絵解きに挑戦! 筑波山神社 境内社装飾彫刻1~厳島神社(前編)


神社やお寺の建築物の装飾彫刻は、たとえば日光東照宮の 『眠り猫』 『三猿』 はよく知られているものですね。
それ以外も、龍、鳳凰などの想像上の動物や、実在の動物・植物の文様も多くあります。

神社仏閣を飾るものなので、おめでたい意味を持つ吉祥文様や、大陸から伝わってきた古代中国の伝説、神仙、仏教説話題材を多く見かけます。

彫られる動物、植物、人物にはやはり意味があって選ばれているでしょうし、ストーリー仕立てになっているものもあったりで、それらを絵解きしてみるととても面白いのですグッド

さて筑波山神社境内にある、茨城県指定文化財の神橋・厳島神社・日枝神社本殿・春日神社本殿・日枝春日両社拝殿にも、装飾彫刻があります。

しかし現在のところ、詳しい解説は見たことがないので、浅学ながら、絵解きにトライしてみたいと思いますちょき
多分勉強が進むと解釈が変わっていくと思いますので、それは追々、追加・修正していきますね。


まず、1回目は厳島神社。

(1)厳島神社 


茨城県指定文化財で、寛永十年(1633年)の建造。
※日光東照宮の建築群は 寛永十三年(1636年)の『寛永の大造替』で建て替えられたものですから、東照宮より3年ほど古いです。
時の三代将軍 徳川家光の寄進で、これも東照宮と同じですね。

社の傍の説明版によると、近江の国(現在の滋賀県)の竹生島から分霊されたとのこと。

厳島神社は、江戸時代(筑波山知足院中禅寺)の頃の絵を見ると、『弁天堂』となっています。
弁才天が祀られていて、明治の神仏分離で、祭神が弁才天から市杵島姫命(イチキシマヒメノミコ:神仏混淆の頃は弁財天と同一と見られていたそう)となったのは、本家の竹生島と同じ。


① 向拝の蟇股: 蛇

正面のひさしのような部分は『向拝(こうはい)』というそうです。その屋根の下に位置する『蟇股(かえるまた)』と呼ばれる、その名の通りカエルの両股のような形の木枠の中に、蛇の彫刻があります。


けっこうリアルな蛇の姿。
蛇が苦手な人にはちょっと辛そうな躍動感?!

この社の周りにも堀のような小さな池があり、江戸時代まで弁財天を祀っていた弁天堂の雰囲気が伝わってきます。

このように社殿が建造された江戸初期は弁財天が祀られていて、『蛇は弁財天のお使い(神使)』ということで、蛇が向拝の蛙股に彫られたのでしょう。

蛇の背景として彫られているのは、牡丹か芙蓉か長春(薔薇)の花のような、多弁の花と葉です。
全体的に白っぽい花ですが、花弁の内側は赤い色のよう。

花も葉も上向きなので分かりにくいのですが、丸い(咲きかけの)蕾らしいものもあるので、牡丹か芙蓉のように思えます。



② 母屋(もや)の正面の蟇股: 龍?

日光東照宮の例が顕著ですが、寺社の装飾彫刻は、中国伝来の想像上の動物がたくさん彫られています。
その最たるものが『龍』です。
しかも、『龍』にもいろんな段階・形態があるようで(シン・ゴジラみたい!?)、詳しく見ると少しずつ違っていて、それぞれ名前があるのです(文献1~5)。

『龍』も古来から水を司る動物とされ、水乞いの昔話にもよく登場します。

またWikipediaによると(『応竜』)
「『述異記』には、「泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(雨竜)となり、蛟は千年にして竜(成竜)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜になり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる」とある』
だそうで、古来から中国では、蝮(蛇)が長い生きると『龍』になるという考えがあったようです。



上記①の向拝の蟇股の『蛇』の後ろに、母屋の蛙股の『龍』がいます。

お使いである蛇は最前面の向拝の蟇股に、『受付』もしくは『警備』としているのかな??










