茨城3つの養蚕信仰の聖地について(3) ~ うつぼ舟・常陸国とゆら・筑波山・富士山


茨城3つの養蚕信仰の聖地について、じっくり調べて考えていくシリーズ。
文献を参照しつつ、取り組んでいきますので、お付き合い下さい笑

前回までの話
豆電球茨城3つの養蚕信仰の聖地について(1)
豆電球茨城3つの養蚕信仰の聖地について(2) ~ 蚕伝来の伝説と「豊浦」


引き続き、金色姫譚が生まれた過程を考えていきます。

前回は、長門国(穴門)の豊浦宮(現在の山口県下関市)で、もしかして『原・金色姫譚』が生まれたのかもしれない!? という仮説を、歴史文献から立ててみました。

今回は、さらに別の見地からも考察してみます。

【おことわり】
※ 前回、当ブログでは、『金色姫譚の原形』を『原・金色譚』と呼ぶとしましたが、
初期の頃に登場人物に『こんじき(金色)』という名がついていたか不明であり、紛らわしいので、今後は『金色姫譚の原形』を『貴人蚕譚
と呼び、現在に伝わる金色姫伝説を『金色姫譚』と呼ぶことにします。
 

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【1.柳田国男 著『妹の力』の中の『うつぼ舟のこと』論考より】


柳田国男 著『妹の力』(文献1)の中の『うつぼ舟のこと』論考を読むと、以下のことが書かれています。

① 海からうつぼ舟(中空の舟)に乗って、貴人が流れてくる伝説が、瀬戸内海地方~九州にかけていくつも伝わっており、祖先がそういった貴人だとする氏族がある(周防の大内氏、備前の宇喜多氏、伊予の河野家など)。

②(常陸国の金色姫譚以外には)うつぼ舟が伝わる話は、『東部日本ではいまだ聞くことがないのである』。
つまり、東日本では、うつぼ舟で貴人が流されてくる伝説・説話は、金色姫譚以外に見当たらないとのこと。


また別の文献(文献2)によると、

③ 阿波や土佐などの諸国は養蚕の技術が盛んに取り入れられながらも、それに伴う信仰が伝えられなかったようだとのこと。
(徳島県でわずかに繭を社寺や祠堂に供えたり、高知県で戦後に関東に習ってつくられた女神の御札がある程度とのこと)

どうも西日本では、養蚕が盛んだった地域でも、不思議なことに養蚕関係の伝説・説話は伝わっていないようです
(これは今後も要確認事項ですが)。

しかしながら、注目は①で、瀬戸内海地方~九州にかけて、うつぼ舟に乗って流れ着いた貴人が祖先だという氏族が複数あるということです。
つまり、長門国(穴門)豊浦を含む瀬戸内海~九州の地域には、『金色譚』の原型となる『原・金色譚』ともいうべき『貴人蚕譚』が生まれる土壌があったと言えるのではないでしょうか。


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【2.永禄元年(西暦1558年)滝本坊 筆『戒言』より】


さて、現在まで伝わる『金色姫譚』は、少なくとも室町時代後期には出来上がっていたのが分かっています。
(文献2,3) 
というのも、永禄元年(西暦1558年)京都の八幡山の滝本坊という人が書き写した『戒言(かいこ)』  
が『金色姫譚』そのものなのですグッド

現在まで伝わる金色姫譚(蚕影神社縁起、蚕影山和讃等 文献5,6)のあらすじとほぼ同じなのですが、微妙に違う点があり、これが今後、考察を進める上で重要だと私は考えますので、文献4(『室町時代物語大成 第三』に収録されている『戒言』)を元に、少し詳しく書きます。


【『戒言』のあらすじ】

まず『戒言』では、前書きの後に、『きんめいてんわうのみよに、こかひあり、そのゆらいを、くわしくたつぬるに、』
で話が始まります。
『きんめいてんわう』(欽明天皇か?)の時代には既に『こかひ』(蚕養ひ=養蚕)があり、その由来がこれから語られる物語だという始まりです。

