八代集に収められている筑波山の歌~(2)後撰和歌集にある筑波山



日本最古の歌集 『万葉集』 以降に編纂された八つの勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された和歌集) 「八代集」
・古今和歌集 ・後撰和歌集 ・拾遺和歌集 ・後拾遺和歌集 ・金葉和歌集 ・詞花和歌集 ・千載和歌集 ・新古今和歌集
に歌われる、『つくばやま・つくばね (筑波山・筑波嶺)』の歌を見ていくシリーズ。

前回 → 八代集に収められている筑波山の歌~【1】古今和歌集にある筑波山

第二回目の今回は、後撰和歌集にある、筑波山の歌を見ていきます笑


(2)後撰和歌集

後撰和歌集は、村上天皇の下命によって編纂された勅撰和歌集で、古今和歌集に続いて二番目の勅撰和歌集です。
天歴五年(951年)に撰集が開始され、天徳二年(958年)以前に完成したとされています(文献1)。 
藤原伊尹(これただ/これまさ)、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城が撰集。       
二十巻・総歌数1425首です。
        
その中で、筑波山(つくばやま)、筑波嶺を歌う和歌が以下の4首です。      
        

① 675番 詠み人知らず  今はてふ心つくばの山見れば こずゑよりこそ色変わりけれ

② 686番 詠み人知らず  人づてに言う事の葉の中よりぞ 思ひつくばの山は見えける

③ 776番 陽成院 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりける

④ 1150番 詠み人知らず 限なく思う心は筑波嶺の このもやいかがあらむとすらん



776番の陽成院の歌は、百人一首にもある有名な歌なのでご存じの方も多いでしょう。

それ以外の、詠み人知らずの3首も興味深い歌で、
この3首に共通なのが、かけことばと言いますか、ことばの遊び心がとても感じられると私は思いますハート

先に見た古今和歌集では、
筑波山は、恩恵を表す歌枕の地
でもありました。

今回見る後撰和歌集では、
つくば」の「つく」がかけことばとして歌われていている歌が、4首中3首あります。

実際、文献1では、
筑波山・筑波嶺は、『心を付く』 『心を尽くす』 『思ひを付く』と掛けて歌われることが多い
と説明されています。

3首はいずれも詠み人知らずですが、ストレートに気持ちを歌うより洒落が効いていて、
歌を貰った方も、思わずニヤリとしたかもしれません。

では、具体的に見ていきましょう。


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① 後撰和歌集 675番 詠み人知らず:


かれがたになりける人に、末もみぢたる枝につけてつかはしける

今はてふ心つくばの山見ればこずゑよりこそ色変わりけれ


文献1より
 かれがたになりける人:疎遠になりつつある人 『かれ』は『離(か)れ』
 末もみぢたる:葉末の方が紅葉した
 つけて:歌をつけて
 今はてふ:「今はお別れ」という
 心つくばの山: 「心つく」と「筑波山」を掛ける

更に文献1では、
『こずゑよりこそ 「梢」と「来ず」を掛けているのが眼目』
と云います。

『色変わりけれ』は、木の葉がうつろい変わったのと男の心が変わったのを掛けているとのこと。


(写真は2019年11月撮影。筑波山中のモミジ)

文献1によると、歌の意味は、
「今はお別れ」というお心がつく筑波山ならぬあなたを見ますと、梢の方から紅葉するように「来ず」ということからお心の色が変わったようでありますよ
と解説されています。

・・・すみません、文献1の説明は、正直まわりくどくて 丁寧過ぎて、無粋な私はどうもピンときませんが(^^;)、

つまり、心変わりして最近訪れなくなった人に、葉先の色が変わり始めた枝を送って、

今は果ててしまった心を表すつくばの山を見れば、やはり来ないことを象徴するように、木の葉の色も変わってしまってます
もしくは、
もう別れようという気持ちが取り憑いているあなた(つくば山)を見ると、やはり来ないことを現すように、山の梢は色が変わってしまってますね

ということでしょうか・・・汗

それにしても、かけことばの、
●『心』ー 『付く』= つく(つくばのやま) →  『(あなたの)心』=『つくばのやま』

●『つくばの山』 は 『見る』 もの

●『梢(こずえ)』 → 『来ず』、『来ない』

●『(葉の)色変わりけれ』=心が変わってしまった


これらの表現の綾が特徴的で、心変わりした人を、詩的な表現で嘆いてるのか、恨みを伝えているのか、諦めなのか、実は清々しているのか?・・・いろいろ想像が膨らみます。



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② 後撰和歌集 686番 詠み人知らず:

