也・武田静澄 著 角川書店
9. 『常陸の伝説』 藤田稔 著 第一法規
10. 『玉造町の昔ばなし』 堤 一郎 著 筑波書林
11. 『民話でつづる霞ヶ浦』 仲田 安夫 著 暁印書館
12. 『いばらき 民話のふるさと』 読売新聞社水戸支局 編著 鶴屋書店
13. 『河童考 –利根川流域の先住部族-』 金井啓二 著 崙書房
14. 『妖怪草子』 対談 荒俣 宏 vs. 小松 和彦 学研M文庫
15. 『妖怪ウォーカー』 村上 健司 著 角川書店
16. 『2010年 子ども百科 霞ヶ浦ものしり事典 第3版』 社団法人霞ヶ浦市民協会
17. 『常総内海の中世 地域権力と水運の展開』 千野原 靖方 著 崙書房
18. 『改訂版 霞ヶ浦湖族 -まつろわぬ人びとの系譜』 山崎 謙 著 鹿砦社
(初出 『つくば市民レポーター』サイト 2012年12月09日 17時34分)
※ラヂオつくばは、インターネットでも聴けます。 聴き方→(ラヂオつくばHP)
河童が教えた薬!? 茨城県内、『河童の妙薬』5つ (2)
さて、前回から引き続き、茨城県内に伝わる『河童の妙薬』のお話です。
今までの話 → 河童が教えた薬!? 茨城県内、『河童の妙薬』5つ (1)
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(4) 小美玉市(旧小川町)川戸地区 とげぬきの薬、血の道の薬(婦人病の薬)
小美玉市川戸地区に流れる小川の鎌田川にかかる、小さな橋。これが通称『かっぱ橋』と呼ばれるそうで、そこにも伝説があります。
← かっぱ橋(白いガードレールの場所)
★話のあらすじ:
時は応仁の乱の頃、家の周りを何か不思議な生き物がうろついているということで、家人や使用人が怖がるので、家の長が見張っていたところ、河童を捕まえた。河童は『自分は怪しい者ではない。そこの鎌田川に住む河童です』と申し開きをしたが、主人に『これ以上うろつくと切るぞ』と脅され、詫びに、とげぬきの薬と血の道の薬の作り方を教えて、命は助けられた。
『そのかわり無償で希望者に渡す様に』とのことで、これが代々ずっと守られている。このお宅の近く橋は、通称『かっぱ橋』と呼ばれる。[文献3, 4, 5, 8, 9 ,11,12]
製法を伝えるお宅には、近年、河童のとげぬき薬の由緒を書いた石碑を庭に建てられたそうです。
(「広報おみたま」平成21年12月号より: http://www.city.omitama.lg.jp/files/20100309183138.pdf )
医者も薬もない時代、地元の人に重宝されてきたのでしょう。 長いこと、伝来の薬を今に伝えていらっしゃるお宅があるということ、本当に敬服しますし、これからも大事に伝わって欲しいと切に願います。
← 鎌田川から上流を見る。遠くにかっぱ橋と川戸の集落
※一緒にいった連れ合いが、「心に刺さったトゲにも効くのかな。そうしたら欲しいんだけどな~」と、盛んに申しておりました(笑)。
(5) 土浦・取手 十三枚膏
これが『河童の妙薬』だという話は、茨城県下には伝わっていないようで、利根川流域の河童の話を調べていて[文献7, 13]、千葉県の佐原に伝わる伝承から、土浦や取手に伝わる薬(施術)との関わりが分りました。
★話のあらすじ:
昔、利根川下流の(現在の佐原あたり)には、川と川にはさまれた『シマ』と呼ばれる陸地がいくつもあった。そのシマのひとつに住む、ある親孝行な息子が、足を痛めている母親の為に川藻を取っていた。そこへ河童が現れて与太浦の河童を名乗り、藻を取る理由を聞いた。
息子が説明すると、『良い薬の作り方を教えよう』と、川の中の薬草とサケの油と藻をよく練ったものを塗ると良いと教えた。 息子が教わった通りにしすると、母親の足の痛みが取れて歩けるようになり、近所の評判となった。
そして『十三枚』という名前の由来は・・・(続きは後述)。 十三枚という地名は、土浦、取手にも伝わるという[文献7, 13]
河童に教わったという膏薬が、『十三枚本世散』という名でを、千葉県の佐原扇島 本世堂病院で、昭和48年ごろまで作られていたそうで、本世堂病院を営んできた高安家が代々伝えてきたとのことです。
