2018年03月28日
たまごの形のお菓子いろいろ8
たまごの形のお菓子いろいろ8
ひょんなことから、全国にある『たまごの形のお菓子』にハマり、
自称 『たまご型のお菓子評論家』
の私 かるだもんが、日本各地の『たまごの形のお菓子』について、見つけては食べ次第、報告するシリーズ。
今までの記事
たまごの形のお菓子いろいろ
続・たまごの形のお菓子いろいろ
続続・たまごの形のお菓子いろいろ
続続続・たまごの形のお菓子いろいろ
続々々々・たまごの形のお菓子いろいろ
たまごの形のお菓子いろいろ6
たまごの形のお菓子いろいろ7
私の現時点での持論 『たまごの形のお菓子分布仮説』は、
(1) 瀬戸内海西部を中心にした地域には、マシュマロの“たまごの形のお菓子”が多い
(2) 東日本での“たまごの形のお菓子”は、たまご型のまんじゅうで、
かつ、
①チョココーティング(ホワイト・ブラック問わず)があるタイプ
②コーティングのないもの
の2タイプがある
です♪
それを、ゆる~く、美味しく頂きながら、実証(?)しております。
さて、先日、近所のコンビニで、偶然、『たまごの形』のおまんじゅうを発見!
その名も、『たまご』!
王道を行く名前♪
正式名称は、『和楽の里 たまご饅頭』 でしょうか。
千葉県成田の『米屋』さんという和菓子屋さんのお菓子。
米屋さんのホームページ http://www.warakunosato-yoneya.jp/
を拝見すると、創業119年! 『明治32年(1899年)に成田山門前で創業した』とのこと。
袋から出したところ、まさしく、
The たまごの形
のおまんじゅう
生地はしっとりしたタイプ。
餡は黄身餡。
上記の私の仮説(2)の②
『東日本での“たまごの形のお菓子”は、たまご型のまんじゅうで、チョココーティングがないタイプ』
ですね
茨城はつくばのコンビニで買えるも、また1個ずつバラ売りなのも嬉しい
また見つけたら買いです♪
奇しくも欧米ではイースターのこの季節、日本でもそれにあやかって、子供向けにたまごの形のお菓子が出回っていたりしますよね。
そんな時でも、やっぱり、日本伝統のおまんじゅう で たまごの形のものなど、かえってオシャレな気がします
外国の方のお土産にもGoodですし、全国の『たまごの形』のお菓子、いかがでしょう♪
このシリーズ、たまごの形のお菓子が手に入ったら、続きます
→ たまごの形のお菓子いろいろ9
ひょんなことから、全国にある『たまごの形のお菓子』にハマり、
自称 『たまご型のお菓子評論家』
の私 かるだもんが、日本各地の『たまごの形のお菓子』について、見つけては食べ次第、報告するシリーズ。
今までの記事
たまごの形のお菓子いろいろ
続・たまごの形のお菓子いろいろ
続続・たまごの形のお菓子いろいろ
続続続・たまごの形のお菓子いろいろ
続々々々・たまごの形のお菓子いろいろ
たまごの形のお菓子いろいろ6
たまごの形のお菓子いろいろ7
私の現時点での持論 『たまごの形のお菓子分布仮説』は、
(1) 瀬戸内海西部を中心にした地域には、マシュマロの“たまごの形のお菓子”が多い
(2) 東日本での“たまごの形のお菓子”は、たまご型のまんじゅうで、
かつ、
①チョココーティング(ホワイト・ブラック問わず)があるタイプ
②コーティングのないもの
の2タイプがある
です♪
それを、ゆる~く、美味しく頂きながら、実証(?)しております。
さて、先日、近所のコンビニで、偶然、『たまごの形』のおまんじゅうを発見!
その名も、『たまご』!
王道を行く名前♪
正式名称は、『和楽の里 たまご饅頭』 でしょうか。
千葉県成田の『米屋』さんという和菓子屋さんのお菓子。
米屋さんのホームページ http://www.warakunosato-yoneya.jp/
を拝見すると、創業119年! 『明治32年(1899年)に成田山門前で創業した』とのこと。
袋から出したところ、まさしく、
The たまごの形
のおまんじゅう
生地はしっとりしたタイプ。
餡は黄身餡。
上記の私の仮説(2)の②
『東日本での“たまごの形のお菓子”は、たまご型のまんじゅうで、チョココーティングがないタイプ』
ですね
茨城はつくばのコンビニで買えるも、また1個ずつバラ売りなのも嬉しい
また見つけたら買いです♪
奇しくも欧米ではイースターのこの季節、日本でもそれにあやかって、子供向けにたまごの形のお菓子が出回っていたりしますよね。
そんな時でも、やっぱり、日本伝統のおまんじゅう で たまごの形のものなど、かえってオシャレな気がします
外国の方のお土産にもGoodですし、全国の『たまごの形』のお菓子、いかがでしょう♪
このシリーズ、たまごの形のお菓子が手に入ったら、続きます
→ たまごの形のお菓子いろいろ9
2018年03月21日
筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林
筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林
前回のお話
→ 筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
梅まつりで土日祝日は、道路も大渋滞で賑わう、筑波山梅林。
そのお隣の敷地に、筑波山梅林誕生のきっかけとなった場所があります。
『つくばね焼』の幟と、看板が掲げられているのでご存じの方も多いでしょう。
『窯元 陶 梅田』
今まで、筑波山梅林に行く度に、気になってはいましたが、時間の関係上、いつも行き損ねていた窯元さん。
今回、買い物がてらつくばね焼窯の方にお話をうかがったら、大変興味深かったので、ここに紹介します!