はじめて人につかはしける

人づてに言う事の葉の中よりぞ 思ひつくばの山は見えける

意味は、文献1より
人づてにお贈りするこの言葉の中から、あなたに心に付ける筑波山ならぬ私の思いは自然に見えることでありますよ』


(写真は、筑波山西麓 国松付近から見た筑波山。2021年3月撮影)
つまり、
はじめて もしくは 改めて人を遣わした時の歌で、
人を通して贈る言葉の中からも、私のあなたへの思い(私の思いが付く=つくばの山)は見えるでしょう
ということでしょう。

この歌も、

●思ひ ー つく(つくばのやま) 

●『つくばのやま』 ― 『見る』もの

●『(ことのは)葉』 ― 『思い』 = 心 = つくばのやま(の木々)

が、共通の表現です。

ところで、筑波山は上の写真でも分かるとおり、関東平野にそびえる独立嶺で目立つので、どこからでもキラキラバッチリキラキラ見えます。
筑波山を『私の思い』に例えることは、『思いはモロ見え、丸出し』ということ(笑)でしょうか?(← 多分違いますね汗

当時、遠い都に住んでいた人が、イメージで『つくばやま』にかけて歌ったのか、はたまた実際の筑波山を知っている人によって謳われていたのか、状況によって歌の持つ雰囲気も違って受け取れるのも楽しいグッド

でも、やはり、独立峰でどこからもバッチリ見える筑波山ですから、

『つくばのやま』=『よく見える山』=『伝わりやすい思い・伝えたい気持ち』

に繋がってるのかも?・・・な~んて、思っています。


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③ 後撰和歌集 776番 陽成院

釣殿のみこのつかはしける

筑波嶺の嶺より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりける


百人一首にも歌われている有名な歌です。

『釣殿のみこ』とは、光孝天皇の皇女で、綏子(すいし)内親王のことで、この歌を歌った陽成院に嫁します(文献2)。


『みなの川』は、筑波山の男体山と女体山の間を流れる、男女川
ちなみに、筑波山南麓(つくば市)側にも、筑波山北麓(桜川市・真壁側)にも、『男女川』があります。キラキラ
どちらの川を歌ったのかは不明・・・と言いますが、遠い京の都から、想像の翼を広げて歌われた歌なので、
筑波山の男体山・女体山の間を流れる川ならば、どちらでも良いわけですちょき

(写真は、筑波山南麓の方の男女川の水源の1つ。2016年撮影)


さて歌の意味は、文献2の解説をそのまま引用しますと、
筑波山の峰から流れ落ちる みなの川の水が、つもりつもって深い淵となるように、あなたを思うわたしの恋も、ほのかな思いから今ではつもりつもって、淵のように深くなっていることだ

この歌は、『万葉集』3392番 の歌
筑波嶺の岩もとどろに落つる水 世にもたゆらにわが思わなくに
に影響を受けたとも(文献1)云われ、文献2でも対比して語られています。

ちなみに、万葉集の歌の意味は、文献3より、
『筑波山の、岩もとどろきつつ落ちる水のように、絶えてしまうなどとは全く思わないことだ』
とのこと。
つまり、『私の思いは、筑波山の、岩をとどろき落ちる流れのように、絶えてしまうなんてあり得ない!』
という熱い想いの歌のようで、深く静かな印象の、陽成院の歌と対比的だとされています。
(陽成院の歌も、静かな表現の中にも、熱い想いは伝わってくるように、私には思えますが・・・)

陽成院は、貞観十年(868年)に生まれ、清和天皇第一皇子、母は二条后(藤原)高子。
貞観十八年(876年)わずか8歳で即位、元慶八年(884年)に『狂病のため』16歳の時に廃され、でも長生きで天歴三年(949年)82歳で崩じました。
この歌は、天皇を廃された後に、後に后となる綏子内親王に贈った歌です。

陽成院は、わずか8歳〜16歳までの在位。数え年ですから、今なら小学校低学年〜中学生の年齢の間の在位。
この歌は退位した後、二十代中頃に作られ、のちに妃になる綏子内親王に贈った歌。

残念なことに、在位中に悪行が伝えられる陽成院ですが、この歌はとてもきれいで純粋な気持ちハートが伝わってくるように感じます。
(だからこそ、小倉百人一首に選ばれた歌!