母屋正面の蛙股の『龍』の彫刻。
愛嬌のある龍ですよね♪

こちらの厳島神社(弁天堂)を分霊してきた元である琵琶湖の竹生島では、龍神も祀られているそうです。
ですから、建設当時は弁財天(現在は市杵島姫命)が祀られた神社の母屋の蟇股に『龍』が彫られるのはとても納得できます。

ところで、『龍』と書きましたが、文献1、2によると、『龍』にきわめて良く似ていて混同されている想像上の動物に『息』(いき?そく?)があるそうです。
同文献による『龍』と『息』の形態比較より、こちらの神社の『龍』は『息』の可能性も否定出来ませんが、多分、一般的な『龍』として良いと考えます。


③ 母屋(もや)の左面の蟇股: 鯱(しゃち)?


一瞬、鳥?もしくは、魚(トビウオ)?と現代人は思ってしまいますが、これは多分『鯱(しゃち)』ではないかと思います。(文献1、2)
お城の屋根にあるシャチホコ(鯱鉾)のシャチ(鯱)ですね。
鯱は口から水を大量に吐くと考えられたそうなので、防火のおまじないの飾りで、屋根に飾られたそうです。

羽のように見えるのはヒレを誇張したのはないでしょうか。

文献1、2によると、翼を持った龍で尾が魚のような形のものに『飛龍』別名『応龍』がいて、混同されるそうです。
やはり水を司る龍として、東照宮ではお水屋や、火を使う護摩堂に(防火の意味で)彫刻があるとのこと。

ただ、『飛龍』/『応龍』は、鳥のような足がしっかり描かれていますが、こちらの像は脚は描かれていません。
龍というより魚に近い体型ですし、『鯱』ではないかと考えます。
波も一緒に彫られているので、より魚っぽい気がします。
   
ところで、文献3によると、
・鯉 → 鯱 → 飛龍 → 龍 と進化するとも考えられたようです。
    
想像上の生き物なので、根拠となった伝説によって、  
 (A) 蛇 → 龍
  (B) 鯉 → 鯱 → 飛龍 → 龍
と大きく2タイプの『龍』があるみたいですね。


④ 母屋(もや)の右面の蟇股: 鯱(しゃち)?


左面と同じで、こちらも『鯱(しゃち)』のようです。
鯱の体の表現は、左面の彫刻と少し異なって変化を持たせているようです。
 
ヒレが翼のようにも見えて、応龍/飛龍の様にも見えますが、脚が表現されていないので、やはり鯱ではないかと思います。
※個人的には『応龍/飛龍』だと思いたいのですが、両方とも『脚』が描かれていないので、鯱とするしかない気がします。

なお、鯱にとても似た形の想像上の生き物に、インドの伝説に端を発するらしい、マカラ(摩伽羅、摩伽羅魚、魔羯魚)というものがあるようです。
例えば、京都の黄檗宗の寺院(萬福寺)の屋根にあるのは『鯱』とは呼ばず『マカラ(摩伽羅)』と呼ぶそう。
また東南アジアの寺院では、このマカラ(摩伽羅)の装飾がよく見られるようです。

このマカラも、水を吐くと考えられた生き物なので防火のおまじないの意味があるようで、多分、仏教伝播の中で、マカラ(摩伽羅、摩伽羅魚、魔羯魚)が日本に伝わり、『鯱』と呼ばれるようになり、城などの屋根飾りになっていったかと想像します。

この厳島神社(江戸時代までは弁天堂)の左右の蟇股に、鯱(もしくはマカラ?)が選ばれた理由は何なのでしょう?
考えてみると、なんだか面白そうです。

でも、いずれにせよ、蛇も龍も鯱も、どれも『水』とは深い関係のある想像上の動物。
これは私の勝手な想像ですが、昔はここで雨乞いの祈願などもされたのかもしれませんね。


⑤ 母屋(もや)の後面の蟇股: 猪


さて、母屋の後面は、筑波山神社社務所の付近の手すりからよく見えます。
なんと、こちらは『猪』!
なぜ、猪? 
蛇との関係は?