ストーリーは現在に伝わる『金色姫譚』とほぼ同じで、話の流れは大きく4つ(※)に分けられます。
 ※多くの文献では、下記の①②を一つにして、3つに分かれるとしていますが、私は4つだと考えます。

北天竺国のなかの旧仲国の りんゐだいわう(霖夷大王)の娘の こんじき(金色)が継母にいじめられる。
   継母によって4回の災難(獅子孔山に捨てられる・鷹群山に捨てられる・海眼山という島に捨てられる・庭の地中深くに埋められる)にあうが、なんとか助けられる。
  こういう災難に会うのは、こんじきが尊い仏様の化身のためだと考えた王は、桑の木でうつぼ舟にこんじきを乗せて泣く泣く海に流して逃がす。


    ※全体の話の中で、この①の部分が一番長く、全体の6割弱を占めます


 海に流されたこんじきは、多くの月日を経て、秋津洲(日本)の「ひたち」国の「とゆら」に流れ着き、漁師のごんのだいふ(権太夫)に助けられる。
 権太夫夫婦の介護もむなしく、こんじきは身体が衰弱して亡くなる。
  嘆き悲しんだ夫婦は、からひつ(唐棺)をこしらえて亡くなったこんじきを安置する。
 ある夜、『食事を与えて欲しい』という夢を見て棺を開けると、こんじきの姿は消えていて、小さな虫たちがいた。
 生まれ変わったと喜こんだものの、餌に何を与えて良いか分からない権太夫夫婦、こんじきが乗ってきた舟が桑の木で出来ていたので、桑の木の葉を虫に与えると、虫たちは喜んで食べた。
 しかしそのうち虫たちは動かなくなってしまい、権太夫夫婦は途方にくれたが、また夢で(こんじきが出てきて)、自分が祖国で受けた4つの災難を語り、これは虫たちの4つの生態(しけめとまり・たかめとまり・ふなとまり・にわとまり)だと伝える。
 4つの『とまり』を経て虫たちは まひ(繭)を作ったが、これは こんじきがうつぼ舟に乗ることと同じだとされた。

    
  ※この②の部分は全体の3割を占めます


 その頃、つくば山(筑波山)に ほんだう仙人という一人の仙人がいて、山から下りてきて、繭を練って『綿』(真綿。木綿ではない)を作ることを教えた。『わたいと(絹糸)』はこの時より始まった。 綿は寒さを防ぎ、人々に喜ばれた。『きぬ』『あや』とも言われ、衣装も美しくなった。  
 その方法を学び、権太夫は豊かになった。
 
  
 
※③の部分は全体の0.5割強を占めます。

 そこへまた『不思議なことに』、欽明天皇の皇女のかぐやひめが、筑波山へ飛んできて、神様だと言われ、人々にあがめ奉られた。
 ある時、神託があり、『自分は旧仲国の霖夷大王の娘で、この国の人々を守るために来て、欽明天皇の子となった。そしてこの国でこがひの神となり、『とよら』の地で綿を作ったのは、私、かくやひめである』と言い、この山(筑波山?)も 『いさぎよからず』、『都に近い』富士山へ神様は行かれた。
 たかとりの翁達もこの神を拝んだ。『筑波山の神と富士の権現は一体』なので、こがひの神ともなり、その本地は勢至菩薩の化身である。
 だいにちへんぜう(大日遍照か?)の『ごへんさ』(意味不明)なので飼っている蚕はおろそかにしてはいけない。綿を練った仙人は、りやうじゅせん(霊鷲山か?)の釈迦牟尼仏である。