伝説では“『十三枚』は地名になっている“とのことですが、実際は字名でなく、地名の愛称として『十三枚(じゅうさんめえ)』と呼ばれてきたそうで、船着き場の名前にもなっていたそうです。
また伝説では『十三枚という地名は、土浦や取手にも…』となっていましたが、それも、実際の地名でなく、土浦や取手にも十三枚医院があったとのことです。
以上、佐原扇島の本世堂病院や、船着き場の名前の話、土浦、取手の十三枚については、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )からご教示頂きました。ありがとうございました。
土浦の十三枚病院についても、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )が詳しく調べらていらっしゃり、ご自身のブログに書かれていますので、ご興味ある方はそちらを是非ご参照ください
→ http://blue.ap.teacup.com/suigou/6.html 十三枚(1)
http://blue.ap.teacup.com/suigou/12.html 十三枚(5) 他
ここで クイズ3
『十三枚』という名前の由来です。良く効く貼り薬だと聞いて、江戸からはるばるその薬を貰いに来た人がいたそうです。その人の職業は何だったでしょうか?
ヒント1 怪我しやすい ヒント2 河童の好きな競技
なぜ、河童が傷薬の作り方を教える昔話が、全国に多いのか?
河童は建築・護岸工事のエンジニア集団だったという説もあります。つまり土木建築に従事するために 怪我がつきもの。伝統の治療法を知っているという説です?
たとえば隅田川の河童伝説。護岸工事を手伝ったとの話が伝わっています。[文献1, 14, 15]
ここからは私見になります。
霞ヶ浦や利根川流域は、古来より水運、漁業が盛んでした。大小の川が入り組み、湿地帯の多い土地で、陸よりも水運の方が物資・人とも運びやすかったのです。戦の際も、水運は当然重要だったはずです。
← 霞ヶ浦から土浦市街地を望む。今はヨットがたくさん
また、水運(同時に漁業)を生業としていた人々は、ある時は駆り出されて兵士に、ある時は水上運輸の担い手に、ある時は海賊(湖族)取り締まりに、更には海賊(湖賊)そのものに なっていたようです[文献16, 17, 18]。
河川・海・湖が生活の場ですから、泳ぐのはもちろん得意。
また、格闘技である相撲は、戦の訓練にもなっていたはずです。
また戦いに駆りだされた時に、医術の心得のある金創医や僧侶から知識を学んだ人もいたことでしょう。 つまり怪我の治し方にも知識がある者もいたのも十分考えられます。
そういう人たちから何らかの形で薬の作り方や、骨継ぎの方法などを教わったりして伝えてきた・・・ということも十分ありうると、私は思います
つまり、水軍・海賊の兵士(及びその成れの果て?や子孫)のことも『河童』になぞられたこともあるのではないか。
特に利根川・霞ヶ浦水域の河童は、水軍や海賊の場合もあったのでは・・・と考えています (なにぶん不勉強なので、この視点で議論されているのをまだ知りませんが、ご存知の方、是非ご教示お願いいたします)。
これに、大きなスッポン、蛇、魚、カワウソなどを、『妖怪の河童』と見なしたり、『水神』信仰(荒らぶる水を抑えるものへの信仰、また水死者、人柱への鎮魂も含む)も重なっていったのでしょう。
加えて後世、 『水神』という畏敬の対象のイメージから、薬や療法に『箔をつける伝説』として、河童から教わったという話を作り、人々も『さもありなん』(効きそう)というイメージで迎え入れたのでないか・・・などと考えています。
最後に
今回は『茨城に伝わる 河童の妙薬5つ』をテーマに河童のお話をしました。茨城県内では、まだ他にも河童にまつわるお話がたくさんあります。例えば利根川の河童の女親分、ネネコ河童。
また、「かぴたり餅」「川ひたり餅」と言って、河童(または川の神様)にお餅をお供えする意味で、川に餅を入れる風習も県内各所に伝わっていたと言います。[文献2]