私は、これは蛇の『裏干支』を持ってきたのではないかと考えています。
裏干支というのは、干支をぐるっと丸く並べると、ちょうど反対側になる干支のことです。

昔から『裏干支で守る』という考え方があるそうで、神使の『蛇』(巳)の裏干支はちょうど『猪』(亥)。そうすると唐突に『猪』が彫られている理由に納得がいきます。

いろんな形で、装飾彫刻はゲンを担いだりお守りを用いたりしているのが、よく分かります。

この猪の背景も、向拝の蟇股の蛇と同じような多弁の花と葉が彫られています。
こちらも外側が白く内側が赤い花。やはり牡丹か芙蓉の花のようです。


 豆電球なお、この『猪』の彫刻については、以前に記事に書きましたので、そちらも良かったら。
  → 巳年!金運&健康運にご利益あり!? 神社・場所 in 茨城(1)

※ただし筑波山神社拝殿に向かって右のエリアにある日枝神社(神使は『猿』)の場合は、母屋(本殿)後面には何の彫刻もありません。
それについての考察は後日掲載予定の日枝神社の項で。


後編は、脇障子の彫刻と、その他の場所の彫刻です。
驚きの読み解きが!?

 次回に続きます
  → 絵解きに挑戦! 筑波山神社 境内社装飾彫刻1~厳島神社(後編)



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【参考文献】

1. 『図説 社寺建築の彫刻 東照宮に彫られた動植物』  高藤晴俊 著 東京美術

2. 『日光東照宮の謎』 高藤晴俊 著 講談社現代新書

3. 『寺社の装飾彫刻ガイド 百龍めぐり 関東編』 若林 純 著 日貿出版社

4. 『寺社の装飾彫刻 宮彫り―壮麗なる超絶技巧を訪ねて』  若林 純 撮影 構成 日貿出版社

5. 『寺社の装飾彫刻 関東編(下) 千葉・栃木・茨城・神奈川』   若林 純 撮影 構成 日貿出版社




  

茨城こんなもの見つけた♪(35) 蛟蝄神社(こうもう神社)の絵馬


このお正月、利根町にある古社 蛟蝄神社(こうもう神社)
にもお詣りに行ってきました。

門の宮奥の宮の2つに分かれています。

ちなみに、蛟蝄神社の近くには、『笠脱沼』と呼ばれる小さな沼があります。
蛟蝄神社の神池とも、だいだらぼっちが脱いだ笠によって作られたともいわれる伝説が伝わっています。
かなり以前の記事ですが、そこの訪問記も良かったら
 豆電球だいだらぼっちの足跡を探して(3) 利根町、結城市、八千代町

蛟蝄神社(こうもう神社)公式サイト www.koumoujinja.jp/
によると、
本殿は利根町指定文化財。みつち神社・文間大明神とも親しまれている関東最古の水神様を祀る延喜式内社です
とのこと。

関東最古の水神様って、すごいですよねキラキラ

さて、蛟蝄神社さんによると、門の宮の鳥居は なんと、アニメ映画『君の名は。』の宮水神社の鳥居は、この蛟蝄神社の門の宮の鳥居をモチーフに描かれたとのことです(※)キラキラ
(その他に、宮司さんが頭に載せる冠?烏帽子?も、こちらの神社さんの写真を映画スタッフが撮っていったそうなので、映画の中の回想シーンに出てくるあの…以下、映画のネタばれになりそうなので自粛)