梅まつりの梅を見がてら、筑波山梅林の入り口近くから、黄色い幟を目指して登っていきました。
『つくばね焼』と大きく書かれた建物。
筑波山梅林に隣接してるので、梅林からも見えますね。
【窯元 陶 梅田さん と 筑波山梅林の関係】
伺ったお話を要約すると、
① 昔(昭和30年代頃か?)、まだ何もない山林のこの場所に入植して土地を開拓した。
② 名字が梅田さんなので『梅』の木を選び、昭和37年にこの土地に千本ほど手植えされた。
(つくばね焼を作られている方のお母さんが植えられたとのこと)
③ それを期に昭和41年、当時の筑波町が、その隣の敷地斜面(現在の梅林)に町の需要用の実梅の苗を植え始めた。
これが現在の筑波山梅林になっている。
④ 梅田さんの土地の梅の木は、その後の土地造成でかなり無くなってしまった。
しかしそれでも敷地内には、梅の古木が何本も残っていて、見ることが出来る。
敷地に残る、梅の木々。
梅林の、専門家が剪定した木の造形とは違いますが、風格がありますよね。
⑤ 敷地内の紅梅の若い木々は、梅田さん御夫妻のご結婚50周年記念に、数年前に植えたもの。とのこと!
写真が良くなくて申し訳ないのですが、白い花の後ろにある、赤い花のまだ細い若木が、その記念の植樹の紅梅の木の1本かと思います。
【つくばね焼の特徴】
また、『つくばね焼』は、昭和63年茨城県郷土工芸品に指定されており(※)
★斜面を利用した『登り窯』で焼いている(※)。
写真は窯の外観。
★つくばね焼の粘土には、筑波山の土もブレンドされている(※)。
★釉薬には、筑波山に生えている草木を使った灰を使用(※)。
とのこと。
(※)『つくばね焼』のパンフレットより。
写真は、窯元 陶 梅田さんの敷地から筑波山梅林の展望四阿(あずまや)を望む。
筑波山梅林は、梅まつり期間がもちろん一番の見頃ですが、これからの季節、山桜、ツツジ・山ツツジ、紫陽花も綺麗な季節です。
しかも空いている! そして下に隣接するフォレストアドベンチャーで楽しめる。
・・・ということで、つくばね焼も見学されると良いかもしてません(^^)v
筑波山の名水で入れると、お茶もコーヒーも美味しい
筑波山の花崗岩を通ってきた水は、とても美味しい水になります。
(だから筑波山系周辺の筑波山水系には、造り酒屋が多い♪)
お気に入りの楕円のお皿。
使い勝手が良いので、もうちょっと買いそろえたい
筑波山梅林に隣接する、もうひとつの『梅林』。
それは、筑波山梅林の歴史にも繋がっています。
そこで焼かれている焼き物と一緒に、もっと広く知られると良いなぁと思います。
前回のお話
→ 筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
梅まつりで土日祝日は、道路も大渋滞で賑わう、筑波山梅林。
そのお隣の敷地に、筑波山梅林誕生のきっかけとなった場所があります。
『つくばね焼』の幟と、看板が掲げられているのでご存じの方も多いでしょう。
『窯元 陶 梅田』
今まで、筑波山梅林に行く度に、気になってはいましたが、時間の関係上、いつも行き損ねていた窯元さん。
今回、買い物がてらつくばね焼窯の方にお話をうかがったら、大変興味深かったので、ここに紹介します!
梅まつりの梅を見がてら、筑波山梅林の入り口近くから、黄色い幟を目指して登っていきました。
『つくばね焼』と大きく書かれた建物。
筑波山梅林に隣接してるので、梅林からも見えますね。
【窯元 陶 梅田さん と 筑波山梅林の関係】
伺ったお話を要約すると、
① 昔(昭和30年代頃か?)、まだ何もない山林のこの場所に入植して土地を開拓した。
② 名字が梅田さんなので『梅』の木を選び、昭和37年にこの土地に千本ほど手植えされた。
(つくばね焼を作られている方のお母さんが植えられたとのこと)
③ それを期に昭和41年、当時の筑波町が、その隣の敷地斜面(現在の梅林)に町の需要用の実梅の苗を植え始めた。
これが現在の筑波山梅林になっている。
④ 梅田さんの土地の梅の木は、その後の土地造成でかなり無くなってしまった。
しかしそれでも敷地内には、梅の古木が何本も残っていて、見ることが出来る。
敷地に残る、梅の木々。
梅林の、専門家が剪定した木の造形とは違いますが、風格がありますよね。
⑤ 敷地内の紅梅の若い木々は、梅田さん御夫妻のご結婚50周年記念に、数年前に植えたもの。とのこと!