ドロドロの権力の世界。もしかすると、何かいろいろあったのかもしれませんね・・・。


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④ 後撰和歌集 150番 詠み人知らず:

人の裳を縫はせ侍に、縫ひてつかはすとて

限(かぎり)なく思(おもふ)心は筑波嶺のこのもやいかゞあらむとすらん

文献1より
あなたのことを限りなく覆う私の心をつけておきましたこの裳は、どのようになりましたでしょうか、気になります

つまり、
心を込めて縫い上げたこの裳は、いかがでしょうか (お気に召したでしょうか)
という問いかけを歌にしたのでしょうか。

●思う・心 → 付く(つく) → 筑波のやま、筑波嶺

●この裳 → このも →  古今和歌集にある常陸歌 『このもかのも(この面かの面)に蔭あれど』が背景にあり、『も(裳)』と『も(面)』をかけている(文献1)
 前回の記事
(古今和歌集にある常陸歌…ということは、地元常陸国をはじめ、よく謳われていたみたいですね!?)

● つくばのやま―見れば、見えける

やはりこれらが、共通の表現です。


(写真は2013年2月撮影。石岡市まちかど情報センターの『いしおか雛巡り』展示のひな人形)

ところで、文献1によると『裳』は当時の男性の礼服とのこと。
でも、平安時代以降の、宮中の女房の長いスカートのような衣服も『裳』と呼ぶようなので、この歌が男性用の衣装について歌っているという根拠は何なのでしょう?

でもまあ、現代でしたら、男女どちらの場合も使えそうです。
特に、着る物(特に手作りの服、浴衣や、手編みの服など)等を贈った時は、この歌を添えると格調高く感想を求めることが出来そう!?ちょき

*****

以上のように、詠み人知らずの3首に共通する『つくばやま(筑波山)』を使う時の使い方、つまり洒落のような表現があるのが分かりました。

和歌における『筑波山・筑波嶺』の使い方や意味がまた一つ加わった感じですちょき

次回は、『拾遺和歌集』、『後拾遺和歌集』、『詞花和歌集』にある筑波山の歌です。

続きます。

 → 八代集に収められている筑波山の歌~【3】拾遺・後拾遺・詞花和歌集にある筑波山


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【参考文献】

1. 『古今和歌集  新日本古典文学大系6』 岩波書店

2. 『鑑賞 第7巻 日本古典文學 古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集』 角川書店

3.[『万葉集 全訳注 原文付(三)』 中西進 講談社文庫

4, 『八代集総索引 新日本古典文學体系 別巻』 岩波書店

5.『筑波誌 <筑波山神社版>』 杉山友章 著 崙書房

  5には、筑波山を歌った歌・和歌が数多く紹介されています。








  

八代集に収められている筑波山の歌~(1)古今和歌集にある筑波山


日本で一番古い歌集「万葉集」には、筑波山を歌った歌が25首あるのは、よく知られているかと思います。
筑波山神社の境内や、登山道(迎場コース:筑波山神社~白雲橋~酒迎場分岐~筑波山ロープウェイを結ぶ道)に、万葉集歌を彫った石碑もありますし、筑波山麓やその周辺にも、万葉集の歌が彫られた碑も見かけますので、ご存じの方も多いでしょう。。

その万葉集以降に編纂された勅撰和歌集(天皇や上皇の命で編纂された和歌集)にも、筑波山(つくばやま、つくばね)を歌った歌が多く収録されています!

万葉集の後、(平安初期~鎌倉初期)に編纂された8つの勅撰和歌集は、「八代集」と呼ばれており、

・古今和歌集 ・後撰和歌集 ・拾遺和歌集 ・後拾遺和歌集 ・金葉和歌集 ・詞花和歌集 ・千載和歌集 ・新古今和歌集

です。
(その後の時代にも、勅撰和歌集の編纂は続きます)

万葉集の他にも歌われた歌も知りたいですよね♪
八大集は図書館にもあるので調べやすいので(^^)v、
シリーズとして数回に分けて、八代集の中で歌われた筑波山の歌を見ていこうと思います。



(写真は、当時の常陸国国府のあった石岡付近から見た筑波山。2021年2月下旬 撮影)

万葉集では、筑波山は、かがい(歌垣)の地で、もっぱら恋の歌(それもかなりダイレクトな)が詠われる地で、「恋の山」のイメージですが、時代が下ると、恋の山以外のイメージも付加されてきます。