社務所のある奥の宮で、門の宮の門が描かれた絵馬
産霊(むすび)絵馬』
を購入。

紐が結ばれていることから、縁結びのお願いに良さそう♪

一緒に描かれているリボンは、映画のあの組み紐を彷彿させますね♪


あの映画のような、時空を超えた『縁結び』のお願いにも効くかな
・・・でも『時空を超えた縁結び』ってどんなのだろう??←自分で書いておいて考えてしまったり汗




こちらが、宮水神社の鳥居のモデルになった、蛟蝄神社(こうもう神社) 門の宮 の鳥居。
赤い木製の鳥居。









門の宮のある場所は、説明板(※)によると、縄文時代後晩期の貝塚(前2500~前300年)とのことで、境内の地面にも貝殻がたくさん見られます。









また、社務所がある蛟蝄神社(こうもう神社) 奥の宮は、高台にあります。










急な階段を上がると、奥の宮があります。
ちなみに奥の宮の鳥居は石造り。









奥の宮の拝殿前の狛犬。
顔は怖いのですが、全体的に丸っこくって愛嬌があります笑










特に向かって右側の狛犬は丸っこくって、ワンコみたい(^^)ハート










※ 利根町教育委員会、文化財保護審議委員会による説明板 『史跡案内 蛟蝄神社周辺』。
  
これによると、
蛟蝄神社は孝霊天皇三年(前288)に水神の弥都波能売命(みつはのひめのみこと)、
文武天皇二年(698)に土神の波邇夜須毘売命(はにやすひめのみこと)をまつったのが、そのはじまりと伝えています。
記録にあらわれた最初は、延喜五年(905)に編集を開始した「延喜式」の神名帳で、「相馬郡一座蛟蝄(みつちの)神社」と書かれています

のこと。

また、
蛟蝄神社には日本武尊(やまとたけるのみこと)が参拝したという伝説があり、近くには弟橘姫(おとたちばなひめ)の櫛塚や舟形山があります。また周辺には史跡や伝説が数多く残されています
とのこと。

とても古い歴史を感じさせる神社と土地ですキラキラ


【おまけ】
アニメ映画『君の名は。』の神社のある舞台は、岐阜の民芸品『さるぼぼ』が描かれたお弁当袋のシーンもあったり、高い山々や山に囲まれた湖があるので、岐阜から長野のあたりが舞台っぽいですよね。

ただ、個人的には、湖とその周りの景色は、群馬の榛名湖とか、秋田の田沢湖も彷彿します。

ただ、今回紹介したように、茨城・利根町の蛟蝄神社の鳥居のモチーフもあったりするので、やはり、全国の神社を取材してデザインされているんでしょうね(だから、作品の「聖地」巡りは、奥が深そうです♪)。







  

ランニングで菅生沼七福神巡り 2018 (後編)


坂東市と常総市の境にまたがる菅生沼
その菅生沼を大きく取り囲むようにある7つの寺社に祀られる『菅生沼七福神』をランニングで廻ってお参りしてきた報告です。

前回のお話
 → ランニングで菅生沼七福神巡り 2018 (前編)


今回はその後編です。


(4)無量寺(常総市菅生町5028) 弁財天


大橋の下の農道を走り、無量寺へ。
大きなお寺さん。









弁財天は、屋外に祀られている青銅の像です。










(5)妙音寺(坂東市神田山727-1) 布袋尊

無量寺から次の妙音寺までは、今回の行程で一番の距離。
凸凹の多い農道を走っている時は、膝に時々痛みが来るのが不安でした汗
これからの距離に心が折れるかと思いましたが(笑)、県道の大きな道に出ると歩道が広くてとても走りやすく、思いのほか爽快にラングッド



西仁連川を渡る橋からの景色。
まるでちょっとした渓谷のような地形びっくり
このあたりは平地だと思っていたので、意外でした。








参詣者が次々訪れ駐車場に『満車』表示が出ている、一言主神社への道の前を通過。

道路を隔てて向かい側に、『大塚戸のムクノキ』(常総市指定天然記念物)の大木があります。
現在走っている県道は、古くは『将門街道』または『銚子街道』と呼ばれた道とのこと(常総市HPより)。
昔からここで参拝者を見てきた古木なんですね笑



その将門街道を一路、妙音寺へひた走り。
このころから、膝の痛みがなくなってきたのも良かった。


やっと妙音寺に到着!
猿島坂東観音霊場 新八番札所』と彫られた石碑が門の前にあります。
『新八番』ということは、古い『八番』のお寺さんもあるのかな??