     ※④は③よりも更に占める割合は少なく、全体の0.5割弱ですが、仏教用語が並びます。


『話が4つに分かれる』というより、①の話に、後から別の話②③④が次々付け加えられ、4部構成になったような印象です。

 ★①は、外国で継母にいじめらる娘のこんじき(金色姫)を、大王が(助けるために?)舟に乗せられて海に流されるまでの話で、世界的に見られる、継母による継子いじめの話の類型に思えます。
 (余談:継子いじめの類話に出てくる、いじめる後妻のダンナ=いじめられる子の父親は、たとえ大王とはいえ、後妻には何も出来ないというが、世界の昔話の定番であり、不思議ではありますね)

 『北天竺国の旧仲国』(具体的な場所は不明)という設定に加え、金色姫の父の霖夷、実母(早くに亡くなる)の光契という名、受難を受ける獅子吼山・鷹群山・海眼山という地名にも、やはり大陸から伝わった物語だと感じさせます。
 
 また、霖夷大王が金色に言う台詞『ぶつじんさんほうのけしんなり(仏神三宝の化身か?)』『ぶつはふ はんじやうのくにへ(仏法繁盛の国か?』
『しゅうじゃうをもさいどし給へ(衆生を済度し給え)』
 と仏教的表現が(唐突ですが)使われています。
 また金色姫の4回の苦難(継母のいじめ)は、蚕の4回の脱皮にも見立てられていて、蚕の生態説明の説話になっています。

★②で、『ひたち』の『とゆら』という地名が出てきます。


(写真は、茨城県日立市の国民宿舎 鵜の岬 の前の海。 常陸国の海の例です。2020年8月撮影)

 常陸国の『とゆら』という地名だけで、舟が流れ着いたので、海辺だということしか分かりません。
こんじきを助けるのが、『うら人』の『ごんのだいふ(権太夫)』夫婦。『うら人』は『浦人』で、つまり流れ着いた浦に住む人ということでしょう。
 こんじきの生まれ変わりの白い小さな虫の餌(桑の葉)や蚕の生態を夢に出てきた姫から教わって、育てます。
 つまり、蚕を育てる=養蚕の事始めの説話です。



で、『つくば山』の名が出てきます。

 
(写真は石岡市高浜付近から見た筑波山。2021年4月撮影)

 ほんどう仙人は、『仙人』という表現から、一見、神仙思想のようにも思えますが、
 『つくば山』に当時も既に多くいたであろう、筑波山系で修業する山岳信仰の修行者の影を感じます。
  ほんどう仙人は「綿」(※)の作り方を教えています。「綿」は蚕の成虫が出てきた後の(穴の開いた)繭を伸ばして作ります(文献 )。 
   ※ここで言われている『綿』は、木綿(コットン)ではなくて真綿=蚕の繭から作られたものを指しています。
  ほんどう仙人が、成虫が出た後の繭から真綿を作り、暖かい服に出来ることを教えたというお話です。 
  更に『わたいと(生糸)』はこの時より始まったという表現、『きぬ(衣?)』『あや(綾?)』『いしょう(衣装?)』という表現も(取って付けた感がありますが)書かれ、機織りも伝えたような表現です。

  筑波山信仰の宗教者が、養蚕・蚕糸・機織りの知識を持っていて、地元の人に教えたようなこともあったかもしれませんが、それにしては①②のようや具体的な説話ではなく、話が短すぎます。
『つくば山のほんどう仙人』というキャラクターを登場させ、養蚕の技術を伝える際に、筑波山(筑波山信仰?)を結びつけようとした宗教者(グループ)がいたのではないかと考えます。

  なお、『つくば山のほんどう仙人』が綿の作り方を教えた場所は、筑波山麓(蚕影山?)か他の土地なのかは、冷静に読むとはっきりしません。
 『つくば山のほんどう仙人』と書かれていることで、筑波山麓で教えたような含みを感じさせてますが。    