その辺りにも注目して、歌を見ていきましょう笑

さて、初回の今回は、古今和歌集の中にある、筑波山の歌です。


(1)古今和歌集

古今和歌集は、延喜五年(905年)醍醐天皇の勅命により、十世紀初期(文献1では「延喜十三年から十七年の間」)に編纂された和歌集です。
編纂の初期の頃は『続万葉集』と称せられていたとのこと(文献2)

『仮名序』と呼ばれる序文と、『真名序』と呼ばれる序文があり、万葉集に選ばれなかった古い時代の歌から編纂時の頃の和歌までが選ばれて、全二十巻、1111首が収められています。

この古今和歌集に納められている 『筑波山』(つくばやま、つくばね)の歌や表現は、

①仮名序 (紀貫之) :
『…さざれ石にたとへ 筑波山にかけて君を願ひ 喜び身に過ぎ …』

②真名序 (紀淑望) : 『…陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰。…』

『陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰』 ③966番の歌 (宮道潔興) : 筑波嶺のこのもと毎に立ちぞよる春のみ山の蔭を恋つつ

④1095番の歌 (常陸歌) : 筑波嶺の このもかのもに 陰はあれど 君がみかげにますかげはなし

⑤1096番の歌 (常陸歌) : 筑波嶺の 峰のもみぢ葉おちつもり 知るも知らぬもなべてかなしも



です。

文献1,2の解釈を参考に、この5つを見てきましょう。


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① 古今集​仮名序

紀貫之が書いた仮名序。
その長い序文の一節

『…さざれ石にたとへ 筑波山にかけて君を願ひ 喜び身に過ぎ …』

に、まず、筑波山(つくばやま)が出てきます!


(写真は2021年2月下旬撮影)

古今集は全20巻、総歌数1111首が納められた和歌集ですが、その序で、1111首に歌われる数々の歌枕の地の中から
筑波山(つくばやま)
の名が掲げられているのです!

しかも、この前後の文がまた素晴らしいので引用しますと、

しかあるのみにあらず、さざれ 石にたとへ、筑波山にかけて君を願ひ、
よろこび身に過ぎ、たのしび心に余り、富士の煙によそへて人を恋ひ、
松虫の音に友をしのび、高砂・住の江の松も相生のやうに覚え、
男山の音を思ひ出でて、女郎花の ひとときをくねるにも、歌をいひてぞ慰めける
』。

是非、声に出して歌って欲しい、名文だと思います(*^^*)ハート
古典のことはよくわかりませんが、紀貫之、さすがだと思いませんか?

醍醐天皇の勅命で編纂された和歌集なので、やはり醍醐天皇を讃えながら、和歌を讃えているわけですが、この名文の中に、京の都から遠く離れた常陸国の筑波山が、入っているのが嬉しい。

『君を願ひ』の『君』は、君主つまりここでは天皇のことです(文献1,2)。
つまり 『天皇陛下の安泰を願い』ということでしょう。

筑波山(つくばやま 筑波嶺とも)は、君主の恩恵を賛美するたとえに用いられる』(文献1)とのことで、古事記が編纂された頃は、筑波山はもっぱら『恋の山』のたとえが多かったようですが、時代とともに別の意味も加わってきて、古今和歌集が編纂された平安時代前期になると、『君主の恩恵』を表すようになったようですね!

面白ですね!
どのような変遷でそうなったか興味深いです。                  

それにしても、つくばやま・つくばねは、歌枕の地としてゆるぎなかった上に、勅撰和歌集の序文にも書かれるくらい、聖地としても遠く都まで伝わっていたということですよね。

これ、もっと知られて良いと思いますキラキラ


********
② ​真名序

紀淑望が書いたと言われる、漢文で書かれた序文です。
仮名(ひらがな)に対する真名(漢字)で書かれた序文。 
 
真名序は仮名序の訳だとも、逆に仮名序を訳したのが真名序だとも言われるようですが、
書いてある内容のニュアンスが違うと私は思います。
お互い内容に整合性を持ちつつ、それぞれの表現方法で序を書いていると感じます。
 
さて、仮名序と同じく、こちらでも『筑波山』がしっかりと出てきます。
 
陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰』

読み下し文
陛下の御宇今に九載なり。仁は秋津洲の外に流れ、恵は筑波山の陰よりも茂る

意味は、
『(醍醐天皇の治世は現在、九年である) 天皇の仁愛は日本国の外まであふれ出し、その恩恵は筑波山の山かげに草木が茂るように深い』
(文献1より筆者要約) 


(写真は 御幸ヶ原登山道の巨木群。2016年10撮影)

『筑波山の陰』とは、筑波山に茂る木々の陰を指すようで、『木陰』は『 おかげ・恩恵』のたとえで、『寄らば大樹の陰』の『陰』と同じ使い方でしょうか(^^;)

つまり、『筑波山の陰』は、天皇が世に与える豊かな恵みを表す例えに使われている!