お堂の中のりっぱなお腹の布袋様に、お参り。










(6)延命院(坂東市神田山715) 毘沙門天


妙音寺のほど近くにあります。
平将門の胴塚があるお寺。。
東京・大手町の将門の首塚は有名ですが、こちらは知る人ぞ知るスポットキラキラ









こちらは毘沙門天が祀られています。











観音堂
赤いお堂が木々に映えて、趣があります。










将門の胴塚
以前、首塚をお参りしたことがあったので、胴塚は気になっていました。
七福神巡りと一緒に胴塚もお参り出来ました!

胴塚の後ろにある大木は、カヤの木だそうです(坂東市ホームページより)。







そのカヤの木にぴったりくっついたお堂!










(7)泉福寺(坂東市大谷口381) 大黒天

いよいよ7つめ、菅生沼の向こう岸にある、泉福寺へ。

菅生沼の遊歩道を走ります。


菅生沼にはコハクチョウがたくさんいます。
そして、そのコハクチョウを見に集まっている人たちもたくさん。
(木々の枝越しに撮った写真なので、ちょっと見え難いです)








ランニングなので、車が通れない道も走れます。
(車は通らなくても、イノシシは通るらしい・・・)
筑波山系の山麓にはイノシシが多いのは知っていましたが、遠く離れた平野の常総市にもいるんですねびっくり







とうとう泉福寺に到着!走る










大黒天のお堂にお参り。
七福神めぐり完了!キラキラ


風も穏やかで日差しも暖かく、気持ちよく走れましたグッド
走行距離は20kmほど。
思いがけず、ハーフマラソンの距離近く走ってしまいました(笑)。

茨城県自然博物館は、この日は時間がなくなり残念ながら見学はあきらめました・・・が、また次回に。



菅生沼七福神のご朱印が揃いました!

家内安全で今年もよろしくお願いいたしますハート





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【参考ホームページ】

・坂東市観光協会ホームページ http://bandokanko.jp/

・坂東市ホームページ http://www.city.bando.lg.jp/sp/

・常総市ホームページ http://www.city.joso.lg.jp/index.html





  

ランニングで菅生沼七福神巡り 2018 (前編)


坂東市と常総市の境にまたがる菅生沼。
菅生沼鳥獣保護区. 菅生沼特別保護地区も指定され、コハクチョウ飛来地としても有名です。
坂東市側のほとりには 茨城県自然博物館、常総市側のほとりには 水海道あすなろの里 もあり、遊歩道も整備されて散策にもぴったり。

さて、その菅生沼の近くにある寺社7つにそれぞれ七福神が祀られ、『菅生沼七福神』として信仰を集めています。
毎年正月の1月1日~7日は、七福神巡りのご朱印が色紙に頂けるグッドということで、ランニング走るしながら廻って参拝してきました♪

豆電球参考→ 坂東市観光協会HP 菅生沼七福神マップ

時間があれば帰りに自然博物館も見ようということで、自然博物館の駐車場に車を駐車して出発。

一か月ほど前から軽く膝が痛むのと、今日になって攣るような違和感のある左太ももに多少不安を感じながらも、ゆるゆると(ほとんど歩くような速度で)ランニング ←遅い言い訳(笑)汗