写真が良くなくて申し訳ないのですが、白い花の後ろにある、赤い花のまだ細い若木が、その記念の植樹の紅梅の木の1本かと思います。
【つくばね焼の特徴】
また、『つくばね焼』は、昭和63年茨城県郷土工芸品に指定されており(※)
★斜面を利用した『登り窯』で焼いている(※)。
写真は窯の外観。
★つくばね焼の粘土には、筑波山の土もブレンドされている(※)。
★釉薬には、筑波山に生えている草木を使った灰を使用(※)。
とのこと。
(※)『つくばね焼』のパンフレットより。
写真は、窯元 陶 梅田さんの敷地から筑波山梅林の展望四阿(あずまや)を望む。
筑波山梅林は、梅まつり期間がもちろん一番の見頃ですが、これからの季節、山桜、ツツジ・山ツツジ、紫陽花も綺麗な季節です。
しかも空いている! そして下に隣接するフォレストアドベンチャーで楽しめる。
・・・ということで、つくばね焼も見学されると良いかもしてません(^^)v
筑波山の名水で入れると、お茶もコーヒーも美味しい
筑波山の花崗岩を通ってきた水は、とても美味しい水になります。
(だから筑波山系周辺の筑波山水系には、造り酒屋が多い♪)
お気に入りの楕円のお皿。
使い勝手が良いので、もうちょっと買いそろえたい
筑波山梅林に隣接する、もうひとつの『梅林』。
それは、筑波山梅林の歴史にも繋がっています。
そこで焼かれている焼き物と一緒に、もっと広く知られると良いなぁと思います。
2018年03月14日
筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
筑波山梅林2つの秘話(1)と、梅まつり2018年3月3日&7日
1月に、つくば観光ボランティア298の勉強会で、筑波山梅林の再生プロジェクトについて勉強しました。
●筑波山梅林、知られざる秘話(1)●
★筑波山梅林は、平成25年度日本造園学会技術部門賞受賞の梅林。
★2000年に、藤沢順一つくば市長(当時)から筑波大学副学長を通して、鈴木雅和筑波大学芸術系教授(当時)に梅林再生依頼があって生まれたプロジェクト。 展望四阿(あずまや)など、大学院生のグループコンペで選ばれたアイディア。
当時珍しかった「大学の地域貢献」の画期的成果。
★全ての管理対象樹木を、GPS等を使って位置把握。ナンバリング。
★30年間放置され、鬱蒼とした梅林の木々を、木の再生の為に、大胆に剪定、伐採。
その直後、花がつかず、観光客等から苦情殺到。
★しかし、数年後、梅の木々は花をつけ始め、観光客が増え始め、2006年には観光バスツアーも。
★剪定した枝はウッドチップにして敷き詰める → 木の保護、土壌づくり、見学者の歩きやすさに効果。
剪定の方法などをきちんとマニュアル化。
★現在に至るまで、毎年、剪定をつくば市と業者が行っている。
また以前、全国的に梅の木に感染が報告されて問題になった プラムポックスウィルスは筑波山梅林では発見されていない。
(参考文献:「平成25年度日本造園学会受賞者業績要旨 筑波山梅林再生プロジェクト」、鈴木雅和, ランドスケープ研究78(2), 2014)
30年間放置されて、正直、ダメダメだった筑波山梅林。
それを、ここまで素晴らしい梅林に復活させたプロジェクト。
筑波山梅林は、最近はテレビでも特集されていますよね。
本当にスゴイです。
NHKの『プロジェクトX』(今はやっていないけど)とか、TBSの『情熱大陸』等のドキュメンタリーで、取り上げてほしいくらい。
つくば市はもっと大々的にこれを宣伝すべきです
以上を念頭に置き、改めて梅林をご覧になると、感動もひとしおです
・・・ということで、今年2018年の筑波山梅林 梅まつりです
●3月3日(土)及び 3月7日(水)の筑波山梅林●
暖かい日が続いて梅もだいぶ咲き進み、報告が遅くなりました
3月3日(土)は朝から、そして3月7日(水)は夕方に、筑波山梅林に行ってきました
筑波山梅林の詳細情報 → 筑波山梅まつり公式サイト
3/3(土)は朝から快晴。
風もなく暖かく穏やかな日和
朝9時過ぎの時点で、梅園一番上の、展望四阿(あずまや)から、靄の中で微かですが何とか富士山が見えました!
・・・が、風がなく温かな日差しなので、どんどん靄が濃くなり、みるみるうちに見えなくなりました。
3/3では、展望四阿付近の紅梅はほぼ満開。
ただし、園の下の方の紅梅はまだつぼみの木も見受けられましたので、紅梅全体としては8割くらいの印象。
写真は3/3の時点のもの。
白梅はこれからという感じで、全体としては3割程度でした。
ただし、梅林中腹の緑がく梅は、満開でした♪
そしてこちらの写真は、やや角度が違いますが、3/7(水)の時点のもの。
暖かい陽気が2~3日続いたので、紅梅は満開。
白梅も7割位に咲き進んでいました!。 一気に咲いた感じですね。
今年の梅まつりでは、梅林の下に隣接するフォレストアドベンチャーつくばで、100mジップスライド体験もやっているせいか、時々、断末魔のような(笑)絶叫が聞えてきたり(^m^)
気づいたのですが、大抵、絶叫の声は男性の声ですね・・・
土日はつくば観光大使の皆さんの艶姿も花を添えます
たすきをつけるのを手伝い合う つくば観光大使さんのお二人。
(3/3撮影)
(3/3撮影)筑波山梅林名物、斑レイ岩の巨石群と、梅の花の取り合わせ。
それに加えて青い空と、関東平野を見渡す絶景。
歩くごとに、風に乗って梅の香り
さて、今年から新しく出来た、新名所『福来梅』
筑波山名物・福来(ふくれ)みかん から、名前を取ったようですね♪
(3/7撮影)
りっぱな巨石のそばにある白梅の木。
今回、筑波山神社が祈祷したとのことで、縁結びの新パワースポットとなりそうな予感
下の『お休み処』で、300円のリーズナブルなお値段で絵馬を買って、願い事を書くと、ここで絵馬をかけることができるそうです。
梅まつり期間中は、会場では美味しいものもたくさん。
3つのお店が集まる特設売店 『うまいもん処』
無料の梅こぶ茶も頂ける 『お休み処』
常設の 『おもてなし館』
それぞれ扱っている品が違ってバラエティがある上に、年々、品ぞろえが充実してきてるなぁと感心
3/3に食べた『つくばうどん』(写真はハーフサイズ)
梅肉トッピングが美味しくておすすめです
筑波山の形の『筑波山焼き』は、カスタードクリーム入りをチョイス。
外側がこんがり香ばしい。
【本日のお土産】
年々充実してきているお土産、地元の名産を使ったものが多く、購買意欲が湧きます
・・・ということで、今回購入したものは、
写真右から、
・『福来陳皮』
筑波山産の福来(ふくれ)みかんの皮を使った、手作り粉末とのこと。
東京の料亭にも納めているそうで、香りが素晴らしい!