これは、この古今和歌集に収められいる966番、1095番、1096番の歌において、
筑波山に茂る木々の陰 = 身分の高い人からの庇護・恩恵
とされているからのようで、多分、当時、つくばやま(筑波山)・つくばね(筑波嶺)をそのような意味を想起させる土地の名(歌枕)としてよく使われていて、古今和歌集に収録された歌以外にもそんな用例が多くあったのかもしれませんね。

なおこの後に続く文も見てみますと、

『陛下御宇于今九載。仁流秋津洲之外、恵茂筑波山之陰。
淵変為瀬之声、寂々閇口、砂長為巌之頌、洋々満耳。思継既絶之風、欲興久廃之道』

『陛下の御宇今に九載なり。仁は秋津洲の外に流れ、恵は筑波山の陰よりも茂し。
淵の変じて瀬となる声、寂々として口を閉ぢ、砂の長じて巌となる頌、洋々として耳に満てり。
既に絶えたる風を継がむことを思ほし、久しく廃れたる道を興さむことを欲す』

紀貫之が書いた仮名序と、(醍醐)天皇を褒め讃えている点はのは同じですが、讃え方の表現が微妙に違う。

真名序のこの部分では、仮名序のように和歌について直接讃えているわけではありませんが、失われつつある良き歌を残したいという
この古今和歌集編纂への天皇の想い(そして編纂者の想い)を強く伝えていると私は感じます。


********
③ 古今和歌集 966番 宮路潔興

筑波嶺のこのもと毎に立ちぞよる春のみ山の蔭を恋つつ

宮道潔興(みやじのきよき)は、平安時代前期の官人・歌人。

   
(写真は筑波山梅林、2021年3月撮影)

古今和歌集では、この歌の前に、
『親王(みこの)宮の帯刀(たちはき)に侍りけるを、宮仕え仕う奉らずとて、解けて侍りける時に、よめる』
とあります。

文献1の注釈・解説によりますと、
 親王宮: 春宮(皇太子)御所
 帯刀: 皇太子護衛の帯刀舎人(たちはきのとねり)
 筑波嶺: 中世注は「つくはね」ともしめす
 春のみやま: 『春の宮』と『春の御山』を掛ける

つまり(文献2)によりますと、
『東宮警護の役だった宮道潔興は、勤務不良という理由で解職されてしまった時に読んだ歌』
とのことのよう(^^;)

で、その歌の意味は、
(文献1より、後に出てくる④1095番の常陸歌の句
『筑波嶺のこのもかのもに影はあれど』tと『君がみかげにますかげはなし』 を踏まえて)


(写真は同上)
『「筑波嶺のこのもかのもに影あれど」というその木のしたのあちこちに立ち寄っていております。春のみやま(=春宮様)の恩恵をお慕いしております』

つまり職を解かれた宮道さんが、仕えていた春宮(皇太子)の恩恵を忘れらずにいるのか、はたまた再び恩恵を承りたい(もう一度雇って欲しい)のか・・・そんな切ない気持ちを歌っているのでしょうか。

一見、恋の歌のように読んでしまうのは、現代人の浅はかさ・・・実は、職を解かれた悲しさ、切なさを歌っているのですね泣

上でも書きましたが、この宮道潔興の歌の下地になっているのが、次に見ていく1095番の歌(常陸歌)です。


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④ 古今和歌集 常陸歌 1095番

『常陸歌』とは、常陸国の民衆が歌ってきた歌(歌謡)で、詠み人は不明です。

筑波嶺の このもかのもに 陰はあれど 君がみかげにますかげはなし

『このもかのもの』の『も』は、文献1によると『表面、方向の意の「おも」の略』とのこと。


(写真はつくばフォレストアドベンチャー 2021年3月上旬撮影)

意味は、文献1では、
『昔から名高いあの筑波山のこちら側にもあちら側にも「かげ」はあるけれど、「かげ」とは名ばかりのことで、あなた様の御面「影」にまさる「陰」はございません』

また文献2では、ちょっとニュアンスが違って、
『かげはあれど』: 木の蔭はいくらでもあるが
『きみがみかげ』: 君のみ恵みのかげ。君の御庇護

ちなみに文献3では、文献2とほぼ同じ解釈で、
『筑波嶺のこちらの斜面あちらの斜面に木陰は多いけれど、君(主君)御庇護にまさる蔭はありません』

なるほど~!