河童で町おこしは、全国で多いけれど、茨城では、他とは違うひとひねりした河童にちなむことで、町おこし出来そうな気がします。 まずは県内で河童サミットとか妖怪サミットとか、やったら楽しいと思います。
(昨年2011年には、茨城県立歴史館で『妖怪見聞』展が開かれたのは画期的だとおもいます)。
加えて、河童とも縁の深い相撲に目を向けても、牛久には、横綱を狙う 大関稀勢の里 もいますね。土浦にも、平成生まれで初の関取となった、その名も奇しくも、高安がいます。
どちらも、怪我には気をつけて頑張ってほしいですね
・・・おあとがよろしいようで。
お礼
今回の『茨城県下に伝わる河童の妙薬5つ』に関し、沢山の方にご協力頂きました。
(1)(2)の本文中でご紹介した、だぁなさん(mda_abm)、特急しらほさん(shiraho_ef63)、水郷之美冠天下さん(suigou_dashi )の他、ゆきだるまんさん(yukidarumanneo)からは、参考書籍を教えて頂きました。
また、がすきさん(ibaraki_gasuki)、そして同じつくば市民レポーターの清水さん(http://reporter.e298.jp/user.php?uid=1297)にもご協力頂きました。
皆さま、ありがとうございました!
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クイズの答え
クイズ1の答え: 馬
『むしろに岩瀬万能膏を塗って、井戸に蓋をしたら、落ちた馬が吸い上げられた! それだけ膿を吸い出す力が強い』という逸話(?)というか笑い話が言われたそうです(文献)。
たぶん、ガマの口上のように、その昔、薬を売るときに、効能を面白おかしく伝えて宣伝していたのかもしれませんね。『馬でも吸い上げる岩瀬万能膏薬!』すごいキャッチコピー!
クイズ2の答え: 手の形の絵馬 及び 手の形のフィギュア(というのかな?)
金属の薄い板でできたのもの(上の方に並んでいます)、木で作った手の形のもの、手袋など。
どれも両手がそろって奉納されていると思いました。
← 手接神社に奉納されている絵馬や、手のフィギュア。
クイズ3の答え: お相撲さん
河童の好きな「相撲」=お相撲さんとのかかわりあいを、ここでも感じられます。
膏薬(貼り薬)を毎日取り替えて貼って、十三枚目に治ったので、『十三枚』と言われるようになったそうです(文献7, 13)
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参考文献
1. 『怪異の民俗学3 河童』 小松和彦 責任編集 河出書房新社
2. 『平成23年 特別展 妖怪見聞』 茨城県立歴史館 編集・発行
3. 常陽藝文 2001年10月号
4. 『茨城の河童伝承』 岡村青 著 筑波書林
5. 『茨城の民俗 第7号』 茨城民俗学会
6. 『那珂の伝説 下』 大録義行 編 筑波書林
7. 『利根川のおばけ話』 加藤政晴 著 崙書房
8. 『日本の伝説37 茨城の伝説』 今瀬文也・武田静澄 著 角川書店
9. 『常陸の伝説』 藤田稔 著 第一法規
10. 『玉造町の昔ばなし』 堤 一郎 著 筑波書林
11. 『民話でつづる霞ヶ浦』 仲田 安夫 著 暁印書館
12. 『いばらき 民話のふるさと』 読売新聞社水戸支局 編著 鶴屋書店
13. 『河童考 –利根川流域の先住部族-』 金井啓二 著 崙書房
14. 『妖怪草子』 対談 荒俣 宏 vs. 小松 和彦 学研M文庫
15. 『妖怪ウォーカー』 村上 健司 著 角川書店
16. 『2010年 子ども百科 霞ヶ浦ものしり事典 第3版』 社団法人霞ヶ浦市民協会
17. 『常総内海の中世 地域権力と水運の展開』 千野原 靖方 著 崙書房
18. 『改訂版 霞ヶ浦湖族 -まつろわぬ人びとの系譜』 山崎 謙 著 鹿砦社
(初出 『つくば市民レポーター』サイト 2012年12月09日 17時34分)
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