(お休み処にて購入)
・『美食同玄米』
新品種の黒米だそうです。香りがフルーティーと言われて試しに購入。楽しみ♪
(お休み処にて購入)
・『ハスの実の甘露煮』
ハス=蓮根 は、お隣の土浦の名産でもありますね。
ナッツっぽくて、ピーナツの煮豆(甘露煮)に近い食感です
・『明日葉の辛~い佃煮』
去年買って、美味しくてハマりました。
つくば駅で売っているのものより量が多くてお安いです。
(おもてなし館で購入)
・地元 筑波山麓 稲葉酒造の男女川『春のにごり酒』
昨年に引き続き、購入。
梅まつりの期間のスペシャルのようですね♪
(お休み処にて購入)
そして、今回初めて訪れてみた、梅林のすぐ隣にある、『つくばね焼』の『窯元 陶 梅田』さんのギャラリーで購入したのは、
・『つくばね焼』のお皿
以上、お酒以外は全て数百円で買えるお土産です。
さて、つくばね焼きのお皿。
『つくばね焼』を生んでいる窯元 陶 梅田さんの敷地。
こちらに、筑波山梅林、2つ目の秘話があります。
筑波山梅林誕生のきっかけを語る 梅の古木の1本。
その話~筑波山梅林、知られざる秘話(2)~については、次回♪
→ 筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林
【ご参考】 筑波山梅林の過去の記事
2017年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日
2016年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2016年2月21日
2015年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2015年3月8日
2014年の梅林の報告
・2014年筑波山梅まつり その1 ―2/22オープニング
・2014年筑波山梅林梅まつり その2 3月9日(日)
1月に、つくば観光ボランティア298の勉強会で、筑波山梅林の再生プロジェクトについて勉強しました。
●筑波山梅林、知られざる秘話(1)●
★筑波山梅林は、平成25年度日本造園学会技術部門賞受賞の梅林。
★2000年に、藤沢順一つくば市長(当時)から筑波大学副学長を通して、鈴木雅和筑波大学芸術系教授(当時)に梅林再生依頼があって生まれたプロジェクト。 展望四阿(あずまや)など、大学院生のグループコンペで選ばれたアイディア。
当時珍しかった「大学の地域貢献」の画期的成果。
★全ての管理対象樹木を、GPS等を使って位置把握。ナンバリング。
★30年間放置され、鬱蒼とした梅林の木々を、木の再生の為に、大胆に剪定、伐採。
その直後、花がつかず、観光客等から苦情殺到。
★しかし、数年後、梅の木々は花をつけ始め、観光客が増え始め、2006年には観光バスツアーも。
★剪定した枝はウッドチップにして敷き詰める → 木の保護、土壌づくり、見学者の歩きやすさに効果。
剪定の方法などをきちんとマニュアル化。
★現在に至るまで、毎年、剪定をつくば市と業者が行っている。
また以前、全国的に梅の木に感染が報告されて問題になった プラムポックスウィルスは筑波山梅林では発見されていない。
(参考文献:「平成25年度日本造園学会受賞者業績要旨 筑波山梅林再生プロジェクト」、鈴木雅和, ランドスケープ研究78(2), 2014)
30年間放置されて、正直、ダメダメだった筑波山梅林。
それを、ここまで素晴らしい梅林に復活させたプロジェクト。
筑波山梅林は、最近はテレビでも特集されていますよね。
本当にスゴイです。
NHKの『プロジェクトX』(今はやっていないけど)とか、TBSの『情熱大陸』等のドキュメンタリーで、取り上げてほしいくらい。
つくば市はもっと大々的にこれを宣伝すべきです
以上を念頭に置き、改めて梅林をご覧になると、感動もひとしおです
・・・ということで、今年2018年の筑波山梅林 梅まつりです
●3月3日(土)及び 3月7日(水)の筑波山梅林●
暖かい日が続いて梅もだいぶ咲き進み、報告が遅くなりました
3月3日(土)は朝から、そして3月7日(水)は夕方に、筑波山梅林に行ってきました
筑波山梅林の詳細情報 → 筑波山梅まつり公式サイト
3/3(土)は朝から快晴。
風もなく暖かく穏やかな日和
朝9時過ぎの時点で、梅園一番上の、展望四阿(あずまや)から、靄の中で微かですが何とか富士山が見えました!