前述の966番の歌の下地にもなっている歌。
きっと、いろんな人が謡ってきたヒットソングだったのでしょうキラキラ

でも現代でも、ごますり 誰かのご恩を褒め讃える時に使えそうですので、使ってみたいですねちょき 株が上がりそう!?グッド


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⑤ 古今和歌集 『常陸歌』 1096番 詠み人知らず

 筑波嶺の 峰のもみぢ葉おちつもり 知るも知らぬもなべてかなしも
 

(写真は、筑波山ケーブルカー 宮脇駅付近。写真は2019年11月撮影)

文献1によると歌の意味は
『昔から名高いあのもみじの葉が落葉して積もっていて、秋はともかく『悲しい』ことではるが、それでもやはり、知っている葉も知らない葉も、すべてそれぞれにしみじみといとおしく思われることだなあ』
とし、更に
『(筆者註:他の歌の例から) 秋は悲しいものという前提でいうが、転じて「葉」が「御世」を暗示し、1095番を承けた御世御世の賛歌と解する。「おほやけ(朝廷・公)のあまねき御恵みの遠近なきにたとへたり」。もとは筑波山の嬥歌会(かがい)の歌とする説もある』
としています。

また文献2では、微妙に解釈が異なり、
『つくばねの峯のもみじばおちつもり』: 美しいものがたくさん集っているたとえ
『しるもしらぬもなべてかなしも』: している人も知らない人も、おしなべていったいにいとおしいなあ。
とのこと。


(写真は同上。2019年11月撮影)

こちらの歌も上の1095番の歌と同様、常陸歌で、詠み人知らず。
これも、平安時代初期の更に昔から常陸国の人々が折に触れ歌っていたらしい、ヒットソングですねグッド

それにしても 『もみじ葉』が何を指しているか、何を例えているのか…いろいろ想像が膨らみますが豆電球
落ち葉は土に戻り、腐葉土となり、木々が育つ豊かな土壌になるわけで、『落ち葉』=『恩恵』という解釈は、しみじみと深いと思います。

 
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今回は、平安時代前期に編纂された『古今和歌集』に出てくる筑波山
  つくばやま、つくばね
の歌や表現を見ていきました。

 
歌枕の地としての『つくばやま』『つくばね』は、
 ・天皇の世(=国の安泰)を願える聖地
 ・その恩恵の大きさ・豊かさの例えに使われた地
とされていたのが分かり、感動していますキラキラ

これ、本当にもっと宣伝すべきですよ!!筑波山!!

それにしても、現代でも使えそうな歌の数々。雅に気持ちを歌えるのに良さそうではありませんか!  
筑波山麓やその周辺にお住いの方、是非使ってみてはいかがでしょう♪グッド


さて、次回は後撰和歌集に歌われる『筑波山』です。
百人一首に詠われるあの有名な歌の他にも、筑波山を歌った歌がありますし、こちらの「序」にも
「筑波の山」「筑波嶺」が出てきます(^^)v。

続きます笑
 → 八代集に収められている筑波山の歌~ 【2】後撰和歌集にある筑波山


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【参考文献】

1. 『古今和歌集  新日本古典文学大系5』 岩波書店

2. 『古今和歌集 日本古典文學体系8』 岩波書店

3. 『鑑賞 第7巻 日本古典文學 古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集』 角川書店

4, 『八代集総索引 新日本古典文學体系 別巻』 岩波書店

5.『筑波誌 <筑波山神社版>』 杉山友章 著 崙書房

  5には、筑波山を歌った歌・和歌が数多く紹介されています。






















  

2021年03月09日

筑波山梅林2021

筑波山梅林2021


先日、3/7(土)早朝、思い立って、筑波山梅林を見に行きました。

東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏1都3県が、引き続き、新型コロナウィルス感染防止の為の緊急事態宣言が延長されましたが、茨城県は県独自の緊急事態宣言が2/23に解除され、『第48階筑波山梅まつり』が開催されています。

豆電球筑波山梅まつり 公式HP
 ※開花状況などこちらで分かります。
 豆電球【3/13追記】観光ボランティアガイド298の会長さんによる筑波山梅林の紹介の動画(YouTube)も見られます。大変詳しくて、必見です!