(1)持福院(坂東市大崎235-1) <寿老人>


まずは、茨城県自然博物館ミュージアムパーク敷地のすぐそばの持福院へ。
寿老人の像だけがある、小さなお堂ですが、ござっぱりと清々しい佇まい。









無人のお寺で、こちらのお寺さんだけは、お金を収めたあとに、自分でご朱印を押すシステムでした。










特製色紙にご朱印を押して、出発。










(2)大安寺(坂東市矢作1856) <福禄寿>


次、に福禄寿像のある大安寺へ。
広い境内には、いろいろなお堂や石造物が。









福禄寿が祀られているお堂。
お寺の方にご朱印を頂きました。









こちらは『猿島阪東三十三観音 第三十番 大安寺』の額がかかったお堂。
境内には、『考古資料 大安寺虚空蔵板碑』もあり、落ち着いた古刹の雰囲気が漂います。








(3)御嶽大滝神社(常総市菅生町727-5) <恵比寿>


先の大安寺からちょっと距離を走って、菅生沼下流を越える県道の大きな橋を渡り、冬枯れの田を脇を走って、恵比寿様を祀るお堂のある、御嶽大滝神社へ。

起伏が意外とあって、ひざの痛みが時々増すのが不安ながらもゆっくり走り、到着。

恵比寿像を祀るお堂の脇に、『受付』と貼られた小屋があり、そこで地元の方らしい担当の方から御朱印を頂きました。







大滝神社にもお参り。










大滝神社のお社にお供えされていた『にんにく卵黄』カップ酒。
神様にも精力つけて頂かないと♪ですよねちょき









境内の入り口には、楠の大木。
枝ぶりが大変立派です。鉄骨の支柱で支えられていました。

根元には、祠に入った大きな目のふくろうの石像があり、その傍らには『見てますよ! あなたのマナー(ストーカー行為は鳥迷惑です)』
・・・鳥だけに『ちょう』迷惑かな?ふくろうの大きな目が、確かにじっと『見てますよ』。







後編に続きます走る
 → ランニングで菅生沼七福神巡り 2018 (後編)







  

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (5)観流庵(後編)


江戸中期の”ガイドブック” 『筑波山名跡誌』(上生菴亮盛 著)(文献1)に書かれた名所・旧跡を訪ね、興味のおもむくまま♪ 関連する話題も調べるシリーズです。
(筑波山名跡誌に記載されている順ではありませんので、その点、ご了承ください)

前回のお話 
 → シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」(5)観流庵(前編)


④『観流庵』の場所候補を2か所想定してみる

前回書いた検討から、観流庵があった場所の候補としては、i以下の2か所想定出来るかと考えます。

中禅寺(現 筑波山神社)境内の端あたりから

★候補1: 【左右に男女川ならば】ケーブルカー宮脇駅の西側、大御堂の裏手の共同墓地の奥付近

★候補2: 【西十町余り=約1.1km西ならば】現在の筑波山梅林~フォレストアドベンチャーつくば付近


どちらも、地形的に沢っぼくなっていますので、雰囲気はありますね。
(梅林は現在は梅の木々で整備されていますが、江戸の頃は草木も茂っていたのでしょうか)

しかもどちらも大岩はごろごろで、『禅窟』もありそう。
(ちなみに、これらの大岩は、山頂付近から風化/土石流で転がってきたと考えられる斑レイ岩です)


★候補1★

私の個人的見解としては、やはり『左右に男女川』(文献1)という記述と、『常陸国筑波山縁起 下巻』の絵図(文献5、6)から、

大御堂の裏手の共同墓地の奥付近(ケーブルカー宮脇駅の西側)の男女川の沢

に、観流庵があったのではないかと考えています。
(『十町余』と表現された理由は不明ですが)



!注意!) 大御堂の裏手の共同墓地の奥は、道は続いていますが、『入山禁止 筑波北警察署』の看板がありますので、この先は行けません










道の入口から見ても、めっちゃ雰囲気がありますが、入山禁止なので残念ながらここまで。

草木が茂っていて分かりにくいですが、写真の左側は男女川のある沢へ下る斜面になっているのがお分かりかと。







道の反対方向。
共同墓地自体も、斜面を造成して作ったように見えますね。









共同墓地の端にある大岩。
周りには古い石造物(墓?)もあり、古えの雰囲気も漂っています。
この岩の向こうが、男女川の沢のある方向です。









★候補2★

現在の筑波山神社拝殿の『十町余西(約1.1kmあまり西)』という記述(文献1)にこだわってみると、
筑波山梅林付近になります。
『男女川』のそばではありませんが)