・・・が、風がなく温かな日差しなので、どんどん靄が濃くなり、みるみるうちに見えなくなりました。
3/3では、展望四阿付近の紅梅はほぼ満開。
ただし、園の下の方の紅梅はまだつぼみの木も見受けられましたので、紅梅全体としては8割くらいの印象。
写真は3/3の時点のもの。
白梅はこれからという感じで、全体としては3割程度でした。
ただし、梅林中腹の緑がく梅は、満開でした♪
そしてこちらの写真は、やや角度が違いますが、3/7(水)の時点のもの。
暖かい陽気が2~3日続いたので、紅梅は満開。
白梅も7割位に咲き進んでいました!。 一気に咲いた感じですね。
今年の梅まつりでは、梅林の下に隣接するフォレストアドベンチャーつくばで、100mジップスライド体験もやっているせいか、時々、断末魔のような(笑)絶叫が聞えてきたり(^m^)
気づいたのですが、大抵、絶叫の声は男性の声ですね・・・
土日はつくば観光大使の皆さんの艶姿も花を添えます
たすきをつけるのを手伝い合う つくば観光大使さんのお二人。
(3/3撮影)
(3/3撮影)筑波山梅林名物、斑レイ岩の巨石群と、梅の花の取り合わせ。
それに加えて青い空と、関東平野を見渡す絶景。
歩くごとに、風に乗って梅の香り
さて、今年から新しく出来た、新名所『福来梅』
筑波山名物・福来(ふくれ)みかん から、名前を取ったようですね♪
(3/7撮影)
りっぱな巨石のそばにある白梅の木。
今回、筑波山神社が祈祷したとのことで、縁結びの新パワースポットとなりそうな予感
下の『お休み処』で、300円のリーズナブルなお値段で絵馬を買って、願い事を書くと、ここで絵馬をかけることができるそうです。
梅まつり期間中は、会場では美味しいものもたくさん。
3つのお店が集まる特設売店 『うまいもん処』
無料の梅こぶ茶も頂ける 『お休み処』
常設の 『おもてなし館』
それぞれ扱っている品が違ってバラエティがある上に、年々、品ぞろえが充実してきてるなぁと感心
3/3に食べた『つくばうどん』(写真はハーフサイズ)
梅肉トッピングが美味しくておすすめです
筑波山の形の『筑波山焼き』は、カスタードクリーム入りをチョイス。
外側がこんがり香ばしい。
【本日のお土産】
年々充実してきているお土産、地元の名産を使ったものが多く、購買意欲が湧きます
・・・ということで、今回購入したものは、
写真右から、
・『福来陳皮』
筑波山産の福来(ふくれ)みかんの皮を使った、手作り粉末とのこと。
東京の料亭にも納めているそうで、香りが素晴らしい!
(お休み処にて購入)
・『美食同玄米』
新品種の黒米だそうです。香りがフルーティーと言われて試しに購入。楽しみ♪
(お休み処にて購入)
・『ハスの実の甘露煮』
ハス=蓮根 は、お隣の土浦の名産でもありますね。
ナッツっぽくて、ピーナツの煮豆(甘露煮)に近い食感です
・『明日葉の辛~い佃煮』
去年買って、美味しくてハマりました。
つくば駅で売っているのものより量が多くてお安いです。
(おもてなし館で購入)
・地元 筑波山麓 稲葉酒造の男女川『春のにごり酒』
昨年に引き続き、購入。
梅まつりの期間のスペシャルのようですね♪
(お休み処にて購入)
そして、今回初めて訪れてみた、梅林のすぐ隣にある、『つくばね焼』の『窯元 陶 梅田』さんのギャラリーで購入したのは、
・『つくばね焼』のお皿
以上、お酒以外は全て数百円で買えるお土産です。
さて、つくばね焼きのお皿。
『つくばね焼』を生んでいる窯元 陶 梅田さんの敷地。
こちらに、筑波山梅林、2つ目の秘話があります。
筑波山梅林誕生のきっかけを語る 梅の古木の1本。
その話~筑波山梅林、知られざる秘話(2)~については、次回♪
→ 筑波山梅林2つの秘話(2)~筑波山梅林より古い隣接の梅の林
【ご参考】 筑波山梅林の過去の記事
2017年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日
2016年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2016年2月21日
2015年の梅林の報告
・筑波山梅林 梅まつり 2015年3月8日
2014年の梅林の報告
・2014年筑波山梅まつり その1 ―2/22オープニング
・2014年筑波山梅林梅まつり その2 3月9日(日)
2018年03月08日
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
シリーズ第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介しています。
前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
後編の今回は『迎来橋』についてです。
【迎来橋の名のいわれ】
筑波山名跡誌(文献1)では、『かうらいのはし』とふりがなが書かれている『迎来橋』
同書によると、地元の言い伝えとして、
『能(よく)神慮にかなふ人此山に詣で来る時は、神霊凡人の皃(かたち)を現し、茲(ここ)に来り迎えて慰諭(なぐさみさと)し給へば迎来の橋と名付(なづ)くという』
とのこと。
つまり、神仏の目に適った人がこの橋を渡ろうとすると、神仏が直接お迎えに来てくれて、これからの厳しい登山の道を登るのを励ましてくれるということでしょうか!
また、このシリーズ第五回観流庵 前編でも紹介した、室町時代の連歌師、宗祇法師が筑波山を訪れた時に、この橋に一人の老翁がいて、
『道のべのちりに光りをやわらけて迎ひ来にけり橘の川』
と読んだので、宗祇法師は返歌として、
『道のべのしらぬあづまのはてにしも迎ふる人のあれは来にけり』
と歌って返した・・・ということで『迎来』と名付けたという逸話も紹介しています。
【迎来橋があった場所は?】
筑波山名跡誌の文章と挿絵から、
・場所は 田井から臼井へ向かう道の途中らしい。江戸時代の参詣の道とすると、『つくば道』にかかる橋か?