そして最後★④では、いきなり!欽明天皇の皇女のかぐや』が登場してきて、実は自分が養蚕の神であると言います。
 ストーリーの冒頭で、欽明天皇の世に既にあった養蚕の由来で、欽明天皇の時代よりも以前の時代設定のはずなのに、
 欽明天皇の皇女が出てくる・・・という矛盾も物ともせず(^^:)汗


(写真は 伊豆大島から見た富士山。2019年5月撮影)

 『筑波山=富士山』だと言いながらも、筑波山なんかにいてもぱっとしないのでと言って泣『都に近い』富士山に行くと言って富士に行き、当地で神になったという話。しかも『たかとりの翁』という人物がなんの説明もなく、『あの有名人も信仰してるよ!』という感じでいきなり名前があがる。
 しかも神だけど、仏教の勢至菩薩、釈迦牟尼仏、などなど仏教用語のオンパレード

 結末は常陸国でなくて、富士山のある駿河国か甲斐国のお話に…?がーん…。 

明らかに、富士山信仰、しかも仏教と混淆した宗教思想が唐突に入ってきて、結末をかっさらています(笑)びっくり

 
  ①②③④と4部の構成ですが、まず最初の①の説話がくどい位に長い(^^;)汗
 登場人物の描写やら、金色姫の遭う災難の説明がひたすら長く描かれます。

  次の②では、舞台が秋津洲(日本)の常陸国に舞台が変わりますが、割と自然な感じで①と結びついていて、『蚕を育てる(養蚕)』の事始めの話としてまとまっています。

  私は、②の部分は物語が伝わった初期の段階で①に付け加えられ、比較的長い間、人口に膾炙していって話がこなれて繋がっていったのではないかと考えます。
  (一般には、①と②は一緒の話だと考える研究者がほとんどのようですが)

  さて、それに続く③は、綿づくり業・蚕種業・蚕糸業・織物業の事始め説話であり、かなり重要な技術に関する説話のはずです。
しかしそれらはとても簡単に語られていて、正直、雑…(^^;)汗

 思うに、それほど養蚕・蚕糸・織物の造詣の深くない、筑波山系の山岳宗教者(グループ)が、もとからあった養蚕の伝説に、
  『つくば山のほんどう仙人』というキャラクターを加えて、無理に?筑波山の話にした
ように私は感じます。

そして最後の④では、全く違う登場人物が唐突に出てきて、『筑波山=富士山』だと言い、『ここに(筑波山)にいてもいさぎよからず(いてもしょうがない)』と、筑波山をディスりながら(笑)、京の都に『近い』と言って唐突に半ば強引に、舞台を富士山に持って行き、仏教用語、菩薩、仏様の名を畳み掛けるように並べて、話を終えています・・・。

  富士山信仰・特に仏教との混淆が強い山岳宗教者(グループ)が、この説話を利用するために、強引に汗最後の部分をつけて、富士山の神が養蚕の神だとして、話を拡散(布教)したと見て良いかと思います。

  では、なぜ富士山信仰が関わってきたのでしょうか??
  そして、どうして4部構成の物語になっていったのでしょうか??

  次回はそれを考察していきます。
 
  (続きます)
 
茨城3つの養蚕信仰の聖地について(4) ~金色姫譚と富士山信仰 及び 金色姫譚の誕生仮説


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【参考文献】

1.『妹の力』柳田国男著 角川文庫 収録 『うつぼ舟の話』

2.『民俗信仰の神々』 大島建彦 著 三弥井書店

3.『養蚕と蚕神 近代産業に息づく民俗学的想像力』 沢辺満智子 著 慶応義塾大学出版会 発行

4.『室町時代物語大成 第三 えしーきき』 横山重 松本隆信 編 角川書店 収録『戒言』慶応義塾図書館蔵 86

5.『筑波歴史散歩』 宮本宣一 著 日経事業出版センター

6.『筑波町史 史料集 第五篇』 茨城県つくば市教育委員会


















  

プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城

別館: 夢うつつ湯治日記 https://note.com/carfamom/

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