男女川ではありませんが、沢の流れもあります。
(2017年3月上旬撮影)









梅林から筑波山(男体山)を見上げる。
このあたりも大昔の土石流跡だそうです。
(2017年4月下旬撮影)









豆電球筑波山梅林については、過去に何度か記事を書いていますので、良かったら。
 → 筑波山梅林 梅まつり 2017年3月5日
 
 → 筑波山南麓 なごりのヤマザクラと、見頃のヤマツツジ・ヤマブキ




梅林の下に位置するフォレストアドベンチャーつくば





上記にも書きましたが、私個人の見解としては、『観流庵』の場所はここ筑波山梅林ではないと考えますが、こう見ると、もし梅林だったとすると観光的に良かったかも♪ な~んて思っちゃいますね笑




【おまけ】

観流庵の住人だった修行僧の出身地、隠岐。
島根県の隠岐の島です。

『筑波山名跡誌』(文献1)の『観流庵』の項に、観流庵の住人だった修行僧についての記述があり、

終焉ちかき頃の歌と見へて かぎりあへば 泊りの磯に住みはてず 霞の浦も春はくれ行(ゆく)。 此歌を按ずるに、泊りの磯は隠岐の国なり

の一文があります。


写真は、隠岐の島町(島後)の海。
(2017年6月撮影)

泊りの磯』は分からないのですが、一般に『』の地名は港である(あった)場所を指すことが多いと云いますので、隠岐島のどこかの港ではないかと想像します。
昔から、隠岐は日本海交易の拠点として栄えていたそうなので、筑波山名跡誌や、同書が引用している宗祇諸国物語が書かれた(室町後期?) ~江戸中期の頃、『泊りの磯』は隠岐の国の地名だと知られていたのかもしれませんね。

ちなみに後醍醐天皇や後鳥羽上皇が流されたのは、島前の島の方(隠岐島はいくつかの島々で構成されています)です。

こんな遠くの島から筑波山まで来て修行して一生を終えられたのですね。
感無量です。

ちなみに、昔の流罪の刑で最も重い刑『遠流(おんる)』の地は、
伊豆,安房,常陸,佐渡,隠岐,土佐の6国
だそうで、遠流の地つながりでもある…^^;。

また偶然ですが、隠岐島は、ユネスコによって世界ジオパークに認定されています。
筑波山地域は、日本ジオパーク認定。ジオパーク繋がりでもありますね♪
(『世界』までにはかなり遠そうですが^^;)


このシリーズ続きます。お楽しみにちょき

シリーズ「筑波山名跡誌に書かれた場所を訪ねて」 (6) 酒香川



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【参考文献】

1.『筑波山名跡誌 ―安永期の貴重な地誌再現―』 上生庵亮盛 著 桐原光明 解説  筑波書林

2.『筑波山麓フットパス 筑波山口~筑波山神社』マップ つくば市 発行

3.『筑波山麓フットパス 神郡~六所~筑波』マップ つくば市 発行

4.『いまに残る郷土の文化遺産 つくばの古絵図』 日本地図センター 発行

5.『筑波山 ―神と仏の御座す山―』 茨城県立歴史館 編集・発行

6.『関東の名山 筑波山 筑波山神社案内記』 筑波山神社 発行














  

プロフィール
かるだ もん
かるだ もん
徒然なるままに、興味のあることを気ままに書いています。好きなことばは「中途半端も、たくさん集まればいっぱい!」(ドラマのセリフ)

地元つくばや茨城の話題を中心に、茨城の食材を使った家庭料理、民俗学もどき、国際交流、旅の話題など、趣味の記事を掲載中。

特に自分の勉強も兼ねて、
★民話・伝説紹介と、それにちなむ土地めぐり
★茨城を中心に、全国の郷土料理と食材(世界の料理も含む)の話題
の話題が多いです。

・ヒッポファミリークラブ(多言語自然習得活動と国際交流)
・観光ボランティア
・郷土食研究会うまかっぺ!茨城



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