・臼井村からは道が険阻になり、道筋に大きな石が多く、馬籠で登るのは難しい旨の記述。
・筑波山名跡誌の挿絵では、平坦な場所に流れる川に渡る橋のよう。道は集落をつないでいるよう?
写真は同じ臼井の集落にある、飯名神社。
傾斜が厳しくなっていく途中にあり、ご神体の大岩はもちろん、境内にもその周りにも大小の岩(筑波山山頂から風化して転がり落ちてきた斑レイ岩)がゴロゴロしています。
筑波山名跡誌の記述だけでは、橋の場所がはっきりしないので、ここで、またまた『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡の集落から筑波山へ向かう『つくば道』が、臼井の集落に差し掛かる直前の細い川の流れにかかる橋に『来迎橋』の名が書かれてます。
絵図の中で、来迎橋がかかっている川は、前回紹介した『橘川』です。
前回考察したように、つくば道と直角に交わる道(立野の集落・六所神社跡~沼田・旧筑波鉄道筑波駅跡をつなぐ道)の脇を流れる用水路が、橘川と考えられます。
来迎橋があったのは、現在の位置としては、ちょうど写真の中央付近、道がクロスしているあたりかと思われます。
奇しくも、『筑波山麓フットパス』の標識(濃い茶色の金属製の細い棒のような標識)が立っています。
この川を越えると、筑波山名跡誌にも書かれているように、道(= つくば道)は上り坂になっていきます。
このあたりは、鳥獣保護区域でもあります。
やはり、神仏が自ら迎来して、登山を励ましてくれる場所です♪
【迎来橋はパワースポット?!】
今はもう、『橋』の姿はないただの細い道の交差点ですが、神仏の目に適った人は、迎えに来られた神仏と一緒にこの急な登り坂を登って、拝殿のある筑波山神社や、本殿のある女体山山頂・男体山山頂に行けるパワースポットかもしれません!
もっとも、行く先の目の前にどーんと聳える筑波山(女体山&男体山)が、すでに神仏そのものとも言えますね♪(^^)v
迎来橋のあった付近に、ちょうどフットパスの標識もあることですし、前回書いた『橘川』の名前の由来とともに、『迎来橋』の由来や、前述した宗祇法師の話に出てくる和歌も素敵なので、是非、看板で掲載したら良いのではないかなと思います
つくば市関係者の方、地元の方、是非ご検討下さいませ
このシリーズ、ぼちぼち続きます♪
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
●シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 今までの記事
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
*************************************************************************
【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
シリーズ第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介しています。
前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
後編の今回は『迎来橋』についてです。
【迎来橋の名のいわれ】
筑波山名跡誌(文献1)では、『かうらいのはし』とふりがなが書かれている『迎来橋』
同書によると、地元の言い伝えとして、
『能(よく)神慮にかなふ人此山に詣で来る時は、神霊凡人の皃(かたち)を現し、茲(ここ)に来り迎えて慰諭(なぐさみさと)し給へば迎来の橋と名付(なづ)くという』
とのこと。
つまり、神仏の目に適った人がこの橋を渡ろうとすると、神仏が直接お迎えに来てくれて、これからの厳しい登山の道を登るのを励ましてくれるということでしょうか!
また、このシリーズ第五回観流庵 前編でも紹介した、室町時代の連歌師、宗祇法師が筑波山を訪れた時に、この橋に一人の老翁がいて、
『道のべのちりに光りをやわらけて迎ひ来にけり橘の川』
と読んだので、宗祇法師は返歌として、
『道のべのしらぬあづまのはてにしも迎ふる人のあれは来にけり』
と歌って返した・・・ということで『迎来』と名付けたという逸話も紹介しています。
【迎来橋があった場所は?】
筑波山名跡誌の文章と挿絵から、
・場所は 田井から臼井へ向かう道の途中らしい。江戸時代の参詣の道とすると、『つくば道』にかかる橋か?
・臼井村からは道が険阻になり、道筋に大きな石が多く、馬籠で登るのは難しい旨の記述。
・筑波山名跡誌の挿絵では、平坦な場所に流れる川に渡る橋のよう。道は集落をつないでいるよう?
写真は同じ臼井の集落にある、飯名神社。
傾斜が厳しくなっていく途中にあり、ご神体の大岩はもちろん、境内にもその周りにも大小の岩(筑波山山頂から風化して転がり落ちてきた斑レイ岩)がゴロゴロしています。
筑波山名跡誌の記述だけでは、橋の場所がはっきりしないので、ここで、またまた『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡の集落から筑波山へ向かう『つくば道』が、臼井の集落に差し掛かる直前の細い川の流れにかかる橋に『来迎橋』の名が書かれてます。
絵図の中で、来迎橋がかかっている川は、前回紹介した『橘川』です。
前回考察したように、つくば道と直角に交わる道(立野の集落・六所神社跡~沼田・旧筑波鉄道筑波駅跡をつなぐ道)の脇を流れる用水路が、橘川と考えられます。
来迎橋があったのは、現在の位置としては、ちょうど写真の中央付近、道がクロスしているあたりかと思われます。
奇しくも、『筑波山麓フットパス』の標識(濃い茶色の金属製の細い棒のような標識)が立っています。
この川を越えると、筑波山名跡誌にも書かれているように、道(= つくば道)は上り坂になっていきます。
このあたりは、鳥獣保護区域でもあります。
やはり、神仏が自ら迎来して、登山を励ましてくれる場所です♪
【迎来橋はパワースポット?!】
今はもう、『橋』の姿はないただの細い道の交差点ですが、神仏の目に適った人は、迎えに来られた神仏と一緒にこの急な登り坂を登って、拝殿のある筑波山神社や、本殿のある女体山山頂・男体山山頂に行けるパワースポットかもしれません!