この日、家を出る時は濃霧でしたが、筑波山に近づくにつれ、霧が薄くなってきましたちょき

人が少ない早朝で、屋外ですが、やはり念には念を入れて、感染対策のマスクもしっかりして、観梅。









これこれ!この黒い斑れい岩と梅の木々の中を歩くのが、筑波山梅林の醍醐味。
紅梅はピークが終わったようですが、白梅は、今が満開!!
周りに人が居ない時に、そっとマスクを外すと・・・ああ!梅の香りがハート
今年も梅に出会えて良かった。







朝日に照らされる、展望四阿(あずまや)。
家を出るときは、濃霧の中でしたが、期待通りちょき
筑波山中腹から上は霧はなく、薄く青空がグッド









展望四阿の向こうに、雲海に浮かぶ宝筺山(ほうきょうさん)。
幽玄な姿です。










私の好きな、沢沿いの道。
この道を下って行きます。









梅のこういう枝が、味わい深いですよね。
梅林を歩いている内に、頭上の雲が切れて青空が見きました。









下界はまだ濃霧の中なので、今日は関東平野は見渡せませんでしたが、
梅林の上から見ると、白梅の雲が、麓の雲に続くようで、これはこれで美しいハート









林道(自動車道)のピンカーブの崖では、岩の割れ目からわき水が。
清らかな湧き水を受ける素焼きの小さな器が、可愛い。











林道(自動車道)の脇の『見返り縁台』から、梅林を望む。
尾根づたいに、紅白の梅の雲を、横から見られます。

写真左に見える黄色い花を咲かせる木は、サンシュユです。







第一駐車場に続く園内の遊歩道。
この辺りは初夏は、紫陽花が綺麗なところです。
 豆電球以前書いた記事 → 筑波山梅林の紫陽花 2020

今の時期は足下の水仙の花が愛らしい。梅と水仙が咲く小道を歩きます。






今年は梅まつり期間中、園内の4カ所にクイズの看板が設置されているようです。
クイズに答えると、つくばの名産が当たるかもとのこと。









『観梅広場』では、つくば観光大使の皆様の巨大な看板が!
コロナ禍の今は、実物の観光大使がお出迎え出来なのので、苦肉の策なんでしょう。
早くコロナが収まって、艶やかな本物の観光大使にお出迎えして頂きたいですよね。

こちらでは、『たき火カフェ』が楽しめるようです。

観梅広場の近くでも、黄色いサンシュユの花を咲かせる木々があります。




梅まつりのピンクの旗って、可愛いですよね。










梅林に隣接する、『フォレストアドベンチャーつくば』で、梅まつりの期間限定で行われている、1000円の体験コースも楽しみましたグッド

空中を飛びながら! 見渡す満開の梅林キラキラ、そして筑波山(男体山)の姿キラキラ、最高でした!キラキラ








【本日のお土産】


『おもてなし館』で見つけた、マグネット。
4種類ほどの絵がありましたが、私は迷わず、筑波山神社御座替わり神事の絵。
とぼけたにゃんこたちのなんと可愛く、味わい深いこと!
茨城県を拠点をオリジナルキャラクターのグッズの製作・販売している「おたさく」さんデザインのマグネットです。









【ご参考】 筑波山梅林の過去の記事

豆電球2020年の梅林の報告
筑波山梅林2020
筑波山梅林の紫陽花 2020

豆電球2019年の梅林の報告
平成最後の筑波山梅林梅まつり2019

豆電球2018年の梅林の報告
筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林

豆電球2017年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日

豆電球2016年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2016年2月21日

豆電球2015年の梅林の報告
  ・筑波山梅林 梅まつり 2015年3月8日

豆電球2014年の梅林の報告
 ・2014年筑波山梅まつり その1 ―2/22オープニング
 ・2014年筑波山梅林梅まつり その2 3月9日(日)






  

Posted by かるだ もん at 20:06Comments(2)地域・お出かけ 
プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城

別館: 夢うつつ湯治日記 https://note.com/carfamom/

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