もっとも、行く先の目の前にどーんと聳える筑波山(女体山&男体山)が、すでに神仏そのものとも言えますね♪(^^)v
迎来橋のあった付近に、ちょうどフットパスの標識もあることですし、前回書いた『橘川』の名前の由来とともに、『迎来橋』の由来や、前述した宗祇法師の話に出てくる和歌も素敵なので、是非、看板で掲載したら良いのではないかなと思います
つくば市関係者の方、地元の方、是非ご検討下さいませ
このシリーズ、ぼちぼち続きます♪
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (8) 一の鳥居
●シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 今までの記事
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
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→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
2018年03月02日
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(前編)
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
今までのお話
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介します。
筑波山名跡誌では、『橘川 迎来橋』 と、二つで一つの項目で紹介されいてます。
前編の今回は『橘川』についてです。
【橘の香りがする橘川】
筑波山名跡誌の『橘川 迎来橋』の項には、
『筑波麓臼井村の耕地の用水川也。』
とあります。
当時から、橘川は、農業用水路だったようです。
同書では続いて、
『橘は此山の名物にて、水東谷より流れ落る。水気橘の匂あれば、土人橘川と号する也。』
とあります。
つまり、筑波山は橘が名産なので、山の東谷より流れる川の水には橘の香りがするので、土地の人は『橘川』と呼んでいたとのことなのです。
橘といえば、やはり、筑波山の名物の ふくれみかん(福来みかん)が浮かびますよね♪
ただし、橘の香りといっても、2種類あるかと思います。
1つは、『橘の実』の香り。つまり柑橘系の香り。
もう1つは、『橘の花』の香り。ジャスミンの花にも似た甘い香りです。
どちらも大好き♪
橘川の『橘』の香りは、どちらの香りだったのでしょう?
多分、季節によっても違いますよね。
橘の花が香る初夏か、実が成る秋~冬か。
どちらも、良い香り
写真は2018年1月に撮影。
ふくれみかんを栽培する畑。
こちらは民家の庭に植えられていた柑橘類の実。
多分、大実のキンカンのように思われます。
美味しそう♪
こちらは初夏に咲く、ふくれみかん(福来みかん)の花。
2012年6月撮影。撮影場所は、臼井よりちょっと上の、清水~西山通り付近にて。
近くを歩くと、とても良い香りがします。
【橘川はどこを流れる?】
さて、その『橘川』、いったいどこを流れる川なのでしょうか?
筑波山名跡誌の記述より、
・場所は 臼井の集落近くらしい
・当時から農業用水路
ことだけわかります。
ここで『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡・田井の集落から筑波山へ向かう、いわゆる『つくば道』(県道筑波山)は、
鴨居川(逆川、酒香川)を渡ります。
そして臼井の集落にさしかかるところに流れる細い川に、
『橘川』と書かれています。
同書の絵図では、橘川は、鴨居川(=逆川、酒香川※)の北部を、鴨居川と平行に流れる細い川として描かれています。
橘川の流れは、まず臼井村の東を流れ下り(千手川のようにも見えますが絵図なので詳細は不明)、臼井村の南側で向きを西に変え、山から流れ落ちる別の川(男女川か?)に合流するように描かれています。
ちなみに、鴨居川(逆川)も、この男女川らしい川に(橘川より南で)合流するように描かれています。
『常陸国筑波山縁起』の絵図は、イラストっぽいので、やや正確さに欠けるかもしれませんが、ひどく間違っていないないでしょう。
※ この鴨居川=逆川=酒香川 につきましては、前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
現地に行くと、今も細い用水路が流れています。
写真(2018年1月撮影)で、写真右にある、用水路と並行する道(手前から奥に向かう道)は、六所神社跡付近~旧筑波鉄道筑波駅跡付近をつなぐ道で、そこに交差する道(写真中央左から右に通る道)は、『つくば道』です。
写真は、六社神社跡方面を背に、旧筑波鉄道筑波駅跡方面を望んでいます。
この、道の脇を流れる細い用水路が、江戸時代の橘川に該当するように思います。
この用水路の上流は、筑波山麓フットパスマップ(文献5)を見ると、この地点より高い位置にある臼井の集落の中にあるようです。
なお、元禄七年(1694年)の筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図(文献3、4)は、その性格上、かなり流れを正確に描いたものと思われますが、フットパスマップ(文献5)を見ると、現在の川の流れや農業用水路は、当時と変わっているようです。
それにしても、古くからの名産 橘の香りがするからの名づけられた『橘川』
素敵な名前ですよね!
ただ残念なことに地元でも忘れ去られてしまったようで、ここを訪ねた時に、道におられた二人組の方に
『橘川というのがあるどうなのですが、どこでしょうか?』
と尋ねたら
、『ここで生まれ育ったのですが、橘川という名前は聞いたことありません…』
と言われてしまいました。
名産ふくれみかんの木は、現在も川の流れ沿いのあちこちの民家で見かけますし、是非、優雅な『橘川』という名前を復活させて、看板に掲げたら良いのになぁと思います(^^)
後編に続きます。
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
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【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行
江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)
今までのお話
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1)常陸帯宮(前編)
→ シリーズ『筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて』 (1) 常陸帯宮(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (2) 男女川(水源)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (3)夫女之原、夫女石
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (4)亀之岳
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
第7回は、『橘川(たちばながわ)と 迎来橋(こうらいのはし)』を2回に分けて紹介します。
筑波山名跡誌では、『橘川 迎来橋』 と、二つで一つの項目で紹介されいてます。
前編の今回は『橘川』についてです。
【橘の香りがする橘川】
筑波山名跡誌の『橘川 迎来橋』の項には、
『筑波麓臼井村の耕地の用水川也。』
とあります。
当時から、橘川は、農業用水路だったようです。
同書では続いて、
『橘は此山の名物にて、水東谷より流れ落る。水気橘の匂あれば、土人橘川と号する也。』
とあります。
つまり、筑波山は橘が名産なので、山の東谷より流れる川の水には橘の香りがするので、土地の人は『橘川』と呼んでいたとのことなのです。
橘といえば、やはり、筑波山の名物の ふくれみかん(福来みかん)が浮かびますよね♪
ただし、橘の香りといっても、2種類あるかと思います。
1つは、『橘の実』の香り。つまり柑橘系の香り。
もう1つは、『橘の花』の香り。ジャスミンの花にも似た甘い香りです。
どちらも大好き♪
橘川の『橘』の香りは、どちらの香りだったのでしょう?
多分、季節によっても違いますよね。
橘の花が香る初夏か、実が成る秋~冬か。
どちらも、良い香り
写真は2018年1月に撮影。
ふくれみかんを栽培する畑。
こちらは民家の庭に植えられていた柑橘類の実。
多分、大実のキンカンのように思われます。
美味しそう♪
こちらは初夏に咲く、ふくれみかん(福来みかん)の花。
2012年6月撮影。撮影場所は、臼井よりちょっと上の、清水~西山通り付近にて。
近くを歩くと、とても良い香りがします。
【橘川はどこを流れる?】
さて、その『橘川』、いったいどこを流れる川なのでしょうか?
筑波山名跡誌の記述より、
・場所は 臼井の集落近くらしい
・当時から農業用水路
ことだけわかります。
ここで『常陸国筑波山縁起』(国立公文書館所蔵)の絵図(文献2)を見てみると…
神郡・田井の集落から筑波山へ向かう、いわゆる『つくば道』(県道筑波山)は、
鴨居川(逆川、酒香川)を渡ります。
そして臼井の集落にさしかかるところに流れる細い川に、
『橘川』と書かれています。
同書の絵図では、橘川は、鴨居川(=逆川、酒香川※)の北部を、鴨居川と平行に流れる細い川として描かれています。
橘川の流れは、まず臼井村の東を流れ下り(千手川のようにも見えますが絵図なので詳細は不明)、臼井村の南側で向きを西に変え、山から流れ落ちる別の川(男女川か?)に合流するように描かれています。
ちなみに、鴨居川(逆川)も、この男女川らしい川に(橘川より南で)合流するように描かれています。
『常陸国筑波山縁起』の絵図は、イラストっぽいので、やや正確さに欠けるかもしれませんが、ひどく間違っていないないでしょう。
※ この鴨居川=逆川=酒香川 につきましては、前回の記事
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川
現地に行くと、今も細い用水路が流れています。
写真(2018年1月撮影)で、写真右にある、用水路と並行する道(手前から奥に向かう道)は、六所神社跡付近~旧筑波鉄道筑波駅跡付近をつなぐ道で、そこに交差する道(写真中央左から右に通る道)は、『つくば道』です。
写真は、六社神社跡方面を背に、旧筑波鉄道筑波駅跡方面を望んでいます。
この、道の脇を流れる細い用水路が、江戸時代の橘川に該当するように思います。
この用水路の上流は、筑波山麓フットパスマップ(文献5)を見ると、この地点より高い位置にある臼井の集落の中にあるようです。
なお、元禄七年(1694年)の筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図(文献3、4)は、その性格上、かなり流れを正確に描いたものと思われますが、フットパスマップ(文献5)を見ると、現在の川の流れや農業用水路は、当時と変わっているようです。
それにしても、古くからの名産 橘の香りがするからの名づけられた『橘川』
素敵な名前ですよね!
ただ残念なことに地元でも忘れ去られてしまったようで、ここを訪ねた時に、道におられた二人組の方に
『橘川というのがあるどうなのですが、どこでしょうか?』
と尋ねたら
、『ここで生まれ育ったのですが、橘川という名前は聞いたことありません…』
と言われてしまいました。
名産ふくれみかんの木は、現在も川の流れ沿いのあちこちの民家で見かけますし、是非、優雅な『橘川』という名前を復活させて、看板に掲げたら良いのになぁと思います(^^)
後編に続きます。
→ シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (7) 橘川・迎来橋(後編)
*************************************************************************
【参考文献】
1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説 筑波書林
2.『平成24年度特別展 筑波山―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行
p.90 『常陸国筑波山縁起 下巻 「筑波山南面の図」』
3.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』
p.32-33 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図』
元禄七年(1694年)
4.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』
p.34-35 『筑波町沼田村と臼井村神郡村水論裁許絵図写』
元禄七年(1694年)原図の写し
5.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行